『”ものみの丘”に吹くそよ風』
第四話
目が覚めると、もう夕方近かった。
相変わらず、部屋には私以外誰もいない。こゆきちゃんは、検査に時間が掛かっているのだろうか。
それは当然なのかも知れない、記憶が、無いのだから。
大した事はない、とお医者様は言っていた。でも、頭でも強く打っていたのなら、今は記憶だけでも、この後どんな傷害が出るか解らない。
もしかすると、一生傷害が残る可能性もあるのではないだろうか。
それ以前に、失われた記憶が、もう、二度と戻らなかったとしたら……。
それは、間違いなく私の所為だ。
あの子が車に撥ねられる必要は無かった。
私が撥ねられるのをただ見ていたとしても、あの子に罪は無かった。
どう、すれば良いのだろう、どう償えば良いのだろう…。
戻ってこないあの子の存在が、私の罪悪感を責め立てる。
責任、とかそう言うのではなく、私はあの子の為に、何かをしてあげなければいけない、そう思う。
コンコン。
何もない部屋に、突然ノックの音が響いた。
「はい」
とっさに返事をするが、それを待ちきれない様に、ガチャッとドアが開け放たれた。
「美汐ーっ!? なに? 元気そうじゃないのよ〜」
見覚えのあるポニーテールの女の子…智子が、いきなり大きな声で、怒鳴るように入って来た。
「智ちゃん、そんな大きな声出したら周りに迷惑だよぉ?」
続いて、智子に押されるようにしてドアに張り付いていた、小柄な女の子…朝香が声を上げて、中に入ってくる。
静まり返っていた病室が、唐突に賑やかになる。
たった二人増えただけで、部屋の中の空気が変わったような気がした。
「智子…、朝香…」
二人とも私のクラスメイト、そして親友と呼べる友達。
突然の来訪に驚く暇もなく、智子が詰め寄ってくる。
「事故って、どうしたの? 車に撥ねられたって聞いてたのに、どこに怪我してんのよ、全然元気そうじゃないのっ!」
「あの…」
「だいたい、無事なら無事って連絡くれればいいのに、先生だって『容態については聞いてない』なんて言うもんだから…、もう…もうっ、本当に心配させて……、それでどーして無傷なのよっ!」
「あの私…」
「まったく、どうせいつもみたいにぼ〜っとして……」
「智ちゃんっ!」
「……ん?」
朝香の声に、やっと智子が怒鳴るのを止める。
「声…うるさいよ? 病院なんだから…、それに、みゆちゃんが困ってるよ」
「あ…あぁ、ごめん……」
「……いいです。…すいません、心配掛けて、連絡もしなくて…」
「…ごめん」
智子がもう一度謝る、その横で朝香がイスに座りながら声を掛けてくる。
「でもね、智ちゃんホントに心配してたんだよ。授業中もそわそわして、お昼もあんまり食べなくて、学校終わったら直ぐに飛んできたんだから」
それは恐らく、朝香も一緒だろう。
二人が本当に私を心配していたのであろう事は、想像するまでも無かった。
「すいません二人とも、本当に……、それと、ありがとうございます」
「ん…?」
「みゆちゃん、私達、お礼言われるような事はしてないよ」
「いえ。私のことを心配して下さった、ただそれだけでも、十分お礼を言うべき事です」
私の言葉に二人は動きを止めて目を合わせる、何となく、困っているようにも見える。
「……美汐…」
「はい」
智子が言葉を発する。
「ん〜、…なんか、改まられると照れる」
そう言って、頭をぼりぼりと掻く、何だか智子らしい仕草だと思う。
「友達なんだから、心配するのは当然なんだから、そんな事でお礼言われると…ねぇ」
「うん、そうだよ、心配して普通、しなきゃおかしいよ」
「……ありがとうございます」
私はもう一度そう言った。
かちゃりと、静かにドアが開いた。
みんな一斉に入り口の方を見る、その先で、
「…………」
ドアを開けた体勢で、こゆきちゃんが固まっていた。
「…えっと……」
部屋の内と外を見比べる、入るべきか出て行くべきか悩んでいるようだった。
「こゆきちゃん…、おいで…」
私が声を掛ける。その声に振り向いて、更に暫く考えてから、中に入ってドアを閉めた。
「…………」
そのまま、私達の前を通りすぎて、自分のベットに戻る。
「こゆき…ちゃん?」
最初に声を出したのは朝香だった。
「はい。こゆきちゃんです」
それに私が答える、”こゆき”と言う名前を聞いて、恐らく朝香も智子も同じこと、私の飼っているキツネの”小雪”を思い浮かべたのだろう。
こゆきちゃんの方を見ると、自分のベットの前でこちらを伺っていた。
「……こゆきちゃん、おいで…」
もう一度同じ台詞。小さく手招きをしてこゆきちゃんを呼んでみた、しかし、
「………」
こゆきちゃんはその場でおどおどするだけだった。
……人見知りしているのだろうか?
