『”ものみの丘”に吹くそよ風』
第二十五話
いつもの通りの時間。
いつも、みんなで集まったときは、こんな和やかな空気の下で、互いに笑い合うことが出来る。
しかし、そんな中で、小雪だけは何も喋らず、両手に持ったハンバーガーをただ、黙々と口へと運んでいた。
いや、小雪があまり喋らないのは、いつもの事なのだけれど。
何かが、違うような気がする。
少し俯いた視線。
…そうだ、小雪が笑っていない。
今までの小雪は、話に加わらなくても、にこにことみんなを見ていたはずだ。
何か、あったのだろうか?
先ほどの映画が恐かった?
いや、少なくとも私には、その様に見えない。
そんな簡単なものではなく、今の小雪の表情は、もっと深刻な物に見える。
ちらりと、横に座った私の顔を覗き見てくる。
「…どうかしましか?」
「……ううん」
応えて、大事そうに抱えたハンバーガーを、もう一口かじる。
何だろう?
”何でもない”と言われたのなら、それ以上問いただす事もできない。
「どうかしたの?」
小雪の向こうに座っていた智子が、私たちの様子に気付いて質問する。
「……にゅ」
しかし、小雪は顔を少し上げただけで、何も答えない。
私も、何とも答えられずにいた。
智子は少し首を傾げたけれど、すぐに荒川君に言葉を掛けられ、正面に向き直った。
「ずっと気になってたんだよ」
話題は、智子の進学のこと、だろうか?
「理由が要るの?」
「だって……今さら」
「今さら…って言っても、私はずっと絵は好きだったよ」
「そうじゃなくて」
「お祖母さんのこと?」
「あぁ」
荒川君は頬杖を突きながら、ついと視線を横に逸らす。
その横に座っていた朝香が、心配そうに智子を見ていた。
「あの人が私の絵を誉めなかったのは、別に私のことが嫌いだった訳じゃなくて、私には他の、何か好きな事をやって欲しかっただけだよ」
「剣道のことか? じゃあなんで……、それこそ今さら…」
「違うって。だから…何って言ったら良いんだろう……。少なくとも私は、お父さんや姉さんの代わりになって、絵を勉強するんじゃないんだよ」
「それはそうだろうけど…」
「別に、画家に跡取りが必要な訳じゃない。そんな事とは関係なく、私は、姉さんや、お父さんが歩こうとした道を、進んでみたかっただけ」
「………」
荒川君は、黙ったまま智子を見返した。
「不満?」
「不満だ………って言ったら、変えるのか?」
「……変えない。私の人生だから、ね」
「自分で、決めたんだよな。自分で考えて」
「そう、もちろん。……本当はね、姉さんが居たから、諦めていただけなんだよ、私は」
「どういう意味だ?」
「姉さんには勝てないから。だから、姉さんが居ればそれで良いと思って、……って言うと変な考え方だけど、そんな風に思ってて」
照れたように、ぽりぽりと頭を掻く。
「今、やっと、遠くから眺めていた道が、目の前に拓けたような感じがするの……。それが、お祖母さんの歩いていた道」
「お前……、あの婆さんのこと、好きだったのか?」
荒川君は、さも意外そうに呟く。
「もちろん」
それを、智子はさらりと笑って返した。
「そうか……。なら、それで良いんだ」
荒川君が、いつかの時のように、自嘲するように苦笑する。
「智子が進むと決めた道なら、俺は……応援するよ」
「ありがと」
智子は、精一杯の笑顔を返したのだと思う。
荒川君はその微笑みをまっすぐ受けて、少し照れたように頬杖をつきなおした。
二人が見つめ合ったまま、黙り込んでしまったので、場が急に静かになる。
ハンバーガーを食べ終わった小雪は、一旦顔を上げて周りを見渡し、再び自分の紅茶に視線を落とした。
私があらかじめミルクと砂糖を入れて上げたそれに、ストローを差し込み、机の上に置いたまま両手に抱えて、ちゅうちゅうと吸い上げる。
あまり行儀の良い作法では無いが、何とも可愛らしい。
いつだったか、キツネであったときも、似たような格好で、ストローを使いながら何かを飲んでいた事もあったと思う。
その小雪の髪を、そっと撫で下ろしてあげる。
この雪の降る季節にも負けず、ふかふかとした、柔らかい髪。
この撫で心地は、他の何物にも代え難いだろう。
「ふふっ、気持ちよさそうだね」
いつの間にかこちらを向いていた智子が、楽しそうに笑う。
「はい。ふかふかです」
その言葉に、更に「ふふふっ」と笑う。
「ねぇ、小雪ちゃんは何か成りたいものってある?」
「…に?」
「将来、何かやりたい事って、ある?」
小首を傾げた小雪に、重ねて問い直す。
しかし、小雪はそのままの体勢で、何とも答えない。
「…質問が、難しかったかな?」
智子がぽりぽりと頭を掻く。
小雪の外見からして、その質問が難しいという年では無さそうだけれど。
単に、小雪自身が何も考えていないだけだろう。
そうは言っても、つい10日ほど前までキツネだったのだから、「将来どんな人間になりたいか」などという問いに、答えられる方が不思議かも知れない。
だいたい小雪には、キツネであった頃の記憶すらないのだから。
「まだ、慌てて考えなくても良いですよ。小雪ちゃんには、時間はいくらでもあるんですから」
「まぁ、そうだね。…で、美汐は?」
「私…が、何ですか?」
「将来のこと。何か、成りたいものってあるの?」
小雪を含めて、みんなの視線が私に集まる。
「え…っと、そうですね」
正直言って、あまり考えたことがない。
小学校の卒業アルバムには、何と書いてあっただろうか? 保母さん、だったかな?
