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「ブッシュマン、永遠に:変容を迫られるアフリカの狩猟採集民」田中二郎(著)(昭和堂 2008年11月)

→目次など

■700万年間続いた人類の生活は、こんなにも充実した楽しい生活であったのかと思わせる描写から始まって「近代化」による変容を描くことに重点を置いた本書は、日本のブッシュマン研究者たちの紹介にもなっている■

1966年11月28日にアフリカの大地に足を下ろしてから累計7年以上をアフリカで過ごした著者が、1979年の定住化以後にブッシュマンたちが経験した生活、社会、文化の変容を紹介することを中心課題として執筆・出版したのが本書である。著者は、2004年に大学を定年退官し、安曇のに移り住んでからこの本を著している。

ブッシュマンとはどのような人びとなのかを知りたい人には、この本の第一章が良いテキストになるだろう。ブッシュマンとその近縁のコイコイの起源と歴史が簡潔にまとめられている。

ブッシュマンの住むカラハリ地域は、豊富なところでも年間600ミリ程度の降水量の乾いた土地であり、南部は氷点下10度まで下がる土地でもある。一年の大部分は、植物の水に頼って暮らすことになる。そんな厳しい自然の中で、人力で移動可能なだけの限られた物しか所有せず、自然の恵みに頼って生きる人びとの生き方が、第2章に描かれている。一面に野生のスイカがゴロゴロ実っている写真に「ブッシュマンが農耕をはじめようとする気にならないのがよくわかる気がする」と言葉が添えられている。

森の民ピグミーや、イモを栽培するピダハン、北の地で狩猟を主体とするヘアー・インディアンらと違い、藪の民ブッシュマンの暮らしは、かつてアフリカの大地で人類の祖先がチンパンジーおよびボノボの共通祖先から分かれたときから続けてきた暮らし方にかなり近いのではないかということを思わせる(もちろん武器や、毛皮、言語、犬の存在など大きな違いはある)。

時に30kgもの肉を背負って15kmも離れたキャンプ地まで歩くことがあったり、乾季が終わるまでの1カ月以上もの間、おいしくもない地下茎の水分に頼らなければならないことがあったりしても、まるで日々遊びに明けくれているような生き方がそこには記されている。しかも、多くの誤解とは異なり、周囲の農耕・牧畜民とも交流を持ちながら成立していたのだ。

50人程の集団がそのときどきでメンバーを入れ替えながら遊動することで維持されていた、自然との調和や、平等と利己主義の両立、所有しないあり方、充実、自律、自由の享受、蓄財からの解放を実現した暮らし。これを、変容させたのが、3章以降に描かれているボツワナ政府の近代化政策である。

本書の著者は、常識ある研究者であるから、近代化が悪意を持って行われているなどとは考えていない。ただ、教育の場でブッシュマンの言葉を使えないことを問題視したり、定住化の前には毛皮をまとって誇らしく見えたブッシュマンたちが、賃金労働に使われたり、多くの無償援助を受ける中で、みすぼらしくなったり、すさんでいくのを嘆くだけである。

しかし私から見れば、近代化の過程は、ブッシュマンに限らず、地球上どこでも同じことの繰り返しになっている。経済発展に寄与しない生き方は否定され、自然発生的な規模の地域社会は壊され、伝統的な価値観を否定され、教育や医療の自由を奪われて、アルコールに走り、一部のものははしこく金を稼ぎ、文明の利便性や快適性に慣らされて、後戻りができなくなっていく。我が国における近代化であった明治維新の本質を知る意味でも、このような本を読むことをお勧めしたいと思っている。

私たちは、人がいつどのようにして定住生活を始めたのかを知らないが、本書からは定住化の影響や、たとえば、水が安定供給されることによる影響といった要素を読み取ることもできる。集団の規模が小さいことで可能であった平等な分配や、水が少ないことで牛を飼育できないが故に保護されていた自然、また水の不足から馬を長期的に保有し続けることができなかったことで平等にあった狩猟の機会といった記述は、科学技術がいとも簡単に自然保護のバランスを崩したり、平等主義の前提を崩すものであることを教えてくれている。

