登山NO.0087 月 山( 月 山:1,984m ) 2002.10.04 登山


 清身川付近より装束場、湯殿山を振り返る( 2002.10.04 )

【月山登山記録】

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再登山


NO.87 月山登山記録

この10月4日(金)、会社を休んで月山に登ってきた。
8月の
白山 以来の百名山ということになるが、 実は山登り自体も白山登山以来という体たらくで、 この前登山復活宣言したにも拘わらず本当に恥ずかしい限りである。

さて、10月4日の朝、 羽田を 7時35分の飛行機で発って庄内空港に着いたのが 8時30分過ぎ。 空港でレンタカーを借り、庄内空港ICから山形道に乗って庄内あさひICで降り、 月山の登山口である湯殿山神社に着いたのは 10時丁度。 本当に文明の利器は信じられないような空間の移動を可能にしてくれる。

空港での天候は曇り。しかし雨を予感させるように空が暗い。
実はこの登山を決めて、飛行機、レンタカー、ホテルの予約をした時点では、 この10月4日、そして鳥海山に登る予定の翌 5日の天気予報は晴れだったのである。

しかも、10月1日から 2日にかけて台風 21号が通過したことで、この 4日は絶対晴れると確信していたにも拘わらず、なんと出発日が近づくにつれ 天気予報は雨へと変わり出したのであった。 何ということであろう、 8月の白山登山同様、 よりによって登山を決めた日が雨とは・・・。

山形道を庄内あさひICで降りた頃から、晴れてくれとの願いも空しく雨が降り出し、旧 (と思う) 112号線で山の中を抜けている最中には、ついに雨は本降りになってしまったのであった。
しかも時々雷の音が聞こえ、 このまま雨と雷が続くようなら登山をあきらめるか とまで思うようになるほどの状態であった。
しかし、 何と嬉しいことに山を下り、 湯殿山神社へ続く有料道路手前に至る頃には雨は上がり、 何と日も差し始めたのであった。
これはラッキーと思いつつ、 有料道路入口で切符を買う際、 そこのおじさんに山のことを尋ねると、 「今日、山に登るのは危ない」 と言うではないか。 まだ天候が不安定で雷も鳴る可能性があり、 こんな日は山に登るのは危険だというのである。
しかし、幾分空はまだ暗いものの、 日も差してきているのでこのまま戻るのはシャクである。
「とにかく行けるところまで行ってみます」 と言って湯殿山参籠所まで車を進めたのであった。

駐車場で身支度を整え、大きな赤い鳥居をくぐり車道を進む (10時8分) 参籠所の前からは参拝バスも出ているようだが、 やはりここは登山、 できるだけ足で登りたい。
赤いコンクリートの橋を渡ってひたすら車道を登る。 道ばたにはいくつか石仏なども見られたが、 関心はもっぱら天候の方で、 周囲の山々もあまり目に入らない。
車道を登ること 20分弱。 湯殿山直務所のところで車道は終わり、 そこからはコンクリートの道を辿り、 やがて右側の谷へと下る階段を下りることになった。

この頃になると、さっきまで日が照っていた空もかなり暗くなり、またもや雨が降り出したのである。
狭い階段や木道を下りきり、橋を渡ったところが湯殿山神社本宮で、 御神体を参拝するにはここで履き物を脱ぎ、 お祓いを受け、 小さな門を抜けて木々に囲まれた谷の方へ入ることになる。
何人かの人がお祓いを受けて中に入っていったが、 私は徐々に強くなる雨に心が揺れ、 金剛杖に焼き印を押すための小屋で暫く様子を見ることにした。

しかし、雨は風とともに徐々に強くなり、雷も再び光を放ち始め、大きな音が耳をつんざく。
これは撤退かと思ったが、まだ時間はたっぷりある。 一応 30分くらい様子を見ることにして、 暫しの雨宿りを決め込んだ。

雨宿りをしながら、雷雨にも拘わらず御神体を参拝する人たちの様子をぼんやりと眺めていたのだが、この湯殿山神社本宮については、「語るなかれ」、 「聞くなかれ」 ということであり、 これ以上は割愛である。

ぼんやりと時を過ごす中、御神体のある方面の空を見上げると、雨の降っているこちら側に比べてかなり明るい。しかも、その明るさが徐々にこちらに近づいてくるではないか。 これは雨が上がるに違いないと思っていたら、 案の定、11時前には雨も雷も止んでくれたのであった。 空はまだ暗いところがあるものの、 これなら先へ進むしかない (10時59分発)

