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【斜体で書かれている部分】
 はみくりんのコメントです。


9/7(月曜) テオティワカン遺跡

朝起きて、とりあえずテレビを見る。朝から「笑っていいとも」みたいな番組をやっていた。会場に来ている人から一人選んで、自分の家に電話をかけさせ、クイズに答えられたら賞金が出るらしい。こおいう番組は万国共通で、言葉がわからなくてもなんとなくわかってしまう。その後は、ケンタッキーフライドチキン提供の番組をやっていた。番組の制作費が安いのだろう、ケンタッキーの単独提供で番組を作っている。内容は、ケンタッキーのメニューを3種類持ってきて、箱をかぶせ、会場から選んできた子供に箱の中身を当てさせるというものだった。番組をやりながら、メニューのコマーシャルをやっているようなものだ。とてもわかりやすい番組だった。

テレビを見てばかりもいられないので、そろそろ出発の準備をはじめる。ホテルの1階にレストランがあることがわかったので、そこで朝食をとることにする。やはりメキシコ、コンチネンタル・ブレックファーストにもトルティーヤがついてくる。おなじみの辛いサルサ・ソースも置いてある。トルティーヤの追加も食べ尽くし、腹一杯になったところで、ちょうど通勤時間になっていた。店の人に地下鉄の混み具合を聞いてみると、この時間は混んでいるが、北バスターミナルに向かう路線は下りなのですいているそうだ。安心して支払いを済ませ、ホテルを出る。地下鉄に乗り、北バスターミナルに向かう。途中の遠い乗換駅を通り、ターミナルに到着。チケットを購入し、約50分バスに乗る。ここでもみくりんは速攻で寝ていた。

月曜日のテオティワカンは人も少なく、土産物屋も静かだった。とても暑いところだとガイドブックに書いてあったので、ミネラルウォータ-を購入。しかし空を見上げると、どんよりした雲に覆われている。「話が違う」と思ったが、逆に日差しが弱まってちょうどよかった。20ペソの入場料を支払い、中に入る。目の前にあるのが、ケツァルコアトルのピラミッドだ。城壁に囲まれており、半分崩れかけている。セメントで補修してあり、補修してあるところは、色のついた石が規則正しく埋め込まれている。最初は、「アステカ人はセメントを使う技術を持っていたのか。」と驚いたのだが、よく見るとどうも新しすぎる。石の埋め込み具合など、あたりの雰囲気にそぐわない。どうも最近補修したようだ。

ケツァルコアトルのピラミッド05 ケツァルコアトルのピラミッド
入り口から来て正面

写真では見えないが、周りが城壁に囲まれており、ピラミッドの正面で手をたたくと、城壁で反響してこだまが聞こえる。
またこの写真では二つのピラミッドが重なってしまい、一つに見えるが、実際には手前に階段状のピラミッド、その奥には崩れかけた小山のようなピラミッドがある。奥のものが、ケツァルコアトルのピラミッドである。
ケツァルコアトルのピラミッド04 上の写真の場所から右にまわったところから見た、ケツァルコアトルのピラミッド
(写真右側)

ほとんどが崩れかけており、登頂禁止になっていた。
一方向の面だけに、かろうじて階段と像が残っている。
ケツァルコアトルのピラミッド02 上の写真の通路を入ったところの壁にある像

ケツァルコアトル(羽毛の蛇)
(写真左側)

トラロック(雨の女神)
(写真右側)
崩れないように、あごの下から棒で支えている。

その後、城壁を越えて死者の道に出る。はるか彼方に月のピラミッドが見える。死者の道は全長約4kmもの長い道なのだ。太陽のピラミッドに至るまでの道には、人工のプールだったかのような窪みがある。一説によると、死者の道とは道ではなく、月のピラミッドから水の流れてくる水路だったらしい。そしてこの窪みには水がためられ、その水面に立つ波を観測し、世界中の地震の強さと場所を読み取っていたというのだ。この話が本当かどうかはわからないが、この窪みはプールにしか見えない。

