2019年の谷川岳を最後に (但し、この登山記録はアップしていない) 山とは無縁の日々が続いていたが、
現状の閉塞感に耐えかねて、この度 1年5ヶ月ぶりに山に登ってきた。
行き先は暫しのブランクと、この間の体力低下を考慮して 1,500m級の山にターゲットを絞り、丹沢の大室山にしたのだったが、思っていた以上に体力低下が激しく、
昔の調子を取り戻すためにはもう少し時間を要すると痛感した次第である (今回記録をアップしたので、そちらをご覧戴きたい)。
とは言え、体力的には厳しかったものの、山はやはり心身のリフレッシュに効果があると心から感じたことから、
その気持ちが冷めないうちに再度 山に行くことにする。
さて、今度の行き先であるが、大室山のように標高差が 900m近くある山はまだキツいと感じたため、低山に的を絞り、かねてから行きたいと考えていた同じ丹沢山塊の
仏果山 (747.2m) ならびに 経ヶ岳 (633.1m) に登ることにする。
仏果山はその北側にある高取山と併せて、子供がまだ小さかった頃に半原側から子連れ登山をしているのだが、
それは 25年以上前のことであまり記憶になく、さらに今回は仏果山から経ヶ岳、華厳山まで足を伸ばして、
低いながらも低山縦走するつもりなので新たな刺激を得られることを期待してのことである。
この縦走については、大室山に登った際、キツい斜面を登り続けるにはまだまだ体力不足であるが、
時間がかかりはするものの長い距離を歩く体力の方は残っていると感じたため、『縦よりも横』 の登山を選択したという次第である。
加えて、2019年に購入した登山靴 (AKUの YATUMINE。何と、既に YAKUMINE II が発売されてしまっている。) が未使用のまま棚に仕舞い込んだ状態になっているため、
その履き慣らしも兼ねてのコース選択である。
さて、辿るコースではあるが、まずは 大山三峰山登山の際に利用させてもらった道の駅 清川の駐車場に車を置き、
道の駅の向かい側にある清川村役場前バス停からバスで宮ヶ瀬湖畔の仏果山登山口まで行って、そこから高取山、仏果山、経ヶ岳、華厳山と縦走した後、
そのまま南に下って御門橋の方へ下ろうというものである。
但し、華厳山から御門橋へのルートは小生の持つ地図には載っておらず、ちょっとした冒険になるのが少々不安である。
2月10日(水)、6時45分に横浜の自宅を出発する。
宮ヶ瀬行きのバスは清川村役場前バス停を 8時14分に通過するので余裕と思っていたのだが、これが大失敗であった。
ナビでは東名高速道・新東名高速道を使って伊勢原大山ICへと進むルートを推奨していたものの、高速代をケチって下の道を使うルートを選んだところ
(ナビが示していた現地到着時間はほぼ同じであった)、国道246号線が断続的な渋滞で車がなかなか進まず、一時は当初の計画を断念して道の駅 清川から
大山三峰山に登ることを考えた程であった (次の宮ヶ瀬行きのバスは 9時14分と 1時間後なのである)。
246号線を離れてからは、何とか順調に進むことができるようになったものの、途中のコンビニで食料を購入したこともあって、
道の駅 清川に着いたのは 8時13分であった。
急いで登山靴に履き替え (但し、靴紐を結ぶ余裕無し)、カメラ、ストック、ザックを抱えて駆け足で向かい側のバス停へと向かう。
待つこと、約1分、8時15分に宮ヶ瀬行きのバスがやってきてどうにか乗ることができ、バスの座席に着いた時は心底ホッとしたのであった。
平日にも拘わらず、バス内には登山者が数人乗車していたのであったが、皆 土川峠で下車してしまい、
仏果山登山口でバスを降りたのは小生一人であった。
登山口は道路を挟んでバス停の斜め右向かいにあるが、まずは腹ごしらえということで、バス停で立ったまま朝食をとる。
その間、左手にある大棚澤広場の駐車場からは 3人の登山者が登っていった。
朝食を終え、道路を渡って登山口へと向かう。登山口出発は 8時40分。
階段を昇り、少し高度を上げると、道路の向こう側に宮ヶ瀬湖が良く見えるようになる。
