『”ものみの丘”に吹くそよ風』
第二十二話
小さな香袋から、部屋に優しい薫りが拡がっていく。
「少し落ち着いたようですね」
小雪の頬に手をあてて、その人は呟いた。
「はい。ありがとうございます」
「いいえ。お役に立てて嬉しいわ」
そう応えて、すっと立ち上がると、部屋の隅に置いてあった、刀袋を手に取る。
「では、私はこれで」
「あ、すいません。よろしければ、お名前を教えていただけませんでしょうか?」
改めてお礼をしなくてはいけない、そう思って言葉を掛ける。
「名乗るほどの者ではありません」
左手を頬に添え、優しく微笑む。
「でも……」
「気にしなくてもいいんですよ。困ったときは、お互い様ですから」
「……はい。本当に、ありがとうございました」
これ以上言うと、かえって失礼にあたるかも知れない。
それに、恐らくはここの剣道場の方だろうから、藤一郎さんに訊けばお名前くらいは解るだろう。
そう思って私は素直に引き下がった。
「では」
もう一度そう言って、そっと音もなく襖を開ける。
「…あ」
「あら、すいません」
そこで、丁度、部屋に入ろうとしていたらしい藤一郎さんと鉢合わせる。
「いえ、こちらこそすいません。えっ…と、お帰りですか?」
「はい。お邪魔しました」
「いえ、そんな。お世話をお掛けしました」
ぺこりと頭を下げる藤一郎さん。
私もそれに合わせて、もう一度頭を下げる。
その様子を見て軽く微笑み、
「お大事に」
と軽く目を閉じて言い残し、部屋を出ていった。
「いろいろと、ご迷惑をおかけします」
藤一郎さんはお盆を持って、静かに部屋に入ってくる。
「いや、狭い部屋で悪かった」
「いえ。場所を貸していただけただけで十分です」
そんな私の言葉を聞き流し、部屋を見回してもう一度呟く。
「散らかったままで悪かった。まったく、女性を入れるなら、もうちょっと片付けて置くんだったよ」
がさりと髪を掻き上げ、私の横に膝を着く。
「この布団もひきっぱなしだったしね。言い訳すれば、仮眠用なんだけど、どう見ても万年布団だな」
そう苦笑しながら、小雪にそっと触れる。
「……熱は、まだあるな」
「はい」
「一応解熱剤を持ってきたんだけど、これは食後の方が良いらしい。どうしたものかな?」
見ると、お盆の上には白湯と小さな錠剤が乗っていた。
「……ありがとうございます。では、食事を済ませてから飲ませることにいたします」
「あぁ、そうしてくれ」
そう言って、近くの机の上にお盆を置き直す。
「智子達はどうしましたか?」
私の家に電話を掛けに行ってくれた、智子達のことを訊いてみる。
電話はこの社務所の中にあるはずだから、少し遅いような気がした。
「さぁ? どうしたんだろう。社務室の場所は知っているはずなんだけどな」
呟いて、襖の方を振り返る。
もちろん、それで何かが見えるわけではないのだけれど。
「留守をしている可能性は?」
「………」
その質問に、しばらく考えてから答える。
「もしかすると、母も初詣に出ているかも知れません」
私は出かけ際に、昼食は食べてくると言い置いてきた。だから、私たちのことは気にせずに出かけることが出来るだろう。
お父さんは仕事に出ているので、家には誰もいない可能性もある。
そんなことを危惧していると、見計らったように、とんとんっと軽く襖が叩かれた。
「はい」
「失礼します……。あの……」
小さく開けて、朝香が顔を覗かせる。
「留守でしたか?」
「うん」
私の台詞に頷いて、言葉を続ける。
「でね、智ちゃんの所と私の所にもかけたんだけど、誰も出ないの……。どうしよう」
どこの家も同じなのだろうか?
ひょっとするとみんな、この神社の境内にいるのかも知れない。
どうしよう?
