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8日目
大磯宿〜国府津(駅)
2001年10月27日(土)
晴れ

前回、日没により大磯駅へ向かう道と国道1号線の交差点で終了したため、今回はここがスタート地点。天気は快晴。秋晴れの元、大磯宿から国府津(駅)を目指します。
大磯は、日本の海水浴場発祥の地としても栄えた町で、海水浴場に関する碑が建っています。また、松並木や旧道、史跡も沢山あり、見所満載といった感じがします。

11時30分、大磯駅から国道1号へ、本日の徒歩を開始。


[11時37分] 小島本陣跡、[11時42分] 尾上本陣跡
スタートしてすぐに、「小島本陣跡(写真左)」が、少し歩くと「尾上本陣跡(写真右)」の碑がありました。大磯宿には本陣が3軒存在していたそうですが、現在確認されているのは「小島本陣跡」「尾上本陣跡」の2軒のみです。

[11時46分] 照ヶ崎海水浴場碑、[11時47分] 新嶋襄終焉の地
尾上本陣跡から歩くこと数分。「照ヶ崎海水浴場」の碑(写真右)が建っていました。なにかの史跡?と思って地図を見ると・・・。碑の建っている道を進むと「照ヶ崎海岸」に出ることから、「照ヶ崎海岸」への案内碑のようです。この碑の先には「新嶋襄終焉の地(写真右)」なる碑もありました。

[11時53分] 日本最初の海水浴場発祥の地
大磯といえば海水浴場。ここは日本で最初に海水浴場が出来た地でもあるそうです。江戸時代の東海道は品川宿で海が左にありましたが、現在は大磯辺りまできて、ようやく左に海が近づいてきます。ということで、一旦東海道からそれ、海岸まで行ってみることにしました。海へは先ほど「照ヶ崎海水浴場」の碑が立っていた道を進めば行けるはず、ということで進んでみると、西湘バイパスをくぐった先に大海原が・・・。海は広い。海面を秋のやわらかな日差しが照らし、きらきらと輝いています。もしや、「照ヶ先海岸」という名はここから来ているのでは・・・。と勝手な想像をしながら付近を散策すると、「日本最初の海水浴場発祥地」といった木抗が建っていました。この辺りが日本発の海水浴場だったようです。

[12時04分] 湘南発祥の地、鴫立庵
東海道に戻り、先へ進むと「湘南発祥の地」なる碑が、その先には「鴫立庵」がありました。
「鴫立庵」は、京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並ぶ日本三大俳諧道場と称されていて、今も句会が開かれています。国道沿いにありながら、ここに入るとどこか違う場所に来たような静けさがありました。入館料100円で中に入れます。

[12時33分] 東海道松並木
静かな「鴫立庵」でひとときを過ごした後、再びにぎやかな国道1号線、つまり東海道を西へ向けて歩き始めました。しばらくすると前方に松並木が見えてきました。国道1号線に残る、大磯の松並木です。樹齢数百年はあろうかと思われる大きな松が、下り車線を覆っていて圧巻です。旧道ならばまだしも、東海道が国道1号線になっている箇所で、これほどの松並木が残っているとは・・・。しばらく見とれてしまいました。

国道なので歩道も整備され、松並木を楽しみながら歩くことができました。青い空に映える松並木、これぞ東海道といった感じでした。

[12時44分] 滄浪閣(旧伊藤博文邸)

松並木が終わると、伊藤博文の旧家跡(写真左)がありました。跡地は大磯プリンスホテルの別館、滄浪閣として、現在は中華料理屋になっています。
この先、旧道が右側に分岐するため、「滄浪閣(旧伊藤博文邸)」の先で信号を渡ることにしました。渡っていると、中央分離帯に、なぜか小さな道祖神が並んでいました。



[13時10分] 大磯城山公園(旧道分岐)
東海道は、大磯城山公園付近から右へ分岐し、一旦国道1号線から離れます。分岐の手前には小さな道祖神がありました。

東海道はここから旧道になり、右手には大磯の郷土資料館がありました。今回は歩を進めることが目的でもあったので、そのまま先へ進むことにしました。

やがて道は直進と右方向に分岐します。中央線のひかれた道は右方向へ向かっていますが、直進する道が東海道です。旧道に入るとすぐに、白い立派な石橋がありました。
 

国道1号線への合流
旧道を進むとやがて国道1号線と合流します。合流とはいっても、しばらくは平行する形になっていて、国道と旧道を分ける分離帯には、松が残っていました。また、分離帯のところどころに道祖神がありました。

松並木と道祖神を見ながら旧道を進むと、やがて平行する国道1号線と合流します。

二宮の先の旧道分岐
国道1号線に合流すると、しばらくは国道を歩くことになります。正面に太陽の光を受けながら国道を進むとやがて二宮に到着します。昼食がまだだったため、二宮駅前の小さな食堂で食事をしました。

空腹を満たすと再び徒歩開始。国道1号線を西へ進むと、やがて斜め右へ分岐する道が現れます。歩を進めると、すぐに「旧東海道の名残」を書かれていたので、東海道であることが確認できました。

この旧道、それほど長くはないのですが、なかなかおもしろい道です。途中、「梅澤橋」と書かれた欄干があるものの、川はどこにもなく、欄干だけがポツンと残されていました。また、国道1号線との合流付近では、火の見櫓の下に沢山の道祖神が並んでいました。
 

押切坂の旧道
国道1号線へ合流すると、今度は左側に分岐するので、左側の歩道に移動しました。しばらく進むと、「押切坂上」のバス停があり、その先で東海道は左に分岐しています(旧道の入口には「旧東海道の名残」の標識があります)。

分岐してすぐに一里塚跡の碑がありました。日本橋から数えて18番目の一里塚です。

旧道は閑静な住宅地の中を通っていますが、途中、民家の庭に「松屋本陣の跡」の標識が建っていました。本陣跡?この辺り、宿場ではないのになぜ本陣が?理由がわからないまま先へ進むと、やがて押切坂の急坂を下り、国道1号線に合流します。

[15時28分] 車坂
国道1号線に合流すると、やがて小田原市に入りました。遂に小田原市だ!と喜んだのもつかの間、再び二宮町に。そして再び小田原市に。この辺り、やや複雑になっているようです。再度小田原市に入ると、あとは小田原の市街地まで国道1号線をひたすら歩くことになります。

西湘バイパスの橘インターを越えたあたりで、目の前が開け、海が見え始めました。以外に高台を歩いていたようで、除々に下り坂となります。ここが「車坂」で、歩道脇に「車坂」の案内板と碑が建っていました。

[15時30分] 大山道道標、道祖神
車坂を下りきり、少々先へ行くと、大山道の道標がありました。今までの道標とは異なる派手な道標が東海道沿いに建っていました(写真右)。

道標を過ぎると、民家の軒先や路地の入口など、ところどころに道祖神が立っていました。

[15時54分] 国府津駅前
左側に海を見ながら進み、やがて道は上り坂となります。登り切ると国府津駅前の交差点に到着します。切りがいいこともあり、本日の行程はここで終了することにしました。

ちなみに、国府津駅は東海道線が開通した当時、小田原の中心の駅として利用されていました。東海道線も、開通当時は国府津〜沼津間を熱海を経由しないルート(現在の御殿場線)で敷設されていたため、この駅が中心となっていたようです。その後、熱海ルートが開通すると、小田原駅が開業し、街の中心も小田原駅へ移動したため、街は寂れてしまいました。
今でも、繁華街の名残はあるものの、どこか寂しい商店街となっていて、駅前もひっそりとしています。



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