あなたは通算   人目の訪問者です  (SINCE 1997.8.10)



百名山登頂目指して


更新日:2017.11.11

 めざせ百名山

めざせ百名山
 (記録・写真)

 吾妻山 
 奥穂高岳 

 百 名 山 再 登 山

 那須岳再登山
 仙丈ヶ岳再登山
 月山再登山
 岩手山再登山

その他の山
 (記録・写真)

 荒船山登山
 竜ヶ岳登山
 小楢山登山
 日向山登山
 雨乞岳登山
 櫛形山再登山
 

 簡易登山記録 (写真付)

 黒法師岳
 不動岳
 錫ヶ岳
 赤岳・権現岳
 笊ヶ岳
 黒河内岳(笹山)
 唐松岳 五竜岳
 常念岳 蝶ヶ岳
 鶏冠尾根
 空木岳 再登山
 南駒ヶ岳、越百山
 前掛山、黒斑山
 蓼科山再登山
 雁坂嶺、破風山
 社 山
 雲取山
 三ツ峠山(蔵出し)
 北横岳 縞枯山
 丸盆岳
 恵那山再登山
 奥茶臼山
 空木岳 再々登山
 燕 岳
 巻機山
 池口岳
 塩見岳
 西穂高岳
 針ノ木岳、蓮華岳
 霞沢岳
 鹿島槍ヶ岳
 餓鬼岳
 小河内岳
 伊那前岳・宝剣岳
 烏帽子ヶ岳
 鶏冠山(再登山)
 竜ヶ岳−毛無山
 長者ヶ岳・天子ヶ岳
 黒川鶏冠山 再登山
 竜喰山
 国師ヶ岳 再登山
 牛ノ寝通り
 御嶽再々登山
 安平路山
 アサヨ峰
 乗鞍岳
 木曽駒ヶ岳・麦草岳
 茶臼山・木曽駒ヶ岳
 空木岳 (木曽殿越)
 念丈岳
 編笠山・西岳
 半月山・社山
 薬師岳・夕日岳
 編笠山・西岳 再々登山
 御坂山塊
 女峰山
 会津駒ヶ岳
 三ノ沢岳
 富士山
 火打山
 武尊山
 聖岳・赤石岳
 阿弥陀岳・赤岳
 南駒ヶ岳・空木岳
 朝日岳
 十石山
 烏帽子ヶ岳
 麦草岳
 茶ノ木平
 男体山
 甲武信ヶ岳
 日留賀岳
 女峰山
 鳳凰山
 白馬岳
 越後駒ヶ岳
 妙高山
 大滝山
 悪沢岳
 美ヶ原
 荒沢岳
 笠ヶ岳
 槍ヶ岳
 平ヶ岳
 焼 岳
 四阿山
 燕 岳
 乾徳山
 北横岳
 黒金山 (敗退)
 雲取山
 大菩薩嶺
 雁ヶ腹摺山 (蔵出し)
 武甲山
 節刀ヶ岳
 御正体山
 美ヶ原
 倉掛山
 横岳 (杣添尾根)
 鉢盛山
 黒金山
 太郎山
 常念岳
 雨飾山
 金峰山
 奥白根山
 瑞牆山
 鷲羽岳
 水晶岳
 北 岳
 根石岳 (天狗岳敗退)
 天狗岳 硫黄岳
 鎌倉アルプス
 硫黄岳
 竜喰山
 竜ヶ岳 毛無山
 塔ノ岳 (尊仏岩跡)
 塔ノ岳、丹沢山
 相州大山
 三ツ峠山
 杓子山・鹿留山
 鉢伏山
 大山三峰山
 地蔵岳
 天狗岳
 十石山
 和名倉山
 鎌倉アルプス II
 木曽駒ヶ岳 (上松A)
 白毛門・朝日岳
 爺ヶ岳
 針ノ木岳、蓮華岳
 甲斐駒ヶ岳
 乗鞍岳
 立山
 奥大日岳
 鎌倉散策
 金峰山
 北横岳
 白沢峠 笠取山
 檜洞丸
 山王帽子山
 大山三峰山 大山
 水晶山 古礼山
 塔ノ岳 鍋割山
 鎌倉散策(六国見山)
 乗鞍岳
 蝶ヶ岳
 白岩岳
 天狗岩 奥千丈岳
 小太郎山
 雁坂嶺・破風山
 編笠山・権現岳
 大弛峠-甲武信ヶ岳    

 ・山の雑記帳

  Something Else

 PHOTO 日本武尊の足跡  

 勝手に神奈川 25名山

 第3回 塔ノ岳

 は一見にしかず

 苗場山再登山
 王岳再登山
 日向山再登山
 七面山再登山
 山伏・大谷嶺再登山
 甲武信岳(毛木平)
 聖岳・光岳縦走
 会津駒ヶ岳再登山
 御嶽再登山
 雨乞岳再登山
 南大菩薩再縦走
 八紘嶺再登山
 白根三山再登山
 塔ノ岳 (表尾根)再登山
 赤石岳 再登山
 奥穂高岳 途中撤退
 国師ヶ岳 再々登山
 仙丈ヶ岳