ちらりと、小雪を見る。
「…そうですね。そう、獣医さんも、良いかも知れませんね」
「『も良いかも』って、今考えついた?」
智子が笑う。
「はい。私はあまり、まじめに将来の事を考えたりしませんから」
「そうなの? みゆちゃんが一番しっかり先のことを考えてるって思ってたのに」
「それは買い被りです」
驚いてみせる朝香に、笑って応える。
「しかし、まぁ、落ち着いて見えるからなぁ、天野は。おばさん臭いって言うか、何というか」
腕組みをしながら、荒川君が深く椅子にもたれ掛かって笑う。
「それは少しひどいです」
「そうそう、せめてもうちょっと言い回しがあるでしょう?」
私の言葉に智子が同調する。
「ん、あぁ、すまん。え…と、じゃあ『物腰が上品』だとか?」
「ぷっ、あはははは、それは良いわ」
智子を筆頭に、みんなが笑いだした。
「少し意味合いが違いませんか?」
「良い良い、気にしちゃ負けよ」
楽しそうに笑う智子。
その横で、やはり、小雪は笑っていなかった。
やはり何かが違う。
小雪に言葉を掛けようとした私に、荒川君が改めて質問してきた。
「で、どうして獣医さんに成ろうって思いついたんだ?」
「え? え…っと、何となくです。色々お世話になったことがありますから。私も、人と共に生きる動物たちのために、役に立つことが出来ないだろうか……と、今考えました」
「ふ〜ん、天野も何か飼ってるんだ」
何気ないその言葉に、智子と朝香が素早く反応する。
互いに目配せをして、横に座った朝香が荒川君を小突く。
「なに?」
「あのね……」
「良いんですよ」
小声で説明しようとする朝香に声を掛ける。
「あの子は、本来居るべき場所に戻っただけですから」
「みゆちゃん……」
「……ん? もしかして、居なくなったのか?」
「はい」
実はここに居るのだけれど。
心の中で呟いて、そっと髪を撫でる。
「ふに」
軽く首をすくめて、小雪はやっと、微笑んでくれた。
「そうか……」
そんな私の思いには気付かず、僅かに声を落とす荒川君。
「気にしないで下さい。…いつか、みんなにもお話しします」
「…? あぁ」
「私も…と言うことは、荒川君も何か飼っているんですか?」
「あぁ、雑種だけど、犬が一匹。もう年で、いつ死ぬか分からないような奴だけどね」
「そう言えば、最近元気ないね」
智子が口に付けていたカップを降ろして、応える。
「あぁ、すっかり家の中だな」
「早く春が来れば良いね」
「そうだな、春になれば、後一年くらいは保ちそうだな」
そう呟いた荒川君は、やはり少し寂しそうだった。
「いつも世話になっていた獣医さんが居なくなってから、急に弱ったような気もする。やっぱり、獣医さんは近くに一人居てくれた方が安心だよ」
「そうね。でも、美汐が獣医さんか。なんだか良いかもね」
智子が肘を突きながら、私の顔を眺めて呟いた。それに荒川君が続く。
「そうだな…、この街には獣医さんが居なくなったから、今は仕事もあるんじゃないのか?」
「今すぐには無理です」
「それはそうか」
苦笑しながら応えた荒川君は、椅子にもたれつつポテトを口に放り込む。
「でも、みゆちゃんは動物好きだから、きっと獣医さんに成れるよ」
「そんな簡単には成れませんよ」
好きだから成れると言うほど、簡単に就ける職業ではないだろう。
「あぁ、でも実際、獣医さんが『生き物に対する愛情と、人を安心させる笑顔があれば、獣医にはなれる』って言ってたよ。天野にはぴったりじゃないか?」
「そうだね」
荒川君の言葉に、智子が頷く。
そうは言ってみても、実際に獣医になろうと思えば、それなりの勉強を積んで、専門の大学に進まなくてはならないのだろう。
「…そう言えば、獣医の資格は、どうすれば取れるのでしょうか?」
「さぁ? 大学で取るんじゃないの、多分」
私の質問に、智子が答える。
