『”ものみの丘”に吹くそよ風』
第十七話
「遅かったね、どうしたの?」
「いえ。大したことではありません」
智子の問いかけに、我ながら、見当外れな答え方をする。
「…そう? なら良いけど」
待ち合わせ場所には、朝香の姿もあった。
まだ少しふくれているような気もするけれど、智子の態度からすると、もう仲直りしたのだろう。
荒川君が「よっ」とかけ声をかけて荷物をかかえ直す。
「さて、行こうか」
「……はい」
「…? 美汐?」
智子が、怪訝そうに私の顔をのぞき込む。
「はい」
「何かあったの?」
「いえ。別に…」
「………」
何か言おうとして止めておいた、そんな感じの表情。
「…行きましょう」
静かに駅前の大通りを歩く。
何故か誰も、何も話さなかった。
そうだ……。
「智子」
「うん?」
「こゆきちゃんと病院によって行きます。先に戻っていて下さい」
「ん、わかった」
「では…」
軽く声をかけ、私は来た道を駅の方に戻っていく。
遠退いて行く智子達の足音を後ろに聞きながら、私はゆっくりと、先ほど出会った明日香さん達のことを思い出す。
………
…………
「こんにちは、天野さん」
「草壁さん…。こんにちは」
振り向いたその先に、草壁さんがいた。そしてその隣には、いつか見たことのある男の人。
「こんにちは。オレの事も覚えてくれとる?」
「はい。草壁…竜弥さんですね」
「おぉ、ちゃんと名前まで覚えてくれてんねやねぇ」
覚えてくれてんねやね、とは……、覚えてくれているんだね、と言う意味だろうか?
「はい」
多分、関西の方の言葉だと思う、少し変わったイントネーション。
「そうやな、”これ”と一緒やとややこしいから、オレのことは”竜弥”でええから」
竜弥さんは、隣りに立つ草壁…明日香さんの方を指してそう言った。
「はい」
その明日香さんは、黙ったまま、こゆきちゃんの方をじっと見つめていた。
「…あの……」
「初めまして、ですね、こんにちは」
にっこりと微笑んで、こゆきちゃんに挨拶をする。
「あ…はじめまして、こゆきといいます」
「……こゆき?」
その名前に、軽く眉をひそめる。
「明日香さん、その子は……」
私は簡単にこゆきちゃんのことを説明した。
「そうですか」
ぽつりと呟いて、
「私は、草壁明日香と言います。こちらは主人の竜弥です。共によろしくおねがいします」
「ふに」
あれ?そう言えば……、
「今日は望美ちゃんは一緒ではないのですか?」
二人の側に、一昨日出会った女の子の姿はなかった。
「はい。実家に預けてきました」
そう言って、明日香さんは真っ直ぐにこちらを見つめた。
「天野さんと、少しお話がしたかったもので」
「私と…?」
「喫茶店にでも入りましょうか」
と言う明日香さんの誘いを、
「友達を待たせているので」
と軽く断る。
長い話になるのだろうか?
「それでは……どうしましょうか」
「小雪のことですか?」
「………それも含めて、です」
「………」
小雪が見つかった、という話では無いようだ。
「憶えてはいても、思い出せないんですね。……その様にしておいたのですが」
「え?」
「思い出して下さい。出来るだけ早く」
そっと、明日香さんの手の平が、私の額に触れる。
この、感じは……。
一昨日と同じ……。
…………。
「みしお?」
こゆきちゃんが、くいっと袖を引っ張る。
「………」
私は……?
夢を、見ていたような気がする。
気が付くと、目の前に明日香さん達の姿はなく、ただ、こゆきちゃんが心配そうに、私の顔をのぞき込んでいた。
…………
………
病院には行ったものの、軽く問診があっただけで、特に変わった事はなかった。
再び、こゆきちゃんと並んで家路につく。
こゆきちゃんは私の手を取り、嬉しそうに振りながら歩いていた。
その姿を何となく見つめる。
……しばらく忘れていた、言い様のない不安が胸の奥から沸き上がる。
”私は何かを忘れている”
明日香さんの言葉。
『思い出して下さい。出来るだけ早く』
憶えているのに、思い出せないこと。
……『その様にしておいた』?