などと、私は古代に想いを馳せながら歩いていた。ふと、みくりんのほうを見ると、なぜか知らない人と二人で歩いている。近よって聞いてみると、日本から一人でメキシコに旅行にきた人だった。ソカロに滞在しており、明日はアカプルコにマグロの一本釣りをしに行くという。毎年夏休みに海外へ一人旅をしに行くらしい。アジアはほとんど行き尽くし、ついに南米に足を伸ばしてきたとのことである。旅は道連れ世は情け。一緒に遺跡見学をすることにする。

そして、ようやく太陽のピラミッドの近くまで来たところで、空から雨が降り出してきた。「テオティワカンで雨が降るなんて珍しいな。運が良いんだか、悪いんだかわからないよ。」などと言っているうちに、しゃれにならないほど降り出してきた。遺跡には雨がしのげるような所は全く無かったが、幸い、もうひとつの入り口が近くにあり、そこの土産物屋の軒先で雨宿りすることにした。あっという間に道が濡れて黒くなり、水溜りができていく。

しばらく降り続いた後、ようやく雨が小降りになってきた。まだ少し雨が降っているが、いよいよ高さ65mの太陽のピラミッドに登ることにする。死者の道を横切り、ピラミッドに近づいていく。「大きい!」改めて太陽のピラミッドの大きさに驚かされる。階段には、黒いゴムのホースが手すり代わりにあるだけだ。日本の観光地にあるような、順路を示す矢印などは全く無い、シンプルな遺跡である。階段を一段一段登って行く。ここは標高2200m、空気も薄いうえに、ホテルもチェックアウトしてしまったので、全ての荷物を背負ったままだ。だんだん背中の荷物が重くなってくる。途中休憩をはさみ、ようやく頂上まで登りきった。

太陽のピラミッド正面
左:太陽のピラミッド正面
頂上にいる人がかすかに見える。
まこと&月のピラミッド
右:へろへろのまことと月のピラミッド
その後ろには雨雲が迫っている。
死者の道の全景
太陽のピラミッドから見た死者の道の全景

頂上からの眺めは最高だった。登ってきた方を見ると、死者の道が一望できる。左のほうにはプールのような四角い区画、道の先には月のピラミッドが鎮座している。また逆方向を見ると、建物がいくつかあるだけの広い平原が広がっており、その先は山に囲まれている。壮大な景色だ。そして空を見ると・・・、雨雲が雨を降らしながら近づいてきていた。やばい、今度こそ隠れるところは何も無い。がっ、用意周到なまことはこんなこともあろうかと、わざわざ日本から折りたたみ傘を持ってきていたのだ。(結局この日以外使うことはなかったが。)早速傘を広げて一本釣り師君と一緒に雨をしのぐ。野性的なみくりんは、雨にも負けずにどこかへ行ってしまった。

ピラミッド頂上に降り立つ鳩 今度の雨はそれほど強くはなく、しばらくすると雲が晴れ、強烈な太陽が顔を覗かせた。風も強く、雨で濡れた傘やタオルも、あっという間に乾いていく。辺りを見ると、ピラミッドの頂上では、欧米人の団体が、雨の中肩を組んで何やら歌っていたり、カップルがキスをしていたりで、みな雨をものともしない。日本人には無いパワーを感じる。そして、どこから来たのか、平和の象徴、鳩が頂上に降り立ってきた。なんと神秘的な光景だろうか。まるで、その横でまだ見つめあっているカップルを祝福しているかのようだ。

