悪意と悲劇について考える

異端と王道 〜ヴィジュアルからみたMALICE MIZER

以下の文章は暴言を吐いています。「独断と偏見」が多々あります。ですが「人には
それぞれ好みがある」ということで、その存在や支持している人たちを否定しているわけでは
ありません。
裏返せばMALICE MIZERも同じ立場であったりもします。その点をご理解の上お読みください。
お願いだから、石投げないでね。


実はわたくしは「ヴィジュアル系バンド」のほとんどが苦手だ。グラムからの流れでお化粧バンドが大好きなのにである。歌詞や音が脆弱な印象を受けるのも一因なのだが一番困るのは化粧をしてフリルのブラウスやドレスを纏っても「きれい」にみえるのが少ない、これなのである。「グロ美」を極める連中には賞賛の拍手を送るが、美青年を意識して「耽美」と「退廃」が売りのバンドには、何となく恥ずかしくなったり、可哀相な感じを受けるのである。
はっきり言って「普通のヴィジュアル系」は化粧が下手だ。これはセンスの問題だと思うのだが勘違いがあまりにも多い。土台がキレイでも間違った化粧だったら元も子もない。
おまけにほとんどが「貧乏臭い」のだ。「ゴージャス」感がない。「貧乏のニオイがプンプン」漂っていては「退廃と耽美」なんて土台無理なのである。
ヴィスコンティの映画を見よ!没落しようが、老残を見せようが登場人物は見事にゴージャスで耽美である。

トップページでも述べているように、わたくしは美しいがどこか歪んでいるものが大好きだ。「異端」「異形」といわれるもの…ユニセックス、退廃と耽美、そして怪奇と幻想…音楽にも当然それを求める。特に Rock & Pops やっている人間は音はいわずもがな、容姿には非常にこだわる。「ロックは見てくれじゃない」なんて嘘だ、ミーハーといわれようが邪道と呼ばれようがおゼゼを貰うからには堂々として美しくなければならない。「格好よくずれまくってなきゃロックじゃない!」だから、おのずと選別はキビシイのである…。
ここ2年半ほど MALICE MIZER にハマっている。自分でも呆れてしまうほどのトチ狂い方だ。MALICE MIZERは「ヴィジュアル系」のカテゴリに入れられているから、先の暴言に矛盾していると思われるかもしれない。
昔の写真を見ると彼等も初期は「普通のヴィジュアル系」だったのだが、ビジョンがしっかりと定まってからは全く別のものに変貌を遂げた。彼等は普通いわれるヴィジュアル系の定義からは大きくずれた「変なバンド」である。いくらヴィジュアル系でもビューラー&マスカラどまりで「付け睫毛」をしているバンドなんてめったにいないのよ。

彼等は実に化粧が上手い。眉の位置や形などはキャラクターに合わせて実に考えて描いていることが判る。付け睫毛のつけ方はため息ものだ。
髪を結うのだけは、プロのヘア&メイク・アーティストに依頼(ただし自分でデザイン)しているが化粧は全て自分達で行なっている。
「なにもあそこまでしなくったって」という声も聞こえたりするが、「あそこまで徹底」しなければならないのである。彼等は、「(自称)美青年」になりたい、と思っているのではない。
「役を演じる」ために素顔とは全く別の「顔」を作るのだ。「女形」に徹し、ピエロになりきり、必要とあらばヒゲだって生やし自分たちの世界観を3次元化する為に「異形」ともいえる「顔」
を作りだした。

MALICE MIZERの衣装は曲のコンセプトに合わせて様々に変化してゆく。中世ヨーロッパ風をはじめとしてボンデージあり、サイバーありとバラエティに富んでいて、服そのものがゴージャスだ。
ドレスや打掛を着て結婚披露宴を行なった方やコミケなどでコスプレをする方はお判りと思うが、こういうド派手な衣装の上に乗っかる顔は「普通」の化粧では太刀打ちできない。
どんなに衣装が豪華でも「顔」が「うすい」と貧相にみえる。その両者のバランスが合ってこそゴージャスなヴィジュアルになるのである。。MALICE MIZER の「顔」は用意された衣装にぴったりと嵌まる。そういうことからみても、彼等の「化粧」は実に正しい。

