イーリス×ディアーナ
風の中で その3
クライン王国の王宮にうらうらと春の日ざしが降っていた。
昼食をはさんで、午後の授業が
ディアーナの個室で行われていた。
「はい、終わりましたわよ。アイシュ」
「ええ〜?! 本当ですかー! 姫様ー!」
アイシュと呼ばれた青年が間延びした声を出しながらも、目だけは素早く答案を
チェックしていく。
「あ、あれ? できてる… 本当に出来てますよ!? 姫様! いったい
どうしちゃったんですか〜?!!」
嬉しいやら信じられないやらで、家庭教師代行を慌てさせながら、当のディ
アーナは、テーブルの冷めた紅茶を一口すすった。
カップをソーサーに戻しながら優雅に苦笑する。
「ひどいですわね。 わたくしでもやる時はやるということですわ」
「そ、それはそうなんですが、その、僕は嬉しいですー!!」
「それでは、わたくしは少し出かけてきますね」
「え、ええ?! ちょっと姫様ー?!」
アイシュ=セリアンは、若干19歳で執政に関わる『天才文官』である。
おっとりした性格と破滅的運動神経、びんぞこ眼鏡と間延びしたしゃべり方で、
初見の人間には軽く見られるが、若き皇太子の三人の腹心の1人だ。
18歳の時に任官が決まり、故郷から出てきてから今日にいたるまで、その手腕は着実に
実績を上げてきた。
最近、シオンと共にディアーナの家庭教師役の援軍まで押し付けられている。
それだけ皇太子と親密な関係でもあるのだ。
「よ、アイシュじゃねーか。」
「ああ、シオン様」
アイシュがディアーナの答案や資料をまとめて王宮の廊下を歩いていると、同僚の
筆頭魔導士殿が声をかけてきた。こちらはあい変わらず無駄に自然体だ。
「どうした、情けない顔をして。姫さんの調子はどうだ?」
「ええっと、いま、今日の分の課題が終わったところなんですー」
「ほーう。関心関心! すごいじゃねーか、あの姫さんにしては。なら何だって
そんな複雑な表情をしてんだよ」
「そうなんですよ。姫様は最近はちゃんと勉強をして下さるようになりました。でも、
『お忍び』に出かける回数も増えている気がして。一体どこで何をしているのか……」
「ああ、それなら心配いらねーよ。俺の知り合いの所に行っている」
「ええ?! シオンは知っているんですか?」
「まあな。おかしな事をする奴じゃないし、いざとなりゃ二人分の身くらい守れる
から、変に心配することはないと思うぜ」
「それなら、別にいいんですけどね……」
なんとなく腑に落ちない表情をしているアイシュの肩を、シオンは叩く。
(ま、そういう心配はしなくてもいいにしても、人格的にはちょっとどうかね?
俺と同じで、ゆがんじまってるからなあ)
シオンは口には出さずに、廊下から空を見上げた。
──同日、同時刻。
クラインの王都には、郊外に出ると森と湖が広がっている場所がある。
何があるわけでもないので、ふつう人は来ず、静かな場所だ。
旅の詩人イーリス=アヴニールはここに来ていた。
大きな樹と茂みが湖岸に影を落としている場所で、大きい石に腰を下ろす。
「………。」
無意識に両手で笛をもてあそびながら、視線は俯いている。
どうやら「詩の着想を得に来た」というわけでもなさそうだ。
ふう。
一つ息をついて笛をかまえ、口にあてる。こういう風に、他に意識が行っている
時に吹くメロディーはいつも同じ。自分の家に伝わってきた、生まれてから一番
多く奏でてきたメロディだ。
なじんだ曲を演奏していると少しは気分が落ち着いてきた。
私はやっぱり人付き合いは苦手なようですね。新しい街にきて、しばらく逗留
していると、少しずつ、名前と顔が一致する人や、挨拶をしてくれる人、親切に
してくれる人ができてくる。
この中途半端な感じが、どうにも居心地が悪くなります。
私はまた、いずれここを離れていってしまうのだし、彼らは私のお客様であって
友人ではないのに。
誰かと親しくなれば、この、のろわれた身の上のことも伝えなくてはならなくなる。
どこかに深く情が移れば、それだけ去らねばならない時は辛くなる──
湖で魚が跳ねた。
空に躍り上がった魚は、その一瞬 陽光を浴び、ふたたび水中に没した。
「そう言えば、今日はまだ彼女を見ていませんね」
ふっとイーリスの表情がゆるむ。
ディアーナ姫。
初対面の時、彼女の天真爛漫な表情が私の心の底に触れて、どうしようもなく恐く
なって思わずはねつけてしまった。
しかし、シオンのおかげもあり、何のめぐり合わせか、彼女はそれからもほとんど
毎日のように私のところへ来てくれている。
好意を持ってくれていると、自惚れてもいいのか。あの笑顔が、とらわれなさが、
いつでも自分に一番に、向けられるとしたらどれだけ幸せなことだろうか。
かさり、と下生えを踏む音がした。
「イーリス! こんなところにいましたの? わたくし探し回ってしまいましたわ」
イーリスがあっけにとられた表情で姫の顔を見る。
噂をすれば影か。
イーリスはいつもの微笑を作って言った。
「姫はずいぶん、私のことがお気に召したようですね?」
「ええ。イーリスはいい人ですもの。お話ししてても楽しいわ」
そう思ってくれますか。こんな私を。
素直に嬉しがりたい気持ちと、権力者として育った人間が本当に自分なんかを
理解してくれるはずがない、という気持ちが同時に湧き上がる。
期待しすぎれば、その分それを得られなかった時の失望も大きくなるのに。
「いい人……ですか。
まあ、そう思って頂いてる方がやりやすいんですけどね」
「違いますの?」
「どうでしょうね?
でも、姫はお得意様ですからできるだけよい待遇をしたいと思ってますけどね」
(さて、どう答えます?)
「普通でいいんですわ、普通で」
「おや、欲のないことで」
「だって今は普通の女の子ですもの。他の方と同じが当たり前ですわ」
「なるほど。ではそう致しましょう」
──そうしてしばらく話をして、気が付いたことが一つ。
私はもう、後戻りも出来ないくらいあなたが気になっている、ということです──
……と言うわけで、イーリス側目線です。
ディアーナよりはイーリスの方が、私の「地」には近いのですが(まあ、私も男ですし)
それだけにモノローグなんて始めてしまうと収集がつかなくなりかけます。
それとこの章も原作に存在するシーンの再構成を含んでいます。
ここをプレイしながら私が激しくドキドキしていたのは言うまでもありません(笑)
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