『”ものみの丘”に吹くそよ風』
第十一話
「……天野」
「はい」
終業式も終わり、いつも通りの大掃除に取り掛かる。
その直前に、教室のドアから呼びかける声があった。
「野崎君…。朝香に御用ですか?」
ドアの隙間から、僅かに覗きこむように、見知った男の子が顔を出していた。
「あぁ……いや、天野」
「はい」
「少し、頼まれてくれないか?」
「はい。何でしょうか?」
私は、顔をドアに挟むような格好をしている野崎君に近付き、軽く腰を屈めて視線の高さをあわせる。
「あの…朝香に、伝言をちょっと」
「はい。でも、朝香ならそこの中央階段にいるはずですよ」
野崎君のクラスはこの棟の西側で、中央階段は通り道のはず、普通に来れば擦れ違っているだろう。
「いや…すまん、伝言の方がありがたいんだ」
「はい。わかりました」
いつもの、野崎君らしくなかった。
朝香に用があるなら、場所を確認したらすぐに走っていく、歩く事を忘れたかと思うような勢いが、この人の常だった。
「それで、何だっけな、…放課後、会いたいんだけど」
「はい」
「えぇ…っと、どこにしようかな」
「………」
確かにおかしい。
幼馴染で、すぐ隣に住んでる朝香に、いまさら場所を指定して会う理由なんて………もしかして?
「誰も居ない所なら、屋上か第二校舎裏が良いですよ」
「んなっ…何の話だ!?」
「違うんですか?」
意地悪く訊いてみる。
「いや、え…あぁ、まぁ」
その反応がおかしくて、くすっと笑ってしまう。
「天野ぉ」
「はい」
「……どっちが良いと思う?」
「そうですね。雰囲気を考えれば、屋上の方が良いかも知れません、寒いですが」
「わかった、伝えておいてくれ」
それだけ言い残し、だっと走り出す、が、数歩先で止まりくるりと向きを換え、また私の前を通りすぎて、東階段へ駆けて行った。
僅かに俯いた顔が、確かに赤い。
それを見てつい、またくすっと笑ってしまった。
「なにそれ?」
担任の先生が退室したあと、クラスは既に冬休みとクリスマスの話題で持ち切りだった。
その中で、朝香に小さく声を掛ける。
「取りあえず、『待っている』としか聞いていません」
本当は、どんな理由かは想像がつくけれど、私が言う訳にはいかなかった。
「ん…わかった、でもどうしよう」
「私達は…そうですね、昇降口を出たところで待っています」
「ありがと、じゃあ、すぐに戻ってくるからね」
そう言って、唯一屋上に通じる中央階段に向かって鞄を振りながら走っていった。
「あれ? どうしたの、朝香は?」
その後姿を見送っていると、智子が声を掛けてきた。
「野崎君が用事があるそうです」
「拓臣が?」
「はい」
「なんで直接こないの?」
「誰もいない所で話したい様です」
「ふ〜ん。愛の告白だったりしてね」
軽く冗談を言う智子、しかし、
「恐らく、そうでしょう」
「……は?」
珍しく智子が間の抜けた声を出す。
「昇降口で待っていましょう」
そう言って、私は歩き出した。
「…で、ホントに告白なわけ?」
「はい」
「ふ〜ん……」
「おかしいですか?」
「いや、唐突だなって、思ってね。告白して何が変わるって事も無いだろうし」
「ひとつ、思い当たることがあります」
「なに?」
「進学です。野崎君がどこに行くか知ってますか?」
「市立工業高校の機械科」
「遠いですよね」
「まぁ、工芸大付属ほどじゃ無いけど……って、つまり、告白して一緒の高校に行こうとか言い出すと?」
「はい。そうで無ければ、この時期である必要はありません」
「…成る程、そうかもね」
ごうっと、音を立てて吹き抜ける強い風が、私と智子の髪を巻き上げる。
智子は頭を振る様にして髪を払い、そのまま屋上を見上げた。
「来ました」
思ったよりも早く、朝香が昇降口へ姿をあらわした。
「お〜い、朝香…」
だだだだだっ。
片手をあげて声を掛ける智子の前を、俯いたままの朝香が走り抜ける。
