バストーニュ訪問 - バルジの戦いの古戦場へ


ドイツ・ルクセンブルク国境近くのトリアーからルクセンブルクへの家族旅行のついでにベルギー南部の街、バストーニュへ立ち寄ってみる。ついでに、と書いたが実は自分にとっては順番が逆でバストーニュへ行きたいがためにトリアーとルクセンブルクの観光をひっつけたようなものだ・

バストーニュは第二次世界大戦の末期、フランスを開放しドイツへと向けてぞくぞくと進撃してくる連合軍に対してドイツ軍が放った乾坤一擲の反撃作戦・「ラインの守り」作戦 (一般的には連合軍側の呼称である「バルジの戦い」として知られる)において象徴的な役割を果たした街だ。

1944年12月、伸びきった補給線の関係から中だるみの戦局となった連合軍に対してドイツ軍は反撃を計画、ドイツ・ルクセンブルグ・ベルギーの国境地帯・アルデンヌの山岳地帯から一気に反撃に出てベルギーを突っ切り北海のアントワープまでを取り戻そうという計画に出る。ドイツ軍の奇襲は好調であったが最初の数日で計画は崩れ当初の進軍計画は大きく遅れていく。特に進路上の要であるベルギーの街・バストーニュを奪回することがドイツ軍にとっての進撃の鍵であったが、周囲をドイツ軍に囲まれても尚バストーニュの米軍守備隊(米101空挺師団)は持ちこたえる。守備隊への悪天を縫っての物資の空輸、南方からは救援部隊(米第3軍)の派遣。最終的には米第3軍が周囲のドイツ軍に風穴をあけバストーニュを開放する。そしてドイツ軍はアントワープへ向けての北進も進むこともなくその数週間後、作戦の中止を決定する・・・。

そんな作戦を題材にした映画・「バルジ大作戦」を見たのは自分が小学生の頃、以来このバストーニュの街は自分のヨーロッパに対しての憧れのひとつになっていた。戦地に対して”憧れる”と言うのが適当な表現でないとすれば、見てみたい街、という事になる。すでに訪れていたレマーゲン(ルーデンドルフ橋争奪戦)、アーンハイム(マーケットガーデン作戦)、とならびヨーロッパにおける第二次世界大戦の古戦場として自分の中では小学生以来宿題になっていた街だ。

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(バストーニュ中心部にあったM4中戦車。
手前はマッコーリフ准将の銅像)
(戦史記念館にはM36(M10?)駆逐戦車が
保存されていた)

ルクセンブルグの観光を終えて、一路北へ向けて車を走らせる。いつしか車はベルギーに入りなだらかな丘陵地帯を走るようになる。右手の東側がドイツ方面になるがそちらには森林が深い。アルデンヌの山岳地帯、というが、山岳と言うよりは丘陵地帯と言うのが相応しい。カーナビの示すとおりに運転していくと道標に「Bastogne」と出てきた。長年その地名だけは頭を離れることのなかった街。どこにでもあるヨーロッパのただの変哲もない街であろうことは確かだが、流石に近づくと気がはやる。

道標に従って右折してやや進み緩く上るといきなる目の前に小さな町の広場が現れた。ドイツ流に言えばマルクト広場とでもいうか、街の中心部の広場である。町と言うよりは村と言うべきかも知れないが、ここがバストーニュの中心部であろう。その最大の証左として、広場の片隅にはなんと第二次大戦での米軍の主力戦車M4中戦車とウィリスジープが堂々と鎮座しているではないか。観光案内所がすぐ横にある。覗いてみるとバストーニュの攻防戦に関する資料や写真などもあり、またちょっとした土産物なども売っている。この地を守った米101空挺師団の責任者、師団長代理のマッコーリフ准将が投降を勧告しにきたドイツ軍の軍使に対して「NUTS!(クソ野郎)」と言った台詞は有名であるが、そのNUTS!と書いたTシャツまでが売られている。自分のようなオタクがかった人以外には興味を持つはずもなさそうな観光案内所だがどうしてなかなか多くの人がいるのには驚いた。

広場の片隅のレストランで昼食をとり、町外れにある戦史記念館にいってみる。ここは当時のドイツ軍と米軍の銃器や装備、車両なども展示されておりミリタリー好きにはなかなか外せない場所のようだ。攻めるドイツ軍側の幹部将校の一員であったマントイフェル大将が着ていた皮のコート(戦後本人から寄贈されたとの由)なども展示されている。

一通り見て周り町の中心部に戻る。改めてこの緑豊かでのどかなベルギーの田舎が60年以上も前に激戦地だったのか、と考える。この展示館には思ったよりも沢山の来訪者が着ており、しかも10代と思える若者も多かった。また、駐車場にはドイツのナンバーをつけた車も幾つも停まっていたが、過去の戦史にまじめに向き合って理解する、という姿勢が、以外にきちんとされているのか、と改めて考えた次第。結果的には侵略者であったドイツ人も多く来ている、というその事実が、自分の国と比較してどうなのだろうか、という疑問を投げさせる。ハワイに観光に行っても真珠湾一つ見に行かなかった自分の事を考え、あらためて意識の差を感じずにはいられなかった。

街の観光案内所でM4戦車が描かれたマグカップと、NUTSと書いたキーホルダーを買って、長年の宿題の町を後にしパリの我が家に向けて車を走らせた。

(2007年8月訪問)


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