『”ものみの丘”に吹くそよ風』
第十九話
ぽんぽんぽんっと、3つのお手玉が宙を飛ぶ。
「ほい」
更にひとつ追加して、4つの玉がくるくると回り始めた。
「ふぇ〜……」
「もう一個」
視線はお手玉から外さずに、智子がつぶやく。
「はい」
私は手にしていた問題集をおくと、転がっているお手玉を拾い、智子の左手の甲にそっとあてる。
「ありがと」
それをぱしっと受け取ると、すぐに右手に渡し、そして宙へ。
「うわ、すっご〜い」
勉強などとっくにやめて、眺めていた朝香が歓声を上げる。
「6個、いきますか?」
「……ちょっと待って……はいっ!」
智子の声に合わせ、ぱっと左手にのせる。
「よしっ」
智子がにやりと笑った。
お手玉は天井すれすれまで飛んでいる、恐らくこの場所ではこれ以上は無理だろう。
程なくして、智子はお手玉を膝に納めていった。
「ふぅ…」
両手をぷらぷら振りながら息を吐く。
「久しぶりでも出来るもんだね」
「流石ですね、智子は」
「うん、凄いよ智ちゃん。私なんか3つでも落とすのに」
ふふっと小さく笑って、
「それはちょっと鈍いんじゃないの」
と言う智子に、
「う〜」
と、朝香が軽く頬を膨らませる。
「やってみますか?」
そんなやり取りを横目で見ながら、興味深そうにお手玉をつまんでいた小雪ちゃんに、声をかける。
「……うん」
「では、まず1個だけ持って下さい」
そう言って、落ちていたお手玉をひとつだけ渡す。
「ふにゃ」
そして私もひとつだけ手に取り、
「見ていて下さい」
右手で軽く放り投げ、左手で受け止めて素早く右手へ、そしてまた投げる。
「やってみて下さい」
「うん」
真剣な表情で手の中の玉を見つめると、おもむろに上へ投げる。
落ちてくる玉をじっと見つめて……。
ぽて。
「…に」
玉は、小雪ちゃんの顔に落ちてきた。
私の後ろで、智子と朝香が小さく笑っている。
「にゅ〜…」
丁度、目と目の間に乗っかっていた玉を手に持ち直して、悲しそうな顔で私を見る。
「そんなに高く投げなくても良いのですよ。最初はこれくらいで……」
そう言って、もう一度投げてみせてあげた。
「左手で取れるところに投げて下さいね」
「……うん」
応えるて、また真剣な顔でお手玉を見つめる。
「にゅ」
そして、掛け声(?)と共に投げ放つ。
今度は高く飛ばずに、ちゃんと体の前に落ちてくた。それを左手で、わしっと掴む。
やった、と言う顔でこちらを見る小雪ちゃんに、智子達も今度は拍手を贈ってくれた。
「そのまま続けて下さい」
「うん」
とんとん。
ふすまがノックされる。
「はい」
「お勉強は進んでいますか?」
私の返事に、お母さんがそんな言葉を言いながら入ってくる。
「………」
振り返ると、朝香も智子と向かい合ってお手玉をしていたようだ。
つまり、誰も勉強などしていない。
「…ちょっと息抜きです」
くすっと笑ったお母さんは、お菓子の乗ったお盆を机の上に置いてから、呟いた。
「懐かしい…ですね」
そっと、お手玉をひとつ取る。
「はい。そこに入れてあったものを、小雪ちゃんが見つけたんです」
半分開けられたままの押入を指す。
「そうですか。ずっと、そのままでしたからね、ここにあるとは知っていたんですが」
応えながら、愛おしそうに手の中の玉を撫でる。
「叔母さんもこれで遊んでいたんですか?」
「はい」
智子の問いに嬉しそうに答える。
「私には、本当のお母さんが居なかったですから、ここにお嫁に来てから、いろんな遊びを教えてもらったんですよ」
立ち上がると、お手玉が入っていた辺りの小箱をいくつか取り出す。
「ほら、他にも色々あります」
その箱からは色んな物が出てきた。
古びた人形やウサギの縫いぐるみ、千代紙、おはじき、万華鏡、恐らくあやとりに使うのであろう紐……。
「へぇ……」
のぞき込んだ智子も小さく声を上げる。
”懐かしい”その言葉が本当に似合う、不思議な空気が部屋に広がっていく。
「全部、お義母さん…美汐さんのお祖母さんにあたる方が買って下さったんですよ」
そっと、ウサギの縫いぐるみを手に取りながら、お母さんが囁く。
「もう十八にも成ろうという頃でしたけど、本当に、嬉しくて、ずっとこれで遊んでいました」
微かに頬笑むお母さんは、何故か泣き出しそうにも見えた。
「ところでさぁ」
お菓子を食べながら、朝香と遊ぶ小雪ちゃんを見ていた智子が呟く。
「はい」
「小雪ちゃんが退院したんだから、私たちが集まっている理由って、もう半分は無いんだよね」