「医大でしょうか?」
「……どうだろう?」
「獣医学科って言う学科があるんじゃないのか、確か」
智子に代わって、荒川君が答えてくれる。
「と言うことは、美汐は医大狙いか。頑張ってね」
智子は、冗談半分で笑いながら言った。
でも、
「…そうですね、頑張ります」
思い付きで言ったことだけれど、それも悪くない。
私は、一つの選択肢として、”獣医”を”将来の夢”に加えることにした。
「なぁ、獣医さんが居なくなったって、ひょっとして、俺の家の前の樋川さんのことか?」
突然、今まで黙って話を聞いていた野崎君が、思い出したように質問した。
「ん? あぁそうだけど」
「ふ〜ん」
「それがどうかしたのか?」
「いや、あまり言い噂を聞かなかったからな…」
「あの方が、ですか?」
「まさか、悪い噂の立つような人じゃないぞ」
私に続いて荒川君も声を上げる。
恐らく、あの方に世話になった多くの人は、そう反応するだろう。
「いや、そう言われても、…なぁ?」
少し慌てた野崎君は、隣の朝香に助けを求める。
「うん? 私も聞いたこと無いよ?」
「お前の家も隣組だろ? 叔母さんとか葬式手伝ってただろ?」
「うん…多分」
曖昧に応える朝香。それよりも、
「あの方、亡くなられたのですか?」
私は気に掛かった一言を問いただす。
「あぁ、そうだよ。心中したんだって」
「心中? 誰と?」
その言葉に、荒川君も軽く身を乗り出した。
「それが、よく解らないんけど……」
「…どういう事だ?」
曖昧な野崎君に、荒川君が説明を求める。
「えっと…な、その人が死ぬ少し前から、病院に小さな女の子が一人住み着いていたんだよ。それで、葬式で喪主を務めてた人が、その獣医さんの知り合いだったんだけど、電話で『ずっとあの子の側にいると約束したから、私は一緒に行く。病院の動物を頼む』って言われたんだってさ」
……何?
何かが、心に引っ掛かった。
「で、駆けつけた時には、もう遅かった、ってさ」
「なんだそれ、初めて聞いたぞ」
「近所では有名だったよ。オレもその女の子は見たことがあったしね」
「ふ…ん……、そうか…。それで、その子と一緒に死んだ訳か? ……でも、そんな、心中なんかする人じゃ無かったと思うけどな」
「ん、まぁ、心中と決まった訳でも無いんだけどな」
「なに?」
「自殺なのは確かなんだよ。首をメスで切って死んでいたから。ただ、女の子の死体は見つかってないんだよ」
「見つかってない? それじゃあ心中じゃないだろ?」
「そうだけど、電話の件があったから、実際、それ以降、例の女の子は居なくなったしね」
「……? 結局、その女の子って、誰なんだ?」
「解らないんだよ。その、心中騒ぎの半月ほど前から、病院に居たのは解っているんだけど、何処の誰だかは解らなかったって聞いた。遺体も無かったし、動物が運んだかも知れないって言われてたらしいけど、一週間探して手懸かり無し。で、そのまま『たぶん一緒に死んだんだろう』て噂だけが残ってるんだよ」
「ん? 動物が…って、獣医さんの遺体が見つかったのって、屋外なのか?」
「そう、屋外だよ。”ものみの丘”だって」
”どくんっ”と、やけに大きく、心臓が跳ねた。
「だから、発見されたのも、知り合いの人が電話を受けてから3日経ってからで……」
「……まさか…」
意識の外で、私が呟いた。
「え?」
正面に座った野崎君が、私の方を見る。
それに釣られるように、荒川君や、他のみんなの視線も集まる。
「……まさか…?」
もう一度、今度は私自身に問い掛ける。
”まさか”……何と続けようとしたのだろうか?
頭の中に、何かゴチャゴチャとした思考が拡がる。
何処かで、何かが、繋がっているような、…錯覚?
いつも世話になっていた獣医さん。
心中。
小さな女の子。
”ものみの丘”。
まさか、…何?
