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黒澤明関連ニュース:1999-下半期

NHK-BS2で黒澤映画
9月に続いて年末もNHK-BS2の衛星映画劇場では、黒澤映画を多数放映いたします。年末及び年始のラインナップは以下の通り。
・12月4日(土)午後7:30〜10:31 影武者
・12月6日(月)午後8:00〜10:03 野良犬
・12月7日(火)午後8:00〜9:44 生きものの記録
・12月8日(水)午後8:00〜10:21 どですかでん
・12月9日(木)午後8:00〜10:06 どん底
・12月10日(金)午後8:00〜10:43 乱
・12月11日(土)午後7:30〜10:32 赤ひげ
・12月13日(月)午後8:00〜9:50 蜘蛛巣城
・12月14日(火)午後8:00〜9:51 用心棒
・12月15日(水)午後8:00〜8:37 椿三十郎
・12月16日(木)午後8:00〜10:20 隠し砦の三悪人
・2000年1月1日(土)午後9:45〜午前1:13 七人の侍
既に放送終了致しました。

『雨あがる』東京国際映画祭で上映
黒澤監督の『乱』が記念すべき第1回のオープニング作品として上映された東京国際映画祭で、黒澤監督の遺稿をもとに映画化された『雨あがる』(監督/小泉堯史、出演/寺尾聰、宮崎美子、三船史郎ほか、2000年新春、東宝洋画系にてロードショー)が10月31日、特別招待作品として上映された。当日は小泉監督はじめ、寺尾聰、宮崎美子、三船史郎、原田美枝子の各氏が舞台挨拶を行った。
見て参りました。晩年の黒澤作品そのままの非常に静かに流れていくような映画で、心温まる感じがしました。ダイナミックな黒澤映画のイメージからは遙か遠い物ですが、ユーモアもあり楽しめます。三船史郎さんの演技が心配な感じがしましたが、見ているうちにやんちゃな殿様というキャラクターに合っていると思えてきて、だんだん気にならなくなっていきました。もうまもなくの劇場公開を楽しみにしていて下さい。

訃報
『七人の侍』『隠し砦の三悪人』などの黒澤映画でも常連の俳優、千秋実(ちあき・みのる、本名・佐々木勝治=ささき・かつじ)さんが11月1日午後0時12分、急性心肺不全のため東京都府中市の病院でお亡くなりになりました。享年82歳。
葬儀・告別式は11月4日午後1時より、調布市仙川町3-7-1の昌翁寺でとりおこなわれた。喪主は妻文枝(ふみえ)さん。
『七人の侍』で侍役を演じた志村喬さんら7人の俳優の一人で、他の6人は既に亡くなり、最後の一人となっていた。千秋さんは1917年北海道生まれ。中学時代に役者になろうと上京。36年、築地小劇場で初舞台を踏む。戦後、薔薇座を結成し、47年に上演した「堕胎医」を黒澤明監督が『静かなる決闘』(49年)として映画化した。この縁で黒澤監督の『野良犬』(49年)に劇場の演出家役で映画初出演し、映画に転向した。その後『醜聞』『羅生門』(50年)、『白痴』(51年)、『天国と地獄』(63年)など、黒澤作品になくてはならない脇役として活躍。特に『七人の侍』(54年)で演じた、最初に討ち死にする貧乏侍役や『隠し砦の三悪人』(58年)での藤原釜足とコンビを組んだ強欲な農民役などはジョージ・ルーカス監督が『スター・ウォーズ』の2体のロボットのモデルにするなど絶妙の味わいを発揮した。黒澤作品以外でも娯楽作や『五番町夕霧楼』(63年)など文芸作品にも出演し、安定した演技を見せた。テレビでも『ママちょっと来て』(日本テレビ系、59〜63年)など数多く出演した。
75年4月、テレビドラマ収録中に脳内出血で倒れ入院したが、1年半の闘病生活を経て76年にカムバック。その闘病体験をまとめた手記「生きるなり」がベストセラーとなった。85年の伊藤俊也監督『花いちもんめ』では、アルツハイマー症の老人役で迫真の演技を見せ、毎日映画コンクール演技特別賞などを受賞した。89年勲四等瑞宝章を受章。97年のNHKドラマ『極楽遊園地』が最後の出演作品となった。
97 年に三船敏郎さん、98年には黒澤監督と映画界の盟友に相次いで先立たれた。千秋さんは、つえを突きながら2人の葬儀に参加し「『七人の侍』の最後の一人になってしまった」と無念の思いを語っていた。
映画評論家、品田雄吉さんの話「黒澤さんの映画によく出ていたこともあって、とても親近感を抱いていた俳優でした。演技的なにおいを感じさせない、自然体の演技にたけていました。それが黒澤映画の中でも一つの味となっていたと思います。倒れた後もリハビリをし、苦難に耐えて演技者としての人生を全うされました。悔いのない俳優人生だったと思います。」
『七人の侍』で農民役を演じた土屋嘉男さんの話「明るい元気な方で、よく三船敏郎さんと三人であちこち出かけて、僕のことを本当にかわいがってくれた。黒澤明監督のお別れ会でお会いしたときは、元気そうに見えたのですが。千秋さんとは『七人の侍』で初めて共演した。火事のシーンで、セットが燃えすぎてカツラが焦げるようなしゃく熱地獄の中、千秋さんと決死の芝居をしたことを思いだします。これで『七人の侍』は、みんないなくなってしまった。とても寂しい気持ちです。」
黒澤映画で常連の俳優・仲代達矢さんの話「共演した映画で一番印象に残っているのは、僕が主演した小林正樹監督『人間の條件』で、梶役の僕はよく殴られるシーンを撮りました。しゃだつでタフな人で、人間性に丸みがあり、演技のうまい人でした。黒澤明監督は後年、「あいつには何も言うことがないんだ」とおっしゃってましたが、黒澤さんが好きな自然体の演技のできる俳優でした。三船敏郎さんら強烈な個性派とは対照的で、庶民性のある千秋さんはその存在感から黒澤映画に欠くことのできない役者でした。」
『花いちもんめ』で共演した女優・十朱幸代さんの話「初めてご一緒しましたが、千秋さんにとって復帰作で、現場では演じることに集中しておられ、撮影中はほとんどお話しできませんでした。この映画で数々の主演男優賞を受賞され、大変思い出深い作品でした。めい福をお祈りします。」
『花いちもんめ』の伊藤俊也 監督の話「千秋さんは撮影当初、かなり自信がなさそうだったが『どれだけ時間がかかっても大丈夫』と励まし、撮影を続けた。撮影自体がリハビリにもなり、その様子が主人公にぴったりで演技の質を深めてくれた。厳しい撮影だったが、豊かな思い出になった。容姿はユーモラスだが本来、きまじめで熱心な人。だが持って生まれた天性の物が、それらをうまく包み込んで、とぼけた喜劇的な味として表す大変ユニークな人だった。あのような俳優は今の若い人には見あたらない。映画界にとって大きな損失だ。」

