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9日目
国府津(駅)〜小田原宿
2001年11月11日(日)
晴れ

11時30分。前回終了地点とした国府津駅前に降り立ちました。天気は快晴。晩秋の柔らかな日差しが注ぐ中、小田原宿、そして箱根湯本を目指します。小田原は江戸を出て最初の城下町。難攻不落と言われた小田原城のお膝元にある宿場です。今も、宿場町というよりは城下町としての方が色濃く、小田原の市街地には、小田原城、そして北条氏にまつわる史跡が多く残されています。
11時38分、国府津駅前をスタート。9日目の行程の開始です。


[11時58分] 小八幡一里塚と富士山
国府津駅前から国道1号、つまり東海道に合流し、小田原を目指して歩き始めました。しばらくすると、左側の歩道脇に「小八幡一里塚」の案内板がありました。江戸から19番目の一里塚で、案内板のみが建っていました。ふと、反対側(右側の歩道)を見ると、富士山が青い空をバックに浮かび上がっていました。東海道を歩き始めて最初に見た富士山です。この辺りまでくると、富士の立派な姿を見ながら歩くことができるようになります。

[12時12分] 東海道松並木
しばらくすると、前方に松並木が見えてきました。松の大木がところ狭しを植わっていて、その中を歩くことができます。これほどの大木は大磯以来で、大磯の松並木と共に、国道1号線に残っています。

道祖神
松並木を越えると、道の脇のところどころに、小さな道祖神がひっそりと旅人を見守っていました。国道1号線に吸収されている区間では、こうした道祖神などはほとんど壊されてしまっているのですが、この辺りの国道1号線は道幅も狭く、ちょっとした史跡が意外に残されています。

[12時37分] 旧川辺本陣と酒匂不動尊
東海道は、小田原市街までは国道1号線になっていますが、沿道には史跡が多く残されています。しばらくすると、右手に立派な門構えの家がありました。旧川辺本陣で今は「社会福祉法人ゆりかご園」の看板が掲げられています。左手には酒匂不動尊がありました。

[12時52分] 酒匂橋
寺や神社を左右に見ながら進むと、やがて連歌橋の交差点を横切ります。小さい川を渡るといよいよ酒匂橋。久しぶりの大河を渡ります。酒匂側といえば、そこから見る箱根の連山と富士山のコントラストが最高な場所で、この日も見事にその姿を見せてくれました。酒匂川を渡りきるといよいよ小田原市街地に入ります。
また、酒匂川は渡しであったため、現在の国道1号線よりももっと上流側に東海道はあったものと思われます。

酒匂川を渡りきると、右手にこんもりとした森が見えます。八幡神社の森で、東海道の渡船場があった付近ではないかと思われます。神社は国道1号線から少し奥まったところにありますが、その前には旧道ではないかと思われる道筋がありました。確証はなかったのですが、とりあえずその道を進むと、やがて国道1号線を横切り、すぐに合流していました。恐らくこれが東海道と思われます。

[13時36分] 新田義貞公首塚
国道を横切る旧道に「新田義貞公首塚」の案内板がったので、それをたどると、やがて一本松があり、新田義貞公の首塚に着きました。住宅地の中にひっそりとあり、塚は荒廃していますが、碑が建っていました。

[13時46分] 上杉竜若丸墓
再び東海道に戻り、少々進むと「上杉竜若丸」の墓がありました。「上杉竜若丸」は関東管領上杉憲政の嫡男で、北条氏康の攻撃から所領を守るために、従臣と共に小田原に出向きました。このとき竜若丸は11または13歳程の年齢であったものの、氏康に斬殺されてしまいました。この墓は、竜若丸に同情した人が供養のために建てたとされています。戦国時代の悲しき出来事で、これも宿命だったのでしょう。

[13時57分] 山王神社と曲輪跡
山王橋を渡ると、山王神社がありますが、ここには小田原城の遺構、曲輪跡がありました。
小田原城は戦国時代、北条氏の城で、その規模は東は酒匂川、西は早川に至るものでした。前方は海、後方は箱根山という立地条件により、難攻不落とされていました。この山王神社脇の曲輪跡も、小田原城の遺構の一つです。

[14時03分] 江戸口見附と一里塚
市街地に入ると国道1号線、つまり東海道は道幅が広くなります。やがて道の右側には「江戸口見附跡」、左側には「一里塚」の碑が建っていました。いよいよ箱根への入口、小田原宿に入ります。東海道はこの先、新宿の交差点で国道1号線と別れ、左に入ります。すぐに右に入るとかまぼこ工場の並ぶ旧道になります。

ちょっと寄り道、北条稲荷・早川上水跡
小田原というと北条氏。北条氏は小田原城を居城とした戦国武将です。難攻不落といわれ、武田信玄や上杉謙信といった戦国を代表する武将ですら小田原城を落とすことができなかった話は有名です。そんな北条氏をまつった北条稲荷が、東海道から少しそれた住宅地にありました。敷地は広くないものの、戦国時代の英雄を偲ぶことができます。

市街地に入ると、東海道から外れた裏道に、ちょっとした史跡がありました。「早川上水跡」。現在は単なる路地になっていますが、かつては早川から取水し、小田原の町に水を流していたのでしょう。小田原は、当時かなり規模の大きい城下町だったようです。また、早川には現在も、当時の取水関跡があるそうです。今回は、東海道が目的なので寄っていませんが、一度探してみるのもいいでしょう。

小田原の市街地を散策するだけでも、結構楽しいかもしれません。戦国時代の名残から江戸時代の名残まで、沢山の史跡があり、機会があったらゆっくり見てみたいものです。

[14時28分] 明治天皇宮ノ前行在所・清水本陣跡
小田原宿の東海道は、かまぼこ工場のある旧道になっていますが、宿場に関する史跡はほとんど残っていません。商店街に入ると、まず、「明治天皇宮ノ前行在所」の碑が建っていました。ここはかつて「清水本陣のあった場所とされていますが、本陣に関する案内はどこにもありませんでした。

[15時24分] 明治天皇本町行在所・片岡本陣跡
昼食がまだだったので、近くの食堂に入り休息を取りました。再び東海道に戻り、先へ歩を進めると、「明治天皇本町行在所」の碑がありました。ここはかつて「片岡本陣」のあった場所とされていますが、「清水本陣跡」と同様、本陣に関する案内はありませんでした。

東海道はやがて旧道を出て国道1号線に合流します。(続きは次ページへ)



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