『”ものみの丘”に吹くそよ風』
第二十一話
露店がずらりと立ち並び、普段は静かな神社の境内も、元日らしいざわめきに包まれていた。
少し遅くに出てきたので、人出も少しは減っている様だけど、この中で離れると再び出会うのは難しいだろう。
「小雪ちゃん。しっかり手を繋いでいて下さいね」
「うん」
嬉しそうに歩く小雪ちゃんの手を引きながら、私は待ち合わせをしている大きな狛犬に向かった。
「お、来た来た。美汐〜っ!」
「そんな大きな声を出さなくても、分かりますよ」
苦笑しながら片手を上げて智子に応える。狛犬の側には朝香と野崎君、そして荒川君の姿もあった。
「明けましておめでとう御座います」
「ん、おめでとう。今年もよろしく」
毎年のように、お決まりの挨拶を繰り返す。
その姿を、手を繋いだままだった小雪ちゃんがじぃっと見ていた。
「年が明けて最初に会ったときは、こんな風に挨拶をする物なんです」
「うん」
理解したのかは解らないが、取りあえず頷いてくれた。
その小雪ちゃんの頭を見て、智子が声を上げる。
「お? その山茶花、また散ってなかったんだ」
「はい。大事にしていましたから」
とは言っても、お風呂と寝るとき以外は、髪に挿したままだったのだけれど。
「なぁ、その子、誰?」
不意に、野崎君が当然の疑問を口にする。
それを聞いて、隣に居た朝香が意外そうに応える。
「へ? 拓臣ちゃん、まだ会ったこと無かったっけ?」
「おいおい坂上。さり気なくひどい事言ってないか」
ぼそりと荒川君が呟いた。
「なにが?」
その返事を聞き、智子も横から小突く。
「年末からこっち、みんなが集まってるときも、拓臣だけ呼ばなかったのはあんたでしょうが」
「なに? ってぇ事はオレだけ仲間はずれだったのか?」
「拓臣ちゃん。気にしない気にしない」
朝香は軽く手を振りながら、笑って誤魔化そうとする。
「おいおい坂上。あんまりだって」
「拓臣、哀れな奴……」
そう言って苦笑した智子が、改めて言葉を続ける。
「まぁ、それはともかく。この子はこゆきちゃんって言って、今は美汐と一緒に暮らしてんの。で、こゆきちゃん。これ、野崎拓臣。一応美汐の友達に含めといて」
「…うん」
「なんだよ、そのぞんざいな紹介は」
「だって拓臣だし」
「あぁ、拓臣だからな」
「……拓臣ちゃん、不幸な奴」
朝香の言葉に、3人が一斉に笑った。
ぞろぞろとみんなで横並びになって、まずは定番通りに本殿でお参りを済ませる。
「何をお願いした?」
これも毎年の質問。
「受験合格」
「同じく」
「他にないもん」
荒川君の言葉に、野崎君と朝香が頷く。
「なんだか寂しいね、そんなのばっかりじゃ」
智子はさもつまらなそうに応える。
「そう言うお前は何をお願いしたんだ?」
「……別に。…美汐は?」
「私は、今年一年が良い年でありますように、です」
「ふっ、美汐らしいね」
「私は今のままで、十分幸せですから」
何気なく、小雪ちゃんの頭を撫でる。
「でも、高校落ちたら不幸になるよ?」
笑いながら言った朝香に、荒川君が横やりを入れる。
「私立受かってるから別に良いんじゃないのか? それより坂上の方がやばいんだろ?」
「うっ…。でもっ、やばいのは拓臣ちゃんも一緒だもん」
「おい」
「まぁ確かにそうかもな」
「滑り止めも受けとけば良かったんじゃないの?」
「お前らなぁ……。オレはちゃんと受かるって、やばいのは朝香だけ」
「………、そんな事言う…?」
「…あ。うそ、ごめん、大丈夫だって、二人とも受かるから」
「ふっ、くっくっくっ……、弱くなったねぇ、拓臣」
慌てて言い繕う野崎君を見て、智子が苦笑する。
「まったく」
それに目線を合わせ、荒川君も笑っていた。
そんな二人のやり取りを見た野崎君が、ばつが悪そうに視線を落とす。
私は少しかわいそうな気がして、話を合わせる。