「…そういえば、そうですね」
「いや、別に良いんだけど。誰かさんが遊んでるのは予想通りだし」
「誰のこと?」
不意に振り返った朝香が応える。
「返事した人のこと」
智子はさらっと言って続ける。
「家で勉強していた方が良いんじゃないの?」
「そんなこと無いよ、ここで勉強していた方が楽しいし」
「かなりダメそうだね、あんたは」
「う〜、ダメって何よぉ」
「ともかく」
再び私に向き直って言う。
「美汐はどう思う?」
「はい。確かに、集まって勉強する理由はないですけど、……別に良いのではないでしょうか?」
「うん。そうだよね」
「あんたは黙ってて」
「う〜」
「まぁ、美汐がそう言うなら良いんだけど」
そう言うと、いつものようにぽりぽりと頭を掻く。
実のところ、私としては勉強のことよりも、小雪ちゃんのことの方が気になっていた。
朝香や智子が小雪ちゃんの相手をしてくれることを望んでいるから、”ここで勉強する”という二人を呼ぶ理由を、失いたくないのかも知れない。
「でも…」
「ん?」
「やっぱり、家で勉強した方が効率的かも知れませんね」
「えぇ〜、みゆちゃんまでそんなこと言うの?」
「朝香は、三人で集まるようになってから、どのくらい勉強しましたか?」
「え…っと……」
「言えるほどもやってないでしょ、あんたは。美汐だって、あんまりやってなかったんじゃないの?」
「はい。たしかに」
そう応えて苦笑する。
「集まるのは、息抜きの時だけにした方が、良いかも知れませんね」
「ん。私はそう思う」
「う〜、二人がそう言うんなら……」
「にゅ?」
小さく声を上げた小雪ちゃんを見ると、少し寂しそうな顔をしていた。
「ところで。息抜きと言えば」
同じく小雪ちゃんの顔を見ていた智子が声を上げる。
「はい」
「映画見に行くって話はどうするの? 年明けてから?」
「そうですね、どうしましょう?」
「もし来年にするのなら、正月までに一度集まりたいんだけど」
「はい。私は良いです」
「うん、私も良いよ」
智子は小雪ちゃんを見て、にやっと笑う。
「こゆきちゃんも連れてきてね」
「はい。智子の家に集まればいいのですか」
「そ、別に明日でも良いよ」
「結局毎日集まるんだね」
「余計なことを言わない」
ごす。
最近、智子は肘を使うことが多くなってきたような気がする。
荒川君を相手にしているときの、その勢いで朝香にも接しているのだろうけど、流石にあれは痛いのではないだろうか。
「にゅぅ…」
まるで小雪ちゃんのような声を上げて、朝香がうずくまる。
それを小雪ちゃんが、優しく抱きかかえるように撫でてあげていた。
「ふふっ、なんだか微笑ましいね、あれは」
「そうですね」
「全っ然、微笑ましくなんかないっ!」
朝香だけは、不満があるようだった。
結局いつものように、「また明日」と挨拶をして、二人は帰っていった。
私は当たり前のように小雪ちゃんの部屋に戻る。
ぽんぽんぽん。
3つのお手玉が回っている。
私は鉛筆を止め、黙ってそれを眺めていた。
規則正しく回っていた玉も、ちょっと外れるとすぐに乱れる。
「に…にゃ……」
ぽて、ぽてぽて。
慌てて投げた玉が大きく外れ、無理に取ろうとして、他の玉まで落ちてしまう。
「ふにゅ〜」
また悲しそうにこちらを見る。
「………」
私は黙って頬笑み返す。すると小雪ちゃんはにこっと笑い、再び落ちた玉を拾って投げ始める。
そんな時間が、静かに過ぎていく。
結局、夕食の時間まで私は勉強をしていなかった。
「お母さん」
「はい」
シチューに軽く口を付けてから、不意に思い出して声をかける。
「あの、箱の中に入っていた千代紙も、私たちがもらって良いのですか?」
「はい。好きに使って下さい。その方がお義母さんも喜んでくれます」
「はい」
後で小雪ちゃんに折り紙を教えてあげよう、そう考えてから、今日はほとんど勉強していなかったことを思い出す。
……まぁ、良いか。
”小雪ちゃんとの出会いを大切にする”
それは約束だから。
そう自分に言い訳をして、小さく頷く。
隣の小雪ちゃんが、不思議そうな顔でのぞき込んできた。
お風呂上がりの濡れた髪を広げたまま、小雪ちゃんの部屋に入る。
古い反射式のストーブの上で、小さなヤカンがシュンシュンと音を立てていた。
「みしお?」
「はい」
そのストーブに背を向けて、小雪ちゃんは相変わらずお手玉をしていたようだ。
手には4つの玉が握られている、もうそんなに上手くなったのだろうか?
