『”ものみの丘”に吹くそよ風』
第五話
「じゃあ、もう明日には退院するんだ」
「はい。検査の結果次第ですが…」
自己紹介、と呼べるほどでもない、簡単な挨拶の後、私達は、まるでいつもの教室にいるように、のんびりとおしゃべりを始めていた。
「よかったよね、冬休みが病院の中じゃなくて」
「はい」
「まったく、期末終わった早々に入院なんて、不幸にも程があるって」
智子がそう笑いながら続ける。
「ともかく、終業式には出てくるんだ」
「はい」
「明日休みだから、丁度良いね」
「はい。そうですね」
明日は休日で、その次の日は終業式だけ、後はもう冬休みに入ってしまう。
智子の言うように、この時期に入院するなんて不幸でしかない。
……そう考えて、大事なことに気が付いた。
隣を見ると、こゆきちゃんがぼうっと窓の方を眺めていた。
この位置からは遠い山が見えるだけで、外にはただ、強い風が吹いていた。
こゆきちゃんはいつまで入院する事になるのだろう。
まず、身元が分からない限り退院することは出来ないと思う。
それ以前に、検査の結果がまだどう出るか解らない。
それは私も一緒かもしれないけど、おそらく、私のように簡単に退院させてはもらえないだろう。
私はそっと、こゆきちゃんを抱き寄せた。
「ふにゃ…?」
こゆきちゃんは、不思議そうに私の顔を見る。
その顔を見つめ返しながら、
「冬休みに、こゆきちゃんも一緒に何処かへお出かけしましょうか?」
と声を掛けた。
「あ、いいね。どこに行きたい、こゆきちゃん」
それにすかさず智子が乗ってくる。
「…ふに?」
「そうだよね、折角お友達になったんだから、一緒にお出かけしないとね、やっぱり」
さらに朝香が言葉を続けた。
「え…っと…」
こゆきちゃんは、ぼうっとしていた所をいきなり話の中心に据えられ、どうしたらいいのかと、戸惑っているようだ。
私は、さり気なく話をながす。
「そうは言っても、私も朝香も、入試が残ってるから遠くへは行けませんね」
「…うっ」
朝香が小さくうめく。
「そうそう、特に朝香は私立落ちてるもんね」
「…うぅ……、智ちゃんイジワル…」
流石にこれは冗談では済まないらしく、泣きそうな顔で智子を睨んでいた。
最初から私立一本で受験していた智子は、早くも進学を決めている。
それに比べ、すべり止めに落ちている朝香は、もう後がない時期だった。
ちょっと、話題が良くなかったかもしれない。
「でも、たまには息抜きも必要です」
もう一度さり気なく、今度は話をもとに戻す。
「う〜、そうだよね」
「ま、確かに」
そう言ったあと、みんな黙ってそれぞれに案を考える。
こゆきちゃんは、そんな3人の顔を順番にながめていた。
「う…ん、妥当なとこ、映画かな?」
智子がそう切り出す。
「うん、そんなもんだね」
「はい。良いと思います」
そう言ってから、こゆきちゃんを見る。
「こゆきちゃん、一緒に映画で良いですか? もちろん、そのあとに少し街を歩いたりしますが」
「……わたし…」
その顔は、不安そうに、困っているようにも見えた。
「…駄目ですか?」
「……わたしも、一緒でいいの?」
私は、くすっと笑ってから答えた。
「もちろんです。みんな、こゆきちゃんと一緒に行きたいのですから」
その後は4人で、冬休みの予定も含めて、のんびり話を続けた。
智子が朝香をからかい、それを私が笑いながら止める。
こゆきちゃんも笑いながら、ただその光景をながめていた。
まるで、今までもそうだったかのように、その空間は和やかだった。
コンコン。
「はい」
ノックの音に答えると、お母さんがドアを開けて入ってくる、その後ろに、お父さんも一緒だった。
「あっ、こんにちは〜」
「おじゃましています」
その姿に気付いた朝香と智子が挨拶する。
「はい、いらっしゃい。相変わらずにぎやかですね」
「あはは」
照れ笑いのような声をあげる朝香。
ここは病院なのだから、『いらっしゃい』というのも変な気がしたけど、本当に、自分の家にいるような雰囲気だった。
智子は、ちらっと時計に目を走らせてから、
「じゃあ、私たちはこの辺で」
と告げた。
「あら、もう? ゆっくりして下さって良いのですよ、私たちのことは気になさらずに」
「いえ、元気そうな姿を見られましたから、もう安心しました。また明日の朝に来ます」
お母さんの言葉にそう答えて、目で朝香を促す。
「うん、そだね、じゃあまた明日。こゆきちゃんも、またね」