「そうですね。折角一緒の高校を受けるのですし、二人揃って合格しないといけませんね。どちらかが浪人になったりしたら、寂しいですから」
「あぁ、そうだね。これでどっちかが落ちたら相当笑えるね」
「智ちゃん、ひどいこと言ってない?」
「目の錯覚でしょ?」
智子はそう応えて、更に大きな声で笑う。
「…智子。場所を換えませんか?」
「…あ。そうだね」
はたと笑うのを止めると、頭を掻きながら辺りを見回す。
「ちょっと目立ちすぎだね」
「本殿の前ですから」
言葉を掛け合いながら、私たちは歩き出した。
「次は、おみくじ?」
「そうですね……」
応えて視線を巡らす。いつもは閑散としている授与所の前に、小さな行列が見えた。
「行きましょう」
私は小雪ちゃんの手を引いて、そちらへ向かった。
「ぐっ……凶だ」
「だろうな」
開いたおみくじを見ながら呻いた野崎君に、荒川君が楽しそうに言った。
「……なんだよ」
「去年から不幸だからね、拓臣は。ちなみに私は”中吉”」
笑いながら、智子が自分のおみくじを広げてみせる。
「俺は”吉”」
「私も”吉”だよ」
「私は……”末吉”です。小雪ちゃんは何が出ましたか?」
「ふに…」
黙ったまま自分のおみくじを見ていた小雪ちゃんが、顔を上げてそれを差し出す。
「……”凶”ですね」
「えぇ? こゆきちゃん、かわいそう…」
「ふ…ん。まぁ、所詮おみくじだから、気にすること無いって」
「そうだな」
私の言葉に、みんなが小雪ちゃんを慰める。
「ふに?」
でも小雪ちゃん自身は、あまり気にしていない、と言うより解っていないらしい。
「どーでもいーけど、オレの時と対応が違いすぎないか?」
「そんなの当然でしょ」
「だから坂上。あんまりだって」
そう言いつつも、荒川君も笑っていた。
「だって拓臣ちゃんだもん」
「あぁ、違いない」
智子の言葉に、再び三人が声を上げて笑った。
「なぁ天野、オレってイジメられてるのか?」
「……気の所為ですよ」
私は目線を逸らしながら応え、小雪ちゃんの頭を撫でて上げた。
「小雪ちゃん。これは枝に結んでしまいましょう、悪いことが無くなるように」
「うん」
小雪ちゃんの返事を聞いて、私はそのおみくじを手近な桜の枝に結びつける。
どうか、小雪ちゃんに悪いことが起こりません様に。
「オレも結んでおこう……」
「無駄無駄。あ、こゆきちゃんは無駄じゃないからね」
「……お前らなぁ」
そんなやり取りを背中で聞きながら、小雪ちゃんに言葉をかける。
「ついでに、お守りも受けていきましょう」
「あ、私もお守り買う」
「そうだ、オレも受けとかないとな。合格祈願ってある?」
朝香と野崎君の言葉を受けて、並べられたお守りをざっと見渡す。
「……合格祈願、は無いようですね。学業成就でしょうか?」
呟いて、向かいに座った巫女さんに目線で問いかける。
「そうですね、そちらがよろしいかと」
「じゃあ、それひとつ」
「私も学業のお守り」
「小雪ちゃんはどれが良いですか?」
横を見ると、お守りの入った棚に並んでいる、ちょっと大きめの鈴を手にしていた。
「それもお守りですか?」
ちりん……。
「ふにゅ?」
小首を傾げた小雪ちゃんの後ろから、覗き込んだ荒川君が説明書きを読み上げてくれる。
「なになに? 『運が良く成(鳴)るお守り』、って、なんだそりゃ」
「へぇ、面白いのがあるね」
荒川君の脇から、智子が楽しそうに顔をつっこんで来る。
「語呂合わせでお守りか、変わってるね」
「でもなんだかこれ、新興宗教のあれみたいじゃないか?」
「幸せになれる壺?」
そう応えつつ、智子が笑った。
「…非道い言われ様だな」
突然、授与所の奥から声が掛けられた。
「なっ…藤一郎先輩…っ」
御簾の陰から現れた神主さんを見て、智子と野崎君が急に体を固くする。
”藤一郎先輩”?
