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26日目
藤川宿〜岡崎宿
2002年9月8日(日)
晴れときどき曇
鎌倉時代からあった藤川宿。ここを抜けると松並木があります。御油の松並木ほどではありませんが、大木となった松が木陰を作っています。藤川宿を抜けると、いよいよ二十七曲がりのある岡崎宿へ。

[12時12分] 本陣跡
藤川宿は、まだ、東海道が鎌倉街道と呼ばれていた鎌倉時代からあった宿です。ただ、現在の藤川宿は、家康が東海道を整備した際に整備したもので、宿の長さ等は江戸期のものとなっています。
藤川宿の本陣跡には、石碑と案内板がありますが、ごらんのとおり、民家の敷地内に建っています。なんだか、オリの中に閉じこめられているような感じです。

一里塚跡、脇本陣跡
本陣跡を過ぎると、民家の横に「一里塚跡」の案内板がありました。非常に見つけにくいので、注意が必要です。

一里塚跡の先には、なかなか立派なたたずまいの資料館がありました。単なる資料館かと思っていたら、実は脇本陣跡だったのです。門をくぐると立派な石碑が建っていました。


<写真説明>
左上:一里塚跡
右上:脇本陣跡外観(現資料館)
左下:脇本陣跡案内板
右下:脇本陣跡の石碑

史跡群
藤川宿の出口、西棒鼻跡付近には、史跡群がありました。写真左は、藤川駅前にある、宿場の案内版。写真右は、西棒鼻跡にある史跡群。駅は東海道から少し離れますが、宿場であることを現代に伝えています。

西棒鼻跡〜吉良道道標
西棒鼻は京側の入り口。江戸側から見ると宿場の出口にあたるもの。ここまでが藤川宿となります。藤川宿を出てしばらくいくと、名鉄の踏切手前に、道標がありました。「吉良道道標」と書かれていて、吉良道と東海道との分岐点を表しています。

写真では、左の道が吉良道、右の道が東海道です。

松並木〜旧道分岐〜大子川
吉良道道標の先で、東海道は名鉄の踏切を渡ります。踏切の先から国道1号線へ合流するまでのわずかな区間に、藤川の松並木があります。御油の松並木ほどではありませんが、大木となった松が道の両側にあり、木陰をつくっています。

松並木を抜けると国道1号線に合流、坂下橋付近で再び左側へ分岐します。分岐した旧道は、田園地帯を抜けて大子川へ向かいます。途中、天然記念物 岡崎源氏蛍発生地碑がありました。「本当にここで源氏蛍が発生したの?」といわんばかりの場所です。

東海道は、高橋を渡り、やがて大子川で途切れます。残念ながら、川を渡るためには国道1号線に迂回しなければなりません。

<写真説明>
左上:藤川松並木
右上:坂下橋付近の旧道分岐点
左下:大子川手前の東海道
 

[14時20分] 大平一里塚〜筋違橋
大子川をなんとか越え、旧道とたどります。一旦国道を横切ると、やがて大平一里塚があります。塚が現存するだけに、すぐに一里塚であることがわかりました。東海道は、一里塚の先で国道に合流すると、しばらく国道歩きとなります。筋違橋手前から、国道の右側に沿うように、東海道は分岐します。

<写真説明>
左:大平一里塚
右:筋違橋付近の東海道


[14時51分] 岡崎二十七曲碑〜
国道から分岐した東海道は、やがて岡崎宿に入ります。城下町である岡崎宿の東海道は、なんと27回も曲がる名物、27曲がりとなります。その最初の曲がり角手前に建つのが、写真左上の案内板です。ここから岡崎宿を出るまでの間に27回曲がるのです。27曲がりはかなり複雑なので、道筋を見失わないように注意することが必要です。

ちなみに、写真は正しく道筋をたどれると発見できる石碑です。これらの石碑を見つけられれば、道筋はあっていることになります。

西本陣跡、街道案内板
複雑な27曲がり、正しくたどっていれば、やがて岡崎宿の中心部にたどり着きます。写真左は「西本陣跡」の石碑。岡崎宿には本陣が3軒ありましたので、そのうちの一つとなります。

また、写真右は、とある曲がり角近くに建っていた、街道案内板です。

[15時35分] 篭田公園
何回曲がったでしょうか。地図を頼りに、迷わないように辿ってくると、篭田公園に着きました。東海道は、この公園を越えて行くわけですが、27曲がりまっただ中ではあるものの、次回スタート地点とするには非常にわかりやすいことから、この公園で行程を終了することにしました。

今回の行程は、なんといっても御油の松並木と大橋屋が最大の目的でした。アスファルト舗装になってしまったものの、道の両側にある大きな松。そして、黒光りする板の間が印象的だった旅籠「大橋屋」。ほんのわずかではありましたが、江戸時代の文化に触れたような気がする、今回の行程でした。次回は、いよいよ宮宿(名古屋市)を目指します。



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