NHK-BS2で黒澤映画
日本映画100年を記念して、年末まで日本映画100本を放映するNHK-BS2の衛星映画劇場では、黒澤映画も多数放映予定となっている。9月のラインナップは以下の通り。
・9月6日(月)午後8:00〜9:00 虎の尾を踏む男達
・9月7日(火)午後8:00〜9:20 姿三四郎
・9月8日(水)午後8:00〜9:23 續姿三四郎
・9月11日(土)午後7:30〜9:54 生きる
・9月13日(月)午後8:00〜9:27 一番美しく
・9月14日(火)午後8:00〜9:28 羅生門
・9月18日(土)午後7:30〜9:45 まあだだよ
既に放送終了致しました。

『雨あがる』ベネチア国際映画祭で上映
『羅生門』がグランプリ(金獅子賞)を獲得し、「世界のクロサワ」の名を広めるきっかけとなったのが1951年のイタリアのベネチア国際映画祭。今年その第56回ベネチア国際映画祭に於いて、黒澤監督の命日に当たる9月6日、追悼セレモニーが催され、その中で、黒澤監督の遺稿をもとに映画化された『雨あがる』(監督/小泉堯史、出演/寺尾聰、宮崎淑子、三船史郎ほか、2000年新春、東宝洋画系にてロードショー)が特別招待作品として上映されることが決まった。9月4日には、小泉堯史監督、プロデューサーの黒澤久雄・原正人の両氏をはじめ、監督補、衣装、撮影、録音を手がけた各スタッフと主な出演者が現地入りする。