荒川君や野崎君のご両親に車を借りるのは、流石に気が引ける。
そうかと言って、誰かに背負ってもらって帰るのは、少し無理があるだろう。ここから家まで、歩くと20分はかかる。
「俺が車を出そうか?」
藤一郎さんが、横から提案してくれる。
「いえ。そこまでは……。お仕事中なのでしょう?」
「いや、今は休憩タイム。って言うか、12時過ぎると一般参拝者は少なくなるから、俺がいなくても宮司と親父で何とかなるんだよ。だいたいあの二人は1時くらいから朝まで寝ていたんだから、これからが本番、放って置いても文句は言われないよ」
そう言ってにやりと笑う。
「………」
これ以上迷惑を掛ける訳にはいかない、とは言っても、このままここで休ませていただくこと自体、ご迷惑だろう。
「お願い、できますか?」
「あぁ、お安いご用だ」
そう言って立ち上がり、机の上からキーホルダーらしき物を手に取る。
「社務所裏のガレージに直接出ることが出来る。この子は俺が抱えて行くから、履き物だけ取ってくるといい」
そう言いながら、小雪の布団をめくる、っと、
「あ、待って下さい」
遅かった。藤一郎さんは、一度めくった布団をばさっと戻す。
布団の中の小雪は、下着姿だった。
着物は先ほどの女性に手伝っていただいて、脱がせて傍らにたたんで置いてあったのだけど、それに気が付かなかったらしい。
藤一郎さんは、赤くなって慌てて後ろを向き、恐らく朝香と目があったのだろう、再び振り向くようにして、その場でくるくると回る。
その姿が可笑しくて、
「見ましたね」
と、つい言ってしまった。
その言葉に、ぴたりと止まって、こちらを向く。
「すまん。まさか、こんな格好だとは……」
そう謝って丁寧に頭を下げる。
恐らく、小雪の外見年齢よりも十歳は上であろうに、ちゃんと一人の女の子としてみてくれていることが、なぜだか嬉しかった。
「冗談ですよ」
私はくすっと笑って言った。
「……冗談?」
「はい。小雪ちゃんは気にしないから良いです」
本当は良くはないのだろうけど、悪意があった訳ではない。もとより責めるつもりなどなかった。
「毛布をお借りします」
どう応えるべきか迷っているのか、沈黙したその隙をついて、言葉を重ねる。
「あぁ」
慌てて後ろを向く。私はその先にいた朝香にも言葉を掛けた。
「朝香。すいませんが、私と小雪ちゃんの履き物を取ってきていただけますか?」
「うん、解った」
そう言って、部屋を出ていく。
私は布団を素早くめくり、毛布だけ取って小雪をくるむ。
「お願いいたします」
「あぁ」
藤一郎さんが振り返り、小雪を抱えてくれる。
「軽いな……」
一瞬眉をひそめて、そう呟いた。
「行きましょう」
私は小雪の着物を抱え、先ほどの薬をその上に乗せると、襖を開けた。
軽自動車の後部座席に私が座り、小雪を抱きかかえる。
着物を受け取ってくれた智子が、助手席に座った。
「じゃあ、私も後から行くからね」
「解った」
朝香の言葉に、ドアを閉めながら智子が応える。
「出すぞ」
「お願いいたします」
軽くふかして、車が出る。
神社の裏からくるりと回り込むように、少し急な坂を下りて表の通りに出た。
「左です」
「あぁ」
智子の案内で、車が左に曲がる。
そこで……。
「……あ」
「どうした?」
今、アスハさんが居たような気が……?
振り返ってみたけれど、それらしい姿は確認できなかった。
「…いえ。何でもありません」
「そうか?」
道案内を智子に任せ、私は小雪の様子をうかがっていた。
額に、小さな汗の玉が浮かんでいる。
それをタオルで、そっと拭う。
小雪はうっすらと目を開けて、私を確認すると、再び眠りに落ちた。
この突然の発熱は、何なのだろうか?
私は小雪を抱きしめながら、奇妙な感覚に捕らわれていた。
社務所に入るまでは元気だった。ごく普通に笑っていたように思う。
風邪とは違うみたいだと、先ほどの女性も言っていた。私もそう感じる。
それなら……?