 山のおまけ

 雑記帳 セレクト
 東海道 箱根越え

 山のリンク集

 自 己 紹 介

  大雑把な自己紹介
 

 トピックス

 山での 1枚 :  壽福寺から源氏山へ。狭い切通を登る。

壽福寺から源氏山へ、狭い切通を登る 2017/10/18

 WHAT'S NEW    《 2017年11月 11日 記 かなりの長文ご容赦 

10月上旬は自治会の行事やら、プライベートの旅行やらスケジュールが立て込んで 比較的天気が良かったにもかかわらず山に行くことができず、中旬になると今度は天候の方があまり芳しくないためさらに山に行けない日が続く。
そんな中、10月18日は久々に天気が良さそうであったのだが、どうも身体の方が乗り気を見せてくれず、残念ではあるが山行を諦めることにする。 しかし、この後も不順な天候が続くようなので、折角の晴れ間を無為に過ごすのは勿体ないと考え、恒例となった鎌倉散策の下見に出かけることにする。
今回は山登りを少し軽めにして寺巡り中心の企画とし、源氏山を中心とした散策を行う予定である。

10月18日(水)、少々遅めに車にて自宅を出発し、 鎌倉散策の下見の際によく利用しているタイムズ大船5丁目の駐車場に車を入れる。
大船駅まで歩いた後、駅構内で弁当を買おうとしたところ、10時54分の逗子行きが到着寸前と分かり、弁当を諦めてホームへと向かう。
鎌倉駅到着は 11時。ここでも弁当を買おうとしたのだが、西口に向かったところすぐに改札を出てしまい、仕方なくそのまま第一の目的地である壽福寺へと向かう。
ロータリーを抜けて鎌倉市役所方面へと向かい (西へまっすぐ)、市役所前の交差点にて右折して車道を暫く進む。
道はやや狭いにもかかわらず意外に車の往来が多いので、当日は注意が必要である。

やがて、左手に八坂大神の鳥居を見ると、その隣に公衆トイレが現れるが、 壽福寺にはそのトイレの横から入ることになる。
すぐに壽福寺の総門が現れるが、その前は小さな広場となっており、周囲を樹林が囲んでいるので、先程の車道からは総門がほぼ見えない状態である。時刻は 11時10分。
壽福寺は鎌倉五山第三位の寺院で、総門の手前右脇にある石碑には 『 壽福金剛禅寺 』 と刻まれている。
また、本尊は釈迦如来で開基は北条政子とのこと。

なお、今回で 5回目を迎える鎌倉散策であるが、鎌倉五山のうち第一位の建長寺、 第二位の円覚寺、第四位の浄智寺は既に訪れているので、この壽福寺を訪れることで残すは第五位の浄妙寺だけとなるが、 この壽福寺は中門から内側の境内は一般公開されていないので、果たして参拝したと言えるのかはやや疑問である。
さて、総門を抜けると、中門まで真っ直ぐ石畳の参道が続いている。先程までの道路の喧噪から一気に静寂の世界に入り込むことになって、 その変化に驚かされる。
また、参道両脇には常緑樹に混ざってカエデなども見られるので、本番の頃には赤や黄色の彩りが加わってさぞかし見事なことであろう。

6〜70m程参道を進むと中門に至るが、上述のようにここから先へは入ることができない (但し、正月などの特別拝観の時は入ることができるようである)。
仏殿は中門越しに見ることができ、その手前には日本庭園のような境内が広がっている。
緑の芝生 ? の中を石畳が仏殿まで続いており、人を入れていないからであろうか、その石畳は苔むしている。
そして、ビャクシンの枝葉が左側から大きく張り出している後方に、方形をした仏殿が見えている。
壽福寺の創建は 1200年、当時は鎌倉五山第三位の寺らしく七堂伽藍を擁し、14の塔頭を有する大寺院であったらしいが、 その後 大火にあって消失。今はこぢんまりとした感じであるし、この仏殿 (瓦葺き) も江戸時代に再建されたものである。

11時13分、中門から左に道をとって一旦 壽福寺の外に出る。
細い道に出て右に曲がると、すぐに左に分かれる道が出てくるが、良く分からないので、ここは真っ直ぐ進んでみる。
すぐに壽福寺の墓地に突き当たり、左に進むとまた丁字路にぶつかる。北条政子、そして源実朝の墓はその丁字路を右に曲がって裏山へと登っていくようであるが、 右に曲がってすぐの所に左上へと続く石階段があったので北条政子の墓は後回しにしてその階段を昇ってみる。
階段は途中から左に曲がって上部の墓地に出るが、その少し先で山道らしきものとぶつかる。どうやらこれが源氏山へと続く道らしい。
その道を右に辿ればそのまま山中に入っていくようなので、岩の間を抜けるなどの面白そうな部分は飛ばしてしまったようである。