杉林の斜面を横切りながら少し進むと、登山ポストが現れたので、用意してきた登山届を提出する。
暫くは杉林の斜面をジグザグに登る。道は良く踏まれており、懸念した霜柱による泥んこ道もない。
また、傾斜はそれ程キツくないので、息もあまり上がらない。
途中、『宮ヶ瀬越 仏果山 2.2km』 の標識を見る。
次いで、道端に祠を見た後、道が南側斜面を横切って進むようになると、右手前方には目指す稜線が見えるようになる。
さらに道は南側斜面を回って支尾根上に登り着くが、そこからは道が緩やかになり、左手樹林越しに奥秩父の山々が見えるようになる。
最初、同定に若干戸惑ってしまったが、黒岳、牛奥ノ雁ヶ腹摺山、小金沢山、熊沢山、大菩薩嶺と続く山並みであった。
ほぼ平らな歩きやすい道もすぐに終わり、道は支尾根の斜面を直登するようになる。
足下は丸太横木の階段となって少々煩わしいが、傾斜は緩やかなのでドンドン進むことができる。
やがて傾斜が緩やかになったかと思うと、目の前に人工物が現れる。フェンスに囲まれた電波施設らしい。時刻は 9時19分。
施設の横にはベンチもあり、またフェンスの横からは丹沢山方面も見えたが、小枝が邪魔をして写真を撮ることができない。
その人工物を過ぎると、周囲は先程までのスギの樹林帯から自然林へと変わり、コメツガなどの木々が見られるようになる。
再び傾斜が出てくるが、総じて緩やか、気持ちよく登って行くことができる。
途中、右手が開け、大山や大山三峰山が見えるようになる。
道は支尾根を登っていくが、途中からは尾根をそのまま直登するのではなく、尾根の少し北側下方を進む。
やがて道の先に稜線が見えてくると、登り着いた所が宮ヶ瀬越。時刻は 9時39分。
ここは丁字路になっていて、右に進めば仏果山、左は高取山である。
まずは左に道をとって高取山を目指す。傍らの標識には 『高取山 0.5km』 とある。
暫く平らな尾根道を進んでいくと、やがて前方樹林越しに高取山らしき山容が見えてくる。
道の方は一旦下りに入り、その後暫く平らな道が続いた後、高取山の登りに入る。
右手下方には愛川町の町並み、そしてそこから東へと広がる関東平野が見えている。
少し傾斜がキツくなったかと思うと、すぐに緩やかになり、『高取山 0.05km』 の標識が現れれば、頂上はもうすぐである。
そして、9時53分、高取山頂上に到着。
バス停で食事中、先に登っていった 3人がいるかと思ったが、頂上には誰もいない。
この高取山には展望台が設置されており (高さは 13m)、そこに登れば 360度の大展望を得ることができる。
少し揺れる鉄階段を昇り、展望台の頂上に立つ。
やはり展望は抜群、西側下方には宮ヶ瀬湖が広がり、それを囲い込むようにして後方に丹沢の山々が広がっている。
まず目に付くのが、丹沢三峰北端に位置する本間ノ頭。鈍角三角形ながらも後方右に蛭ヶ岳、
後方左に不動ノ峰、丹沢山を従えるようにして大きく左右に裾を広げている。
丹沢山の左には竜ヶ馬場、日高 (ひったか)、塔ノ岳、木ノ又大日、新大日と稜線が続く (尤も、それらが一つの稜線で繋がっている訳ではない)。
徐々に下ってきた稜線は、三ノ塔、二ノ塔で一旦盛り上がり、二ノ塔から再び左に下った稜線は大山へと向かって昇っていく。
大山の左手前には大山三峰山がギザギザの山容を見せている。
一方、本間ノ頭の後方に見える蛭ヶ岳からは、右に姫次、八丁坂ノ頭、黍殻山、焼山と続くほぼ高さが同じに見える稜線が続いている。
焼山から右に下る斜面の後方には、滝子山から大谷ヶ丸、ハマイバ丸、大蔵高丸といった南大菩薩の稜線が続き、さらに右側に黒岳、牛奥ノ雁ヶ腹摺山、小金沢山、
熊沢山、大菩薩嶺といった山々が続く。
大菩薩嶺の右後方には、北奥千丈ヶ岳、国師ヶ岳が姿を見せており、手前に見える権現山を間に挟んで、さらに右に甲武信ヶ岳、雁坂嶺、飛龍山、雲取山、
芋木ノドッケ、鷹ノ巣山といった山々が続く。さらにはその右側には、御前山、大岳山も確認できる。
