オランダ・アーネムに「遠すぎた橋」を見る


自分が小学生の頃最も熱中していたものの一つがミリタリー関連のプラモデルであった。ミリタリーと言っても当時まだ続いていたベトナム戦争関連ではなくWWII関連(太平洋戦争およびヨーロッパ戦線)の関連に熱中していた。当時はWWII関連のテレビドラマや少年漫画雑誌への連載漫画も有りそれなりにWWII関連の情報は少年達にはブームになっていたのではないかと回想する。それを裏打ちするように田宮模型によるWWII関連のプラモデルが当時は矢継ぎ早に発売されていた。

当然の事ながら、戦争本来の持つ悲惨さなどを考えるわけでもなく、まさに自分にとっての興味はずばり戦車・装甲車と言った戦闘車両、それに飛行機に対する興味のみ。それらの姿、メカに異常に熱中しており(軍艦にはさほど興味を抱かなかった)お小遣いの大半はプラモデル代に消えていた。当然の事ながらプラモデルをきちんと作り塗装をするようになると、この車両・ないし航空機はどの部隊に所属した何年の塗装だ、といった時代考証もある程度は行うようになる。車両・航空機への興味から戦記への興味もこうして次第に広がっていった。

(ジョン・フロスト橋を睨む
英軍の対戦車砲。)

ヨーロッパ戦線でも興味の対象は独ソ戦ではなく、もっぱらフランス戦線からドイツ陥落に至る時期(一部北アフリカ戦線にも熱中)、また航空戦ではやはりバトル・オブ・ブリテンに興味があったのは、テレビドラマ(コンバット)や様々な戦争映画(それらはアメリカ映画であるために米英連合軍と独軍の戦闘を描いたものばかりだった)の影響だろう。そう、戦争映画はまさに自分達にとって情報と想像力を書き立てる玉手箱といったところであった。それらの事もあり、そんな子供の頃から、ドイツとその近辺には憧れの土地が何箇所かあり、例えばその一つが今回のアーネム。(他にはライン川を巡る攻防戦の舞台となった”レマーゲン”やドイツ軍最後の大攻勢となっアルデンヌ攻防戦(バルジの戦い)の象徴的舞台となったベルギー南部の町・”バストーニュ”など。)

アーネム(Arnhem)はドイツ国境に程近いオランダ東部のライン川に沿った街。1944年9月、連合軍はドイツへ進撃するのに大きな障壁となったオランダ国内を流れるライン川とその支流を越えるための大規模な空挺部隊によるパラシュート降下・橋梁奪取作戦を実施。(いわゆる「マーケット・ガーデン作戦)」 いくつかの降下ポイントの内、英軍が降下したアーネムは結果的に孤立してしまい、数日間の激闘の後に英軍攻撃隊は壊滅・降伏したという。その一連は映画「遠すぎた橋」として知られており、この自分もそれを見た事がまだ見ぬこのオランダの街への長い憧れの始まりとなったのだ。

* * * *

アーネムは自分の住む町・ドイツ、デュッセルドルフから車で約2時間。ライン川に沿って下流に向けて北上する事になる。さすがに自分の趣味だけでこれと言った見るべきものもない(であろう)ただの町だけを見に行こうと言うわけにもいかず、家族にはその近くにあるゴッホのコレクションで有名なクレラー・ミュラー美術館(広大な平原と林のあるデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園内にある)に行ってついでに寄り道しようと言い昼前に出発。

美術館は広大な林の中にあり、ゴッホのコレクションが多くある。”夜のカフェテラス”や”糸杉の道”といった自分でもどこかで見た事のある絵を見る事が出来たのは満足。夕方近くなりようやく(自分にとっての)目的地のアーネムへ移動。予めくだんの橋の場所はネットで調べてあったので迷わずに行けた。

橋は街のはずれにあり戦後立て替えられてとの事。当時の英軍指揮官に敬意を表して ジョン・フロスト橋 という名がついている。橋の下には英軍の対戦車砲が橋をにらむような形で設置されその周りは小さな公園となっていた。赤い花が絶えずにおかれているようだったが、これはやはりジョン・フロスト中佐とその部下達に敬意をしめしたものなのだろうか。ドイツ占領下の当時のオランダにとっては英軍はまさに解放軍でも有り市民はきっと英軍を応援したのだろう。祖国のために戦った英国の英雄。年とった地元のご婦人が記念碑をじくっりと眺めている姿が印象的だった。

橋そのものはどこにでもある鉄橋。思い入れのない人には特別なものには見えないだろう。自分にとっては積年の憧れを果たす事が出来、満足のひと時であった。

橋のたもとはレストラン・カフェ街になっており、トルコ料理屋に入り食事をとってからデュッセルドルフに戻った。(2006年10月訪問)


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