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日本橋を出発して24日目。ようやく吉田宿(豊橋市)に到着です。今回の行程は見るところが少なく、距離を稼ぐことがメインとなるため、日帰りにしました。あいにくの雨の中、吉田宿を目指します。 |
二川駅前〜交差点 | ||
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13時21分、雨の降る二川駅前をスタートしました。スタートしてそれほど経たないうちに、国道1号線との交差点にさしかかります。東海道は国道を横切り、火打坂へと向かいます。写真右が、交差点から撮影した火打坂方面の東海道です。正面に上り坂となっている道が見えますが、この道は関係なく、左にカーブしているのが東海道です。 |
火打坂上の左折ポイント | ||
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火打坂を上りきると、やがてT路の交差点に着きます。東海道はここを左折し、岩屋山の脇を進みます。写真左は左折ポイント。赤信号が灯っている、写真正面の道が東海道で、写真奥が吉田方面となります。写真右は、東海道と掛かれた道しるべがあったので、撮影しました。これを見て、ようやく自分が歩いている道が東海道であることを実感しました。 |
一本松、そして合流 | ||
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しばらく進むと、前方に、まるで斜塔のような木がありました。街道に残る松で、結構立派なものでした。この松を見て、ここが東海道なんだと、再度実感しました。 松を過ぎると、やがて国道1号線から分岐してきた道に合流します。それにしても、雨がやまない。重い雲が空を覆っているためか、昼間なのに薄暗く、おまけに、二川宿〜吉田宿間は見所のない退屈な区間が続くため、たんたんと、時が過ぎていくように思えます。 傘で雨を避けながら、ただひたすら吉田宿を目指していると、道幅が狭くなり、なんとなーく街道っぽくなってきました。 |
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飯村一里塚 | ||
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ひたすら歩いていると、国道1号線に合流しました。合流地点は広々としていて、この辺りに飯村一里塚跡があります。この日は逃してしまったため、後日、あらためて撮影しました。写真左は国道1号線合流地点。左の電柱脇にかすかに写っている碑が一里塚跡の碑です。写真右は、後日撮影したもの。 |
寿泉禅寺、そして吉田宿 | ||
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国道1号線に合流すると、やがて市街地に入ります。整備された歩道を進んでいくと、不思議な門を構えた「寿泉禅寺」がありました(写真左)。寿泉禅寺を過ぎると、右側から路面電車の走る道が合流します。この交差点付近から吉田宿が始まります。 ちなみに、路面電車は豊橋鉄道の市内線で、東海地方では唯一の路面電車となります。 |
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交差点には、大きな常夜灯が建っていました。かなり目立ちます。また、東惣門跡の案内と、惣門のミニチュアも建っていました。 ここから吉田宿となりますが、この先、少々東海道は複雑に右左折を繰り返します。 |
旧道を進む | ||
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東惣門から先は、少々複雑な道筋となりますので、注意が必要です。旧道は国道1号線と平行して進むみますが、途中、吉田宿と書かれた常夜灯や、曲尺手門跡の碑を見ることができます。 <写真の説明> 左上:東惣門付近の東海道を示す案内板 右上:吉田宿と書かれた常夜灯(今のもの) 左下:曲尺手門跡の石碑 |
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問屋場跡、本陣跡 | ||
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旧道はやがて、路面電車の走る道を横切りますが、交差点付近に「問屋場跡」の案内板が建っています(写真左)。電車通りを横切り、先へ進むと、今度は「本陣跡」の案内板がありました。この辺りが吉田宿の中心部のようです。 本陣跡は、現在はうなぎ屋「丸よ」になっていて、店先には立派な石碑が建っています。 本陣跡の先には、脇本陣跡の碑が建っていました。今日の目的は吉田宿なので、脇本陣跡で行程を終了しました。 <写真説明> 左上:問屋場跡 右上:本陣跡(案内版) 右下:本陣跡(店先の石碑) 左下:脇本陣跡 |
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