本書の持つ重要性のもう一点は、多くの日本人研究者たちの動向が記されていることである。本書はある意味では生態人類学研究から地域研究への転進を模索したものでであり、わたしたち自身の文明のあり方をいま一度振り返っていただけるなら筆者の幸いとするところであるとされているように、変容する姿を通して研究者たちの関心は広まりを見せている。本書の各部に散らばっている研究者たちへの言及の中から、最もまとまった箇所を抜き出してみよう。

一九八二年以来のわたしたちブッシュマン調査隊のメンバーを顧みても、菅原、今村はもともと行動学を方法論として出発した学徒であり、池谷は文化地理学、中川、大野の二人は言語学、野中は昆虫にことさら興味を抱く人文地理学者であった。秋山は哲学を修めたのち子ども世界や教育問題にとり組み、高田は社会心理学を援用して人類学に取り組もうとしている。大崎は近年、古老からの聞き語りに注目して、過去一〇〇年間ぐらいの歴史の再構成を目指しており、池谷もまた、古文書の手がかりを求めて植民地時代以降のブッシュマンとツワナ人、カラハリ族との交流経路など歴史の掘り起こしに精を出している。(190ページ)

移動を止めて所有や階級を作り上げた文明社会は、影の支配者たちの利益のために動かされているのだという立場に立ってみれば、本書の3章以降に記されたブッシュマン社会の変容は、私たち自身の苦しみの原因を見事に説明してくれている。

内容の紹介


広範囲を遊牧しつつも、財産としての家畜をもち、ゆるやかながらも首長制のもとに編成された「コイコイ」の社会にとって、さしたる所有財産もなく身ひとつで移動しながら狩猟と採集の生活をおこなっている「ブッシュマン」は、ふだん友好的に近隣づきあいをしていたにもかかわらず、ときには食べものをたかり、場合によっては家畜を盗んでたべたりする厄介者とも見なされていたことであろう。 - 6ページ

農耕・牧畜民の登場によって、本来の生き方を続ける狩猟採取者たちは「ならず者」「無宿の浮浪者」のような印象を持つようになりました。しかし、狩猟採集社会を知れば、その印象は逆転します。

(南部アフリカの東部地方に住んでいたブッシュマンについて)
この地方のブッシュマンは一五世紀以前にバントゥの大移動の波のなかで、いち早く駆逐され、あるいは吸収されたのである。ズールー、コーサ、ソト、ツワナ、ンデベレなど、ブッシュマンの土地への侵略の最先端となったバントゥ諸民族の身体形質や言語・文化にブッシュマンの影響が色濃くうかがえる事実が、そのなによりの証拠である。 - 11ページ

対立や戦闘がありつつ、個人のレベルでは交雑が進むのは、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人やデニソワ人、日本列島の先住民と後から来た人びとなども同じであり、平和主義なのかどうかということとは関係なさそうに思えます。


(ブッシュマンが「自律的」であるということについて)
もちろん、彼らが完全に他の世界から隔絶され、一〇〇パーセント自給自足の生活をしてきたというわけではけっしてない。場所によって距離にちがいはあるが、いずれのブッシュマン・グループにも近隣にはバントゥ農牧民の集落があって、少なくとも過去一〇〇年以上にわたり、なにがしかの交渉をつづけてきたことも事実である。農耕や牧畜によって生活する人びとを目のあたりにしながらも、なおかつ人為を極力排除して、かたくなに野生の自然のなかで狩猟と採集だけで暮らしを営みつづける生きかたを、ここでは「自律的」と表現したのである。生産手段をもつこともなく、最小限の加工だけで自然に寄りそって生きる狩猟採集という生活様式がいかに安定したものであったかを、人類五〇〇万年の歴史は見せつけてくれたのである。 - 28ページ

私も、狩猟採集者たちの世界を知るまで、狩猟採集と農耕・牧畜との間に、これほど大きな違いがあることを知りませんでした。そして、狩猟採集という生き方が、選ばれた生き方であることも知りませんでした。


(肉はごちそう)
数多いブッシュマンたちのメニューのなかで、肉こそはおいしくて素敵なごちそうである。それは植物性の食べものとちがって、まれにしか得られないものであり、その稀少性ゆえになおのこと価値ある食品ともなる。素敵なごちそうがあれば、他の食べものには、いっさい手を触れない。ごちそうの肉がすっかりなくなってしまうまで食べつづけるのが彼らの流儀なのである。あるものをまず平らげる習慣は、おそらく食品の加工ということをせず、したがって保存ということをしない彼らの文化と深くかかわっているのであろう。 - 34-35ページ