しばらくこの景色を堪能してから、今度は月のピラミッドへ向かうことにする。下りの階段は意外と楽に下りることができた。死者の道を右に歩いていくと、観光地名物の物売りが現れた。「コクヨーセキ、コクヨーセキ」、「アステカノカレンダー」などと言いながら、付いてくる。一本釣り師君は「No hablar Espanol」(私はスペイン語が話せません)、「Tengo no dinero!」(私はお金を持っていません)などと言って追い払っていた。大学で、第二外国語にスペイン語を取っていたそうだ。早速まねをしてみると、物売り君は、「ビンボー?」と聞いてきた。こんなところでもやはり日本語を話す物売りはいるものだ。そこで、「Si, soy ビンボー」(はい,私は貧乏です)というと、物売り君は驚いたように「No ビンボー、No ビンボー」(そんな馬鹿な、貧乏なはずが無い)と繰り返している。もう一息だと思い、「ビンボー、ビンボー、Mucho ビンボー」(貧乏も貧乏、すごく貧乏です)と言うと、あきらめたのか、あきれられたのか笑いながら去っていった。その後はもっぱら、「Mucho ビンボー」で通していた。メキシコの物売り君たちは、良心があるのか、やる気が無いのか、あまりしつこく追ってこない。気の小さな日本人でも安心だ。

そうこうしているうちに、月のピラミッドまできた。月のピラミッドの正面には、6個の小さなピラミッド状の建造物が、正面広場を囲むように並んでいる。当時は、この広場で神聖な儀式が行われていたのだろう。また、太陽のピラミッドに比べると規模は小さいが、頂上の高さは同じだという。建っている地面の高さが、月のピラミッドのほうが高いらしい。月のピラミッドからケツァルコアトルのピラミッドまで、下りの勾配があり、死者の道を水が流れていたという説もうなづける。太陽のピラミッドを制覇した我々にとって、月のピラミッドの頂上まで登ることは簡単だった。今思うと、この旅のはじめに、メキシコ最大のピラミッドを制覇したおかげで、その後ほかの遺跡を登ることに、それほど苦痛を感じることは無くなっていた。(荷物を預けることを覚えたせいもあるが。)

太陽のピラミッド05 雨雲の合間からの日差しを浴びる太陽のピラミッド

雲から怒りの雷撃でも出てきそうな感じである。

月のピラミッドの頂上から、太陽のピラミッドの写真を撮ったり、地平線へと続く死者の道を見下ろしたり、またここでも雨に降られたりと、二つのピラミッドを堪能した我々は、物売り達と会話にならない会話を交わしながら、また延々と来た道を入り口まで戻り、昼食を取ることにした。

【土産屋の物売りがそこら中にいる。黒曜石で出来た猫(エジプトの猫に似ている)や犬、等を片言の日本語で売ろうとする。「猫ちゃん…」等など。遠くから歩いてくる姿を目で追ってしまうと必ず近寄ってくる。1ドルと言うがどう見ても1ドルの感じではない。】

入り口の横にあるRestaurant Pyramideで、Pyramideステーキを注文する。ピラミッドのような三角錐の肉の塊を想像していたのだが、出てきたものは牛肉薄切りの炒めものだった。ちょっと期待はずれだった。しかし、これをトルティーヤで巻いて食べるとうまい。メキシコに入って初めてのまともな食事だったせいか、歩き回ったせいか、とてもおいしかった。

【この先の旅から考えると結構豪華な食事だった。ピラミッド前で出会った○○くんにつられてしまった様だ。一応入口の施設には博物館なる物もあるが、実際は大した展示はしていない。地元の小学校の生徒が描いたような絵が展示されていた。実際に出土したような貴重品は、きっと大きな博物館に行ってしまうのだろう。】

帰りのバスを待つ。いっこうに来ない。たびたびタクシーが通りかかるがあくまでもバスを待つ。物売りのおじさんが日本語を使うように、シーズンには日本人観光客が沢山来るのだろう。バス停にも日本人がいた。けっこうあやしい、どこにでもいそうなジャンキー風な日本人だった。

1時間近く待っただろうか、ようやくバスが来た。行きのバスは内装が完全に木目だったが、帰りのバスはしっかり普通のバスだった。しかも混んでいた。座席はひとつしか空いていなかったので、一本釣り師君に席を譲り、我々は通路に立つことにした。雨の後にも関わらずバスの飛ばし方は半端ではない。水たまりの上を猛スピードで走り抜け、コーナーを曲がって行く。網棚に捕まらないと立っていられないくらいだった。ガンガン追い越しもかける。メキシコのドライバーは慣れているのか無謀なのかよくわからないが、結果的には運転が上手いのだろうと思う(ことにした。)

