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「写真集 ヒトが人間になる ― さくら・さくらんぼ保育園の365日」斎藤公子 (著), 川島 浩 (写真)( 太郎次郎社エディタス 1984年4月)

→目次など

■真の子ども集団というすばらしさ良き集団のなかにあってのびる個と、家庭教育による育ちの融合を目指した保育園で育つ子どもたちの様子を伝える写真集■

先日読んだ『新・人体の矛盾』で、帯書きに「さくら・さくらんぼ保育園」とあって、変わった名前の保育園だなあと記憶に残っていました。今日訪ねた新刊本屋でこの本を見つけ、さっそく図書館で借りてきました。おどろいたことに、図書館では既に書庫に移されている古い本でした。

「まえがき」を読むと、『児童の世紀』を書いたエレン・ケイと、「家庭と学校」と題した論文を書いた、レーニン夫人クルプスカヤの二名に強く影響を受けている保育園であることがわかります。エレン・ケイは当時のスウェーデンの幼稚園システムは、小回りのきく弱い人間と、かたくなな「群衆人間」をつくる極端な手段な一つであると批判し、「母親よ、家庭にかえれ!」と呼びかけて幼児の集団教育を否定したとのことです。

これに対して、クルプスカヤはエレン・ケイを批判し、質の良い集団の中で育つことによってこそ個はのびきると主張しました。

著者は、エレン・ケイの望む幼年教育は、集団のなかでこそ生かせることを実証することに半生をかけて取り組みました。それが、さくら・さくらんぼ保育園でした。

本書は、写真集ですので、子どもたちのさまざまな活動の様子が豊富に収録されています。とにかく遊び、能力の限界に挑戦するために、また同年齢の子どもたちの中で社会性を養っていくうえでも理想的な環境であることがわかります。

2メートル近い高さからの飛び降り、はだしの散歩、けんか、竹馬づくり、コマ回し、こいつかみ。でこぼこの多い校庭、木登り。当初の目的を追求した教育が行われていることが伝わってきます。このような場所の必要性があり続けているため、1984年に出版された本が今も新刊として扱われいるのでしょう。さくら・さくらんぼ保育園について知るためのきっかけになりそうな内容です。




さくら・さくらんぼ保育園について私はまだよく知りませんが、文明社会が生みだした家庭と職場の分離や女性の社会進出によって、従来は小集団の中で実現されていた子どもの遊びや集団活動の環境をどう作り上げ、現代社会と整合していくのかを追及した活動であるように感じました。

なお、『豚と精霊』を読むと、小規模な社会(ピグミーの社会)には、本書で理想とする環境に近い子ども育ち環境が既に存在していることがわかります。

内容の紹介


私は、さくらんぼの4歳児クラスの子どもたちに絵本の読みきかせをしてみた。 ほとんどが5歳になっている冬である。 「泣き太郎」の話はたいへんおもしろがった。 しかし、「スーホの白い馬」をつぎに読んだが、反応はいまひとつというところであった。
だが、"6歳"はちがう。 「スーホの白い馬」「八郎」のように悲劇に終わっても、そのなかにかくされている深い人間社会のかなしみ、悪虐な王、また、巨大な自然の暴力に対して人間がいかに闘ってきたか、長い人間の歴史……などというものを一遍のドラマとしてむかえいれ、そして、自分のこれからの生き方のなかにとりこんでいくのである。 - 165ページ


さまざまな人々の生き方、特に、狩猟採集の暮らしを送る人々や、国家を作らないための生き方を続けてきた人々の生き方などを知ると、 ここにある「悪虐な王」「巨大な自然との闘い」などという価値観もまた、普遍的な価値観なのではないことがわかります。

テレビ新聞を離れて、1対99の世界から抜け出るための調査を続ける中で見えてきたことがあります。 それは、文明社会で暮らすために必要となるさまざまな活動のほとんどは本来は重要ではなく、自然の中で動物や植物について知り、私たちを取り巻く世界について理解し、それに合わせて生きていくことが重要なのだろうということです。

そのとき、この年代で語り聞かされた本は、この世のしくみを知るための邪魔になりかねないのではないかと最近は考えるようになっています。

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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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