『雨あがる』クランクアップ
黒澤明監督の遺稿をもとに撮影が進められていた『雨あがる』(小泉堯史監督)がクランクアップした。
撮影の最後の2日間には『用心棒』『影武者』『乱』など黒澤作品に欠 かせない存在だった仲代達矢も参加。「何十年も薫陶を受けた黒澤さんのシナリオの作品に参加できて光栄に思っている」と話していた。仲代が演じるのは、主人公の三沢伊兵衛(寺尾聰)の師匠、辻月丹。居合無外流の創始者として知られる実在の人物で、映画では、剣の腕は超一流ながら真っ正直な性格が災いして士官がかなわない伊兵衛が、無外流を修めるようになったきっかけについて語る回想シーンに登場する。出演場面は少ないが、「ある意味で重要な役なので、黒澤組に出るような緊張感がある」と気を引き締める。また「2、3台のカメラを使って撮影したり、みんなが出てリハーサルしたりするなど、黒澤組のような印象がある。脚本を読むとさわやかで、晩年の黒澤さんのすがすがしい境地が流れていると思う。そうかいな映画ができあがるんじゃないか。小泉監督も最後まで黒澤さんについていただけあって、黒澤さんの精神が全部入っていて楽々と撮っている感じがします」とも語った。
『雨あがる』の撮影は静岡県掛川市の掛川城で始まった。そこには黒澤作品の助監督を長く務めてきた小泉監督のデビューを見守る“黒澤組”のスタッフ、出演者の温かい視線があった。初日の撮影は、剣の達人の浪人、主演の寺尾聰演じる伊兵衛が、その評判を聞いた故・三船敏郎さんの長男で28年ぶりの映画出演となる三船史郎演じる殿様から呼び付けられて城に参上、対面する場面からスタート。「歴史的なファーストカットだな」と『乱』のプロデュースも行ったプロデューサーの原正人さんがぽつりと漏らす。このように『雨あがる』は、晩年の黒澤作品を支えた人々が結集して製作された。出演は寺尾のほか、井川比佐志、吉岡秀隆、原田美枝子や、前出の仲代達矢ら常連が顔を揃え、撮影の上田正治、美術の村木与四郎、照明の佐野武治、録音の紅谷愃一と、“黒澤組”のスタッフが名を連ねる。その中心にいる小泉監督は、『影武者』以後の全黒澤作品でシナリオの準備段階から助監督を務めてきた。『雨あがる』のシナリオ執筆時も黒澤監督の元で手伝っており、だれよりも黒澤監督の意向を知っている人物である。黒澤監督の遺作となった『まあだだよ』から5年もたった気がしないと打ち明ける小泉監督は、「今でも助監督だと思っており、(黒澤)先生の声を聞きながらやっていければと思っている。助監督時代も『用意、スタート』の掛け声をかけたことがあるが、今日は『OK、よかった』という先生の声がないだけです」と言う。
“黒澤組”が居並ぶ中、殿様を演じた三船は父親が常連俳優だったというだけで、直接のつながりはない。だが、父親が晩酌のときに「今日はこんな撮影があった」と刀を振り回しながら話してくれて、どんなことをしていたのか子供心に感じていたという。「納得できたかはわからないが、今日は監督からOKが出たことで大きなホッが出た。やるからには開き直ってやるしかありません」と語った。またこの作品では、黒澤監督の孫に当たる加藤隆之が映画デビューを飾るが、「僕も殿につられて緊張してしまった。みんなについていければと思う」と話す。
一方で、ベテランぞろいのスタッフの中でも『羅生門』から黒澤組に参加している監督補の野上照代は、小泉監督の初日を150点と評する。「黒澤さん流が身についているけど同じじゃない。独裁的な感じはなく、みんなと相談しながらやっている。彼の誠実さが画面から出るような映画になればいいですね」と話した。
そうした周囲の温かい支持を受けた小泉監督は、撮影開始の頃、「黒澤さんを支えてくれた人たちの力が僕に伝わってくれればいいかなと思っています」と話していたが、撮影終了後は、「自分ではいまだに監督という意識はない。スタッフとの関係も黒澤組の助監督のときのまま」と言う。
今回黒澤組と最も違った点は、撮影日数の少なさだった。準備から1年以上かけてじっくりと撮り上げた黒澤監督と異なり、『雨あがる』の撮影は2カ月弱。セットよりもロケ地を選んで旅から旅の撮影が多かったが、小泉監督は逆に、「人物をうまく自然の中で生かせればと思っていたので、絵づくりの上で助かっている。俳優さんも黒澤さんに見てもらっても恥ずかしくない演技を心掛けてやっていたようで、本当にありがたい」と感謝の心を忘れない。
去年の11月に居合の稽古をスタートさせ、最も長く役づくりに取り組んだ主役の寺尾も、「何だ、もうお わっちゃうのか」というのが実感だという。「世界のクロサワだからこそ時間をかけて撮るのが許されたわけで、小泉さんは初めてなんだから仕方がない。でも現場では黒澤色でなく、完ぺきに小泉色だった。監督にぶつかっていくと非常に大きく受け止めてくれて、かみ砕いて自由にやらせてくれた。不遜(ふそん)ながら、僕自身は黒澤先生を思い出すことなく走り切った。もし思い出すとしたら、公開初日に『できました』と報告するときでしょうか」と話していた。日本での公開は来年1月の予定。
なお、製作のアスミックエースによる『雨あがる』公式サイトはこちらです。