何? まさか…小さな女の子……。
どくんと、もう一度大きく、心臓の音が響く。
微かに、手が震える。
不吉な予感。
記憶の奥底から、一匹のキツネのことが思い出された。
まさか、あの時の…獣医さんに預けたキツネ?
でも、あの子は”丘”に帰ったはずだ。
その子が、”人”に成って、獣医さんの所に……?
『そんなおとぎ話のような事』
それが、実際起こり得ることを、私は知っている。
でも、…なに? 何かがおかしい。
そう、何故、どうして”心中”する必要があるのか?
例えば、恋に落ちたとしたら。
それで、年が離れているから? その子が人間では無いと分かったから?
…違う、だろう。
寿命を持たないキツネ相手に、年齢の差が問題になるはずはない。
人間ではないと言っても、アスハさん達は上手くいっている。
でも、もし、その女の子がキツネなのだとしたら、女の子が身元不明であったことに説明が着く。
そう、遺体が見つからなかったことも、たぶん説明が着く。
「美汐。どうしたの?」
手を伸ばした智子が、私の肩を軽く叩く。
「あ、…すいません。何でもないです、少し考え事を……」
「何か知っているのか、獣医さんのこと」
「いえ。なにも」
思い過ごしかも知れない。
例えその子が”そうであった”としても、詳細が解らないことに変わりは無い。
……もし、”そう”なのだとすれば、アスハさんは何か知っているのだろうか?
質問すべき事では、無いだろうけど。
「でもそれって、何か犯罪の匂いがしない?」
テーブルの上では、既に話が流れつつある。
「どういう意味?」
「例えばその女の子が、何処かの組織から逃げている途中で、その獣医さんが匿っていたところを見つかって、それで獣医さんが……」
「朝香。昨日サスペンスドラマ見た?」
話の腰を折って、智子が問い掛ける。
「え? 見たけど、それとこれは関係ないよ」
「はいはい」
わざとらしく溜息を吐いてみせる智子。
「なによぅ」
「別に。……何にしても、ここで私たちが論議したところで、人が死んだことには変わりないでしょ。もう、死んじゃった人のこと、どうこう言うのは止めない?」
「そうだな」
荒川君は、溜息を吐くように呟いて同意した。
「志郎? ずいぶんと親身だね」
「ホントに世話になったからな、あの人には」
「コロちゃんが?」
「あぁ。ずいぶんと前の話だけど……。ま、いろいろとね」
「そう」
端的に、智子が応える。
「……そう」
呟いて、荒川君は視線をみんなから外した。
「それで、拓臣はどうするの?」
少し間をおいてから、智子が明るい声で野崎君に問い掛けた。
「何が?」
「高校入って、卒業したら、やっぱり家を手伝うんでしょ?」
「あぁ、もちろん。その為に機械科を受けるんだから」
「あれ? でもお前の所って、確か絨毯作ってるんだろ? 機械科より、デザイン関係の方が良いんじゃないのか?」
気を取り直したらしい荒川君が、早速話題に加わる。
「う…、まぁ、それはそうだろうけど、機械の整備が出来るのだって重要だろう?」
「ははぁ、出来ない事はしない訳だ」
意地悪く智子が笑う。
「いや、デザインの関係は親父とお袋が居るから大丈夫なんだ。オレはオレでやるべき事をだな…」
「ま、そうしときましょ」
「あのな…、だから、オレだって制作の方は手伝って……」
軽くあしらう智子に、続けて何かを言おうとする野崎君。
しかし、
「あ、成る程」
突然、智子がぽんと手を叩く。
「それで室内装飾科な訳だ」
そう言って、荒川君を指さした。
「いや、学科を決めたのは俺じゃ無い」
応えて、軽く片手を振る荒川君。
「へぇ、じゃあ初めからそのつもりで誘ったんだ。やるねぇ、拓臣チャン」
再び智子が、野崎君を見てにやりと笑う。
「…な、何のことだよっ」
身を後ろに引きつつ、問い返す野崎君。
「ふふふっ、良かったね、朝香。就職には困らないよ」
「え? なんで?」
「拓臣が雇ってくれるってさ」
「え、そうなの?」
「あ、いや、それは……」
「永久就職確定だね」
そう言って、智子が大きく笑った。
「本当に雇ってくれるの?」
智子の言った”永久就職”の意味は解らなかったのだろうか。朝香が問い掛ける。
「あ…、俺は良い…と思う、けど、お前……」
”意味は解ってるのか?”と目で問い掛ける。
「なに?」
どうやら解っていないようだ。
智子は、くっくっくっと、胸を押さえて小さく笑い続けていた。
「なに? 私、何か変なこと言った? 智ちゃん、なに?」