明日香さんが?
「………」
何かが違う気がする、どこかで何かを間違えている。
「こゆきちゃん」
「うん?」
「先ほど、私が明日香さんと話していたことを憶えていますか?」
「う…ん、すこしだけ」
「明日香さんが私の額に触れた後、何か話しましたか?」
「…? ううん、なんにも」
「そう、ですか」
まるで判然としない、何かがある。
ごうっと、吹き付ける風に、思わずコートの前をあわせる。
空の半分以上が黒い雲に覆われ、その範囲はどんどん広がって来ているようだった。
「こゆきちゃん、少し急ぎましょう」
そう言ってこゆきちゃんの手を引きながら、私は少し早足で歩き出した。
コンコン。
自分の部屋に入るのに、ノックをするのも奇妙な感じがする。
「はい」
智子の声を聞いてからドアを開ける。
「ただいま戻りました……」
「あぁ、お帰り…」
部屋の中には智子と荒川君しかいなかった。
そして、二人とも何故か、落ち着かないように立ったままでいる。
「どうかしましたか? それに、朝香は?」
「別にどうもしないけど…」
智子がわずかに頬を赤らめて言う。
「途中で拓臣と会っちゃって、朝香は置いて来ちゃった」
その言葉がとぎれると同時に、突然荒川君が声を上げる。
「荷物、下の和室に置いといたから」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあ、俺はもう帰るから、後はがんばってくれ」
荒川君はそう言うと、慌てて出て行こうとする。
「荷物の片付けは後で私がしますから、ゆっくりして下さっていても構いませんよ」
「いや、ちょっと用があるんだよ」
「そうですか…? すいません、ありがとうございました」
「こちらこそ、ごちそうさま」
かちゃりとドアを開けたところで、ちらっと振り返る。
その視線は私の後ろ、智子に向かっている。
「じゃあ……」
ぱたんと、ドアが閉じられた。
「智子?」
「………」
智子は俯いて、じっと立ったままだった。
「どうしたのですか?」
「ん……別に」
「………」
言いたくない事なのだろう、恐らくは……、
「荒川君に何か言われましたね」
「………」
智子が私の目を見つめ返す。
「どういうこと?」
「荒川君の気持ちを、聞いたのではないですか?」
「…っ、知ってたの!?」
思わず声を大きくする智子。
「はい」
「どうして……」
「荒川君は、ずっと智子を見ていました。ただ、それだけです」
「………」
智子は、再び視線を斜め下に落として、眉を寄せる。
「取りあえず座っていて下さい。お茶を入れてきます」
「…うん」
「別に、告白された訳じゃないんだけど……、なんて言うか、ちょっと驚いちゃって……」
智子は、いつものように頭を掻きながら苦笑する。
「だから、どうって事ないのよ、ほんとは」
「はい」
「ただ…驚いただけ……」
「意外でしたか?」
「ん、まぁね。言ってしまえば、あいつが好きなのは美汐じゃないかって、ずっと思ってたから」
くすっと笑いながら応える。
「どうしてそう思ったのですか?」
「いや…何となく、考えてみれば理由なんか無いかもね」
そう軽く笑った後、ふぅっと溜息をつき続けた。
「私なんかのどこが良いんだか」
「智子は勉強もできますし、運動だって良くできますでしょう。性格も明るいし、皆に優しいです」
「………」
「智子に憧れている人は、結構いますよ」
「…私は……明るくもないし、優しくもないよ。勉強だって………」
「……智子?」
「ずっと、そう振る舞って見せていただけ。明るく見えるように演技してただけ……。みんなが望むような、お勉強が出来てスポーツも出来る、明るい女の子の振りをしてただけなんだよ」
「………」
少し、様子がおかしい。
「ずっと良い子の振りして、それでも…私、ちっとも優しくなんか無かった、今日だって、解ってたのに、朝香に酷いこと言って……」
「智子…」
「私なんか…本当は何でもない人間なんだよ、どうしようも無い、ただ誤魔化しだけの人間、ただ、それだけ」
そう言って自嘲気味に笑う。
「私なんかの、どこが良いんだか……」
「智子には、智子らしい良いところがちゃんとありますよ。朝香だって、怒っては見せてもすぐに許してくれましたでしょう?」
「………」
「私は優しくあろうと頑張っている智子が好きです。表には出さなくても、ずっと頑張り続けていた智子を、私は知っています」