ということで、それを確かめるべく源氏山とは反対方向、 つまり左に道をとって下って行くと、すぐにお目当ての 『 切通 』 が現れる。
ここには、岩を削って人一人が通れる幅の狭い道が造られており、また足下には水を流すためであろう、溝が掘られていてなかなか面白い場所であるが、 残念ながら距離は短い。
壽福寺の中門からこの切通に至るにはどうすべきかを知るべく、さらに先へと下っていくと、丸太の横木による階段を経て、 下側の墓地の一角に下り立つ。右手の岩壁には岩を刳り貫いたやぐらのような穴が見えている。
道なりに墓地を通り抜けていくと、先程 昇った石階段の前の道と合流し、その合流地点には 『 ← 源氏山公園 』 の標識が置かれている。

さらに壽福寺からの道を確認すべく右に曲がっていくと、 すぐに右手に岩を刳り貫いて向こう側に抜けられるようになっている穴が現れる。穴を通り抜けた先には民家が広がっていて、 まるで穴が別世界への入口のようである。
さらに進んでいくと、右手の岩壁に 2つほどの穴が見られ、2つ目の穴 (中に門扉があり、こちらも向こう側に抜けられる) の所で道は左に直角に折れて民家の横を進み、 先程 壽福寺の中門から出たところの道に合流する。
つまり、小生は中門を出てそのまま寺の敷地に沿ってまっすぐ進んでしまったのだが、源氏山に向かうには左の道を取るべきであったのだった。 時刻は 11時20分。

壽福寺中門から源氏山へと向かう道が分かったところで、再び今辿ってきた道を戻る。
丸太の階段を昇り、狭い切通を抜けて、先程 石階段から辿り着いた上側の墓地に至った後、今度はその墓地の裏手を進む。
ここからは完全に山道となり、木の根や岩が露出している道を緩やかに登っていく。
道の両側にはササ、そして樹木が生え、場所によっては木々が鬱蒼としていて完全に登山モードである。
喧噪の車道、静かな寺院と墓地、そしてすぐにこの山道と、この急激な変化には驚かされる。
やがて登る先に墓のようなものが見えてくる。傍らにある説明書きには 『 太田道灌公の墓 』 とある。時刻は 11時28分。
太田道灌の墓は伊勢原市に首塚、胴塚があり、さらに埼玉県の入間市に分骨を納めた墓があるらしいのだが、 ここの墓は 『 1826年に以前の墓を再建した 』 とあるので、どちらかというと供養塔といった感じなのかもしれない。

墓を後にして少し進むと、右手に後程訪れる英勝寺の墓地の入口 (施錠されていて入れない) が現れる。
また周囲には杉の木が目立つようになり、道幅も広くなって、さらには道の右手に底の浅い石畳を模したような側溝も現れ、 既に源氏山公園の管理地域に入り込んでいることが分かる。
続いて石畳の階段を昇っていくと、右手には広い草地が現れ、その少し先で公園のトイレに辿り着く。時刻は 11時32分。
なお、トイレの少し手前に左の斜面を昇っていく階段があり、この階段を昇っていけば源氏山頂上に至ることは昨年の下見で分かっていたのだが、 階段はかなり長いので当日のメンバーには少々きつかろうと思い、昇らずにパスしたのであった。
とは言え、折角ここまで来たのだから源氏山には登っておきたいので、トイレの奥にある比較的短い階段を昇って源氏山頂上へと向かう。
この辺は昨年 5月の鎌倉散策の際に下調べをしているので良く分かっている場所である。

源氏山到着は 11時34分。頂上には石祠と朽ちかけた石塔が 2基あるだけで、 人の訪れも少なく静かな場所である。
頂上は樹林に囲まれて展望はほとんど得られないが、一箇所だけ開けた場所がある。この日は雲が多く、何も見ることができなかったものの、 晴天の場合、方角的に丹沢方面が見えるのではないかと思われる。
また、周囲の木々は一見すると常緑樹が多いような気がするが、紅葉の時期にはどのようになるか少々楽しみでもある。
頂上を左手に進み、先程パスした階段を下りてみる。しかし、やはりこの階段は長く続くので、年寄り向きではないことを確認する。
11時37分、再び階段を昇って源氏山へと戻り、少し周辺を歩き回った後、今度は奥の方へと進んで源氏山の斜面をグルッと回るようにしてトイレのところまで戻る。 時刻は11時43分。

