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追悼:黒澤明
AK News -黒澤監督:追悼版-<その5>

●7日、黒澤監督のお通夜に訪れた関係者のコメントの追記。
『乱』に出演の植木等さん(71歳)「いやあ、参りましたね。僕にとってはね東宝で無責任時代を撮っているときはご一緒に仕事をするなんてチャンスは無いと思っていたけど、『乱』でお声をかけていただいて、いい思い出だけで、なんか、サングラスかけて、寝てらっしゃるみたいな感じで、最期までかっこよかったですね。(監督が怖いという質問に対し)ううん、それは、的を絞ってね、この人は怒鳴ってもビビらないというような人じゃないと怒鳴らないですね。僕は、この植木等の顔から笑顔が消えたらこの作品に呼んだ意味がないと、というような気持ちなのか、絶えずニコニコと気持ちよく仕事をさせていただきました。」

●『乱』『夢』『まあだだよ』に出演の寺尾聰さん(51歳)は、「 僕知ったのが夕べ10時過ぎてたんですね。それで、夜中12時過ぎてからおじゃまして、その時先生とお会いして、失礼ですけど、と顔を(手で)挟ませていただいて近くでよくお会いして。たまたま5日前にお電話いただいて、まだ先生お元気だったし、お孫さんがこれから俳優でスタートするんだということで、それはいいなあという話で、ちょっと話聞いてもらいたいしいろんな話も聞きたいんだっていうんで僕で良かったらって思ってたし…」「大変に安らかな寝顔で、…なんとも…」と、声を詰まらせた。そして「先生と生徒という意味で、自分の映画俳優としての、先生を亡くした、そういう寂しさでいっぱいです」と目に涙をためて語った。

●映画監督の今村昌平さんは「(黒澤監督がどんな存在かとの質問に)そりゃあもう、上の方の人って感じですよね。僕が助監督の頃からとっくに監督やってた人だし。(贈る言葉は)特にない。お疲れさまって言うしかない」

●『悪い奴ほどよく眠る』等に出演した三橋達也さん(71歳)「仕事離れると、本当に、ニコニコニコニコ目尻が下がっちゃってね、好々爺みたいな、いい方でね」「三船さんも逝っちゃってますしね、天国から見てて下さいって言うだけですね」

●映画監督の山田洋次さん「孤高な芸術家っていうタイプじゃないんですね。本当に仕事場のマエストロ、親方っていう感じで、大勢のスタッフと一緒に真っ黒けになって、泥だらけになって、作るのが大好きっていう、…その大好きっていうのが本当に素晴らしいことですねえ」「この人と一緒に仕事したいと文句無く思わせる力を全身から発散する人でしたね」「やっぱり日本映画のことをあの方は何よりも心配していた。これじゃダメなんだ。君たち頑張れ頑張れと言って下さった、その言葉に何とか報いないといけないという気持ちでしょうか」「実はつい最近スピルバーグ監督の『プライベー・ライアン』って作品を見て、ちょうど昨日の午後、撮影所でスタッフに話してたんですよ、『七人の侍』のどういうところを学んでいるか、この映画がね、非常に共通点が多いんだって話をしている最中に電話が入って、黒澤さんが亡くなったっていう。一瞬僕と話してる大勢のスタッフのみんな言葉を失いましたねえ。僕たちが夢中になって黒澤さんの話をしている時にね、息を引られたんですね」

●タレントで映画監督の北野武さん(51歳)「(黒澤監督が期待していたとの質問に)所(ジョージ)から聞いたんだけど、凄く光栄だなと思って」「自分にとっては映画っていうのは始めたの遅いけど、やっぱり、世界にとっても一つの財産だからね、その終わりって言ったら失礼ですけどね、遺産はいっぱい残したわけだけど、その最期の場面に顔を見られたっていうのは光栄ですけどね」「(声をかけられましたかの質問に)これが黒澤明の死に顔かとじいっと見てました」「やっぱり根っからの映画人だからね、おいらみたいな駆け出しとは全然違うスケールでいるから、そのかけらでも感じられればいいなと」「日本の映画界っていうのは、失礼な話だけど黒澤監督の財産で食ってきたってだけでね、我々も海外へ行くけど、ほとんど黒澤さんのことを聞かれ、黒澤明はどう思っているんだとか、まず黒澤明っていうのが出て来るんだよね、取材でも。それでおまえは黒澤に会ったことがあるのかって、あるよっていうと、なんて言ってたってとか、しょうがないから見栄張って褒められたって言うと、記事の内容変わるぐらいの人だからね。だからヨーロッパとかアメリカ行った方が黒澤監督の威力がよくわかるんだよね」「前に対談したときに役者でどうですかっていったら断られたけどね。君は個性が強すぎるって。君は絶対に言うことを聞かないって、勝新(勝新太郎)みたいにって(笑)」「2月にヴェネチアのお祝いだって絵をくれてね、その中に手紙が入っていたんですよ。ガンバってって書いてあって、いろいろ褒めてくれて、今、だから家宝にしてあるけど」「(黒澤映画の中で忘れられない作品はの質問に対して)『蜘蛛巣城』と『羅生門』が基本的には好きですね。映像的には『デルス・ウザーラ』っての画最高傑作だと思ってますね。だけどあまり『デルス・ウザーラ』の評価ってそんなに高くないんだけど、映像的には『デルス・ウザーラ』ってのは自分の今の撮ってる映画の色に似てるかなあって、まねしたわけではないんだけど、あの感性よく分かるんだよね」