ヒトは果物と野菜を食べる果菜食動物だという主張を知ってなるほどと思ったのですが、調べていくと、果物と野菜を中心にするには、長い食事時間が必要なようです。また、私たちのように大きな脳を持つ動物には、肉のたんぱく質が必要なようです。しかし、現在のように飼育された肉は健康上良くはなさそうです。


(狩猟)
ブッシュマンがおこなう狩猟は、弓矢による大動物の狩猟、罠による小型アンテロープの猟、鉤竿によるトビウサギの狩りが代表的なものであるが、ほかに犬がいるならば、犬の助けを借りて槍で狩る方法、小鳥や小動物、幼獣などの場合には棍棒で叩き殺したり、手近の棒切れを投げつけたりして狩る方法も用いられる。ライオンやヒョウ、チーター、リカオン(ハンティング・ドッグ)のような肉食獣が、肉を手に入れるために使われることもある。彼らはこうした動物が獲物を食べているところに出くわすと、獣を追い払って獲物を横どりしてしまう。ハゲタカが群がって上空を旋回しているのを見つけると、その下で繰りひろげられる獣の饗宴のさまを想像して全速力で駆けつける。ハゲタカが活躍するころには、たいていの場合、その饗宴は終わりに近くなっており、あとにあまり肉は残っていないことが多いのであるが。 - 37ページ

テレビでは、乾燥が進んでサバンナに進出する道を選んだ人類は、肉食獣たちにおびえたという面か、肉食獣の残した死肉をあさっていたであろうという説を流すばかりで、もしかすると、すでに肉食獣から獲物を奪っていた可能性に触れません。ヒトは、動物としては無力な存在であると印象付けられてしまいます。


(乾季を乗り越えるために)
ふつうは冬も終わろうとするころにはスイカも乏しくなり、根っこのなかでは比較的おいしいとみなされる<オムツェ>や<ツァー>が採集の対象となる。舌が曲がるほど苦い<ビー>の根やアロエにまで手をださなければならなくなるのは、乾季も最高潮に達する一〇月から雨季のはじまる一二月ごろまでの期間で、枯れつくしたブッシュフェルトのなかで、食べられるものならぜいたくを言っていられない時期となってからである。サボテンに似たユーフォルビアの苦い汁までが、他の植物と一緒に臼と杵で搗きくずされ、飲料水の足しにされる。 - 46,48ページ

狩猟採集生活には、こうした厳しさもつきまといますが、それはまた、そろそろこの世とおわかれする時期だよと、私たちが老いたときに教えてくれてもいたのだと、私は最近考えるようになりました。また、こうした厳しさが、生物の健全性を保つためには欠かせないとも思います。


(豊富な余暇時間)
ブッシュマンたちは、夜はたっぷりと眠り、おまけに日中の多くの時間を、寝ころんだり、おしゃべりをしたり、のんびりとくつろいで過ごし、食べものを手に入れるために外出するのは平均すると一日四、五時間にすぎなかった。オーストラリアの原住民についてもほぼ同様に、四、五時間という報告がなされている。 - 51-52ページ

水を得るにも苦労するような暮らしでありながら、自由な時間がふんだんにあるのが狩猟採取生活です。しかも、ただのんべんだらりとすごすのではなく、激しく肉体を使うことも多いためぜいにくのない引きしまった体を維持しています。こうした生き方を知るにつけて、私たちが高度な経済活動に縛られていることのほうが、間違った生き方なのだと思えてきます。


(食糧資源の保護)
いってみれば、彼らの頻繁な移動生活は、お気に入りのごちそうをつまみ食いして歩く生活なのであり、移動のサイクルを一巡して戻ってくるころには、すでに自然の食卓はもと通りに復元しているのである。同様のことは、ブッシュマンたちがあまり頼りの綱とはしない動物の狩猟についてもいえる。彼らの用いる狩猟の技術がおそまつで、ほんのときたましか大好物の獲物を食卓に登場させることができない程度だからこそ、動物も絶滅を免れることができるのである。 - 53ページ