トイレから少し進めば源頼朝像がある源氏山公園で、この辺は紅葉の時期、 かなり華やかな彩りになるはずである。時刻は 11時45分。
遠足の子供達で賑わう芝地を抜け、化粧坂 (けわいざか) への分岐を右に見て暫く進むと、車道にぶつかる。
車道を左に下っていけば銭洗弁財天 (銭洗弁財天宇賀福神社) であるが、ここはまず真っ直ぐ進んで葛原岡神社へと向かう。
当日はこの順序で歩き、林の中にあるために鳶に弁当をかすめ取られる心配が少ない神社前のベンチで昼食とするつもりである。
その葛原岡神社には 11時50分に到着。参拝を済ませ、11時55分、再び源氏山方面へと戻る。
途中、林の中にある日野俊基の墓に立ち寄り、道路には戻らずにそのまま林の中を進んで、東屋そして丸い生垣のある広場に至る。
さらに広場を突っ切り、再び樹林帯に入り、斜面を下っていく。この辺は落葉樹が多いようなので、紅葉の時期に通るのが楽しみである。

車道に出た後は右に進んで銭洗弁財天を目差す。ここはいつでも人でいっぱいである。
銭洗弁財天の鳥居の前には 12時1分に到着。ここに至るまでの車道はかなりの急坂で、弁財天参拝後にこの坂を登り返すのは少々キツイかもしれないと感じる。 実際、弁財天にお参り後、坂を登り返してみると確かにキツイ。
どうしようかと思っていると、源氏山公園への入口に至る少し手前左側に山に入る道があったので、 もしかしたら銭洗弁財天に通じる道かもしれないと思い、その道に入ってみる。
すると、思った通り、左下に弁財天を見ながらの山道が続き、やがて銭洗弁財天から佐助稲荷神社へと至る道と合流する。 その合流点から左に階段を下りていけば、弁財天である。
再び山道を戻り、先程の車道に合流する。やや、奇をてらった感は否めないが、当日はこの山道を辿って戻る方が面白いし、 また少し傾斜が楽なような気がするのでこのルートを採用することにする。

源氏山公園への入口には 12時13分に戻り着く。
再び公園内の遊歩道を辿り、源氏山公園案内図のある所から左に折れて化粧坂へと向かう。時刻は 12時14分。
道はすぐにコンクリート道から土の道に変わり、やや足下の悪い坂道となる。ここは化粧坂切通と呼ばれており、 鎌倉七口 (三方を山に囲まれた鎌倉に入るための 7つの陸路入口。朝比奈切通、名越切通などがある。) の 1つで、 武蔵国からの入口であったようである。
この化粧坂の名は、『 平家の大将の首を化粧して首実検したため 』 とか、『 木が多いので 「 木生え坂 」 から転じた 』 など諸説あるようだが、 Wikipediaでは 『 「 けわい 」 は身だしなみを整えるという意味に使われており、「 都市 」=「 ハレの場 」 に入る境で 「 身だしなみを整える 」 と言う意味で 「 ケワイ (化粧) 坂 」、つまりは鎌倉との境界である坂との意味 』 との説を押しているようである。

ここは、名越切通のような両側を崖に囲まれている訳ではないが、 当時の雰囲気が十分残るなかなか味わいのある坂道である。
ただ、この周辺に道の痕跡はいくつもあるようなので、この道が鎌倉時代のルートであったかどうかは定かではないようである。
水が少し染み出ていて滑りやすい、Sの字状の坂を下る。途中、ほぼ 1枚岩の斜面が続くようになるが、これは鎌倉で多く見られる凝灰質砂岩であろう。
水分が多い場所ということもあってか、岩には苔むした部分も多く見られる。当日のメンバーを考えると、この下りは少々苦労しそうであり、 ここは下りに使うよりは登りに使った方が良いと思われるが、距離は短いので何とかなろう。

坂が終わると車道となり、右手が山、左手が民家といった中を進む。
途中、右への道が分かれる角のところに多くの文字が刻まれた石碑があり、よく見るとその上部にも何やら石碑がある。 この石碑が何を意味するのか分からなかったのだが、帰宅後調べると、藤原景清 (平景清) が幽閉された土牢跡とのことであった。
景清は平家に仕えていた悪七兵衛 (あくしちびょうえ) の異名を持つほど勇猛な武士で、源氏方の美尾屋十郎の錣 (しころ) を素手で引きちぎったという 「 錣引き 」 が特に有名とのこと。
『 景清 』 (かげきよ) として歌舞伎十八番のひとつにもなっており、景清が鎌倉の土牢を破ることがハイライトとなっているようだが、 その土牢がこの場所であるかどうかは定かではない。