……最近聞いた名前。そう確か、智子達の剣道の先輩。
「明けましておめでとうございます」
荒川君はぴんっと背筋を伸ばし、新年の挨拶をおくった。
「あぁ、おめでとう。久しぶりだな、拓臣と智…高瀬さんも」
「はい。ご無沙汰しています」
智子がぺこりと頭を下げた、それに野崎君が続く。
「おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」
「あぁ、よろしく」
片手を上げて応えて、視線をこちらに向けた。
私は、反射的に軽くお辞儀をする。
それに小雪ちゃんが続き、つられるように朝香も頭を下げた。
「今年は華やかだな」
「はい。高瀬の友達が一緒ですから」
「ふぅん」
藤一郎さんはそう呟いて、もう一度私たちの顔を見る。
「こちらの二人は、初めて見た顔だな」
「はい。高瀬さんのクラスメイトの天野と言います。こちらは小雪です」
「…こゆきです」
「ここの神主の荒川藤一郎です。志郎達とは同じ道場で剣道を習っていた仲なんだ」
「はい。高瀬さんから聞き及んでおります」
「へぇ…、どんな風に言ってた?」
ちらりと、横目で智子達を見て、少し前屈みで訊いてくる。
「荒川君と二人で、先輩は自分たちの目標でもある人だ、と」
「ふぅん……って、おいおい」
身を起こし、一瞬間をおいてから、大きく笑う。
「俺はそんな大した人物でもないよ」
私の斜め後ろに動いた視線につられ、振り返って智子を見てみると、少し頬を赤くしてぼりぼりと頭を掻いていた。
「で、そのお守りを受けるのか?」
藤一郎さんは口元だけで小さく笑って、突然に話を元に戻した。
「あ、はい。小雪ちゃん、これで良いですか?」
「うん」
「では、お願いいたします」
前に座った巫女さんが、小さな袋に入れて小雪ちゃんに手渡してくれる。
その隙に、藤一郎さんは一旦奥に入り、授与所脇の戸口から姿を現した。
「ん……、すっかり朝だな」
のびをしてから、大きく息を吐く。
「もう、お昼近くですよ、先輩」
苦笑しながら言った荒川君に、藤一郎さんは、ふっと鼻で笑って応え、
「午前中は朝なんだよ」
と嘯いた。
藤一郎さんに案内され、私たちは小さな蔵に入った。
「一応、”社宝展”と銘打ってはいるが、ここの神社には大した物はなくてね」
十畳程度の空間に、幾つかガラスケースが置いてある。
「それでも、滅多に見せる機会が無いから、見ておくと良い」
智子達3人に、目線で示す。
「これがうちの一番の御神宝、そして荒川流剛剣術継承者、荒川本家伝家の宝剣、”素戔真経津剣”だ」
「へぇ……」
そっとガラスケースに手を置いて、智子が覗き込む。
「名前は…名前だけは聞いたことがあります。以前、師範がそんな剣があると……」
そう言いながら、野崎君もケースを覗き込んだ。
「他のケースも、全部武具の類なんですね」
一人だけ蔵の真ん中に立って、ぐるりと見渡してから、荒川君が呟いた。
「あぁ。全部、荒川の先祖が使っていた武具だ。そう、全て実戦で使われたことのある、とても神宝とするには不向きな物ばっかり」
そう言って苦笑した。
その言葉に、智子が振り返る。
「実戦で?」
「あぁ。師範が言っていただろう? ”荒川流剛剣術”は人を殺す為の術だ、ってね」
「……はい」
「ここにある物はみんな、多かれ少なかれ人の血に濡れた、罪を負った物達ばかりなんだよ」
そう言いながら、手の甲でこんこんとケースを叩く。
「……もっとも、相手は人間だけではなかったみたいだけどね」
「え?」
宝剣に視線を落としたまま呟いた藤一郎さんに、智子が小さく疑問の声を上げた。
「剣を…狩りか何かに使ったんですか?」
「昔話だよ」
どこか自嘲しているような、奇妙な笑い方をする。
「昔、荒川の先祖は人を苦しめた”物の怪”と戦って、これを退治し、そしてここに神社を築いた、ってね」
そして智子を見つめ返す。
「そんな、昔話」
「へぇ、面白いですね」
何とも無しに、智子がそんな返事をする。
それを聞き流しながら、私は、今の話を反芻していた。
…いや、反芻するまでもない。
