東海道TOP>岡部宿〜藤枝宿

 東海道旅目次(歩行区間単位) :

17日目
岡部宿〜藤枝宿
2002年3月10日(日)
晴れ
旅籠柏屋跡の建物を過ぎると、同じく道の左側に本陣跡、問屋場跡がありました。そして東海道は、幹線道路から左に分岐し、岡部宿のしずかなたたずまいに入っていきます。

[15時07分] 本陣跡、[15時10分] 問屋場跡
旅籠柏屋跡から先、交差点の一角に「本陣跡」の碑が建っていました。また、その先には民家の前に「問屋場跡」の案内がありました。いずれも柏屋と同じく、道の左側にあることから、この辺りは右側へ拡張されたようです。
やがて、東海道は幹線道路から左へ分岐します。

旧道と高札場跡
左へ分岐すると、旧家が残り、宿場の雰囲気のある道筋になります。幹線道路と並行しているものの、静かなたたずまいは、別世界といった感じです。やがて「高札場跡」の案内板がありました(写真右)。

問屋場跡、枡形跡
旧道は、一旦幹線道路と合流しそうになりますが、合流せずに進みます。問屋場跡の案内板(写真左)を過ぎると、やがて枡形跡に着きます。岡部宿はここまでですが、こちらは枡形が残っています。左下の写真が枡形跡の全景です。写真中央やや右側の道(車が出てきた道)が東海道で、奥が江戸側です。ここで東海道は一旦右折します。すぐに幹線道路との交差点になるので、そこを左折します。これが枡形で、敵の進入を防ぐことを目的として作られたそうです。

幹線道路に合流すると、しばらくは歩道を歩くことになります。やがて、岡部宿の松並木があらわれ、松並木の横を歩くことになります。

<写真>
左上:問屋場跡の案内
右上:枡形跡の案内
左下:枡形全景
右下:松並木

[15時41分] 岡部宿の碑
幹線道路はやがて陸橋のある交差点にさしかかります。植えこみには「岡部宿」とかかれた石碑と常夜灯が建っていました。

交差点から先は国道1号線となりますが、国道に並行して右側に細い道がります。これが東海道です。

[15時43分] 岩村藩領傍示杭、そして高札場跡
交差点で国道の右側の細い道を進むと、やがて「従是西岩村藩領傍示」と書かれた木抗が建っています(写真左)。これを見て、確かにここが東海道であることを確信しました。しばらく進むと、高札場跡の白い木抗が建っていました(写真右)。
東海道は、やがて朝比奈川に架かる横打橋を渡り、まもなく六叉路に出ます。

六叉路を直進
六叉路では、対角線上の道が東海道なので、その道を歩きます(写真左が六叉路で、横切るのは国道1号線で、オレンジ色の矢印が東海道筋)。しばらくすると、「田中藩領の標識」が建っていました。

田中領の標柱と一里塚跡
東海道は一旦国道1号に合流し、すぐに左へ分岐します。合流したところに「田中領」の標柱がありました。
再び分岐すると、葉梨川に沿って進むことになります。途中、民家の横にひっそりと建つ、一里塚跡の碑がありました。

石碑と須賀神社のクスの木
街道筋にはおもしろいものがよくあります。写真左は、「東海道」と彫られた石碑ですが、下の方が埋もれていて見えません。また、真ん中の写真は「秋葉神社跡・・・」と書かれているのですが、跡以降の文字が埋まっていて見えません。いったい、なんで埋まっているのでしょうかね。これらの石碑を見つつ先に進むと、須賀神社の大きな楠が見えてきます(写真右)。

いよいよ藤枝宿
国道を横断すると、藤枝宿に入ります。道幅が広がり、やがて「東木戸跡」の木柱が建っています。この宿場、吉原宿と同じく、地面のタイルで問屋場跡などを示していました。17時09分。白子バス停で本日の行程は終了。地面の散策は次回にして、この日は帰路につきました。



東海道のトップに戻る