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15日目
興津宿〜江尻宿
2002年2月10日(日)
興津宿に入ると、本陣跡などの碑を見つつ、先にある清見寺を目指します。

[13時58分] 東本陣跡、[14時01分] 脇本陣水口屋跡、[14時14分] 西本陣跡
興津宿に入りしばらくすると、街道の右側に東本陣跡の碑が建っていました。さらに左側の広い敷地には脇本陣跡の碑が、その先の右側には西本陣跡の碑が建っていました。脇本陣跡には「脇本陣水口屋跡」と書かれいて、資料館を見ることができます。せっかくなので、休憩がてら寄ってみました。宿場に関する資料が展示されていて、そこそこに楽しめました。

興津宿は、薩た峠を控えた宿場であったため、本陣が2軒ありました。今はその場所に碑が建つのみで、宿場町としての面影はありません。

西本陣跡を過ぎると道はゆるやかに右へカーブし、やがて清見関跡という木抗の建つ場所にきます。

<写真>
左上:東本陣跡の碑
左下:西本陣跡の碑
右上:脇本陣跡の碑
右下:清見関跡の木抗

[14時23分] 清見寺
街道に面した駐車場の奥に、清見寺の門が見えてきました。この寺、なんと境内に東海道線が通っています。このため、門をくぐると東海道線を陸橋で越え、本堂に向かうことになります。
清見寺は、言い伝えによれば天武天皇により清見が関と共に創建されたとされています。実際のところは、1261年に、関聖明元が開山したもので、後に荒廃したこの寺を、足利尊氏・今川義元らが清見寺を手厚く保護したといいます。
本堂は大きく、歴史を感じさせるものですが、鉄道が境内を堂々と走る寺は、それほどないでしょう。写真左下は、鉄道を越える陸橋のたもとにあった石段で、鉄道ができる前は、写真右下の門まで続いていたと思われます。

<写真>
左上:清見寺本堂
左下:鉄道に分断された石段
右上:境内を走る東海道線
右下:街道沿いにある門

旧道分岐、延命地蔵堂
清見寺の先、バイパスの下で東海道は左にそれて(写真左)民家の中を進みます。東海道線の踏切を越えると再び国道に合流します。合流地点には延命地蔵堂が建っていました(写真右)。ここから先、再び、そしてつまらない国道歩きが続きます。

馬頭観世音菩薩
つまらない国道をひたすら歩いていると、馬頭観世音菩薩の小さな社がありました。地元の人が守っているのでしょう、状態は良好で、なにかありがたみを感じました。

それにしても、国道歩きというのは史跡もそれほどない上に交通量が多く、できれば避けたいものです。ただ、中途半端に交通量の多い区間よりは歩道が整備さえている分、歩きやすいのですが・・・。

[15時32分] 細井の松原
しばらく国道を歩いていると、前方に一本の松と分岐が見えてきました。「細井の松跡」で、ここから東海道は右へ分岐します。

かつて、この辺りには松並木がありましたが、今ではその面影はなく、一本の松が植わっているだけです。「細井の松」の碑が、かつてここに東海道の松並木があったことを伝えています。

東海道はここから旧道となり、江尻宿に入っていきます。

江尻宿
旧道を進むと、やがて「秋葉道入口」の案内板が、さらに一里塚跡の案内板、高札場跡の案内板、さらには東木戸跡の案内板が立て続けにありました。15時44分、本日の目的地である江尻宿に入ったようです。

<写真>
左上:秋葉道入口
左下:高札場跡
右上:一里塚跡
右下:東木戸跡

宿場に入ったものの、しばらくは静かな場所を進むことになります。曇り空なためか、すでに薄暗くなった旧道には、人の姿もほとんどなく、時折車が通るくらいです。そんな旧道を進むと、次第に商店街となり賑やかになってきました。

行程終了
旧道は商店街となり、清水市の中心部に着たようです。ただ、宿場に関する案内は、東木戸跡以降なにもなく、どこに本陣があってどこに脇本陣があったのかはわかりません。ちょっと期待しただけに残念です。商店街の中を進む東海道は、やがて左に曲がり、宿場を抜けますが、今日はこの辺で終了。静鉄にのって静岡へ向かい、帰路につきました。



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