”人を苦しめた物の怪”、それは、キツネ達のことに違いないのだから。
そう、”長”の言っていた”キツネを狩る者達”。藤一郎さんは、その血筋なんだ。
そして、この蔵にある武具は、キツネを殺すのに使われた……。
「社宝って、これで全部なんですか?」
私の考えを断ち切って、荒川君が声を上げる。
「ん? そうだよ。大した物は無いだろ」
「…いえ。籠手だけは2つもあるのに、なぜ鎧の類は無いのかなって思いまして」
「あぁ、鎧は、壊れたのと役に立たないから捨てたのとで、一個も残ってないんだ」
「役に立たない?」
「そう、”物の怪”相手に、重い鎧を纏っていたら、殺してくれって言ってるようなものだろ?」
その言葉に、荒川君は再び疑問を口にする。
「それって、昔話…ですよね? いつ頃の話なんです?」
藤一郎さんは、一度軽く目を瞑ってから答えた。
「300年前。江戸時代の中期だそうだ」
「…え?」
これは智子。
「そんなに、新しい時代のことなんですか?」
「そうだよ。それ以前の荒川家は幕府に仕え、剣術指南の役所も担っていたそうだ」
「………」
「それが、どうして……」
「さぁな、色々あったんだろ。こんな田舎に引きこもって、小さな神社で神主をやる理由が」
藤一郎さんは、もう一度、ガラスケースをこんこんと叩いた。
「例えばそれは、犯した罪の償いだったのかも知れない、な」
そしてゆっくりと、蔵の出口に向かう。そのまま、近くにあった椅子に腰掛けた。
私は入れ違いに、藤一郎さんが先ほど立っていた位置から、そのガラスケースの中、”素戔真経津剣”を覗いてみる。
一見、ごく普通の剣。
私には解らないけど、日本では珍しいのかも知れない。
ただ、宝剣と言うにはあまりにも飾り気が少ないような気がする。
ちらりと、隣でその剣を眺めていた小雪ちゃんを見てみた。
しかし、小雪ちゃんはただ無表情で、何を考えているのかは解らなかった。
「ところで、爺さんは今どこに?」
蔵を出たところで、荒川君が不意に思いだしたように質問した。
「あぁ、本殿前か…いや、社務所だな。挨拶はまだか?」
「はい。今から行ってきます」
「同じく」
荒川君の返事に、智子が合わせた。
「じゃ、すぐ戻るから……」
私に向かってそう言って、歩き出そうとした智子の袖を、朝香が引っ張った。
「なに?」
振り向いた智子に、なにやら小声で呟く朝香。
「…あぁ。先輩、この近くに、着物で入りやすいトイレは…」
「智ちゃんっ!? なんっ…て、……大きな声で言わないでっ!!」
いきなり真っ赤になった朝香が、大きな声で叫ぶ。
「…トイレなら社務所のを使うと良いよ。じゃあ、みんなで行くか」
苦笑しながら藤一郎さんが応える。
「う〜」
「はっはっは、朝香にも恥じらいって物があったんだね」
「智ちゃんと一緒にしないでっ」
「ど〜いう意味だ、それは」
「そのまんまだろ」
既に歩き始めていた荒川君が、顔だけ振り返って笑って見せた。
社務所と呼ばれる場所に入り、智子は朝香を連れてトイレへ、荒川君達は、先に剣道の先生に挨拶に行った。
詳しくは聞かなかったけれども、その”師範さん”とは、この神社の宮司さんのことらしい。
私と小雪ちゃんは、藤一郎さんに案内され、応接室に通された。
「しばらくは使わないから、ゆっくりしてくれて良いよ」
「はい。ありがとうございます」
私たちに腰掛けるように促し、少し間をおいてから、藤一郎さんもソファに腰を下ろした。
「………」
何の話をするでもなく、ただ、窓の外を眺める。
遠くから、絶え間なくざわめきが聞こえてくる。
私はなんとなく、繋いだままだった手を離し、小雪ちゃんの頭を撫でて上げた。
「仲が良いんだな」
「はい」
私は軽く笑って応える、が、しかし、藤一郎さんの表情には、どこか陰があった。
「……どうか、しましたか?」
「ん? なにが?」
「今、悲しそうな顔をしていました」
微かに体が揺れて、穏和な瞳が、一瞬鋭さを持つ。
「……そうか」
しかしそれは、すぐに弛められ、再び少し悲しそうな色に変わる。
「仲の良い姉妹って言うのは、良いもんだなって思ってね」
言いながら、窓の外に視線を移す。