私は手にした2つのマグカップをこたつの上に置き、部屋に散らかったお手玉と縫いぐるみを拾い集める。
「みしお。もう片付けるの?」
「使わない分だけです」
そう応えて、お手玉をひとつだけ手渡す。
「これだけあれば、足りますでしょう?」
流石に6つは無理だろう。
「うん…でも……」
「どうかしましたか?」
「みしおも…いっしょにあそぼ…」
私はくすっと笑ってみせた。
「はい。解りました」
私は先ほど決めていた通りに、箱の中から千代紙を取り出す。
そこには綺麗な模様の入った和紙が、幾種類も納められていた。
その中から、同じ模様が複数枚ある紙だけを取り出し、残りを丁寧に箱に戻した。
「ほら、見て下さい」
「ふにゃ?」
「これで折り紙をしましょう」
「うん」
独特の、淡い色使いの和紙を床に広げると、それだけで嬉しい気分になる。
「簡単な折り方から教えてあげますから、好きな色の紙を取って下さい」
「うん。え…っと……」
しばらく考えてから、薄い青の入った紙を選ぶ。
「では……、やっこさんから始めましょうか」
「うん」
「まずこう2つに折って、折り目を付けてまた戻します。そして今度は逆に……」
私の説明を聞きながら、丁寧に折り目を付け、それに沿って更に折っていく。
そして、最後に手と足の部分を開く…のだけど……。
「……?」
私が説明するより先に、小雪ちゃんは折り上げてしまった。
「小雪ちゃん? 折り方を、知っていたんですか?」
「…ふに?」
振り返ると、不思議そうに首を傾げる。
「うん…たぶん」
そう言えば、キツネだった頃に、私が折り紙をしているのをじっと見ていたことがある。
そんな記憶は残っているのだろうか?
思えば、小雪ちゃんが記憶をなくしている理由を、アスハさんに訊くのをすっかり忘れていた。
恐らく小雪ちゃんの記憶喪失には、特別な理由があるのだろう。
それが解れば、キツネだった時のことも思い出せるかも知れない。
そう考えて、私は小さく頬笑んだ。
「ふに?」
「何でもありません。えっと、では次は何を折りましょうか? 何か他に憶えている折り方はありますか?」
「うーん…っと」
他愛もない時間が過ぎていく。
嬉しそうに頬笑む小雪ちゃんを見ていると、私まで嬉しくなってくる。
温かな気持ちに包まれながら、私は、小雪ちゃんが眠くなるまで側にいた。
「では、お休みなさい」
「うん…おやすみなさい」
ふわぁとあくびをして、小雪ちゃんが布団に潜り込むのを確認してから、電気を消してふすまを閉める。
自分の部屋に戻りながら、私は考えていた。
小雪ちゃんに記憶が戻ったとしても、帰る家はここしかない。
それなら、ずっと、一緒にいられるのだろうか?
そうだと嬉しい、そうなって欲しい。
「もしもねがいがかなうなら…」
私は小さく呟きながら、ドアに手をかけた。
……つづく。 |