そういって、手を振ってからドアに向かう。
「では、失礼します」
最後に一言残し、二人は部屋を出ていった。
「………」
部屋が、急に静かになった。
さっきまで二人の居た場所に、お父さんとお母さんが座る。
「………大丈夫そうだな」
「はい。お医者様も、大した事はないと仰ってました」
「そうか」
お父さんは、そう答えてから、改めてこゆきちゃんの方に目を向けた。
「………」
「こんにちは、お嬢さん。美汐の父です。娘がお世話になりました」
お父さんも、当然、既にそのことは知っていたらしい、でも、
「仲良くやってるようだな」
そのことに深くは触れず、私にそう話しかけた。
「はい。もうお友達になりました」
「そうか」
それだけ言って、席を立ち、
「実は仕事を残してきたんだ、今からからまた行って来る」
そう言って笑いながら部屋を出ていった。
「お父さんも心配だったんですよ」
「はい」
「いくら大丈夫だと聞いていてもね、やっぱり自分の目で確認しないと安心できないのもですから」
お母さんはそう言って、くすくすと笑った。
そして、あらためて切り出す。
「それでね…」
「はい」
「小雪が、まだ帰って来てないんです」
……ドクンと、体の中で何かが跳ねるように、嫌な…予感がした。
時計を見る、そろそろ日が沈む時間。
もし小雪が自力で抜け出し、遊び歩いているのだとしたら、もう戻ってくるはずだ。
渇きにも似た、奇妙な焦燥感。
もう、二度と小雪に会えないのではないか?
漠然と、そんな不安が首をもたげてくる。
「そう、ですか」
私は、ただ…そう答えた。
その後は、お母さんも特に話をしなかった。
こゆきちゃんも自分のベットに戻り、静かに、時間だけが過ぎる。
何故か、智子達の居たときとは違い、部屋全体の空気が重いような気がする。
細かいことを気にせずに、気軽に話しかけてくれる友達が、本当に大切に思えた。
夕食の時間になって、お母さんも家に帰り、再び二人きりになる。
私は昼食の時と同じく、こゆきちゃんのベットにテーブルを出し、そこに二人分のトレイを載せる。
……さて。
今度こそ、こゆきちゃんとお話しながら食べよう。
でも、改めて考えてみると、私が自分から誰かに話しかけるということは、ほとんど無かったように思える。
どう声を掛けたらいいだろうか……。そんな事を悩みながら、こゆきちゃんのベットに腰掛けた。
…………。
案の定、何の話も出来ずに、黙々と食事が進む……。
どうしよう…、昼食の時と同じように、横目でこゆきちゃんを見ながら、話のきっかけを探す。
ふと、お皿の角に除けられた、ニンジンに気が付いた。
「こゆきちゃん。ニンジンは嫌いですか」
「ふにゃ?」
とつぜん声を掛けられて、意味が解らないといった感じで私を見る。
それからトレイに視線を戻し、
「……う〜、これ、おいしくないの」
悲しそうにそう呟いた。
「好き嫌いしていると、賢くなれませんよ?」
何処かで聞いたような台詞を言いながら、私もニンジンに箸をつける。
「………」
……おいしくない。ただの煮物の中の一品なのに、とてもおいしくない。
味付けが薄い、それ以前にダシの取り方が悪いのではないだろうか?
椎茸やこうや豆腐はまだましだけど、ニンジンは特にひどい。これなら私が作った方が絶対においしく作れると、自信を持って言える。
「………」
気付けば、こゆきちゃんがじっとこちらを見ていた。
「………確かに、おいしくないですね」
思わず認めてしまう。
「では、ニンジンが嫌いなわけではないのですね?」
「…うん、たぶん」
「それなら、今度おいしいニンジンを作ってあげます。だから、今日は特別に、私が食べてあげますね」
「……うん」
そして、こゆきちゃんの分のニンジンをトレイから取り、一緒に食べてしまう。
そんな私の姿を、こゆきちゃんはじっと見つめていた。
「……どうかしましたか?」
何となく恥ずかしくなり、そう質問する。
「みしお…、お料理できるの?」
「はい、少しだけですが」
そう応えてから気付いた。
……今、初めてこゆきちゃんが、私の名前を呼んでくれた。
とくん、と自分の鼓動を聞いたような気がする。
静かに…胸の奥に、暖かい何かが拡がって行くような感じ……。
「少しだけですが……」
その暖かさを、ゆっくりと感じながら、
「これからもいっぱい練習します。…だから、いつか食べに来て下さいね」
私は微笑みながらそう言った。
……つづく。 |