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31日目
庄野宿〜亀山宿
2002年12月21日(土)
2002年師走。 東海道を歩きはじめてから31日目。東海道筋では最も行きにくい、庄野宿〜水口宿までを、二泊三日で一気に進めてしまいます。それが今回の行程です。
今回の行程は見所満載。特に関宿は、伝統的建造物群保存地区に指定されているため、東海道の両側には、旧家風の建物が並び、まるで時代劇の中に入り込んだような感じがします。そして、鈴鹿峠。比較的平坦な東海道の中で、最後に越える大きな峠です。箱根峠、さった峠、宇津ノ谷峠、そして鈴鹿峠。この鈴鹿峠を越えると、ぐんと京都が近づきます。

井田川駅前スタート〜椋川
11時25分。外は暗く、ひたすら雨の降る井田川駅前をスタートしました(写真左)。井田川駅は、庄野宿と亀山宿の間ぐらい。ということは、前回、かなり亀山宿よりに歩いたことになります。
駅前から東海道を道なりに進むと、やがて国道を横切ります。さらに道なりに行くと、T字の交差点となります。ここを左に曲がるのが東海道です。分岐地点には、写真右のように、現代版道しるべが建っています。

西信寺を越え、雨の降る旧道を進むと、やがて橋が見えてきます。橋の下を流れるのは椋川です。
橋を越えると今度は、頭上をバイパスの陸橋が横切ります。しばらくすると、右側に谷口法悦題目塔が建っています。ここは、江戸時代の刑場跡のようです。

左上:井田川駅前の東海道(京側を撮影)
右上:左折箇所
左下:椋川にかかる橋
 

和田道標
谷口法悦題目塔の先、今度は左側に、「和田道」の道標が建っています。道標は、かなり古く、倒れないように補強されていました。

この先で、東海道は一旦県道565号線(旧国道1号線)に合流しますが、すぐに再び右へ分岐します。

和田一里塚〜亀山宿
旧道に入ると、やがて右側に立派な塚が見えてきます。「和田一里塚」です(写真左)。塚はしっかりと手入れされていて、円錐形を維持しています。片側しか残っていませんが、すばらしい塚です。一里塚を越えて、雨の降る東海道を進むと、やがて旧家がちらほらと出てきて、亀山宿に入ります(写真右)。あいかわらず雨はしとしとと・・・、ではなく、結構ばしゃばしゃと降っています。

江戸口門跡
亀山宿は亀山城の城下町に出来た宿場です。旧道を進むとやがて、T字の交差点に出ます。ここが亀山城の江戸口門跡です。東海道は、この交差点を右折し、商店街の中を大手門跡へ向かい、直進します。

樋口本陣跡〜大手門跡
商店街の中を直進すると、アーケードの柱に「樋口本陣跡」と書かれた木柱が建っていました(写真左上)。
東海道は、樋口本陣跡のすぐ先の交差点を左に曲がります(写真右上)が、この交差点付近が亀山城大手門跡です。ということは、この辺りが宿場の中心だったことになります。今でも商店街の一画ではありますが、当時のにぎわいを想像することはできません。

交差点を左折すると、舗装の色が茶色になっていて、時折旧家の残る道筋となります(写真左下)。道幅も狭くなり、街道らしさが出てきます。また、民家には屋号札が掲げられていて、屋号を見て歩くのも楽しみ方の一つでしょう。
 

西町問屋場跡
細い道筋を抜けると、交差点に出ます(写真左)。交差点を右に行くと、亀山城址となりますが、東海道は直進し、対岸の坂を上ります。坂を上りきったところに「西町問屋場跡」の木柱が建っていました(写真右)。

道標・青木門跡
東海道の左側には、平行して1本の道があります。その道と東海道との間を結ぶ側道には、道標がありました(写真左)。
近くに青木門跡があるようなので、行ってみることにしました。側道に入ると、写真右のように青木門跡の木柱が建っていました。しかし、それ以外は特になにもありませんでした。

亀山藩家老加藤家の長屋門・京口門跡
東海道に平行する道には、亀山藩加藤家の長屋門が遺されていました(写真左)。もともと屋敷のあった場所で、屋敷の建物はありません。また、裏に回り、門の反対側を見ることもできます。
東海道に戻り、先へ進みます。立派な建物や瓦を見ながら進むと、やがて京口門跡がありました(写真右)。亀山宿はここまでということになります。



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