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18日目
島田宿〜金谷宿
2002年4月6日(土)
晴れのち曇
川越遺跡に到着。タイムスリップしたようなこの遺跡は、かつて大井川の川越に従事した人たちの家や川越に関する施設が置かれていた場所で、今も建物が保存されています。この遺跡を越えると、いよいよ大井川。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と歌われた、東海道最大の難所を越えます。

島田宿大井川川越遺跡
車とバトルしながら先へ進むと、江戸時代にタイムスリップしたような光景が広がります。島田宿大井川川越遺跡で、国指定の史跡になっています。札場(写真右上)や川会所(写真左下)が当時のままの状態で保存されており、一部の建物は中を見学することができます。
ただ、民家もあるため、間違えないように注意が必要です。

時代劇のセットのような道をゆっくりと楽しもう・・・、そう思った矢先、鉄の殺人鬼、車が通過していきました。東海道を歩いていて毎度思うこと。雰囲気のいい、このような場所だけでもいいから、休みの日だけでもいいから、車を通さないでほしい。

川越遺跡を一通り見ると、正面に大井川の河川敷が見えてきました。
 

[16時05分] せぎ跡
川越遺跡の外れ、目前に大井川の迫る街道沿いに、大井川から島田宿を守った「せぎ跡」が両側に残っていました。今でこそ上流にダムがあり、水量が調整されている大井川ですが、江戸時代は度々氾濫していたようです。せぎは、水をせき止めて町を守る大切なものでした。今では、石垣が当時のまま残っています。

[16時10分] 大井川到着
遺跡を過ぎると目の前に大井川が広がっています。東海道最大の難所、それがこの大井川。今でこそ水量も少なく、橋も架かっていますが、当時はこの川を渡ることは大変だったのでしょう。ちなみに、島田側の河川敷には、東海道53次をモチーフにした公園があります。日本橋から三条大橋まで、広重の絵と宿場にちなんだ歌が刻まれた石碑が並んでいます。

大井川を越え、金谷へ
川沿いを「大井川橋」まで移動し、いよいよ大井川を渡ります。橋はうんざりするほどの長さ。さすがは大河。今までの川とはスケールが違います。写真右は、橋の中程で下流方面を撮影したものですが、昔はもっと水量があったのでしょう。もし、川幅いっぱいに水があったら・・・。確かに川留になってしまうでしょう。渡り初めてから約15分。ようやく対岸に着きました。

大井川〜金谷宿
渡り終えてすぐに左へ、少し下流へ向かって進むと、右へ入る道があります(写真左)。これが東海道です。道を入ってすぐ、左側に川越の絵のある公園がありました。ここで小休憩をし、日暮れ迫る金谷の町を、宿場目指して進みます。ここからは道なりに進むと、金谷宿に着きます。

[17時39分] 金谷宿
SLの走る大井川鉄道の踏切を越え、しばらく歩くと、賑やかな商店街になります。金谷宿到着。やがて、「佐塚(写真左)」、「柏屋(写真右)」両本陣跡がありました。金谷宿は、大井川と牧ノ原の大地に挟まれた宿場で、島田宿と同様、川会所、札場、番宿などの川越施設が置かれました。今も、大井川観光の拠点として賑わっています。

[17時46分] 一里塚跡、そして本日の行程終了
金谷宿の中心部を越えると、東海道は金谷駅へ向かいます。左側に東海道線、大井川鉄道が現れると金谷駅はもうすぐ。ただ、東海道は駅の手前を左折し、鉄道のガードをくぐって反対がへ出ます。ガードをくぐる手前の角に、一里塚跡の案内板がありました。

17時54分。本日の行程は終了。次回はいよいよ金谷の石畳、そして小夜の中山を越えます。一旦東海道に別れを告げ、金谷駅からJR東海道線に乗り、帰路につきました。



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