やがて道は丁字路に突き当たるので、左に曲がって次の訪問地である海蔵寺へと向かう。 時刻は 12時20分。
この道は車道であるが、左側がカエデの並木になっているので、紅葉の時期にはかなり楽しめそうである。
少し進むと、突き当たりに海蔵寺の山門が見えてくる。時刻は 12時23分。
山門へは 15段ほど石段を昇らねばならないのだが、両側からの萩が石段を覆い隠さんばかりの状態で、9月の花期にはさぞかし見事なことであろう。
石段を昇って境内に入るとすぐに本堂が見える。そして右手には鐘楼があり、鐘楼の後方、本殿の右には庫裡が見えている。
一方、左手の方には仏殿が建っており、中を覗くと、薬師如来三尊像が祀られているが、その中央に位置する薬師如来坐像は鎌倉十三仏の一つとのことである。

また、本堂の左にある崖には 4つのやぐらがあり、 そのうちの 1つには赤い鳥居が建っていて、翁の体に蛇が巻きついた姿をしている宇賀神が祀られている。
そして、やぐらの横を進んで本殿の裏手を覗いてみると、庭園を見ることができる。残念ながら庭園は非公開であり、 このように横から覗き見するだけであるが、それでもその見事さを十分に知ることができる。
海蔵寺の見所はこれだけではない。仏殿の左側にある小道を進み、岩を刳り貫いたトンネルを抜けて右手に進んでいくと十六井戸に至る。
この十六井戸は、岩窟の中に直径 70cmの穴が縦横 4つずつ合計 16個並んでいて湧き出た水を湛えているもので、 さらには岩窟の中央に観音菩薩像、そしてその下に弘法大師像が安置されている。これは一見の価値があるものである (拝観料100円也)。

十分満足して 12時35分、海蔵寺を後にする。
歩いてきた道を戻り、先程の化粧坂からの道を右に見て先へと進んでいくと、やがてJR横須賀線が見えてくる。
英勝寺や最初に訪れた壽福寺は線路の手前を右に曲がるのであるが、ここは真っ直ぐ進んで線路の下を潜る。
すぐに左に分かれる道が出てくるが、その角のところに 『 岩船地蔵 』 を祀った六角形のお堂が建っている。時刻は 12時43分。
このお堂は源頼朝の息女 大姫の守り本尊とされる石造地蔵尊 (岩船地蔵) を祀っているものである。
大姫は、人質として鎌倉へ来ていた木曽義仲の嫡男 義高と馴染んでいたが (義仲は大姫の名目上の婿として義高を頼朝に差し出した)、 頼朝は近江粟津で木曾義仲を殺害した後、人質である義高も殺害してしまったのである。
大姫はこのことに大きな精神的ショックを受け、その影響は生涯癒えずに 20歳の若さで亡くなったとのことであり、 この姫の哀れな死を悼んでこの岩船地蔵に大姫の守り本尊を祀ったものである。
なお、木曽義高の墓は今年 5月の鎌倉散策時に訪れた常楽寺の裏山にある。
また、お堂にあるのぞき窓を覗くと木造の地蔵尊が見えるが、大姫の守り本尊である石造地蔵尊は見ることはできない。

さらにまっすぐ進んでいくと、左に分かれる道の先にやぐららしきものが見えている。
当日のコースには入っていないが、興味を引かれたのでそちらに進んでみると、草木に覆われた崖のところに 2階建てのやぐらがある。
時刻は 12時47分。
1階部分のやぐらには格子の木製扉がつけられており、相馬師常 (そうまもろつね) の墓所とのことである。
相馬師常は鎌倉時代の武将で、源頼朝の奥州征伐では父 常胤 (つねたね) とともに従軍して武勲をあげ、「 八幡大菩薩 」 の旗を賜ったとのこと。
中を覗いてみると、宝篋印塔や五輪塔が安置されている。鎌倉には墓としてのやぐらが沢山あるものの、そのほとんどが誰の墓所か分からない中、 このように被葬者が明確なものは珍しいとのことである。
ついでに師常のやぐらの左手にある階段にて 2階部分に昇ってみると、そこには石仏や石碑が置かれていたが、こちらは比較的新しいもののようである。
なお、やぐらはこの 2つだけではなく、周辺にもいくつかのやぐらを見ることができる。しかし、駐車場の裏手のやぐらは物置の様になっているなど、 他は少々荒れ気味である。

12時50分にやぐら群を後にして先程の道へと戻る。やがて道が細くなるが、 目差す寺へはその細くなる道の手前を左に曲がっていく。
住宅街の中を進んでいくと、やがて道の左手に 『 浄光明寺 』 の石碑が見えてくる。時刻は 12時53分。
左に曲がって参道を進み、こぢんまりとした山門を潜る。左手に客殿そして庫裡があり、右手には不動堂と鐘楼がある。
となると、仏殿はということになるが、仏殿は境内の奥の一段高い所にある。そこに至るために、正面にスリ減って、苔むした石段があるがここは進入禁止となっているため、 右手から昇って行く。
しかしそちらの階段も昇りきった所でそれより先には進めない。後で調べると、仏殿 (阿弥陀堂) は木、土、日、祝日のみ拝観可能とのことで、 この日は生憎 水曜日であったために中には入れなかったという次第である。
考えたら、本番当日も拝観可能な曜日ではないので、遠くから眺めるだけということになる。
なお、仏殿は市指定の文化財で 1668年の建立とのことである。

