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(2014年10月2日)

bigfoot

■人類の歴史■

はだかの起原』『人類史のなかの定住革命』『イシュマエル』などを参考に人類史を振り返ってみます。 定説ではなく、現時点での私の考えを述べたものです。

出発点
ヒト科
・ヒト亜科(ゴリラ族、ヒト族(チンパンジー亜族、ヒト亜族))
・オランウータ亜科

500〜700万年ほど前ヒト亜族とチンパンジー亜族が分岐
森の中でイモという新しい食糧と出会ったヒトは堀棒を使うためにすでに直立歩行し、他の指と向き合う親指を持っていた。

ヒト亜族
・サヘラントロプス属
・オロリン属
・アルディピテクス属
・ケニヤントロプス属
・アウストラロピテクス属(華奢型)
・パラントロプス属(頑丈型)
ヒト属

200万年ほど前:ヒト亜族から大脳が大きく増大したヒト属が現れた
狩猟を開始したことがヒトの大脳を発達させた。
ヒトはまだ毛むくじゃらで、言葉も話せず、火も使用していなかった。

ヒト属
・ホモ・ハビリス
・ホモ・ルドルフエンシス
・ホモ・エルガステル
・ホモ・エレクトス(ジャワ原人、北京原人など)
・ホモ・アンテセッサー
・ホモ・ハイデルベルゲンシス
・ホモ・ローデシエンシス
・ホモ・ケプラネンシス
・ホモ・ゲオルギクス
・ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)
ホモ・サピエンス

16〜20万年ほど前:アフリカに現生人類と同じ肉体的特徴を持つホモ・サピエンスが登場した
はだかの起原』によれば、ネアンデルタール人までは不可能であった言葉を話すことを可能にする喉の構造の変化は裸化と同時に起きたという。その場所は熱帯アフリカの高地であったと推測されている。 つまり、ネアンデルタール人まではゴリラやチンパンジーと同様の毛むくじゃらの野生動物が人類であった(画像を参照)。 ただし、ネアンデルタール人は火を使用し、脳の容量は現生人類を超えている。

裸化の影響
ヒト程の大きさの動物にとって裸であるということはあり得ないことである。体温の維持がおぼつかないのである。 しかし、ホモ・サピエンスは裸であることと、咽喉の拡大(食べるときには声をだせない)という2つの重複する不適形質を背負った動物として登場してしまった。 その結果、家と焚き火なしには生きていけない集団となり、それらを守る特別な社会構造を作って、この文化を維持しつづける方策をとった。 これが人類を世界中に拡散させるきっかけとなったのだが、このような条件が生まれたのは単なる偶然でしかなかった。
人類は、偶然の産物として今のような状態になったにすぎず、決してすばらしく恵まれた存在などではないと、人類の生物的進化は伝えているのである。 裸であることや、言葉を使うことは、ホモ・サピエンスの生物としての優秀性を意味してなどいないのだった。


火の恒常的利用と衣服の発明によるホモ・サピエンスの拡散
野生動物であった人類は、体毛をなくしたことで住居や火を必要とする存在になった。 それ以前の人類は野生動物として気候に適応できた結果アフリカから各地に散らばったが、ホモ・サピエンスは衣服、火、家によって分布を広げた点が異なっている。 人類が火を恒常的に利用するようになったのは、せいぜい12万5千年前からであり、衣服の登場はコロモジラミの誕生の時期から考えてせいぜい10万年前以降にすぎないらしい。 つまり、それまでの間、裸になったホモ・サピエンスは、誕生したアフリカの高地の比較的温暖な場所にのみ暮らしていたのだろう。 氷河期の到来と衣服の発明が、ホモ・サピエンスに脱アフリカの機会を与えた。


温帯に進出したホモ・サピエンス
温帯における冬場の食料確保の方法については他の動物たちのあり方が参考になる。
オオカミはシカなど狩って暮らしており、獲物の豊富なところをテリトリーとして暮らしている。http://www.interq.or.jp/jupiter/forest/report/33/report33.htm
クマはエサの少なくなる冬は冬眠してしまう。
イノシシは秋に脂肪を蓄え、冬は繁殖期として食うものも食わず奮闘する。
ニホンザルも秋に脂肪を蓄え、冬は木の皮などを食べて飢えをしのぐ。
リスも秋に脂肪を蓄え、冬は巣に蓄えた木の実を少しづつ食べて飢えをしのぐ。
ホモ・サピエンスはどうやらオオカミ型の冬越し戦術を採用したようである。この頃、ヒトはまだ遊動しながら暮らしていた。


水産資源の利用と定住化
水産資源の利用は、人類史の尺度から見ると新しいできごとだった。日本でも縄文時代になるまでは水産資源の利用は少なかった。 水産資源の利用は貝塚ができたことからもわかるように人びとの定住化を促した。丸木舟に乗って沖の魚を捕り港に戻る。湖の魚を捕り、集落に戻る。ヤナや魚道を作った川で魚を捕る。
水産資源を利用し始めた結果、ヒトは遊動できない生物になってしまい、遊動生活のメリットが反転してデメリットとして人々に襲いかかるようになった。