「……解らない…。ねぇ、美汐…、私は…私は結局、何を、何のために頑張ってるんだと思う?」
「全部、みんなと一緒にいるためじゃないですか?」
「みんなと…?」
「はい。その為に、いろんな事を頑張ってきたんじゃないですか? そして、荒川君はそんな智子のことを見ていたんです」
「………、それは、買い被りすぎ」
「かもしれません」
「………」
ふっと智子が笑う。
「ははっ、なんだか、どうでも良くなっちゃった……」
「智子?」
「もう、考えるのやめた。私は、やっぱりこのままで行こう」
ぽんっと膝を叩いて立ち上がる。
「はい。それで良いと思います」
私もそれにつられるように立ち上がり、それからくすっと笑った。
智子を送り出して戻ってみると、こゆきちゃんはずっと同じ場所に座っていた。
「ごめんなさい、お待たせしました。こゆきちゃんの部屋に行きましょう」
「………うん」
「…? どうかしましたか?」
「ともこ、………?」
呟いて首をひねる。
「こゆきちゃんには難しい話でしたね」
「……う…ん」
少し間をおいて返事をしてから、ゆっくりと立ち上がる。
「…では、行きましょう」
私はこゆきちゃんの手を取って、ドアを開けた。
こゆきちゃんを寝かしつけて、自分の部屋に戻る。
ぽんっとベットに腰を掛けて時計を見ると、11時を軽くまわっていた。
今日はいろんな事があったような気がする。
もっとも、こゆきちゃんと出会ってからは”いろんな事”の連続だけど。
智子のこと、朝香のこと、少しずつ私の周りは変化して行っている。
それも、良いことなのかもしれない。
私はくすっと笑うと、部屋の明かりを消した……。
………
……………
それは、夢。
そう、夢のはず、だった。
いつも見る夢。”丘”に小雪と傘を取りに行って、何もないところで足を滑らせて落ちる。
いつもなら、そこで目が覚めた。
ただ、それだけの夢のはずだった。
でも………。
……落ちる!!
「きゃあぁぁ………っ」
叫びながら、胸にかかえた小雪をぐっと抱きしめる。
体を丸めるようにして、目を閉じて、そして……。
いつの間にか、落ちる感覚は無くなっていた。
「………」
恐る恐る、目を開くとそこは、切り立った崖の…真ん中辺りだった。
宙に浮かんでいる、私が。
「……な…」
言葉も出なかった。
足下には何もなく、数メートル下に小さな川が流れているのが見える。
そこへ向かって、ゆっくりと、本当にゆっくりと、降りて行っているようだった。
呆然としていると、胸元の小雪がぴょこんと顔を出して、私の斜め後ろをのぞき込んだ。
その動きにつられて、私も振り向く。
「…!?」
そこには、一匹のキツネが、私たちと同じように浮かんでいた。
『…そのまま、じっとしていなさい…』
「え?」
声が…聞こえた。
どこから聞こえたのかよく解らない、そんな感じの声が頭の中に、うぉんと響いた。
目の前のキツネは、じっとこちらを見ている。
まるで、このキツネの声だったかのように思えた。
いや、本当にこのキツネの声だ。
そうなんだと、私には解った。
とんっと、地面に足が着く。
ほぼ垂直の崖と、すぐ脇を流れる川に挟まれた、ほんの3・4メートルくらいの隙間に、私たちとそのキツネが降り立った。
ふいに小雪が、いやいやをするように首を振る。
「小雪? 降りるのですか?」
そう言いながら、小雪をそっと河原に降ろす。
私の手を放れた小雪は、とととっと目の前のキツネに歩み寄る。
「………」
声は聞こえない。
小雪とそのキツネが、ただ、じっと見つめ合っていた。
改めて、そのキツネの姿を見る。
輝くような真っ白い体の所々、耳の先や足先に金色の毛が混ざっている。
そしてその黒い瞳は、不思議なほど優しげに見えた。
たぶん、このキツネは普通のキツネでは無い。
先ほどの声も、恐らくこのキツネの物で間違いないと思う。
ついっと、そのキツネが顔を上げてこちらを見た。
『…どうぞ、こちらへ……』
再び、”声”が響く。
それは、目の前のキツネから、私に向けられた言葉。
「……はい」
私は、そのキツネの後ろに続いて、小雪と並ぶように歩きだした。
ちらっと、小雪を見る。
目が合った。
(大丈夫だよ)
そう言っているように思える。
……この子も…小雪も、普通のキツネでは無い?
