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15日目
由比宿〜興津宿
2002年2月10日(日)
いよいよ薩た峠越え。ここから見る富士山は格別なもの。三島から常に旅の友として見え隠れしていた富士山が、ここでは背後に見え、京への旅を見送ってくれる、最高のロケーション。東海道で最も富士山が美しく見える場所じゃないでしょうか。そんな富士山の雄大な眺めを想像しつつ、朝起きると曇。残念ながら富士山を見ることはできそうにありませんが、京へ目指し、薩た峠を越えます。

薩た峠へのアプローチ、寺尾集落
11時21分、由比駅前をスタート。駅前の通りを薩た峠方面にむかって歩くと、県道に合流します。合流地点には歩道橋があり、対岸に右へ入る道があります。これが東海道です。県道を越え、その道を入ると寺尾の集落で、ところどころに旧家が残り、街道気分を味わえます。薩た峠は駅からかなり離れており、しばらくはこのような旧道を進みます。途中には、時計の着いた立派な掲示板がありました。

小池邸、あかりの博物館
やがて、右側に「小池邸」の建物が、左側には「あかりの博物館」が現れます。どちらも旧家を利用したもので、「小池邸」はお休み処となっており、休憩ができます。
東海道は、寺尾集落から倉沢集落へと入っていきます。交通量もそれほど多くなく、道幅も当時とほぼ変わらない旧道は、比較的静かで街道情緒を満喫できます。

倉沢集落と間の宿 本陣跡
旧家の残る雰囲気のある倉沢集落を進むにつれ、前方に山が迫ってきます。しばらくすると、ひときわ旧家の密集した場所に着きます。ここは西倉沢の間の宿で、写真右の民家には「本陣跡」の案内がありました。薩た峠を控えた西倉沢では、旅人が休める休み茶屋が十軒ほどあったようです。

蔵、そして柏屋
小さな橋を渡ると、白く大きな蔵が目に飛び込んできました。その隣には、「間の宿 柏屋」の案内板がかかっている民家がありました。「柏屋」も間の宿の休み茶屋の一つで、明治天皇も休まれたそうです。今は普通の民家になっていますが、建物は味のある旧家です。

藤屋、そして一里塚碑
道はやがて国道方面へ向かう道と峠へ向かう坂道とに分かれます。いよいよ薩た峠の入口です。ここには、左側に藤屋、別名「望嶽亭」とよばれる建物が、右側には一里塚跡の石碑が建っています。藤屋は自由に中を見学できるようでしたが、普通の民家でもあったので、ここは先を急ぐことにしました。

いよいよ峠道
坂道は最初急な部分もありますが、しばらくすると緩やかになります。この道はみかん農家の農道になっているようで、両側にはびっしりとみかん畑がありました。少し開けたところからは、伊豆半島が見え、晴れていれば海の青さにみかんのオレンジ色が映え、きっと最高の眺めになることでしょう。

[12時31分] 薩た峠の碑
途中で購入したみかんをほおばりながら坂道を上ると、やがて「薩た峠」の碑が建っていました。遂に着いた!ここが薩た峠か。それにしては、味気ない。土の道ならまだしも、車の通る道に碑が建っているだけ。うーむ。写真をとって先へ進むと駐車場があり、「薩た峠山之神遺跡」の碑が建っていました。駐車場から先は遊歩道になっているようで、多くのハイカーがいました。

[12時40分] 展望台と東海道
土の道となった東海道を進むと展望台があり、そこからの眺めは、パンフレットや旅行雑誌等で目にするものと同じでした。ただ、残念ながら富士山を見ることができませんでした。人が沢山いたので先を急ぐことにし、のどかな遊歩道をアップダウンを繰り返しながら歩きます。

2004.1.11、さった峠に行ってきました。見事な富士山を見ることができて、ようやくさった峠を終えたといった感じです。富士山の画像はこちら

「薩た峠」の碑が・・・。
しばらくすると、写真左のような薩た峠の案内板が。さらに先へ進むと、ハイカーが休息していて、そこにも薩た峠の碑が(写真右)。いったいどこが本当の薩た峠なのだろうか・・・。写真右の碑の先は階段となって一気に下っていることから、ここが本当の(?)峠だろうと、勝ってに決めて先へ進むことにしました。

不思議な道
前方に大海原を見ながら階段を下ると、やがて不思議な光景を目の当たりにしました。なんと、道がすり鉢状になっているではありませんか。でも、ここが東海道なんです。左の写真は江戸側から見たところ。右の写真は京側へ下り振り返ったところ。なんとも不思議な道です。この道を抜けると、そこは墓地。この辺りの東海道はなんとも不思議な道筋です。

中の道・下の道の分岐点
奇妙な道を抜けると、新興住宅地にでもしようとしているのでしょうか。遠く前方に工事現場を望める広ーい道にでました。そこにはかつての街道の面影はありません。由比側と興津側。峠を越えただけでこうも異なる光景になるとは。真っ直ぐな道を進むと、T字路となります。左は下の道、右は中の道となっています。薩た峠を越えるルートは、上の道・中の道・下の道の3ルートあり、ここが中の道と下の道の分岐点のようです(案内標識によると)。ここはとりあえず中の道を進むことにして、T字路を右折。しばらく広い通りが続き、再び中の道の案内標識があるので、それに従い進むと、道幅が細くなり、旧道の雰囲気が出てきました。やがてやや広い道と合流しますので、そこを左に行き、興津川沿いに進むと、川越遺跡の案内があります。

[13時21分] 興津川 川越し遺跡、旧道分岐
東海道は、ここ興津川も渡しで越えていたようです。さほど川幅は広くありませんが、防衛のためだったのでしょう。今は近くに橋があるので、橋で興津川を越えます。東海道線をくぐり、下の道と合流したところを右に、興津川を橋で越えたらすぐに右。ところがこれがわかりにくい。右写真ではすでに間違えているのですが、最後は旧道に出たので、旧道を左に進みます。やがて国道と合流して興津宿に入ります。

身延道道標と一里塚跡
13時43分、右側に古い石碑が何本か並び、立派な髭の御題目碑の建つ一画がありました。ここは身延道との追分けで、石碑の横の道が身延道です。

石碑群のすぐ先には、一里塚跡の碑が建っていました。一里塚を越えると、興津宿の中心に入っていきます。

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