『”ものみの丘”に吹くそよ風』

第十二話


 コンコン……。
「………」
 暫らく待ってみたが、部屋の中から返事は無かった。

「こゆきちゃん…?」
 声を掛けながら、私はドアをそっと開けてみる。
しかし、病室の中にこゆきちゃんの姿は無かった。
「あれ? 居ないの?」
「はい」
 後ろから声を掛けてきた智子に応えながら、部屋の中に入る。
壁にはこゆきちゃんの物らしいコートが掛かったままになっている、急に記憶が戻って退院したと言う事では無いだろう。
「おトイレかな?」
 後ろ手にドアを閉めながら、智子がそう呟いた。
ちらっとベットを見ると、綺麗に整えられている。恐らく誰かが整えてくれたのだろう、とすると、検査か何かかもしれない。
「別に急ぎの用がある訳では無いですから、待ちながら勉強の方に掛かりましょう」
「は? ここで勉強?」
 私の言葉に、荒川君が声を上げた。

「……まぁ、いいけど」
 智子が一通り説明が済ませた後、そう呟いた荒川君は、私の拡げた荷物の中から『必ず出る!!受験英語2000』と書かれた本を手に取った。
「一応、俺も受験生だからな」
「そうそう。だいたい、私に勉強見てもらえるなんて、滅多に無い事なんだから」
「あんまり無い方が嬉しいけどね」
「…へぇ」
「いや、冗談だ。まったく、ありがたくて涙が出そうだよ」
「ほぅ、それはそれは。折角だから手取り足取り教えましょ」
「いや、だから……」
 智子と荒川君のやり取りを横目で見ながら、私は数学の問題集を開いた。

「ところで」
 勉強を開始してそれほど時間も経たないうちに、荒川君が口を開いた。
「天野は公立どこ受けるんだ?」
「須佐野高校です」
「ふぅん、近場だな」
「電車で一駅です」
「楽で良いじゃないか」
「はい。荒川君は、東陵高校ですよね」
「あぁ」
「少し遠いですね」
「高瀬ほどじゃない。それに野崎達の受ける市立工業よりも近いだろ?」
「はい。そうですが」
「東陵は、剣道が強いのよね」
 突然、横で本を読んでいた智子が話しに入って来る。
これですっかり雑談ムードになってしまった。
「あぁ、藤一郎先輩の出身校だしな」
「藤一郎先輩?」
 聞きなれない名前に、智子が説明を入れてくれる。
「私達が行ってた道場の先輩。志郎の従兄で、今度師範代になるんだって」
「はい。解りました、あの方ですね」
「会った事あったっけ?」
「いえ。ありませんが、話しには聞いた事があります」
「そう、よく話してたもんね」
「あぁ、俺達の目標でもあったからな、あの人は」
 うん、と智子が頷く。

 その時、かちゃりと、小さな音を立てて扉が開かれた。
みんなが一斉にそちらへ向く。
「お母さん……」
「あら、美汐さん。もう来ていたんですか」
 そこには、私のお母さんが立っていた。
「はい」
「こんにちは、お邪魔してます」
「…こんにちは」
 予想外な登場人物に、智子と荒川君が一瞬間を置いてから挨拶をする。
「はい、こんにちは」
 それに応えながら部屋に入る、その後ろから、こゆきちゃんが姿を見せた。
「一緒だったんですか?」
「はい。ちょっと話がありましたので」
 お母さんがドアを閉める隙に、こゆきちゃんは私達の前に来た。

「……こんにちは」
「はい。こんにちは」
「こんにちは、こゆきちゃん」
 少しはにかんで、挨拶をしてくれたこゆきちゃんに、私と智子が応える。
「ふに…」
 そして、その視線が荒川君に向けられた。
「えぇっと、はじめまして、荒川志郎です」
 何故か緊張した様に、丁寧に挨拶する荒川君。
それを見ていた智子が、くすっと笑った。
「…なぜ笑う」
「だって、なんか変だよ、志郎」
「………」
 何となく、気不味そうにしている荒川君のために、横から声をかける。
「こゆきちゃん」
「ふにゃ?」
「この人も私の友達で、荒川君と言います」
「うん」
 私の言葉に小さく頷いたこゆきちゃんは、荒川君を正面から見つめた。
「……ぁ、あの、こゆきです、よろしくお願いします」
「あぁ、こちらこそ、よろしく……」
 戸惑いながらそう応えた荒川君は、隣の智子に視線を向ける。
こゆきちゃんにどう対応したら良いのか悩んでいる様だった。
「どうかした?」
「いや、別に…」
 智子はなぜか嬉しそうに笑った。