「高瀬さんも、仲の良いお姉さんが居たんだ」
「はい」
「知っていたか」
「はい。直接合ったことはありませんが、智子が、泣き続けていたときの事を、私は憶えています」
「そう、か」
そして頬杖を突くように、手の平で口元を隠し、静かにテーブルの一点を見つめる。
しばらくして、軽く息を吸い込み、呟いた。
「罪は罪…」
「…はい?」
「智子ちゃんのお姉さん、綾子さんが死んだのは、俺の所為だ」
そのままの姿勢で、目だけが私の方を向く。
「あのとき、俺が綾子さんを呼び出さなければ良かったんだ」
再びテーブルに視線を落として、ゆっくりと話し始めた。
「その日は大学の合格発表の日で、俺はかなり遠くの大学を受けていたんだ。それで、もし合格したなら、好きだと言おうと、決めていたんだよ」
ちらりと、再びこちらを見る。
「呼び出さなければ良かった、俺の方から会いに行けば良かったんだ。そう、電話で告白しても良かっただろうし、別に次の日でも構わなかったはずなのに……」
もう一度、今度は大きく息を吸い込み、そして吐いた。
「綾子は、俺のほんの10メートル先で、事故に巻き込まれた」
「それは、あなたの所為なのですか?」
「俺が呼び出さなければ、あんな事には成らなかった。……いや、過ぎたことを言っても仕方がないのは解っている、言ってしまえば、待ち合わせ場所が違っていたら、もし俺がもう一本早い電車に間に合っていたら……、些細な違いで、運命は変わっていたはずだ」
「なら、何故自分の所為だと言うんですか?」
「馬鹿馬鹿しく思えるかも知れないが、荒川家には、呪いが掛かっているんだよ」
「呪い?」
「俺の親父は、恋人を病気で亡くして、その後見合い結婚。で、その母も俺を生んだときに死んでいる。爺さんに至っては見合で2回結婚して、その二人共を2年で亡くした。それ以前から、荒川家では代々そうらしい」
「それは……」
「”荒川家の男子と恋に落ちた女性は、程なくして死ぬ”、それが”罪”を犯した荒川家に対する”呪い”なんだよ。こう言うとなんだけど、綾子とは、ずっと言葉にはしていなかっただけで、思いは通じていたと、そう思ってる。だから、綾子が死んだのは……」
「……その”呪い”は、”ものみの丘”のキツネが掛けたものなのですか?」
「な…に?」
「荒川家の人間が300年前に戦ったのは、”妖狐”と呼ばれた者達なのでしょう?」
「……あぁ、その…通りだ」
「あの子達は、人を呪ったりなんかしません。その”呪い”はただの偶然です。そうでなければ、『呪われていると思いたかった』先祖達の”思い”、それが”呪い”と成ったのではないですか?」
「なにを……」
「人に災厄をもたらすのは、所詮、人なんです。300年前の戦いだって、本当は、人と人の争いだったのでしょう? キツネ達は人を助けようとして、巻き込まれただけです」
「………」
「智子のお姉さん、綾子さんが死んだのはキツネの呪いなんかではありません。ましてや、あなたの所為であるはずがありません」
そう言い切って、真正面から見つめる。
藤一郎さんは黙ったまま、呆然と私を見つめ返していた。
「私の考え方は、おかしいですか?」
「いや……」
答えようとして、また口をつぐむ。
「…いや、間違ってはない、と思う。むしろ、そう考えるべきなのだろう、しかし…」
片手で、がさりと髪を掻き上げる。
「君は……一体…」
こんこん。
突然、部屋にノックの音が響き渡る。
「はい」
ビクッとして、藤一郎さんが応えた。
「あ、ここに居たんですね」
かちゃりとドアを開けて覗き込んだのは、荒川君だった。
「あぁ…志郎か」
「はい。…どうかしましたか?」
「いや、何でもない」
そう言って、静かに立ち上がる。
私もそれに続いて席を立った。
「あれ、やっぱり中にいたんだ」
「あぁ。応接室にいた」
智子が、先に表にでた荒川君に声を掛けている。
「君は…天野さんは、何故”妖狐”のことを知っているんだ」
草履を履こうとしていた私に、藤一郎さんが声を掛けてきた。
”妖狐”、ものみの丘のキツネ達。
本当のことは、話してはいけないのだろうか?