12時59分に浄光明寺を後にして辿ってきた道を戻る。岩船地蔵まで戻った所で、 ついでといっては失礼だが、当日の予定にはない薬王寺へと向かうべく右に道をとる。こちらはすぐに道の左側に見えてくる。時刻は 13時4分。
左に曲がり、民家の間の道を緩やかに登っていくと薬王寺の境内であるが、そこに山門はなく、普通の民家のような門が建っている。
この薬王寺の創建は 1293年で、江戸時代には徳川家ゆかりの寺として栄え、一時は三千坪ほどの境内に五重の塔や諸堂が造営されるほど大きな寺であったとのことであるが、 1720年の火事で焼失。その後、さらに明治の廃仏毀釈にて荒廃したものの、大正から昭和にかけて第五十世 海榮日振上人、第五十一世 大埜茲稔日照上人が再興に尽力され、 現在の状況を整えたとのことである。

本堂前にはソテツ (と思う) が左右に植えられていてエキゾチックな感じを醸し出しており、 寺にその種の木があることに物珍しさを覚える。
また、本堂右手には徳川三代将軍 家光の弟である駿河大納言忠長の供養塔が立っており、当然、供養塔には葵のご紋が刻まれている。
本堂の左から裏手の山に登ると、階段の先に観音堂が建っている。元々は釈迦堂であったのだが、観音菩薩像をお迎えしたことに伴い観音堂に改称したとのことである。
その観音堂の裏手は垂直に切り立った崖になっており、そこにはやぐらがあって多くの石像が安置されている。

再び岩船地蔵へと戻り、JR横須賀線のガードを潜った後、 今度は左に道をとってJR横須賀線沿いに進む。
最後の訪問地 英勝寺、そして本日最初に訪れた壽福寺へと向かっているのだが、英勝寺に至る手前、道路右側の斜面にやぐらがあり (その隣には稲荷神社もある)、 そこには小さな層塔 (三重の塔や五重の塔など、幾重にもかさなった高い塔) が安置されている。
聞くところによると、ここは 『 十六 (いざよい) 日記 』 の著者である阿仏尼の墓とのことである。時刻は 13時14分。
なお、『 十六日記 』 とは、阿仏尼の実子である藤原為相と継子の為氏との領地相続争いの訴訟のために、弘安2年 (1279年)、 阿仏尼が京都から鎌倉へ下った際の旅日記と鎌倉滞在中の記録である。
これが阿仏尼の墓とは確定していないようであるが、層塔の基部には 『 阿佛 』 の文字が刻まれており、 実子 冷泉為相は先程訪れた浄光明寺に眠っているので、やはりこのやぐらは阿仏尼と何らかの関係があることは間違いなかろう。

阿仏尼の墓から少し進むと、右手に白っぽい塀が続くようになり、 塀際を少し進むと教会を思わせるような両開きの金属製門扉が現れる。
縦格子の門扉自体は白く塗られており、両扉の中央部分には緑色をした徳川家の三葉葵紋と黄色い太田 (道灌) 家の桔梗紋を組み合わせた意匠のものが配されている。
ここが英勝寺の通用門で、惣門はもっと先にあるのだが閉鎖されており、英勝寺にはこの門扉の横のくぐり戸から入ることになる。
この英勝寺は、太田道灌の曾孫 康資の娘であり、家康の側室の一人となったお勝の方 (家康の死後に出家し英勝院と号す) が、 三代将軍 家光から寺地としてこの地を賜り、菩提寺としたのが始まりで、1636年創建された現在鎌倉 唯一の尼寺である。
先に述べたようにお勝の方は太田道灌の子孫であり、また徳川家との関係も深く、さらにはこの地がかつて太田道灌の屋敷があったとされる場所であることから、 門扉の意匠も頷けるものがある。時刻は 13時16分。

受付で 300円也を支払い、順路に従って左手に進んで境内を散策する。
四季を通じて花の絶えることがないという花壇の間を通っていくと、まずはスカートを履いているような袴腰造りの鐘楼が現れる。 この様式の鐘楼は鎌倉では英勝寺にしかないとのことである。
鐘楼を過ぎると左手奥に惣門が見えてくるが、先にも述べたように閉鎖されていて通ることはできない。
道順に従い右に曲がっていくと山門の前を通ることになる。しかし、ここはそのまま通過して左奥へと向かう。
すると竹の生える斜面に洞窟が現れるが、洞窟は 2つあって奥が入口になっている。この洞窟は 『 三霊社権現 』 で、中には石仏が安置されている。 洞窟を通り抜けた後は、山門に戻って中に入る。