 そんなやり取りを聞きながら、私はお母さんに話かける。
「何の話をしていたんですか?」
「はい」
 お母さんは一瞬だけこゆきちゃんの方を向き、話し始める。
「この子の身元と、今後のことについて、お医者様や警察の方のお話を伺ってきました」
「はい。何か判ったのですか?」
「身元は、まだ判らないそうです。この子と思われる捜索願いは無かったそうで、小・中学校の方も該当しそうな者は見つかっていないと、教えてくださいました」
「そうですか」
 残念だった、が、少しほっとしたような気もする。
「正確には、今日、学校に来ていない生徒を調べれば判るだろうとの話ですが、それでも見つからなければ、他の市から来ている可能性が高くなるそうです」
「はい」
「事故現場付近からこの子の荷物は見つかっていませんし、お金も持っていないようでしたから、おそらく近くの子供だと思う、とは言っていたのですが……」
 そこで一旦言葉を切り、もう一度こゆきちゃんの方を見る。
「もし、身元確認に時間がかかるようなら、施設の方に入ることになるそうです」
「施設?」
「孤児院のようなもので、事情があって親御さんが育てられない子供たちが、生活している所だそうです」
「………」
 振り返ると、こゆきちゃんを含めた3人がこちらをじっと見ていた。
「それで…」
 言葉を続けるお母さんに、再び前を向く。
「もし、この子の身元が判らなかった場合、引き取らせてもらえないか訊いてみました」
「お母さん…」
 思いもかけない言葉だった。
「まだ返事はいただいていませんが、そういう方向で進めてくださるそうです」
 もう一度振り返ってみると、こゆきちゃんは、にこやかに微笑んでいた。

「よかったね」
 お母さんが帰った後、智子がそう言って笑った。
「うん」
「本当は、記憶が戻って、自分の家に帰る方が良いのですが」
 嬉しそうにすり寄ってくるこゆきちゃんを撫でながら、私はベッドに腰掛けていた。
「まぁそうだけど。変な施設に入れられるより、美汐と一緒に暮らせる方がずっと良いじゃない」
「……はい」
「仲、良いんだな」
 一人、壁際に座っていた荒川君がそう呟く。
「はい」
「私が見舞いに来たときには、もう既にこんな感じだったからね」
「ふ〜ん」
 荒川君が続けて何か言おうとしたとき、ノックの音が聞こえた。
「はい」
 ほとんど反射的に、私が返事をする。
かちゃりと音を立てて看護婦さんが姿を見せる。
「あら、こんにちは、今日もお見舞いですか?」
「はい」
 私は”今日から”と言うべきかもしれないけれど、あえて言葉にする必要はない。
「本当に仲がよろしいですね。えっと、少し遅くなりましたがお昼ご飯なんですが…」
「あ、はい。こちらに預かります」
「お願いします」
 トレイを受け取り、取りあえず隅のテーブルに置く。
軽くお辞儀をして出ていく看護婦さんを見送り、いつものように簡易テーブルを出す。
「では、お昼にしましょうか?」

 自然と、私とこゆきちゃんがベッドの簡易テーブルで、智子と荒川君が部屋の隅のテーブルで食べることになりそうだった。
 私は机の上に出していた教科書やノートを片付ける、っと、そこに智子が鞄から取り出した物を並べていった。
「ちょっと待てぇ、高瀬、何だそりゃぁ…」
 思わず荒川君が声を上げる。
「え? あぁ、今日は一応クリスマスだしね、受験生だから表立ってパーティーなんか出来ないだろうと思って」
「それでこんなに鞄が大きかったんですか」
「もちろん、終業式の日だから出来る大技よ」
 にこにこしながら、いつものティーセットと紙皿を並べる智子を、荒川君は驚きの表情で見ていた。

「で・き・た、完璧」
 くるりと半回転しながら満足そうに微笑む智子。
「これ、ケーキか?」
「うん、シフォンケーキ。私の最新作」
「へぇぇ」
「なに?」
「ちょっと、驚いたな。まさかここまでするとは」
「ふっ、この私を舐めて貰ったら困るわ」
「でも、この大きな弁当箱があるなら、わざわざコンビニで買ってくる必要なんか無かったんじゃないのか、俺は」
「……ふっ、気にしちゃダメよ、そんなこと」
「おい」
「元々、志郎の分なんか入ってなかったんだから、分けて貰えるだけでも有り難く思いなさい」
「へいへい」
「じゃあ、このテーブルもうちょっと真ん中もっていくから、そっちお願い」
「はいよ」

