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25日目
吉田宿〜御油宿
2002年9月7日(土)
晴れときどき曇
残暑が厳しいものの、少しずつ秋が近づいてきた9月。久しぶりの東海道です。今回のハイライトは、なんといっても天然記念物に指定されている御油の松並木。そして、その先の宿場、赤坂宿にある大橋屋。大橋屋は東海道筋で唯一、今も「旅籠」として旅館経営をしている宿です。今夜は、旅籠で夜を明かします。

[12時20分] 吉田宿出発
路面電車の走る街、豊橋。ここが今回の出発点、吉田宿です。前回は脇本陣跡で終えたので、路面電車に乗って、脇本陣跡へ。京へ向けた旅の再会です。
出発してしばらく歩くと、吉田宿と書かれた碑が建っていました(写真左)。その先には「西惣門跡」と書かれた案内板が。どうやら、ここが吉田宿の京側入り口のようです。

豊橋〜子だか橋碑
  吉田宿を出てからの東海道は、豊橋市内を右に左に曲がりながら、豊橋へ向かいます。できれば、ガイドブック等を参考に歩くといいでしょう。ただ、要所には「東海道」と書かれた案内板がありますので、なんとかたどることができます。
脇本陣の先、松葉公園の交差点を右に、国道23号線を越え、豊川の手前を左折、湊町公園を右に見て大橋通りを右折すると、豊川にかかる「豊橋」に出ます。現在の「豊橋市」の名前の由来となった橋です(写真左上)。
豊橋を超えると、東海道はすぐに左折し、川沿いの道を進みます。やがて、「下地一里塚跡」の碑が現れますが、この日は見逃してしまいました。
しばらく道なりに進むと、「高橋」という橋を渡った先に、「子だか橋」の碑が建っています(写真下段)。1000年も前の非話が伝わる、歴史あるもののようです。

立場茶屋跡
東海道は一本道となるので、ただひたすら道なりに進みます。飯田線の踏切を越え、しばらくすると、左側の駐車場内に、柵で囲われた石碑と案内板がありました。近づいてみると、「立場茶屋跡」と書いてありました。この辺り、今でこそ住宅地になっていますが、かつては立場のあった場所のようです。

[14時40分] 伊奈一里塚跡
立場を過ぎ、東海道を進むと、「伊奈一里塚跡」の碑が建っていました(写真左)。

道は、歩道のない危険な状態となります。背後から迫る車に注意(あるいみ、文句を言いながら)しながら先へ進みます。やがて、国道1号線に出ると、東海道は国道を横切り、国道の反対側へ移ります(写真右)。

国道1号線と旧道
国道1号線を横切る(写真左)と、その先は非常にわかりずらくなります。というより、道筋をたどることができません。それらしき道を探してたどると、再び国道1号線を横切ります。今度は、分岐角度から、旧道であることがわかります(写真右)。この間、30分以上さまよいました。
分岐した旧道は、道なりに進むと、いよいよ御油宿となります。

常夜灯〜大社神社
旧道を進むと、秋葉山の大きな常夜灯がありました(写真左)。常夜灯を見ながら、いよいよ御油宿に入ります。宿場内を進むと、右側に大社神社がありました。京へ向かって歩くと、目の前に鳥居が見えるので、非常にわかりやすい神社です(写真右)。

[16時17分] 御油一里塚跡
しばらくすると、「御油一里塚跡」の碑が建っていました。その先、行力という交差点付近には、姫街道と書かれた案内板がありました。姫街道(本坂街道)とは、東海道の裏街道的役割を果たし、見付宿で分岐しています。浜名湖を迂回するこの街道は、ここで東海道に合流しているようです。

旧御油橋・御油宿
旧道を進むと、なんとなく宿場の雰囲気が出てきます。やがて、小さな橋が現れます。これが「旧御油橋(現五井橋)」で、この橋を渡った先が、御油宿のようです。若宮八幡を横目に進むと、旧家が並び、宿場の雰囲気の残る町並みとなります。

写真左:旧御油橋
写真右:御油宿の町並み

高札場跡、問屋場跡
旧家の並ぶ静かな旧道は、やがて右に折れます。その地点に「高札場跡」がありました。そのさすぐ先には、「問屋場跡」もあり、御油宿の中心部に近づいてきたことを物語っています。とはいうものの、今は静かなたたずまいを見せています。



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