目をさらに右側、東の方に転ずれば、関東平野が大きく広がっており、スカイツリーや横浜のランドマークタワーも確認できる。
そうそう、南を見れば、これから向かう仏果山が見えており、頂上にある展望台も何とか確認できる。
360度の大展望に満足した後、展望台を下りて仏果山へと向かう。出発は 10時9分。
先程の宮ヶ瀬越まで戻り (時刻は 10時19分)、登ってきた仏果山登山口への道を右に過ごしてまっすぐ進む。
道は緩やかに登って小さなピークを越えた後、下りに入る。その後すぐに登りとなり、2つほど小ピークを越えると、道は左に曲がり、
前方樹林越しに仏果山の姿が見えてくる。
さらに 2つほど小ピークを越えていけば、道は平らな尾根を通った後、仏果山への最後の登りが始まる。
途中ロープも設置されているが、あまり必要ではない。
この登りで、今朝ほど先行していった登山者と擦れ違う。どうやら高取山はスルーして宮ヶ瀬越から仏果山を目指したようである。
道は緩やかになり、最後に丸太の階段を昇っていくと、仏果山頂上稜線の一角に登り着く。 そして、少し左へ進めば、石仏が数体置かれている仏果山頂上であった。
時刻は 10時44分。
ここにも展望台 (高取山と同じ 13mの高さ) があるので、荷物を休憩用テーブルに置いて昇ってみる。
無論、先程の高取山展望台とほとんど展望は変わらないが、ここからは先程までその頂上にいた高取山が見えるのが嬉しい。
また、南東の方を見れば、すぐ先の方にピークが見えているが、あまりにも距離が近いので、この山はこれから目指す経ヶ岳ではないようである。
経ヶ岳は恐らくその山の後方に隠れているのであろう。
展望台から下りた後、ベンチに腰掛けて軽く食事をする。
前回の大室山では長きブランクのためかなりバテ気味であったが、今回は登りの距離も短く、身体が軽い。
足慣らしに履いてきた少しオーバースペック気味の登山靴も、なかなか良く足にフィットしてくれている。
10時55分、仏果山を後にして先へと進む。
先程登ってきた宮ヶ瀬越からの道を右に見てまっすぐ進む。傍らの道標には半原越までの距離が書いてあるものの (2.5km)、肝心の経ヶ岳の文字がない。
尤も、経ヶ岳は半原越を通過しなければ到達できないので、心配することはない。
ここからは細い尾根道が続く。道はすぐに下りに入り、両側に鎖が付けられた斜面を下る。
周囲は灌木帯に変わっているので、目の前の高みがよく見える。
小生の持っている山と高原地図 『丹沢』 には名前が出ていないが、後で調べると 『八州ヶ峰』 の名前があるようである。
少しザレて滑りやすい道を慎重に下って鞍部に至り、そこからはまた登りが始まる。小ピークを越えるとまた下りが待っている。
道は良く踏まれているが、左右が切れ落ちている上に道幅が狭いので、慎重に進む必要がある。
この辺では展望がグッと開け、右手には丹沢山塊の主要な山々がよく見えるようになる。
小さなアップダウンを繰り返しながら進んでいくと、やがて登りが続くようになり、
登り着いたところには馬渡分岐の標識が立っていて、ここから左に馬渡バス停への道が分かれている。時刻は 11時11分。
ここから少し下って登り返すと、立派な案内板があるピークに登り着く。ここが八州ヶ峰であろう。
時刻は 11時15分。案内板にはこの辺が 『山岳修験の霊場』 であったことが書かれている。
その八州ヶ峰から一旦下り、細い尾根道を通って登り返すと、今度はベンチが数基並ぶ小広いピークに到達する。
ここも小生の地図には記載がないが、熊古谷山 (くまごややま) の名前があるようである。時刻は 11時20分。
ここは休まず先へと進む。壊れかけた鹿避けゲートを潜り、スギの樹林帯を下る。足下には丸太の横木が埋め込まれているので、滑ることなく下ることができる。
下り着いてから小ピークを越えた後、緩やかに登り返せば、革籠石山 (かわごいしやま) の大きな標識が立つピークに登り着く。
時刻は 11時32分。
革籠石山を下った後は緩やかなアップダウンの道が続く。周囲はスギの樹林帯で展望は得られない。