彼等は「ギタリストがギターも弾かずに踊っている」バンドとして、まず知られるようになった。これは日本のロック業界において、見事に「異端」である。この業界は案外保守的で化粧をしようがドレスを纏おうがライブでは、まず演奏しないとバンドとして認めないのだ。
パフォーマンスにかなりの比重をおいてきた、例えば米米クラブや聖飢魔Uでもフロントの人間は芝居をするが、バックはあくまで演奏に徹していた。バンドマンは楽器を手放してはならない。「掟」のようなものである。

MALICE MIZERは「掟」を破ってしまった。いとも簡単に楽器を手放してしまった。ライブでは演奏することにこだわらないのである。

CDを聴いてみると判るのだが彼等の楽曲は細部まで実に丹念に作られている。あくまでも音楽が基本であり、「まず曲ありき」なのだが、曲の「演奏」自体はCDで完結していて、ステージでは曲の「世界」を感じてもらうことを目標においているのだ。だから自分たちの世界観や音を立体化する為には何でもやってしまう。メンバー全員で寸劇をしたり、ダンスしたりする。時には空を飛ぶ。ライブ・パフォーマンスを語らずしてMALICE MIZERを語ることはできない。

わたくしがMALICE MIZERを「とんでもないものがいる」と、認識したのは映像からだった。
はじめて彼等のライブビデオを観た時は、思わず笑ってしまった。あまりにも「ここまでやるか!」だったから。雑誌で見たそのままの姿の彼等が、吸血鬼やアリスを演じているのだ。
当時はまだ拙いところがあったものの、「退廃と耽美」「怪奇と幻想」をここまで演出した日本のバンドを観たことがなかったのである。

わたくしは、「思わず笑ってしまった」 のだが、同時に「日本にもようやくこういうバンドが出てきた!」と感動した。わたくしのように少女マンガやJUNE、70〜80'sの英国系を中心としたロックにどっぷり浸かってきた人間にはたまらないバンドなのだ。とにかく好きなものがびっしり詰まっている。真っ向から「耽美」と「怪奇」を出されると、たいていは唖然として退いてしまう。普通アングラの域を出ないのだ。しかし、MALICE MIZERはアングラの表面をかすめつつ、「少女マンガ的ゴージャスな世界」を展開しているのである。もちろん、「やおい」心をくすぐる演出もしている。実にポップなのだ。

ファンはワガママで欲張りである。一度MALICE MIZERの世界に入りこむと、今度はより美しく、より面白いものをと要求がどんどんエスカレートする。
彼等は、その要求に促しつつファンが思ってもみなかったものを繰り出してくる。時には、かなりくだけた姿もみせる。イメージを崩さないギリギリのところで「お遊び」もしてしまう。「キワモノ」扱いされることが多いが、これほどサーヴィス精神を持ったバンドも珍しい。エンターティンメントとしてのMALICE MIZERは実は「王道」なのではないかと思う。
いわゆるヴィジュアル系としてデビューしたバンドが次々と「脱・ヴィジュアル」宣言(というより過去を封印してしまう)して、普通になっていく中で、MALICE MIZERは全く逆の道を歩んでいる。化粧は薄くなるどころか、ますます凝ったものになっている。彼等は「一旦始めたものはとことんまでやる」のである。

わたくしは彼等の「徹底的な」ところが好きだ。常に彼等のようなヴィジュアルを維持するのは、相当なパワーが必要だが、あえて困難な道を選び、完成度の高い作品として自分達を見せる姿勢にプロとしての心意気を感じる。この「変な連中」とすごす世紀末も捨てたもんじゃない、などと思ってしまうのだ。

<2000.7.26>