この湯殿山神社本宮からは完全に山道となり、 左に御沢を見ながら高度を上げることになる。
堰堤を過ぎると急登が始まり、 道は大きな石を並べた石段状になっていて、 水の流れに沿いながら登ることになる。 これが恐らく水月光と呼ばれる登りであろう。
雨は止んではいるものの、 いつまた降り出してもおかしくない状況で、 自然と足が速まる。 2ヶ月ぶりの登山ではあるが、 逸る気持ちがアドレナリンを分泌させるのか、 全く身体はバテることなく快調である。

上を見上げれば、紅葉真っ盛りの山の稜線が城壁のように見える。あの城壁を越えれば、何か素晴らしい光景が待っていそうで、こうした状況も足の歩みを早めてくれる。
やがて、沢を外れ、 少し登ると鉄梯子が連続して現れた。 金月光である。 雨に濡れた梯子は滑りやすく、 却ってない方が楽なような気もするが、 これは登りの状態の場合で、 下山時はやはり梯子があった方が楽であろう。
梯子を乗り継ぐようにして急坂を登り切ると、 やがて道は平らとなり、 目の前左手に姥ヶ岳であろうか、 大きな山容が見え、 その斜面のササの緑と、赤黄に紅葉した木々の彩りに目を奪われた。
そして、 平らな道を少し行くと右手に小屋が現れたが、 ここが装束場と言われる場所であろうか (11時31分)

ここから道を左に取ると、暫く紅葉の中の道が続き、目を楽しませてくれる。時々雲の切れ間から太陽も覗き、このまま月山頂上までこの状態が続くことを願わずにはいられない。
振り向けば、 先ほどの小屋の左手後ろには形の良いピラミダルな山容が見える。 あれが湯殿山に違いない。

左手に池塘を認めると目の前に鮮やかな紅葉が姿を見せ、ミネカエデの鮮やかな赤、草木の黄色、ササの緑が目にしみる。やがて、苔むした岩の間を水が流れる河原が現れて驚かされた。 清身川である。
沢の合流点を過ぎ、やがて姥ヶ岳の北側を回りこんでいくと、 今まで良く見えていた周囲の景色がガスで隠れ始め、 左手の品倉尾根も完全に隠れてしまい、 目の前の紫灯森もすぐにガスの中に埋没してしまったのであった。
そして、金姥で姥ヶ岳からの道と合流した頃には、 完全にガスの中となって風も強くなり、 これまでの半袖Tシャツ 1枚ではとても耐えられない状態で、 さらに雨も再びポツリと来始めたこともあって、 レインウェアを着込むことにしたのであった。 しかも、カメラを抱えているので、傘もさすという格好である。

この金姥からは完全にガスの中で、周囲は何も見えない。ツキの無さを嘆きながら、石畳のような道を黙々と進むと、やがて姥沢からの直登の道と合流した。 ここが牛首で、 ここから先すぐになだらかだった道も終わって急登が始まったのであった。 鍛冶月光である。

この頃になると雨はかなり強くなり、しかもよく見ると雨ではなく、白い固まりが地面に落ちてきている。そう、雹である。そして雹と言えば雷ということで、 鍛冶月光の岩の急斜面を登る時には 完全に雷と雹のど真ん中に取り残される形となったのであった。
雷が光ってから雷鳴が轟くまでの時間が徐々に短くなり、 やがて 2秒を切った時には本当に生きた心地がせず、 今朝ほどの料金所のおじさんの言葉が頻りに思い出されたのであった。

雹の方は徐々にその大きさを増し、最大では 2センチ弱の固まりが、傘にバラバラと降りかかってきた。前を見上げてもガスで何も見えず、身を隠すところは何も無しで、 小屋でもないかと息を切らせながら急坂を登れども登れども何も現れない。 雷はもう真上に近いし、 もしかしたら・・・とある程度覚悟もしたのであったが、 その時、上方から数人の男女が降りて来たのであった。 これには本当にホッとさせられた。
無論、人と出会ったからといっても雷や雹から逃れられるはずもないのであるが、 心細い状況下で誰かがそばにいるのは本当に勇気づけられるもので、 地獄に仏とはこういう状況・心境を言うのだろうと思った次第である。
その人たちと数分話をしていると、 雷も雹も我々を避けてくれたのであろうか、 やがて雷鳴も消え、雹も止んでくれたのであった。

さあ、また暫くの猶予を与えられたのであろうからこれは急がねばと、息を切らせながらひたすら岩場を登り続けた。息を切らせながらどのくらい登ったであろうか、 やがてガスの中に石垣が現れた。 ようやく鍛冶小屋である。 もう少し早くここにたどり着ければ、 あんなに怖い思いはしなくて済んだのにと思ったが、 小屋の戸は固く締まっているようで、 状況は変わらなかったのかもしれない。