 結局、テーブルを囲んで、みんなで昼食をとることになった。

「じゃあ、ケーキ切るよ」
「はい」
 そこで再びノックの音が響く。
「はい」
 ……カチャ。
小さな音と共にドアが開く、そこにいたのは、
「あれ、朝香?」
 智子が軽く声を上げる。
「やっぱり…、何で私だけ放っていくのよっ!」
「って、拓臣は?」
「ちゃんと話してきたよ」
「いや、そうじゃなくて、一緒に帰ったりしなかったの?」
「なんで?」
「………」
 思わずみんなで目を合わせてしまう。
「ふにゃ?」
「……拓臣、哀れなやつ」
「高瀬にまで言われるなんて、可哀想に」
「なに?」
「いや、なにも」
「なんなのよぅ、もう。拓臣ちゃんとは別に恋人同士になった訳じゃないもん」
「そりゃそうかもしれないけど、ねぇ?」
「私に”ねぇ?”と言われましても…」
 智子の言いたいことも解らないではないが、無理強いするべき事でも無い。それに、朝香はもうここに来てしまったのだから。
「取りあえず、ケーキは5等分か?」
 荒川君がナイフを構えながらそう訊いた。
「あぁっ!!私を置いていって、みんなでケーキ食べる気だったんだ!!」
 慌てて駆け寄る朝香。鞄を壁に叩き付けるように置いて、代わりに椅子を抱えてくる。
「一番大きなのちょうだいね」
「はいはい」
 呆れたように溜息を吐いた智子が、荒川君からナイフを受け取った。

「結局、いつものクリスマスパーティーが、昼に代わっただけじゃないのか?」
「そうかもね。さすがに料理は出来立てじゃないし、量も少ないけどね」
 荒川君と智子がそんな話をしていると、朝香が割って入る。
「今年は受験があるから無しって言ってたのに」
「私は朝香と違って時間があるから」
「う〜…」
「ふふっ、がんばって早く進学決める事ね」
「うん」
「結局、どこを受けることにしたんですか?」
 私は、一番気になっていたことを訊いてみる。
「室内装飾科」
「内装…、インテリア関係、ですか?」
「そうみたい」
「案内、貰っただろ」
 曖昧に答える朝香に、荒川君が横から声をかける。
「うん、まだ読んでないけど」
「なにそれ、案内も読まずに受けるとこ決めたの?」
「え?…うん、拓臣ちゃんが受けるならここが良いって……」
「………」
「どうしました、智子」
「……拓臣にしては準備が良い」
 ちらりと、隣の荒川君をみる。
「どうして、朝香が案内受け取ったって知ってるの?」
「いや、…なんとなく」
「ひょっとして、仕組んだの、志郎?」
「………さぁ?なんのことかな?」
 不自然に、窓の方を見ながら答える荒川君の肩に、智子が手を置いた。
「何を企んでるのかな?」
「………別に…」
「ふ〜〜ん。まぁ、後でね」
「…あぁ」
「どういうこと?」
「後でね」
 意味が分からず問いかける朝香を、智子が軽く流す。
納得した訳では無いだろうけど、朝香もそれ以上訊かなかった。

 後は、例年通りのクリスマス会だった。

「いつもと同じ様だけど、今年はちょっと違うね」
「拓臣……不幸なやつ」
「ほんとに」
「拓臣ちゃんの事じゃなくて」
「…可哀想に」
「いや、まったく」
「だから…、別に拓臣ちゃんがいなくったって、新しいお友達がいるじゃない」
 みんなが一斉にこゆきちゃんを見る。
「ふにゃ?」
「……ふっ、確かにね」
 智子もそういって軽く笑った。

 いつもと同じ様で、今年はちょっと違う。
智子の家ではなく病院で、しかもお昼。
そして野崎君がいない、代わりにこゆきちゃんがいる。
……いや、まだ何か足りない。

 そう、小雪がいない。

 毎年クリスマスは一緒だった。
家でパーティーをしていたときも、智子たちと集まるようになってからも。

 そして思い出す。
「私……行かなくては、あの”丘”へ…」

  ……つづく。


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