11時42分に 『半原越 1.0km』 の標識を過ぎ、さらに下って行くと、やがて土山峠への分岐に到着する。時刻は 11時46分。
標識には 『半原越 0.9km』 とある。
ここからも緩やかなアップダウンが続く。歩きやすい道だが、足下には木の根がむき出しになっており、ボッーとしていると躓いてしまうので要注意である。
11時59分に リッチランドへの道を右に分け、道は左へとカーブしていく。
この辺からは右手樹林越しに経ヶ岳と思しき山の姿が見えてくるようになり、また、左手には恐らく仏果山と思しき山も見えている。
道は下りに入り、やがて下方樹林越しに道路が見えてくる。
そして、12時7分、車道に下り立つ。ここが半原越のようである。
道路を挟んだ先には観光案内図があり、その右手から経ヶ岳への道が斜面に続いている。
案内図の前で暫し休憩した後、12時15分に出発。
スギ林の中、丸太横木の階段を登っていく。この傾斜が結構急で、少々疲れが出てきた身体には応える。
やがて周囲に雑木が混ざり始めると、傾斜は緩やかになり、歩きやすいほぼ平坦な道が続くようになる。
再び登りが始まるが傾斜は緩やかで、登り着いたところにはベンチが置かれている。時刻は 12時27分。
ここからは暫くの間緩やかなアップダウンが続く。右手に華厳山と思しき高みが見えてくると、やがて傾斜がキツくなり始める。
丸太横木の階段をひたすら昇り続ける。周囲に岩が現れ始めたかなと思うと登りも終わりとなり、細い尾根の平らな道に変わる。
先の方には大きな岩が見えているが、これが 『経石』 のようである。経石の傍らには 『昔、弘法大師がこの岩 (南側にある穴) に経文を納めた・・・』 と書かれた案内板が立っている。
時刻は 12時39分。
経石の右側に回ってみると、確かに岩の上部に穴があったが、これが経文を納めた穴なのであろうか。
穴の中には小さな弘法大師と思しき石仏 ? が納められていた。
経石を過ぎて少し登ると、やがて前方にベンチが見えてくる。どうやら経ヶ岳に到着したようである。
時刻は 12時43分。
狭い頂上にはベンチの他、三角点、そして立派な標識が置かれている。ここからも大山、表尾根、塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳と続く丹沢山塊の主脈がよく見える。
暫し休憩した後、12時59分に出発。華厳山へと進む。
手元の地図ではここから破線になっているので少々不安であったが、少し進むと華厳山への立派な標識が現れたのでホッとする。
しかし、そんなに甘くはなかった。ここからはあまり踏まれていないのであろう、今までのしっかり踏まれていた道とは打って変わって、土の表面がザラザラしている滑りやすい道となる。
おまけに下り斜面が続くので苦労する。
そんな中、安心させてくれるのが 『西山を守る会』 が所々に付けてくれている 『← 華厳山』 と書かれた案内標識であった。
滑りやすい斜面を慎重に下る。ロープが張ってあるのがありがたい。
やがて、その 『西山を守る会』 が作成した 『モミの木地蔵』 に到着。これは大きなモミの木の洞 (うろ) に小さな石の地蔵が置かれているものである。時刻は 13時8分。
倒木が多くて邪魔な、少々荒れ気味の道を下る。斜面が急なので、滑らないように制御するのが結構辛い。
漸く滑りやすい斜面を下り終えると、小さなアップダウンが続いた後、このまま華厳山に通ずるであろうと思しき登りが始まる。
ここも傾斜がキツく、おまけに足下は少しザレ気味な上、倒木も多いので苦労する。
それでも、10分程黙々と登っていくと傾斜が緩やかになり、さらに少し登っていけば華厳山頂上であった。時刻は 13時41分。
この華厳山頂上は展望がほとんど得られない。
それ程広くない頂上には丸太を横にして作られたベンチがあり、そこに腰掛けて少し休む。
そして、13時45分に出発。ここから先の斜面は緩やか、広々とした尾根をゆっくりと下って行く。