帰りも1時間はかからずに帰ることが出来た。北バスターミナルに到着。ここで、一本釣り師君とはお別れだ。
ビジャエルモッサに向かう為には東バスターミナルに行く必要がある。初めて有名なビートルのタクシーにのる。東駅まで2〜30分。料金は20ペソ。早速バスターミナルでビジャエルモッサ行きの切符を買いに行く。次に出発するバスでは、翌日の夜明け前に到着してしまう。そのため、一本遅らせて20:15出発の切符を買った。バスターミナルで時間をつぶすことにした。バスターミナル内部の様子を写真に収めようと二階に上がり、カメラを構えていると、警備員が寄ってきて注意された。撮影は禁止とのことだ。もしかすると不特定多数の人の集まる場所なので、テロ対策かも知れない(?)。それでも2枚くらいの写真は撮った。
さらにぶらついていると、中国人らしき男性に声をかけられた。彼のお兄さんが日本に住んでおり、靖国神社のしおりを持っていた。しおりには、日本語で靖国神社の説明が書いてある。彼はこの内容をしりたいが為に我々に声をかけてきたのだ。みくりんが英訳して内容を教えてあげると、彼は満足そうに去っていった。

出発時間が近づき、バスに乗り込む。バスにはトイレが付いていたので、トイレに近い席を予約していた。しかし、これが大失敗だった。一緒に乗り込んできたスペイン人風の親子がいたのだが、この親父が、バスが出発する前からトイレに入り、ウンコをし始めたのだ。しかも扉を開けっ放しで、である。うなり声も凄い。相当力が入っているようだ。さすがにラテンの血は開放的である。また、バスが出発した後も、ときどきトイレに入る人があったため、落ちつかなかった。それから後のバス移動では、前の方に席を取ることにした。

メキシコのバスは冷房が効きすぎて、寒いくらいだという話を聞いていたが、このバスは夜行だったからか、気温が低かったからか、冷房は効いてなかった。メキシコシティから下界に降りてくるにしたがって、だんだん暑くなり、途中で目を覚ましたときには、じっとり寝汗をかいていた。休憩所で停まったときに、みくりんにアイスとミネラルウォーターを買ってきてもらう。私は荷物番だ。これは夜行バスなのだ。用心するに越したことはない。次に目を覚ましたときには、バスは湖に浮かぶ一本道を走っていた。その時は「珍しいところを走っているな。」くらいにしか感じなかったが、後でニュースを見ると、そのころメキシコ南部で記録的な豪雨が降っていたらしい。そのためにできた水たまりが湖に見えたのだろう。それにしても、水面は道路すれすれのところまできていた。もう少し雨が降っていたらバスも走れなかっただろう。危ないところだった。

本 日 の 出 費
項 目 まこと みくりん
HOTEL FRIMONTにて朝食 28ペソ 33ペソ
地下鉄代
(HOTEL〜北バスターミナル)
1.5ペソ 1.5ペソ
バス代
(北バスターミナル〜テオティワカン)
13ペソ 13ペソ
テオティワカン遺跡入場料 20ペソ 20ペソ
遺跡内での昼食
(Restaurant Piramide)
72.5ペソ 72.5ペソ
ミネラルウォーターx3 15ペソ  
バス代
(テオティワカン〜北バスターミナル)
26ペソ 26ペソ
タクシー代
(北〜東バスターミナル)
10ペソ 10ペソ
長距離バス代
(東バスターミナル〜ビジャエルモッサ)
192ペソ 192ペソ
ジュースx2   8ペソ
途中の休憩所にて
ミネラルW、アイス代
11ペソ 11ペソ
合 計 402ペソ 387ペソ

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