世田谷文学館で展示会
東京・世田谷の世田谷文学館では8月28日から10月11日まで「黒澤明の仕事展」を開催。同文学館が遺族の了解を得て世田谷の監督の自宅の資料を整理した際に見つかった撮影台本など、初公開のものを含むおよそ300点を展示する。その中には、決定稿にも関わらず伸ばすと長さ1.3メートルにもなる紙が張り足され加筆・訂正された『乱』の台本や、『虎の尾を踏む男達』の前に、同じ大河内伝次郎・榎本健一出演で企画されたが、馬不足のために撮影を断念せざるを得なかった幻の時代劇「どっこい!この槍」の台本などが含まれている。連絡先は世田谷文学館(03-5374-9111)。

黒澤明の世界展
黒澤作品に関する資料など約300点を集めた「黒澤明の世界展」が9月2日〜14日まで横浜高島屋で開催中。この展覧会はこの後、京都、大阪でも開催が予定されている。問い合わせは横浜高島屋ギャラリー(045-313-7804)まで。

「黒澤明デジタルミュージアム」CD-ROM
8月23日より大林組と黒澤プロダクションとで共同開発された、CD-ROMの仮想ミュージアム「黒澤明デジタルミュージアム」が発売されます。このCD-ROMは、平成8年度の事業として通産省が公募した「マルチメディアコンテンツ制作支援事業」に採択され、およそ2年の開発期間を経て完成しました。6,800円。インターネットからはこちらで購入できます。

訃報
黒澤明監督の『羅生門』、溝口健二監督『雨月物語』など日本映画の数々の名作を撮影した名キャメラマン、宮川一夫(みやがわ・かずお=本名一雄=かずお)氏が8月7日午前0時56分、急性腎(じん)不全のため京都市北区の病院でお亡くなりになりました。享年91歳。
ここにご冥福をお祈りいたします。
宮川さんは京都市出身で、1926(大正15)年、日活京都撮影所に入社。助手を経て、35年『お千代傘』で撮影技師に昇進した。43年、稲垣浩監督『無法松の一生』の美しい映像で、キャメラマンとして高い評価を受け、戦後は黒澤、溝口、小津安二郎、市川崑ら日本映画全盛期の巨匠の作品を撮影した。森の中の光と影とのコントラストを見事なカメラワークで撮影した『羅生門』、モノクロのように見える抑制した色調が効果的だった『おとうと』(市川崑監督)など、常に新しい技術に挑戦。繊細で美しい日本の情趣を表現した。「映画監督とカメラマンは夫婦(めおと)の関係」が持論。純粋で情熱的な人柄が多くの人に愛され、92年第10回川喜多賞贈呈式では“夫”の一人、黒澤監督が会場に駆け付け「自分が賞をもらった時よりうれしい」と祝福した。代表作品にはこのほか『千羽鶴』『朱雀門』『浮草』『東京オリンピック』(164人のキャメラマンのうち唯一の劇映画出身)『はなれ瞽女(ごぜ)おりん』など。89年の篠田正浩監督『舞姫』が最後の作品となった。
黒澤映画では『羅生門』『用心棒』のキャメラを担当。また『影武者』では撮影協力として参加した。
映画監督・篠田正浩さんの話「日本映画の黄金期に、 巨匠たちとの仕事で撮影術を鍛え上げた人。黒澤明のダイ ナミズム、溝口健二の精緻(せいち)な人間観察のポジション、市川崑の実験的表現など、どんなタイプの映画にも優れた映像表現を生み出した世界的なキャメラマンだが、そんな業績を決して誇らない謙虚な人柄だった。十数年間一緒 に仕事をさせてもらい、最後の『舞姫』でドイツに同行したとき、ドイツの大男のキャメラマンたちが小柄な宮川さんを仰ぎ見ていたのが印象的だった」
映画評論家・白井佳夫さんの話「日本を代表する、いわば国宝的キャメラマンだ。黒澤明監督と作り上げた『羅生 門』で日本映画の名は世界にとどろいた。黒澤さんの演出と共に、素晴らしい映像を作った功績は大きい。黒澤監督の後も、今や世界の十大監督の一人といわれる溝口健二監督の女房役を務めたかと思えば、市川崑監督と一緒に日本的映像美に満ちた名作を作るなど、本当の名キャメラマンだったと思う」