道が左に緩やかにカーブし始めたので、このままでは高取山 (こちら側にも高取山がある。
本日最初に登った高取山は、昔は高旗山と言ったらしい。) へと進んでしまうと思い、御門橋へと下るルートを探す。
バリエーションルートらしいが、結構登られているので取り付きが明瞭であろうと思っていたのだが、周囲に印などは見られない。
しかし、道を外れて南側の斜面を見ると、あまり踏まれていないため表面に土埃 (つちぼこり) 浮き上がっている状態の中に足跡が見つかる。方角的にも合っているようなので、
ルートを外れてその斜面を下る。
落葉と土の斜面に僅かに見られる踏み跡を辿る。少々不安だが、時々現れる明確な足跡に勇気づけられる。
周囲に赤テープなどは全く見られないので、足下のかすかな痕跡を見失わないように注意しながら下る。
やがて、今までにも増して急斜面となるが、そこにはロープが設置されていたので、道の確かさが確認できホッとする。
とは言え、この下り斜面は足下が滑りやすいのでかなり厳しい。
ロープと周囲の木々を頼りに何とか急斜面を下り終えると、道は緩やかになり、やがて所々にピンクテープが現れるようになる。
ただ、テープは林業など、登山とは違う目的で付けられている場合もあるので全面的に信頼する訳にはいかないのだが、その後も正しいと思しきルート上にピンクテープが続くので、
どうやら信頼しても良さそうだと判断する。
道は下りがずっと続いていたが、やがて前方に高みが見えてくる。どうやら下り一辺倒とは行かないようである。
そして思った通り、意外と大きなアップダウンが続くようになる。とは言え、先程の華厳山からの下りに比べれば道は歩きやすい。
頂上部分が長く平らなピークを越えた後、また少し登っていくと、やがて木々の伐採を済ませたばかりと思われる場所を通過する。
さらには、前方に鹿避けネットが見えてくると、左手に小さな石祠が見えてくる。時刻は 14時33分。
祠はこちらに背を向けていたので、前に回らずにそのまま通過してしまったのだが、後で調べると、表側には 『秋葉山』 の文字が刻まれていたらしい。
小生の地図に記載はないが、ここは 煤ヶ谷秋葉山 (すすがやあきばやま) と呼ばれる山らしい。
さらには、先程通過してきた頂上が平らで長いピークにも 煤ヶ谷高取山 (すすがやたかとりやま) の名前が付いているようである。
この 煤ヶ谷秋葉山からは暫く下りが続く。ただ、急斜面というわけではなく、途中に踊り場があるという感じなので、進みやすい。
緩やかな下りをドンドン進む。15時を過ぎた頃、樹林が切れて、右手下方に人家が見えるようになるが、まだ下界までは 150m程の高度を落とさねばならないようであり、少し気が滅入る。
長く続く下りに嫌気を感じながらも黙々と下っていくと、やがて鹿避けネットにぶつかる。
その向こう側には農地が見えており、地上はもうすぐである。
しかし、鹿避けネットを潜る場所が見つからない。ネットに沿って右に進むと、その先はどうやら崖になっていて川に落ち込んでいるようである。
それではと左に回っていくと、窪地の先にゲートが見えてきた。どうやら、最後の最後で、尾根を一本間違えたようである。
15時31分、ゲートを通過して農地に下り立つ。舗装道を進み、右に曲がって人家の中を進んで御門橋 ? にて小鮎川を渡ると、
その先で県道60号線に出る。
しかし、ここはゴールではない。道の駅 清川まで 2km強の車道歩きが待っている。
しかも、道は尾崎の丁字路を過ぎて県道64号線に入り、中里のバス停を過ぎると昇り勾配となり、疲れた身体には結構応える。
それでも何とか歩き続け、16時2分に道の駅に到着。先日の大室山に続いて、8時間近い歩きとなったのであった。
本日は、先日の大室山に懲りて低山に登ったのだが、低山とは言え、なかなか面白い山であった。
体力的なこともあり、暫くは低山歩きを楽しみたいと思う。
なお、新しい靴であるが、歩き続けて足の方に血が溜まってくると、少々きつく感じられるようになった。もう少し履き慣らす必要がありそうである。 |