「あのね朝香。……って、説明して良いの、拓臣?」
「止めてくれ、頼むから」
その言葉でもう一度、くっくっくっと笑う。
「えぇ!? なんでよ、私だけ解らないの?」
「大丈夫ですよ。いつか必ず、野崎君がきちんと話をしてくれます。ね?」
そう言って、私は野崎君に微笑みかけた。
「あ…あぁ、もちろん。いつか、ちゃんと話すよ。だから、もうちょっと待っといてくれ」
「……うん、わかった」
少し悩んだ顔のまま、朝香が頷いた。
「おめでと」
小さく、智子が囁いて、冷めたコーヒーの残ったカップを掲げた。
「何? もうこんな時間?」
柱に掛かった時計を見て、智子が声を上げた。
既に、お昼ご飯と言えるような時間ではなくなっていた。
「この後どうする?」
荒川君が、カラになったポテトの箱を潰しながら、誰へとも無く問い掛ける。
「特に予定は、…無いよね?」
それに答えるようにして、智子が全員に問い掛ける。
確か、以前の話では、一緒に買い物にでも行こうか、と言っていたように思う。
ただその時は、荒川君と野崎君は、計画に含まれていなかった。
女の子の買い物に付き合っていても、恐らく二人には退屈なだけだろう。
「う〜ん……」
朝香が小さくうなって、手元の巾着を引き寄せる。
あれは、例のクッキー?
「せっかく出てきたんだ、もうちょっと何処かでのんびり出来ないか?」
そう言いつつ、荒川君が伸びをする。
「ん〜、買い物にでも付き合ってくれる?」
「………いや、遠慮しておこう」
先日の、小雪の為の買い物を思い出したのだろうか?
あの時は、荷物持ちとしてお世話になってしまった。
普段からあれほど買い込むことは、まず無いのだけれど、荒川君にとっては”女の子と買い物”と言うと、最初に思い出す嫌な記憶なのかも知れない。
「この前は、お世話になりました」
思い出したついでで失礼かも知れないが、改めてお礼を言っておく。
「え? あぁ、この前のこと? いや、良いんだよ、こちらこそご馳走になったし。また手が入り用なら呼んでくれ」
「へぇ……」
にやりと、智子が笑った。
「……なんだ、高瀬」
「別に。…拓臣はどうする?」
「オレも別に用事はないぞ」
「あ、あのね……」
突然、朝香が声を上げて、巾着を皆に見せた。
「それは……クッキー?」
「うん」
「そうか。拓臣のために焼いてきたんだったね。となると……お店以外でみんなが座れるところ、か」
視線が、荒川君に向く。
「俺の家は無理だぞ、まだ正月体勢だ」
「私の家も、まだ人が来てるから……。美汐の家は、この人数は……」
「小雪の部屋なら、座ることぐらい出来ますが……」
ちらりと、野崎君を見る。
「別れませんか? 二人きりの方が良いでしょう?」
「な……っ」
「なん…何を言うのよみゆちゃんっ!」
瞬間的に真っ赤になって、声を荒げる二人の動作が、妙に息が合っていて微笑ましい。
「たまには、気を利かせてみるのも良いかと思っただけです」
「………」
さらりと言ってのけた私に、二人はそのままの体勢で固まっていた。
「では、私と美汐と小雪ちゃんは、志郎を荷物持ちとして買い物に。朝香と拓臣は二人でデートね?」
「…っ! いつまとまったの!?」
「今まとめた。以上、解散」
「まて、おい。どうして俺が荷物持ちに……」
「無理しなくて良いのよ、誘って欲しかったんでしょ」
手をひらひらとさせて、にこやかに微笑む智子。
「じゃ、行きましょか」
有無を言わせず、さっさと歩き始めた。
「う〜」
朝香が何か呻いているようだけれど、この際、私も聞かなかったことにする。
どうせなら、智子と荒川君も二人きりにしてみようか? などと、余計なことまで企んでしまう。
しかし……。
小雪をちらりと覗き見る。
無表情。
少し疲れているのだろうか?
思えば、小雪は表情が少ない。
笑った顔、不安そうな顔、泣きそうな顔……。
私はどれほど、小雪の顔を知っているのだろうか?
多くの場合小雪は、この何を思っているのか解らない、少し寂しげにも見て取れる表情をしていた。
「小雪ちゃん。少し疲れましたか?」
「……。ううん」
首を振り、私を求めるように左手を差し出す。
私は鞄と傘を片手にまとめて持つと、右手で小雪の手を取った。
……冷たい。
「…小雪ちゃん。手袋を買いに行きましょうか?」
「……うん」
……つづく。
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