この山門は 1923年 (大正12年) の関東大震災で倒壊している。 しかし、幸いにして篤志家 間島弟彦氏に買い取られて葛西ケ谷にて再建され、保存されていたのであるが、 その地が住宅開発されることになったのを契機に、2001年に英勝寺が買い戻して復興工事を行い、 2011年5月に落慶供養が行われたものだそうで、国の重要文化財になっている。
なお、山門の鬼瓦に相当する部分 (瓦ではない) には葵のご紋が見られる。
山門を潜ると正面に仏殿があり、そこにあるガラス窓を開けて中を拝観することができる。
堂内には徳川家光が寄進した運慶作の本尊 阿弥陀三尊立像が安置されていて黄金色に輝いている。
これだけでも素晴らしいが、他に両面透かし彫りのボタンの花があしらわれている唐門 (祠堂門)、 日光東照宮を小さくしたような祠堂 (トタン葺きの建物の中に入っていて保護されている) など見るべきものが沢山ある。
加えて、境内の奥には昨年訪れた報国寺のように散策できる竹林もあり、見所満載である。

すごく得をした気分になって 13時31分、英勝寺を後にする。
道路を壽福寺、鎌倉駅方面に進んで行くと、英勝寺の白い門が終わりとなった所に英勝寺惣門が現れる。
惣門を過ぎて少し進めば壽福寺で、折角なのでもう一度境内に入り、北条政子の墓を見に行く。時刻は 13時33分。
中門の前を左に曲がり、道の出たところですぐに左に曲がって道なりに進んでいくと、先程の岩を刳り貫いて向こう側に抜けられる穴があり、 その先で先程の切通を経て源氏山へと向かう道が左に分かれる。
ここはそのまま真っ直ぐ進んで墓地の中を登っていくと、突き当たりの崖の 1つに北条政子の墓と言われるやぐらが見つかる。 やぐらの中には五輪塔が置かれている。

その北条政子の墓から少し間を空けた右側には政子の第四子で次男 (源頼朝としては第六子四男) である鎌倉幕府第三代将軍 源実朝の墓 (こちらもやぐら) がある。 政子の墓と同じように、こちらも中に五輪塔が置かれている。
源実朝は、鶴岡八幡宮にて兄 頼家 (第二代将軍) の子である公暁に暗殺され、わずか 28年の生涯を終えており、 また、これによって鎌倉幕府の源氏将軍は断絶したのである。

墓所を後にして、再び切通を確認した後、13時48分に壽福寺を後にする。
鎌倉駅に向かい、途中 『 今小路踏切 』 にてJR横須賀線を渡って小町通りに至る。時刻は 13時52分。当日はここで解散の予定である。

さて、下見が終わったので、駐車場まで歩いて帰るべく、 小町通りを左に曲がって鶴岡八幡宮前へと向かう。
県道21号線に入って鶴岡八幡宮の横を通り、14時4分に建長寺の前を通過する。さらにはJR横須賀線 第三鎌倉道踏切の手前を右折して県道21号線を離れ、 円覚寺、北鎌倉駅方面へと進み、途中で右折して明月院方面へと向かう。
そう、以前は駐車場まで県道21号線を歩き続けたのだが、今回は 5月に登った六国見山経由にて戻るつもりである。
明月院の前を 14時14分に通過。そのまま道なりに進み、14時19分に六国見山登山口へと続く私道へと入る。
そして、六国見山の登山口には 14時23分に到着し山道に入っていく。

六国見山の三角点を 14時28分、稚児の墓を 14時32分にそれぞれ通過し、 展望台には 14時33分に登り着く。
この日は生憎雲が多く、富士山を見ることはできないが、本日登った源氏山はよく見えている。
そのまま 5月に通った山道を辿り、大船高校横のロータリーには 14時40分に下り着く。
ここから大船高校の裏手を進み、切通を通って熊野神社、多聞院の脇に下りたのが 14時46分。
後は、車道を進み、常楽寺の前を 14時55分に通過、そして駐車場には 15時丁度に戻り着いたのであった。
しかし、本日は家を出て以来ここまで水分補給のみ。本当に腹が減った。

本日は 12月に予定している恒例の鎌倉散策の下見を行ったが、 山に行けなかった分、その鬱憤 (山行を回避した自分に対するもの) を晴らすべく歩くことに徹した 1日であった。
しかし、この下見の後にこの記録を書いてみると、『 底脱 (そこぬけ) の井 』 など、見落としたものが多々あることに気付いたのであった。
下見にはまだ時期が早かったこともあり、見落としを補うべく、本番が近づいた時点で再度下見を行おうと思う。
それにしても鎌倉は奥が深い。

