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27日目
岡崎宿〜池鯉鮒宿
2002年10月12日(土)
晴れ
天気は晴れ。秋の日差しをいっぱいに浴びて、池鯉鮒宿を目指します。10時43分、27曲がりまっただ中の篭田公園。ここが、今回のスタート地点です。

篭田公園〜27曲がり後半
10時34分。前回終了地点とした篭田公園よりスタートです。篭田公園は、岡崎宿27曲がりのまっただ中にあって、ここから、さらに複雑に曲がる東海道が続きます。篭田公園を出ると、27曲がりの案内板がありました。とにかく複雑な27曲がり。地図を見ながら間違わないように慎重に進みます。

写真左:篭田公園
写真右:27曲がりの案内板

旧町名
27曲がりには、写真のような、旧町名の書かれた石碑が建っています。これを目安にしていくことで、なんとか27曲がりを辿ることができました。

松葉総門跡〜八丁味噌の郷
27曲がりを辿っている途中、広い通りに出たところに「松葉総門跡」と書かれた石碑がありました。
さらに何度も角を曲がり、やがて国道1号線に出ます。しかし、そのまま突っ切ることが出来ないため、近くの歩道橋を使用して迂回し、反対側へ。旧道を進み、右へ曲がると、やがて広い通りを横切り、「八丁味噌の郷」と呼ばれている、味噌蔵の続く町並みとなります。蔵を見ながら進むと、やがてT字の交差点につきます。正面のやや古い建物の前には、「右 江戸」と書かれた、真新しい石碑が建っていました。
T字交差点を右に曲がると、やがて広い通りに出ます。国道1号線です。ここを左に曲がり、矢作橋を渡り、右に向かうのが東海道です。ただ、江戸時代、矢作川は「渡し」で越えていたようです。

写真左上:松葉総門跡の石碑
写真右上:「右 江戸」の石碑
写真左下:T字を右に曲がった先にあった石碑
写真右下:矢作橋(国道1号線)

日吉丸と蜂須賀小六の出会い像〜誓願寺十王堂
矢作川を渡ると、すぐに右へ分岐する道が東海道です。ちょうど分岐点には、日吉丸と蜂須賀小六の出会いの像(写真左)がありました。旧道をしばらく進むと、乙川に身を投げた浄瑠璃姫(矢作の長者の娘)が眠るとされる誓願寺がありました。境内にある十王堂(写真右)には、源義経と姫の遺品が安置されているそうです。

旧道(松並木)〜熊野神社
一度国道1号線に合流し、しばらく国道を歩くと、やがて東海道は右へと分岐します。分岐した先の旧道には松並木があり、秋のさわやかな風が心地いい東海道の旅を演出しています。松並木を楽しみながら先へ進むと、やがて右側に熊野神社がありました。境内には予科練之碑が建っています。

一里塚跡〜二本松
神社の前には、一里塚跡の碑(写真左)も建っていました。
東海道へ戻り、先へ進むと、やがて前方に一際大きな松の木が2本(写真右)見えてきます。街道の左側にあるこの二本松、「三河路に昔をしのぶ夫婦松」と案内板には書かれてるのですが、松にはなぜか「助さん」「格さん」と書かれた名札が着いていました。

雲竜の松〜松並木〜道標
秋の晴天の中、静かな旧道を先に進むと、右側にものすごい松がありました。永安寺の「雲竜の松」(写真左)で、樹齢は300年とのこと。とにかく、「すごい」というのが率直な感想でした。横に広がる松は、まるで竜がはっているかのよう。正門から境内に入ってみると、頭上いっぱいに広がっていました。
しばし圧倒された雲竜の松を後に、松並木の続く街道を先に進みます。猿渡川橋を渡ると知立市に入ります。小さな交差点にさしかかると、交差点の角に「八橋への道標」が建っていました。

写真左上:永安寺 雲竜の松
写真右上:東海道の松並木
写真左下:道標
 

来迎寺一里塚
いつの間にか歩道のなくなった旧道を、車に気おつけながら先に進みます。太陽が傾きかけた15時07分、街道の左側に立派な一里塚がありました。「来迎寺一里塚」です。案内板を読むと、どうやら両塚が残っているとのことなのですが、街道から見えるのは、京へ向かって左側の塚だけです。では、右側の塚はどこに?こうなると意地でも探し当てたくなるもの。付近を捜索しました。街道に面している塚とは反対側に、「来迎寺町公民館」があり、裏手に大きな木が見えます。もしや・・・。公民館の右側に通路があるので、おそるおそる入ってみると、なんと、京へ向かって右側の塚がありました。こちらは当時のままのようで、左側の塚と比べるとやや荒れているのですが、しっかりと円錐形の塚が残っています。

写真左上:京へ向かって左側の塚
写真右上:来迎寺一里塚の碑(左の塚)
写真左下:京へ向かって右側の塚
写真右下:来迎寺町公民館

池鯉鮒宿へ
来迎寺一里塚を過ぎしばらく進むと、松並木が出迎えてくれます。この松並木、並木八丁と呼ばれているそうで、国道と交差する手前まで続いています。左側には比較的広い歩道があるため、松を見ながらゆっくりと歩くことができます。途中、池鯉鮒宿の案内版や安藤広重の絵、それに馬の銅像がありました。

馬の銅像を過ぎると、交通量の多い国道1号線を横切ります。そして、いよいよ池鯉鮒宿に到着です。

写真左上:池鯉鮒宿の案内板
写真右上:並木八丁の松並木
写真左下:馬の銅像
写真右下:国道1号線を横切った先の旧道

池鯉鮒宿中心部
池鯉鮒宿の旧道は、住宅地の中を通ります。名鉄の踏切を越えると、次第に商店が増えてきます。やがて、やや広い通りに出ると、反対側に、細い道が続いています。これが東海道です。通りを渡り、細い道を進むと、道の右側に「問屋場跡」の碑が建っていました。どうやら、池鯉鮒宿の中心部にきたようです。今夜は、この知立の地で一泊することもあり、とりあえず行けるところまで行ってみることにしました。

旧道を先へ進むものの、宿場に関係する史跡が見つかりません。おかしい・・・。本陣跡があるはずなのに・・・。街道沿いにはそれらしき碑も案内もなく、いったいどこが本陣跡なのだろうか・・・。実は、先ほど横切った道が東海道に沿っていて、その道沿いに碑が建っていたのです。街道沿いに碑を建ててほしかったものです。

写真左上:やや広い通りとの交差点
写真右上:問屋場跡の碑
写真左下:本陣跡の碑(街道の裏手にある)
 

知立城址
時間は16時13分。もう少し先へ進んでみることにしました。「サンハイツA」というマンションの前で、東海道は右に曲がります。すると、左側に公園があります。ここが「知立城址」で、公園には「知立古城址」の石碑が建っていました。

了運寺〜総持寺跡大いちょう
「知立城址」の先、了運寺の門前で東海道は左に曲がります。下り坂となり、広い通りと交差する手前右側には、「総持寺跡大イチョウ」の案内板がありました。イチョウそのものは、街道に面した場所ではなく、右の脇道を奥に進んだところにあります。
本日の行程はここで終了し、知立駅近くにあるビジネスホテルへ向かいました。



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