人類史のなかの定住革命』では、安定的に食糧を得られない環境における食料の貯蔵や定置式漁具の利用が定住化の背景として考えられている。 いずれにしても、工夫を重ねた結果がヒトを定住という本来的でない状況に追いやってしまったようである。 ヒトほどの大きさの動物が定住することは生物学的に不自然であり、ヒトの集団の健全性という点でも問題がある状態なのである。。 『イシュマエル』ではヒトは定住する動物であるとされている。 しかし、定住のデメリットとメリットを計りにかけたならば、定住しないほうがメリットが大きいのだ。

定住のデメリット
定住のデメリットは遊動生活のメリットの逆であると考えるとわかりやすい。
遊動生活には次のようなメリットがある。
富の蓄積とは無縁である。
・ゴミがたまらない。
・排泄物を処理する必要がない。
・不和から逃れていくことができる。
・不安から逃れていくことができる。
・病から逃れていくことができる。
・寄生虫から逃れていくことができる。
・退屈から逃れていくことができる。
僻みや恨みまで捨てていくことができる。
・野生の植物性食料に頼ることができ、飢えが少ない。
・短時間の労働で毎日の食料をまかなうことができる。
・おしゃべり、ダンス、歌、昼寝などの時間がたっぷりある。
・知識や技術、体力、好奇心、洞察力を駆使できる。
・豊かな創造力に富んだ生活である。
・人口の増加はみられない。
・人々の暮らしと気候が密接に関連しており、環境負荷が低い。
・介護や医療などで打つ手のないことが救いになっている。
ちなみに、狩猟採集生活でも他の種を絶滅させる影響力はあり、ネアンデルタール人たちでさえ多くの種を絶滅させている。 この点で、定住化は、ヒトの技術力を向上させ、知識を蓄積させて、ヒトによる生物たちへの影響を大きくするという意味でも、望ましくないといえるだろう。

定住の結果としての農耕・牧畜の開始
水産資源の利用に手を染めて定住させられることになった人類の中に、定住地の周辺で農耕・牧畜を開始する者が表れた。

1. 畑作牧畜者の文明
古代エジプト:ナイル川の三角州。古代エジプトではナイル川で漁業が行われていた。
メソポタミア:チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野。メソポタミア湿原ではエビなどが捕れる。
インダス:インダス川およびガッガル・ハークラー川の流域。川魚が豊富に捕れる。
黄河文明:黄河中流域の氾濫原。ナレずし発祥地。

2. 畑作漁撈者の文明
長江文明:稲作・漁撈。
アンデス文明:チチカカ湖と太平洋岸。イモ。
メソアメリカ文明:サンタ・クルス・アティサパン、テノチティトラン

縄文人たちも定住生活をしており、長江文明との交流もあったようだが、農耕・牧畜という労働に手を染めることはなかったようである。

農耕・牧畜は、狩猟採集生活と比べると投下労働は大きく、割に合わない取り組みである。それなのになぜ、農耕・牧畜を始めてしまったのだろうか。 人は、運命を受け入れる存在から、自ら切り開く存在へと変わることを期待したのかもしれない。しかし、これが人類の苦難の始まりとなってしまった。

この頃から、人類社会に奴隷が登場し、環境破壊が始まった。 人は定住化のデメリットに加えて、農耕と牧畜という苦役を抱え込み、『イシュマエル』に言う「残す人」から「取る人」に変わってしまった。 農耕革命(新石器革命)によって、「食料の生産が可能となり、生活システム・社会構造を変化させ文明の発達が始まった」のであるが、それは歓迎すべき出来事ではなかったのである。

ヒトに、希望はあるか
ヒトは偶然直立し、偶然器用な手を持ち、大きな大脳を手に入れ、裸になり、言葉を持ち、火と家を必要とするようになった。 漁撈、農耕、牧畜によって、ヒトは、労働に苦しみ、人間関係に深く苦しむ存在になり、さまざまな抽象概念を生みだして幻想に生きて世界を破壊する存在に変わってしまった。 人は数を増やして戦いに明け暮れる存在にもなっていった。

その傍らで、定住化前の生活を続けている人びとが、農耕・牧畜者たちによって追われ、野蛮人・未開人として排除されながらも、何とか今まで残り続けてきた。 ホモ・サピエンスは裸になり、言語を持って野生動物ではなくなったが、それでも従来の狩猟採集者としての生活を続ける能力を持ち続けているのである。

文明は苦役であり、破壊行為であるという本質を知り、定住化は本来の姿ではないという事実を知ったとき、遊動する狩猟採集者たちの存在はヒトにとっての希望になる。 農耕牧畜が人を飢えから救うどころか飢餓を拡大してしまったように、その後のさまざまな発明も人を救うように見えてかえって事態を悪化させてきているが、そんなものはなくともホモ・サピエンスは幸せに暮らすことができると実証してくれているのである。

私たちは遊動する狩猟採集者たちに学び、遊動する狩猟採集者たちの生活環境を守ってこの環境を拡大し、私たち自身も遊動する狩猟採集者の暮らしに近づいていくことで本来の気楽で充実した生き方を取り戻すことができるはずである。 逆に遊動する狩猟採集者たちの暮らしすら守れないのであれば、やがてはすべての人類、もしかすると地球上のすべての生物の居場所をなくしてしまうことになりかねない。

宗教家も慈善団体も政治家も陰謀論者も革命家も人類を救うことはできないが、遊動する狩猟採集者たちは人類を救うことができるはずである。







2015年10月10日初稿 る
2015年10月12日更新 る

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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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