●映画監督の大島渚さん(66歳)「黒澤さんはね、僕なんかにとっては、雲の上の人でしたから。黒澤さんはやっぱり映画監督はこういう風にあるべきだと大変高い理想を持ってらしたんで、僕なんかは弱い監督の味方でもありますので、意見が合わないこともありましたけど、いつでもやはり黒澤さんのそういう映画監督に対する高い理想には胸を打たれておりました」

●映画監督の大林宣彦さん「黒澤さん、あなたがいたから今私たちがいるんだ、明日もいるんだ、という気持ちを忘れなければね、日本映画は黒澤さんが願うように素晴らしい力を世界に示すことが出来ると思います。黒澤さん自身が何よりもそれを望んでいらっしゃったわけだから、我々は黒澤さんを過去に葬るのではなくて、黒澤さんの残されたというよりも、私たちに示されたことを私たちがきっちり守って黒澤さんの跡を継いで、黒澤親父をさらに越えていくということがね、一番のお礼になると思いますからね。私も含めて若いみんなが頑張らなければと、力をもらいました今日は。勇気をもらいました」

●他にもこの日、俳優の関口宏さん、野球解説者の江川卓さん、『どですかでん』に出演した女優の菅井きんさん等が弔問に訪れた。

●黒澤監督の31作目。
黒澤監督が『まあだだよ』 以降、脚本を2本準備していたことは既に報じられているが、その内の1本が山本周五郎の短編「つゆのひぬま」と「なんの花か薫る」を脚色した『海は見ていた』という作品であることが明らかになった。台本には1993年12月1日の日付が印刷され、遺作の『まあだだよ』が公開された年に書き上げたことが分かる。
この作品は江戸の遊女たちの物語で、海辺の遊郭を舞台に侍の奥方だったと偽って蓄財に励む遊女と、彼女の制止を無視して客と恋に落ちる遊女の行動を通じて人間愛をうたい上げるという話。剛直な男性像を活写してきた巨匠の、初の“女性映画”。(と、各新聞やテレビで報じられているが、女性が主役ということだと女子挺身隊を描いた『一番美しく』、そして「自我を貫く女性を描いた」『わが青春に悔なし』以来3作目というのが正しいのではないだろうか。・・・サイト管理者注)
またこの作品には『乱』『夢』に出演した原田美枝子さんに1994年春に出演の依頼があったという。その前年、監督から「妊娠しないでくださいね」と言われていた原田さんは、実は妊娠中で出演を迷った。それを口にすると監督は「2か月や3か月は待ちますよ」と優しく答えたという。台本は他にも一部の関係者には渡され、黒澤組常連の美術監督村木与四郎さんはセットの設計図を描いており、それを見て黒澤監督はイメージを膨らませ、遊郭の外観や間取り、土手の向こうに帆掛け舟が浮かぶ風景などのスケッチを自分で描いた。
さらに「準備稿」と書かれた台本には演出プランを書き込み絵コンテも準備し、実現にかけた情熱をうかがわせる。その台本に書かれていた演出プランには、〈先ず、粋に行きましょう。時は江戸、場所は深川、生粋の江戸っ子達の本場です〉〈女も男の髪形も小ぶりで、あまり油をつけない水髪。女の化粧も上方と違って薄化粧です〉〈近頃の時代劇の油でかためた大きなちょん髷、同じく大き過ぎてごてごてした女の髪形は 野暮の骨頂〉などと書かれ、次のように結ばれている。〈とにかく、これは江戸の話――江戸の空気と匂いをたっぷり出しましょう。A・K〉


 
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