黒澤明記念館サテライトスタジオ
黒澤明監督の遺品などを展示するため、黒澤明文化振興財団(黒澤久雄理事長) が佐賀県伊万里市に建設している「黒澤記念館」のPR施設「黒澤記念館サテライトスタジオ」が7月2日にオープンした。天井に照明セットを設置するなど映画スタジオ風で、監督愛用のサングラスや帽子、台本や直筆絵コンテなど約300点を展示する。オープン特別展として9月26日まで、画家志望だった監督が描いた未発表の水彩画など50点を公開する。

中国での「黒澤明映画祭」盛況
中国雲南省の省都・昆明で、5月15日から22日まで「黒澤明電影展(映画祭)」が開かれた。今回昆明で映画祭が実現したのには、黒澤監督がデザインした機体を採用している日本エアシステムが、3月末から昆明に、4月初めから西安に運行をはじめた記念イベントとして両都市に開催を呼びかけ中国電影家(映画製作者)協会の快諾を得たことによる。
15日午後2時、開場となった市の中心にある「昆明会堂」で、タイ族の女性らが民族衣装で踊る華やかなオープニングセレモニーに続いて『椿三十郎』の特別上映会が始まり、客席は約千人の観客で満員になった。上映が始まると、モノクロ映像にもかかわらず、ユーモラスな場面にどっと笑いが起き、特に押し入れを出入りするコミカルな演技の小林桂樹は、登場するだけで笑いを誘っていた。終映後は立ち上がって拍手する人、目に涙を浮かべた人の姿もあった。当日はマスコミの取材も多く、翌16日のある地元紙は「会場に座っている人たちは声を出さなければ誰が日本人か中国人か見分けがつかない。ただこの時、皆の関心はすべて1人に集中していた。それは黒澤明であった」と書いた。現地メディア「都市時報」の記者は「隣席の日本人と中国人が同じ場面で噴き出し、反応がまるで同じだったので驚いた。何かをよみがえらせたあと、表舞台から去っていく姿は中国の任侠(にんきょう)小説と同じ。文化の共通性を感じた。芸術性と娯楽性の調和した映画の優れた代表作」と評価した。
今回上映された作品は、当サイトでも既報の通り『七人の侍』『赤ひげ』『椿三十郎』のわずか3本。権利関係の問題でこの3本しか上映できなかったという。そのためか会場では「『羅生門』をなんでやらないのか」といった声も聞かれた。
監督の長男で黒澤プロダクション社長の黒澤久雄さんは「とてもうれしいことだ。これまで世界中の多くの人が作品を見ているが、日本に最も近い隣国・中国の人たちに見てもらうことは大変意義深い。映画製作にかかわっている人たちに何らかの足しになってくれればと思う」と語った。
この「黒澤明電影展」は西安でも5月29日日から6月5日まで開催された。

Lycos Japanのセレクションに選出
当サイトがインターネット検索サービスのLycos Japanのセレクションに選出されました。カテゴリーは、「エンターテイメント>映画 >映画監督」です。当サイトのURLが分からなくなった時などご利用ください。

黒澤明監督の選んだ百本の映画を研究
当サイト掲示板でも先日話題にのぼった黒澤監督が生前に選んだという100本の映画を研究する講座を、北海道恵庭市立図書館が開設。フランスの名画『アンダルシアの犬』(1928年)や北野たけし監督の『HANA-BI』(1997年) など、古今東西の映画を、2年以上かけて研究するという企画で、5月30日に第1回の討論会が開催される。
この講座は、月刊誌「文藝春秋」(文藝春秋社)の4月号に、黒澤監督の長女の和子さんが発表した「黒澤明が選んだ百本の映画」という記事をきっかけに企画された。
講座では、毎月3本の映画を指定。参加者は同館所蔵のビデオを個人視聴するかレンタルビデオで鑑賞し、演出やシナリオなどについて自分なりの考え、感想をまとめる。その上で、毎月最終日曜日に同館に集まり、スタッフの手助けを得ながら討論。映画への理解を深めていくほか、黒澤監督の映画に対する考え方などを研究していく。
映画は年代順に指定し、1回目はD.W.グリフィス監督のアメリカ映画『散り行く花』(1919年)、フリッツ・ラング監督のドイツ映画『ドクト ル・マブゼ』(1922年)など3本が課題。林嘉男館長は「どの映画も、文学なら古典に当たる味わい深い作品ばかり。参加者には、いい巡り合いになると思う」と話している。問い合わせは同館、0123(37)2181。


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