小屋の前をカギ型に曲がり、少し登るともう登りはなくなり、地面は平らになったのであった。しかし、ガスで何も見えない。吹く風はものすごく強く、帽子が吹き飛ばされそうである。 白山で1つ帽子を飛ばされているだけにここは何としても守りたいところで、 頭を押さえつつ、眼鏡を曇らせながら、 前に進んだのであった。

やがて広い台地状の中に再び狭い道と登りが現れ、いくつか小屋が現れたかと思ったら、行き着いたところは石垣に囲まれた月山神社であった (13時03分)。神社は小振りの祠であったが、 大理石で作られた賽銭入れ (?) が三日月の形をしていたのが印象的であった。
周囲は誰もおらず、 風が強いこともあって記念写真も撮らずに一旦小屋まで戻り、 今度は小屋の裏手を通って三角点のある場所まで進んだ。
ここは大きな岩があり、 三角点がむき出しになっていたが、期待した標識などない。 やはり月山神社が頂上標識そのものということであろうか。 風は強く、立っているのもやっとの状態である。

下山すべくさきほどの小屋のところまで戻ると、何とそこに年配のご夫婦がいた。聞けば、月山神社手前の小屋は中に入れるとのこと。助かった。歩きながら握り飯を食べようかと思っていたところだったので、 これは嬉しい (本来ならこの小屋は食べ物厳禁らしいが、許されよ)
小屋でそのご夫婦と暫く話をしたが、 聞けば前日は湯殿山神社側から登り、 本日は弥陀ヶ原から登ってきたとのこと。 こういう登り方もあるのだと感心させられたが、 それよりも昨日が快晴であったという話が悔しい。

この小屋で 30分以上休んだのだが、これは正解で、休んでいるうちに再び激しい雨 (雹 ?) が降り、小屋の戸をバシバシと叩いたのであった。あのまま下山しないで良かった。
それにしても今日の天候はやはり登山者をびっくりさせたようで、 ご夫婦の話では途中で引き返した方もいるとのことであった。 安全を考えればそれが正解であろう。
私も金姥のところで老夫婦を抜いたが、 その後いっこうに頂上に現れず、 また下山時にも会わなかったので途中で引き返したのであろう。

小屋で鋭気を養い、また雨も止んだのを確かめて、13時50分、往路を戻り始めた。
あれ程恐怖を抱いた鍛冶月光も難なく下り降り、 牛首、金姥も通り抜け、 アッと言う間に 今朝ほどその紅葉の美しさに心を和まされた清身川付近に戻ってきたのだが、 もはやここも完全にガスの中、 斜面の紅葉はもはや見ることができない状況であった。
避難小屋から道を右に折れ、一気に金月光を下る。 また雨が降り出し、梯子の下方は靄っていて、 まさに地獄の底に降りていく気分である。

そして 15時10分、滑る岩に苦労しながらようやく湯殿山神社本宮に着いたのだが、もうこの頃には、最初考えていた 下山時には湯殿山神社本宮に参拝しよう という気持ちも失せてしまっており、 本宮を横目にひたすら車道を下ったのであった。

それにしても良い経験をさせてもらった。 山での雹は初めてだし、 雷の怖さも今回はもの凄いものがあった。 それでも無事に帰ってこれたのは湯殿山神社の霊験であろうか。
本宮に参拝しなかったことが今になって悔やまれる。


月山登山データ

上記登山のデータ登山日:2002.10.04 天候:曇り後雨単独行日帰り
登山路:湯殿山神社参籠所−湯殿山神社本宮−水月光−金月光−装束場−清身川−金姥−牛首−鍛冶月光−月山神社−三角点− 鍛冶月光−牛首−金姥−清身川−装束場−金月光−水月光−湯殿山神社本宮−湯殿山神社参籠所
交通往路:瀬谷−(相鉄線)−横浜−(バス)−羽田空港−(飛行機)−庄内空港(これより車)−庄内空港IC−庄内あさひIC−湯殿山参籠所(車にて)
交通復路:湯殿山参籠所−庄内あさひIC −酒田IC−ホテルサンルート酒田(泊)(車にて)
その他の
月山
登山
湯殿山神社参籠所−湯殿山神社本宮−水月光−金月光−装束場−清身川−金姥−牛首−鍛冶月光−月山神社−三角点− 鍛冶月光−牛首−金姥−清身川−装束場−金月光−水月光−湯殿山神社本宮−湯殿山神社参籠所 ( 2006.10.13:晴れのち曇り )
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