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興津宿に入ると、本陣跡などの碑を見つつ、先にある清見寺を目指します。 |
[13時58分] 東本陣跡、[14時01分] 脇本陣水口屋跡、[14時14分] 西本陣跡 | ||
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興津宿に入りしばらくすると、街道の右側に東本陣跡の碑が建っていました。さらに左側の広い敷地には脇本陣跡の碑が、その先の右側には西本陣跡の碑が建っていました。脇本陣跡には「脇本陣水口屋跡」と書かれいて、資料館を見ることができます。せっかくなので、休憩がてら寄ってみました。宿場に関する資料が展示されていて、そこそこに楽しめました。 興津宿は、薩た峠を控えた宿場であったため、本陣が2軒ありました。今はその場所に碑が建つのみで、宿場町としての面影はありません。 西本陣跡を過ぎると道はゆるやかに右へカーブし、やがて清見関跡という木抗の建つ場所にきます。 <写真> 左上:東本陣跡の碑 左下:西本陣跡の碑 右上:脇本陣跡の碑 右下:清見関跡の木抗 |
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旧道分岐、延命地蔵堂 | ||
清見寺の先、バイパスの下で東海道は左にそれて(写真左)民家の中を進みます。東海道線の踏切を越えると再び国道に合流します。合流地点には延命地蔵堂が建っていました(写真右)。ここから先、再び、そしてつまらない国道歩きが続きます。 |
馬頭観世音菩薩 | |
つまらない国道をひたすら歩いていると、馬頭観世音菩薩の小さな社がありました。地元の人が守っているのでしょう、状態は良好で、なにかありがたみを感じました。 それにしても、国道歩きというのは史跡もそれほどない上に交通量が多く、できれば避けたいものです。ただ、中途半端に交通量の多い区間よりは歩道が整備さえている分、歩きやすいのですが・・・。 |
[15時32分] 細井の松原 | ||
しばらく国道を歩いていると、前方に一本の松と分岐が見えてきました。「細井の松跡」で、ここから東海道は右へ分岐します。 かつて、この辺りには松並木がありましたが、今ではその面影はなく、一本の松が植わっているだけです。「細井の松」の碑が、かつてここに東海道の松並木があったことを伝えています。 東海道はここから旧道となり、江尻宿に入っていきます。 |
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旧道を進むと、やがて「秋葉道入口」の案内板が、さらに一里塚跡の案内板、高札場跡の案内板、さらには東木戸跡の案内板が立て続けにありました。15時44分、本日の目的地である江尻宿に入ったようです。 <写真> 左上:秋葉道入口 左下:高札場跡 右上:一里塚跡 右下:東木戸跡 宿場に入ったものの、しばらくは静かな場所を進むことになります。曇り空なためか、すでに薄暗くなった旧道には、人の姿もほとんどなく、時折車が通るくらいです。そんな旧道を進むと、次第に商店街となり賑やかになってきました。 |
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行程終了 | ||
旧道は商店街となり、清水市の中心部に着たようです。ただ、宿場に関する案内は、東木戸跡以降なにもなく、どこに本陣があってどこに脇本陣があったのかはわかりません。ちょっと期待しただけに残念です。商店街の中を進む東海道は、やがて左に曲がり、宿場を抜けますが、今日はこの辺で終了。静鉄にのって静岡へ向かい、帰路につきました。 |
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