もしかすると、馴れない人としての生活で、少し疲れていたのかも知れない。
……いや、そんな簡単なものでは無いような気もする。
”人”であり続けること、それ自体に無理があったのではないか?
しかし、それではアスハさんや望美ちゃんはどうなるのか。
何にしても、私には解らない理由で熱を出していることは確かだろう。
微かに、自分の内側に、焦燥感にも似た言い様のない不安が拡がり出す。
大したことは無いと思う、そう思いたい。
大丈夫だから。そう自分に言い聞かせ、小雪の頭をそっと撫でて上げた。
小雪を部屋に寝かせ付けると、藤一郎さんはすぐに帰ってしまった。
心配ないとは言っていたけれど、やはり仕事を抜けてきたのは悪かったのかも知れない。
あの方にも、改めてちゃんとお礼をしよう。
部屋が暖まり、智子がお茶を用意してくれた頃に、朝香が着いた。
荒川君と野崎君はそのまま帰ったらしい。
本当なら、みんなで昼食を食べる予定だったのだけど、仕方がない。とは言っても、やはり悪いことをしたような気がする。
智子も朝香も、何をするでもなく、ぽつぽつと話をしては黙り込んで、ただ静かに時間だけが過ぎて行った。
「……あ、そう言えばお昼まだだったね」
朝香がそんなことを言ったのは、既に午後1時を大きく過ぎてからだった。
「あぁ、ホントだ。すっかり忘れてたね。どうする、美汐?」
「お節料理がありますけど。それと、お雑煮の材料が」
「解った。じゃあお雑煮を作ってくるから」
本来は、私がするべき事なのだけれど、
「お願いいたします」
ここは、智子に任せることにした。
私は出来るだけ小雪の側に居た方が良いと思うから。
智子もその辺りのことを考えてくれているのだろう、素直に甘えても良いはずだ。
「あ、私も手伝うよ」
「何を?」
「何かあるでしょ」
そう言いながら、朝香も智子を押すようにして部屋を出ていった。
二人が部屋を出ると、急にしんと静まり返る。
いや、元から静かではあったのだけれど、”空間”その物が静かになった感じがした。
ただ風の音と、小雪の少し荒い寝息だけが聞こえる。
私はそっと額にのせてあったタオルを取り替え、ついでに軽く汗を拭く。
う…ん、と小さく呻いて、体をひねる。その姿はまだ少し苦しそうだった。
……人間用の薬は、効くのだろうか?
それ以前に、使って良いのかどうかも疑問ではある。
もし、この小雪が本当に”完全な人間”であるなら問題はないのだろうけど。
そう、もしこれが仮の姿だとしたら?
ふと思い立った考え。
人間に変わったと言っても、これが恒久的なものであるという保証はないはずで、また元のキツネの姿に戻るのかも知れない。
そう思うと何故か、この発熱が、その予兆であるようにも思えてくる。
また再び、小雪はキツネの姿に戻るのだろうか?
それはそれで良いような気もした。元よりそうだったのだから。
例えそうだとしても、この冬の出来事は、大切な思い出としてずっと残っていくことだろう。
何にしても、想像だけでどうこう考えていても仕方がない。
アスハさんに訊けば、全てが解る。
そう、あの方なら、この発熱の理由、そして記憶喪失の理由も解るだろう。
会いに行かなくては、出来るだけ早く。
訊かなくてはいけないことが、たくさんある。
そう考えていて思い出した。
先ほど神社を出るときに、車から見かけたように思ったのは、気の所為だったのだろうか?