 ご 注 意

このページは、1,280×1,024 の画面設定にて、Internet Explorer 11 を基準に作成しています。
また、Internet Explorer 11 の [表示] における文字のサイズは 「」 にしております。
フォントが小さすぎる等の問題がある場合は、申し訳ありませんが皆さんの画面設定に応じて、お使いのブラウザーのフォント設定を調整して下さい。

 更新記録

 11/11 かなりの古新聞ですが簡易登山記録に 大弛峠−甲武信ヶ岳 を掲載しました。  
 10/25 かなりの古新聞ですが簡易登山記録に 編笠山・権現岳 を掲載しました。
 10/4 古新聞ですが簡易登山記録に 雁坂嶺・破風山 を掲載しました。
 9/21 簡易登山記録に 小太郎山 を掲載しました。
 9/11 かなりの古新聞ですが、簡易登山記録に 天狗岩 奥千丈岳 を掲載しました。
 8/1 かなりの古新聞ですが、簡易登山記録に 白岩岳 を掲載しました。
 6/27 かなりの古新聞ですが、簡易登山記録に 蝶ヶ岳 を掲載しました。
 6/7 古新聞ですが、簡易登山記録に 乗鞍岳 を掲載しました。
 5/21 かなりの古新聞ですが、簡易登山記録に 鎌倉散策(六国見山) を掲載しました (△1: 5/24 本番状況を追記)
 4/30 かなりの古新聞ですが、簡易登山記録に 塔ノ岳・鍋割山 を掲載しました。
 4/1 古新聞ですが、簡易登山記録に 水晶山・古礼山 を掲載しました。
 3/19 かなりの古新聞ですが、簡易登山記録に 大山三峰山・大山 を掲載しました。
 2/20 古新聞ですが、簡易登山記録に 山王帽子山 を掲載しました。
 2/8 かなりの古新聞ですが、簡易登山記録に 檜洞丸 を掲載しました。
 1/28 古新聞ですが、簡易登山記録に 白沢峠 笠取山 を掲載しました。
 2017/1/9
簡易登山記録に 北横岳 を掲載しました。
 12/24 簡易登山記録に 金峰山 を掲載しました。
 12/13 古新聞ですが、簡易登山記録に 鎌倉散策 を掲載しました。
 11/22 かなりの古新聞ですが、簡易登山記録に 奥大日岳 を掲載しました。
 11/3 古新聞ですが、簡易登山記録に 立山 を掲載しました。
 10/22 古新聞ですが、簡易登山記録に 乗鞍岳 を掲載しました。
 10/8 かなりの古新聞ですが、簡易登山記録に 甲斐駒ヶ岳 を掲載しました。
 9/20 かなり古新聞ですが、簡易登山記録に 針ノ木岳、蓮華岳 を掲載しました。
 8/21 かなり古新聞ですが、簡易登山記録に 爺ヶ岳 を掲載しました。
 7/30 かなり古新聞ですが、簡易登山記録に 白毛門・朝日岳 を掲載しました。
 6/29 かなり古新聞ですが、簡易登山記録に 木曽駒ヶ岳 (上松Aコース) を掲載しました。
 6/10 かなり古新聞ですが、簡易登山記録に 鎌倉アルプス II を掲載しました。
 5/28 古新聞ですが、簡易登山記録に 和名倉山 を掲載しました。
 5/15 かなりの古新聞ですが、簡易登山記録に 十石山 を掲載しました。
 4/29 かなりの古新聞ですが、簡易登山記録に 天狗岳 を掲載しました。
 4/14 古新聞ですが、簡易登山記録に 地蔵岳 を掲載しました。
 3/26 古新聞ですが、簡易登山記録に 大山三峰山 を掲載しました。
 3/16 古新聞ですが、簡易登山記録に 鉢伏山 を掲載しました。
 3/5 かなり古新聞ですが、簡易登山記録に 杓子山、鹿留山 を掲載しました。
 2/25 古新聞ですが、簡易登山記録に 三ツ峠山 を掲載しました。
 2/15 古新聞ですが、簡易登山記録に 相州大山 を掲載しました。
 2/9 古新聞ですが、簡易登山記録に 塔ノ岳、丹沢山 を掲載しました。
 1/30 古新聞ですが、簡易登山記録に 塔ノ岳 (尊仏岩跡) を掲載しました。
 1/16 古新聞ですが、簡易登山記録に 竜ヶ岳 毛無山 を掲載しました。
 2016/1/6
かなり古新聞ですが、簡易登山記録に 竜喰山 を掲載しました。    

このページはリンクフリーです。リンクする旨、メールにて知らせて戴ければなお嬉しく思います。

★ご意見・ご要望、お問い合わせは こ こ へお願いします。

© M.TAGAWA 1997 - 2017 All Rights Reserved.

記載されている会社名、製品名は各社の商標または登録商標です。