そう思って直ぐに考え直した。そう、こゆきちゃんは、私にもお母さんにも直ぐに馴れたように思う、今更私の友達を怖がる事はないだろう。
では、何故…?
「……こゆきちゃん。この二人は私の友達です、…紹介しても良いですか?」
「………うん」
そう言って、もう一度ベットを振り返ってから、近付いてくる。
「初めまして、坂上朝香です〜」
私が言葉を掛けるより早く、朝香が自己紹介を始める。
それに智子が続く、
「こんにちは、高瀬智子です、よろしく」
「……こんにちは…」
こゆきちゃんが応える、そこへ言葉を入れる。
「この子が、こゆきちゃんが私を助けて下さったんです。だから怪我が小さくて済みました」
実際は、怪我どころでは済まなかったかも知れない。言葉の奥に精一杯の感謝を込める。
「へぇ、この子が美汐を?」
「はい。それで……、今は…記憶を無くしているそうです」
意識しないようにしたつもりでも、少し声のトーンが下がっていた。
「………え…? それって、……この事故で?」
「はい、…多分」
ベットの脇に立つこゆきちゃんが、俯いていた。
その手を引っ張るようにして、私のベットに座らせる。
「だから…」
こゆきちゃんの目を見て話す。
「だから記憶が戻るまで、私が一緒にいます」
こゆきちゃんの瞳が揺れた、今までとは違う風に、
「だから私の友達も、こゆきちゃんの友達になっていただきます」
「………うん、わかった」
「そんなの、言われるまでも無いと思うよ、ね?」
「そうそう、ほっといても勝手に友達になってるって」
智子と朝香は気軽に受け入れてくれた。
「じゃあ、改めまして…私がみゆちゃんの一番の親友、朝香ちゃんです、よろしくね」
「……みゆ…ちゃん?」
…あぁ、そうだ、
「朝香は、私のことを『みゆ』と呼んでいるんです。えっと、漢字を書けば解ると思うんですが…、『汐』の字を『ゆう』と読んでいるんですよ」
「でも、ホントは読めないよね、たしか」
智子が横から突っ込む、
「初めて会った頃に………」
「じゃあ、私のことは『朝香』って呼んで下さいね?」
「はい。わかりました」
「了解」
「高瀬さんは『智子』だから、『智ちゃん』でいい?」
「……ふふっ、いいよ、どんな呼び方でも」
「…で、天野さんは、『みゆ』ちゃん?」
「…えっ?………えっと、あの…私の名前は、『みしお』と読みます」
「……………え?」
「……てな事があってね、間違いを認めずに、そのまま呼び名にしちゃったんだよ、この子は」
「そ…そんな事無いよっ、ちゃんと知ってて、それで呼び方は『みゆちゃん』が良いなって思ったから……」
「うそうそ、だってあの時『……え?』とか言ってしばらく固まってたでしょ?」
「そん…そんな事無いっ!」
「ふっ、まぁ、そう言うことにして置いてあげましょうか……」
そう言って、こちらを向いて悪戯っぽく笑う。
「はい。そうですね」
「あぁ〜〜っ、みゆちゃんまでそんなヒドイ事……、ホントにホントに、ちゃんとわかってたもんっ!!」
「はいはい」
暴れる朝香を智子は片手で押さえる、体格的に不利な朝香は、それだけで何もできなくなる。
それでもジタバタと暴れる朝香。
そんな二人を、こゆきちゃんは呆然と眺めていた。
「こゆきちゃん…」
「ん……?」
私の声に振り返る、
「この二人共々、改めて、よろしくお願いします」
「………うん」
こゆきちゃんは、少し戸惑った表情のまま、頷いた。
「あぁ! みゆちゃん勝手にまとめてる〜」
「はい。気にしないで続けて下さい」
「ちょっとちょっと、今さっき友達になってって言ったくせに、それは冷たいんじゃないの」
そんな事を言いながら、智子も朝香も笑っている。
二人はやっぱりこの空気を楽しんでいるのだろう。
そして私は、そんな空気を、少しでも小雪ちゃんに感じて欲しかった。
「そうだよみゆちゃん、今日から私の友達なんだから、独り占めは反則だよ」
「私”の”はやめろ、私”も”今日から友達なんだから」
「ふふふ…」
私はそんなやり取りを見ながら、笑っていた。
こゆきちゃんも、相変わらず戸惑ってはいるようだけど、確かに笑っていた。
「…智子。朝香。私も今日からこゆきちゃんの友達です。だから、みんなまとめて『よろしく』と言ったんですよ」
その言葉で、二人とも私の方に向き直った。
「…ん、あぁ、そうだね」
「うん、そうだよね」
順番に言ってくすくすと笑う。
そして、みんなを見渡しながら、
「……うん。………え…っと、わたしも……よろしく、おねがいします」
こゆきちゃんはぺこりと頭を下げた。
……つづく。 |