確か、キツネには予知能力のような物があったはずだ。小雪はそれで私を助けに来たのだから。
もしかするとアスハさんは、小雪が発熱することを知って、助けに来てくれていたのかも知れない。それなら、すぐにこの家まで来てくれるだろう。
かなり楽観的かも知れないけれど、そう考えることにした。
取りあえず、薬を使うのは止めておこう。
小雪に布団をかけ直し、そっと頭を撫でて上げる。
「………」
理由もなく、”来た”と感じた。
私は音を立てないように部屋を出て、台所の二人に声を掛ける。
「お茶を、3人分お願いします」
「ん。って、私たちの分?」
「お客さんが来ます」
「解った。朝香、紅茶出して」
「うん」
その言葉を背中で聞きながら、私は玄関に向かう。
”居る”と、何故だか解る。もしかするとこれも、アスハさんの力なのだろうか?
私はそっと戸を開けて声を掛けた。
「こんにちは、アスハさん。お待ちしていました」
「……はい」
思った通り、そこにはアスハさんと竜弥さんの姿があった。
望美ちゃんが居ないと言うことは、やはり大事な話をする為なのだろう。
「どうぞお入り下さい。小雪は奥の部屋です」
「……私たちが来ることが、わかっていたのですか?」
何の用で来たのかも、と目で問いかけてくる。
「はい」
その様に訊くと言うことは、”来た”と感じたのは、私の思い込みだったようだ。
そう思うと少し恥ずかしい。
私はそそくさと奥の部屋まで案内した。途中、台所から出ようとしていた朝香と鉢合わせ、ティーセットの乗ったお盆を受け取る。
アスハさん達は部屋に入ると、すぐに小雪の側に膝を着いた。
そして何かを伝え合うように、互いに目配せをする。
「お訊きしたいことがあります」
「はい」
私の言葉に、アスハさんは振り返って、微笑む。
その表情が、小雪の発熱は大したことはない、と教えてくれている様に思える。
「この発熱は、何か、特別の理由があるのですか?」
「……恐らく、少し疲れが出たのでしょう。明日には収まると思います」
期待通りの言葉に、私はほっと胸をなで下ろした。
「あと、幾つか訊いておきたいことが……」
「はい」
紅茶を勧めながら、私はここしばらくの疑問を訊いてみることにした。
返答はアスハさんに全て任せるのか、竜弥さんはそっと立ち上がり、ガラス戸の方に移動する。
「まず、……小雪の、記憶喪失の理由です」
「はい」
「これは、小雪が”人”に変わったことが原因なんですね?」
「はい、その通りです」
「でも、アスハさんはキツネだったの時の記憶も、持っていらっしゃるのでしょう?」
「それは私が、”人”に変わることを前提にして、変わったからです」
「どういう意味でしょうか?」
「私は”人”になろうとして”人”になりました。ですが、小雪はあなたを助けたいという思いのあまり、”人”になってしまったのです」
「つまり、準備が抜けていたと言うことですか?」
「いえ、そうとも言えますが……。少し、私たち”キツネ”の事についてお話しいたしましょうか」
「…はい」
「”妖狐”と呼ばれしモノの体は、普通の狐と何ら変わりはありません。決定的な違いはその”力”で、私たち”キツネ”の本質は、”力”その物なんです」
「………」
「”意思”を持つ”力”が狐に宿ったのか、狐の中に”力”が現れたのか、それは今では解らないことですが、キツネの体はその”意志を持った力”…”魂”の入れ物でしかないのです」
「はい」
何となく理解はできる。
「ただ、幼いキツネは、自分の本質、その”魂”の部分を感覚的に理解することが出来ません。言ってしまえば、多少の”力”が使え、特別な知覚能力を身につけても、体に依存している限り、普通の狐と大差はないのです」
つまり、
「小雪は、まだその”妖狐”と呼ばれる存在ではないのですね」
「はい。”力”を使って人の姿に変わったのに、”自分自身”を認識できていなかった為に、記憶が欠落してしまっているのです」
「思い出すことは、出来ないのですか?」
「記憶は、小雪の本質としての”魂”の部分にちゃんと残っているはずです。ただ、その本質を、それをそうだと感覚で理解できない限り、思い出すのは難しいでしょう」
「………。その…幼いキツネが、自分の本質、”魂”の部分を理解できるようになるのには、どのくらいの時間が掛かるものなのでしょうか?」
私の問い掛けに、アスハさんは軽く目を閉じてから、ゆっくりと、
「……およそ、100年程でしょうか」
と答えた。
「100年……ですか」
私にとっては、途方もない時間。
それはつまり、小雪がキツネだったときの記憶を取り戻すには、それくらいの時間が掛かると言うことなのだろうか?