いや、それ以前に、”普通のキツネ”とはどんなだっただろう?
”普通ではないキツネ”とは……。
歩きながら、いつか聞いたおとぎ話を思い出す。
『”ものみの丘”には不思議な獣が住んでいて、その姿はキツネと同じ、しかし物の怪の力を持つ”それ”が現れた村は、ことごとく災いに見舞われるので、この辺りでは昔から”妖狐”と呼ばれて恐れられていました……』
それはおばあさんの聞かせてくれた、昔話の始まりの部分。
”妖狐”
それがこの子達なのだろうか?
ほんの10メートルほど歩くと、崖の窪みに隠れるように、私の背丈くらいの横穴が口を開けていた。
足取りを変えずそのまま穴に入っていく白いキツネ。
私も続いてその中に入って行こうとした、が、
「天野さん!?」
後ろから大きな声を掛けられ、とっさに振り返る。
「あ……、草壁…さん?」
「どうして……」
草壁さんは口元に手をあて、呆然とこちらを見ていた。
その視線が、前を行く白いキツネに向けられる。
「イガスリ……どういう事なのですか?」
”イガスリ”、それがこのキツネの名前なのだろうか?
白いキツネは黙ったまま、真っ直ぐに草壁さんを見つめ返していた。
恐らく、私には聞こえない”声”で会話をしているのだろう。
やがて、草壁さんが小さく息を吐き、
「私も行きます」
と告げた。
横穴の中は、予想以上に広かった。
天井が、高い。
草壁さんは黙ったまま、私の後ろについて来る。
訊きたい事があるような気もする、だけど、何を訊きたいのか、何を訊けば良いのか自分でも解らない。
結局、黙ったまま、すべすべとした床を歩いていく。
「……?」
入り口からだいぶ進んできたはずなのに、妙に明るい?
振り返ると、くねくねと曲がった道のため、もう入り口は見えない。
草壁さんは、少し恐い顔をしたまま、足音もなく歩いていた。
「………」
再び前を向いて考える。
草壁さんは小雪のお母さんと知り合いだった。
それなら、ここにいるキツネたちと知り合いでもおかしくはない。
そう、小雪と話すことが出来たのも、たぶんその方法を知っていたからだろう。
しかし、今の草壁さんの顔を見ると、私がここに来たことを喜んではいないようだった。
私がここのキツネたちのことを知るのは、問題があるのだあろうか?
”言葉”を話すことの出来るキツネ。
昔話にある、妖狐と呼ばれる者達。
でも、昔話にあるような、悪い生き物でないだろう事は、私には解る。
このキツネ達のことを秘密にしておきたいというのなら、私は絶対に喋らないし、人前で小雪に話しかけたりもしない。
ちゃんと約束できると、後で話そう、そう思っていた。
そこは不思議な空間だった。
天井が学校の講堂よりも高く、全体的に丸くなっている。
そして、私たちが出てきたところと同じような穴が、壁のあちこちにあいていた。
恐らく、他のところに通じる道なのだろう。
”イガスリ”は真っ直ぐその空間を横断し、ひとつの穴に入る。
その奥には、大きな、真っ白なキツネが座っていた。
……つづく。 |