「…いや、気にしなくて良い。すまなかった。それと、ありがとう」
私が答えないでいると、藤一郎さんはこちらを見ずにそう告げて、下駄を履いて表へ出て行った。
「……小雪ちゃん、行きましょう」
「うん」
「あそこに社があるだろ」
「はい」
「額には”稲荷社”と書いているが、普通なら立っているはずの、狛犬代わりの狐の像が無い。何故だと思う?」
帰り際、藤一郎さんは境内の隅にある社を指して、智子達に問いかけた。
「そういう言い方をするところを見ると、実はお稲荷さんでは無いんですか?」
「……本来、社の扉を開けると中にはもう一枚扉があって、それを開くと中にご神体が納めてある物なんだが、あのお社だけは違うんだよ」
そう言って、荒川君の頭越しに私を見る。
「2枚目の扉を開けると、中は空っぽなんだ。そして、奥の壁にもう一枚扉がある、そこを開けると……」
すっと、その方角を仰ぐ。
……あの方角は、”ものみの丘”?
「…開けると、雑木林しか見えないんだな、これが」
「どういう意味です、それは?」
「さあな」
よく解らないと聞き直す野崎君に、藤一郎さんは軽く笑って応えた。
しかし、この話は多分、私に聞かせるためのものだ。
”丘”を拝むための社?
キツネ達を拝んでいたというのだろうか?
だから、お稲荷さんに付き物の狐の像が無い。
キツネを拝む……?
『人はキツネを”野の神””森の神”として祀り、変わることのない恵みを願った』
それは、遠い昔のこと。
それが今も、形を変えて伝わっているのだろうか、キツネ達と争った、荒川家の人の手によって。
「そうなのだとしたら、これもまた、奇妙な縁ですね」
「あぁ、そうだな」
藤一郎さんは、前を向いたまま呟いた。
「なに? 美汐は意味が解ったの?」
「さぁ、どうでしょう?」
私はくすっと笑って智子に応える。
もし、そうなのだとしたら、キツネ達の”願い”は、本当は簡単に叶えられる物なのかも知れない。
キツネ達が人を想い続けていたように、誰かがキツネ達を想い続けていた。
”想い”は、途切れることがなかったのかも知れない。
『憶えていて下さい、あなたが、あなた達が”希望”であることを』
ふと、アスハさんの言葉を思い出す。
”希望”は、今もここにある。
私は何気なく小雪ちゃんの手を取り、ぐっと握りしめた。
しかし…、
「……しお…」
「え?」
小雪ちゃんは、力無く私の手を引き返した。
「小雪ちゃん?」
くらっと、その体が揺れる。
「小雪ちゃん!?」
私は慌ててその体を抱き寄せる。
ばっと、雪の地面に紅いものが散った。
髪に挿されたままだった山茶花、散ることの無かった紅い花。
小雪ちゃんは私にもたれ掛かるようにして、その場に崩れ落ちた。
……つづく。 |