「人間の身としては、越えることのできひん、時間の果てやな…」
突然、雪の積もった庭を眺めていた竜弥さんが、そのままの姿勢で呟いた。
「……はい」
それにアスハさんが応える。
悠久なる時間の流れ。
それを一番感じているのは、寿命という物を持たないキツネと、共に生きている”人”なのかもしれない。
「竜弥さんは、人間なのですね」
「あぁ」
振り返って、私を見つめながら応える。
「あと100年、生きることの叶わん身や」
「………」
真っすぐな瞳。
そこからは、何を考えているのかは読みとれない。でも、綺麗な、澄んだ瞳だと思った。
「よろしいですか?」
しばらく間をおいてから、再びアスハさんが言葉を発した。
「はい」
「小雪は”力”に対して、自分に対して、何の理解も持っていないのです。だから……」
そう言って、視線を落とす。
「だから、大切にしてあげて下さい」
アスハさんは、そっと小雪の髪に触れた。
「はい」
「……もうえぇか?」
突然に竜弥さんが声を上げる。
「……はい」
アスハさんは小雪の髪を撫でながら、呟くように応えた。
「あ、あの、もう少しお訊きしたいことがあるのですが」
「それやったら、えっと……これ」
言いながら、竜弥さんがポケットから何かを取り出した。
「今泊まっとる旅館なんやけど、場所、解るか?」
渡されたマッチの箱には、『温泉旅館 鶴屋』と書かれていた。
その名前には覚えがある。たしか街外れの、小さな旅館だったと思う。
「はい。大体の場所でしたら」
「そこに来てくれたら、いつでも話はできるから、…今日は、すまんな」
「いえ。こちらこそすいません。わざわざ来ていただきまして……」
そう、今日はわざわざ小雪のために、ここまで来て下さったんだ。
何かご用があるのだろう、私の都合でこれ以上お引き留めする訳にはいかない。
「ありがとうございました」
改めてアスハさんに向かい、そう言葉を掛ける。
しかしアスハさんは振り向かず、小雪の頭を撫で続けていた。
そして、すっくと立ち上がる。
「……?」
違和感。
何故か、いつか見たような、遠い記憶を思い起こさせるその横顔。
「では、今日はこれで失礼いたします」
そう言いながら、やっと私の方を向く。
「はい…」
何だろう?
並んで部屋を出る二人の、後ろ姿を見つめる。
この二人の後ろ姿、いつか見た風景?
それは、悲しみを帯びた記憶であったように思う。
玄関を出たところで、再び挨拶を交わす。
「では、また近い内に」
「はい。お伺いいたします」
そして歩き出した二人の向こう側。
日の光を僅かに跳ね返す、白い”丘”が見えた。
「………」
『近い内に』、と言っていた。
会いに来なさいと言っているようにも思えた。
よく解らない違和感。
二人は、何の為にここまで来たのだろうか?
小雪の発熱は大したことはなかった。
それなら、私を安心させるために? 他にご用があったみたいなのに、わざわざ?
それだけとは思えない、何だったんだろうか?
何を伝えるために、ここに来たのだろう?
小さな疑問。
最近の私は、少し疑り深いような気もする。
「美汐ー? お客さん帰ったのー?」
「あ、はい。帰られました」
台所から響く智子の声に応えながら、私は玄関の戸を閉めた。
「お雑煮冷めちゃうよ」
「はい。すいません。小雪ちゃんの部屋で食べたいと思うのですが」
「解ってる。机だけ用意しといて」
「はい」
「一応、こゆきちゃんの為にお粥も作ったんだけど」
「ありがとうございます」
”小さな疑問”は、そんな何気ない会話の中に、いつの間にか流れ去ってしまっていた。
……つづく。
|