狩猟採集生活について知っていったときに、気づくいたことの一つは、人が手出しをしなければ、自然は一方的に食べ物を与えてくれるということでした。農耕・牧畜は、自然のバランスを崩し、人口密度を上げて住みにくくに、無償の食べ物を有償にしただけでした。


(戸外を利用する)
このように、ブッシュマンたちのキャンプでの生活は、圧倒的に外を利用することが多い。ひどい雨の日や冬の夜を過ごすときを除いて、事実上、小屋はなくても差し支えがないとさえいえる。一年の大半を占める暑い乾いた季節のあいだ、彼らは完全な形の小屋をつくらないことも多い。移動を頻繁におこなって短期間しか滞在しないような場合には、とくにそうである。小屋の中に保管しなければならない財産はわずかばかりだから、手近の木の枝に家財道具一式を掛けて、その根元を地ならししただけで何日も寝泊まりすることもしばしばなのである。 - 60ページ

一人一人が土地を所有して、すべてを完備した家を作るあり方よりも、テリトリーを共同で持ち、どこでも自由に小さな部屋を作って、台所、居間、作業場にあたる多くの機能を戸外に置くあり方のほうが、まともなのではないでしょうか。


(伝統社会を破壊するキリスト教)
学校で教える教科は、英語、国語であるツワナ語、算数、理科、社会、そして宗教すなわちキリスト教である。宗教の時間には聖書を習い、神の教えをうけ、そして聖歌を教わってみなで合唱する。学校が始まって以来、いままでのブッシュマンの歌にかわって、あちこちで聖歌が口ずさまれるのを耳にするようになった。 - 92ページ

ブッシュマンの本来の生き方とキリスト教の教えほど相性の悪いものはないと私は思います。そしてもちろん生物として適切なのは、ブッシュマンの本来の生き方です。


(病気)
空気が乾燥していて、寒暖の差が大きいカラハリでは風邪が常時蔓延している。寒さの厳しい冬には風邪引きはとくに多い。喉をやられて咳きこんでいる人、鼻水をたらしている人が多いし、頭痛を訴えるものもかんりいる。 - 93ページ

以前はこうした記述を読んで、やはり医療が必要なのかもしれないと思っていました。しかし、血圧を下げる薬やインスリン注射、向精神薬の服用率を考えると、むしろ文明社会のほうが病人だらけなのかもしれません。


(善意か否か)
定住化推進に携わっている政府関係者は、たしかにリザーブでの先住権をブッシュマンに認めようとはしないが、秋山君のインタビュー調査によれば、彼らはことさらカラハリ狩猟採集民としての伝統的な生活文化の破壊とツワナへの同化を意図しているわけではない。彼らは、狩猟採集を基盤とした暮らしを時代遅れで未開な生活様式だと信じており、国全体の発展のためにはブッシュマンをそのまま放っておくことはできないのだ、と素朴に考えているのである。 - 183ページ

文明論を語れば、あらゆる人々を管理下に置いて、労働に従事させることが文明の支配者の意図であり、たとえ直接の担当者が意図していなくとも、国家を超えた力が働いていることでしょう。同じようなことは、河川敷または山中を移動しながら暮らしていた日本の人びとにも起きています。もう一つ大事なことは、そのような悪意を実行するために、人々の生活の向上という口実が必ず使われることです。


一般に、新生児を立たせた状態で体を前方に傾けると足を前に踏みだす歩行行動をとる。これは歩行反射といわれ、ヒトに生まれつき備わった原始反射のひとつとされている。この歩行反射は、欧米や日本ではふつう生後二カ月ごろ消失し、生後七カ月になって再びあらわれる。ところがブッシュマンでは歩行反射は二カ月を過ぎても消失せず、七、八カ月目にはすでに独り歩きができるようになるのである。 - 186ページ

この後の説明によれば、これは先天的な違いではなく、養育行動などの育児環境の違いとのことです。


(定住化と便所)
密集集落であるプロットでは、当初から衛生上の問題が悩みであり、政府は学校、診療所、役所、集会所など公共の場所にいくつかの便所を設置していたが、人びとは何百メートルも離れたブッシュの陰まで出かけて用を足すことが普通であった。 - 206ページ

遊動生活ならトイレすらいらないし、野外トイレは快適なのでしょう。


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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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