「……って、無視するなぁ!!」
すぐさま体を反転させ、追いかける智子。
大きく踏み出し、わずか数メートルで朝香の襟を捕まえた。
「なんで逃げるのよ!?」
「……あ、え? 智ちゃん…」
「見えてなかったのか」
ふぅと小さく息を吐き、襟を掴んだまま朝香を、私の前まで引きずってくる。
「っで、どうだったの?」
「え…、なにが……」
「告白されたんでしょう? 拓臣に」
「なっ、なななんの話よぉ」
突然真っ赤になる朝香、どうやら予想通りだったらしい。
「声が上ずってるよ。ふふふっ、まぁ詳しくお姉さんにお話しなさいって」
「………」
「どうしたんですか、朝香?」
どうも、少し様子が変だった。
「……知ってたんだ、二人とも」
「はい。何となくですが、気付いていました」
「私はさっき美汐に聞いた」
「………」
「朝香?」
「どうして教えてくれなかったのよぉ…」
「そんなこと、私達が言える訳無いでしょうが」
智子の言葉に、再び俯いてしまう。
「うまく、いかなかったんですか?」
「…あのね……」
「はぁ?」
朝香の簡単な説明を聞いて、智子が思わず声を上げる。
「なんでそれで逃げてくんのよ、あんたって子は!?」
「だってぇ、どうして良いか解らなかったんだもん」
「どうしてって…、返事は”はい”か”いやです”の二つに一つ、何を悩むのよ」
「だってぇ…」
泣きそうな朝香を前にして、私達は顔を見合わせた。
「やっぱり唐突だったって」
「はい。二人にはまだ早かったかもしれません」
「う〜…」
「…あ」
突然、昇降口の方を見て智子が声を上げる。
「志郎ーーっ!!」
軽く半歩踏み出し、遠心力を加えて鞄を投げ放つ。
智子の手を離れた鞄は綺麗な放物線を描き、10数メートル先で振り返ろうとしていた、荒川君の側頭部に命中した。
「…おぉ、良いコントロール……」
投げた智子自身が、意外そうにつぶやいた。
「いきなり殺す気かっ!?」
「はっはっは、鞄がぶち当たったくらいじゃ死なないって」
「だからって、投げつける奴があるか!」
「いや、まさか当たるとは思ってなかったから、剣道やめて少し鈍ったんじゃないの?」
「余計なお世話だ!」
荒川君は一通り怒鳴ってから、大きくため息をついた。
「で、何の用……って、あれ?坂上、拓臣はどうした…」
「やっぱり知っていたか」
「……何の話だ?」
「拓臣が朝香に告白したって話」
「あぁ、…と言う事は、もう終わったのか?」
「そう、見事玉砕」
「…そうなのか?」
荒川君は以外そうに朝香を見詰めた。
「まだ玉砕では無いです」
「一緒でしょ、途中で逃げ出してきたんだから」
「まだ朝香は返事をしていません」
ずっと俯いていた朝香が顔を上げた。
「今からでも、間に合うはずです」
「でも……」
「朝香。野崎君は、ずっと朝香と一緒にいたいんです」
私は朝香の眼を見て話し始めた。
「出来るだけ長い時間、そばにいたいと思っているんです。朝香はどうなんですか?」
「どうって言われても…」
「別々の学校に行っても、会えなくなる訳では無いでしょう。でも今までの様に、帰り道に一緒に歩く事は出来なくなります。クラブに入れば、夕方遅くまで帰れないかもしれませんし、それぞれ新しい友達が出来れば、休みの日に会う機会も少なくなるかもしれません」
「うん」
「朝香はそれでも良いですか? 新しい友達が出来れば、野崎君と会わなくても平気ですか?」
「…解らない……、そんなの解らないよぉ」
「朝香。落ち着いて考えてください。朝香は将来成りたい物がありますか?」
「将来?」
「はい。高校に進学して、その後です」
「…解らない、まだ何も考えて無いもん……」
「解らない事ばかりですね」
「うん」
「それなら、今、何を選んでも平気でしょう?」
「え?」
「野崎君は、朝香が好きだから、朝香と一緒に、同じ高校に通いたいって言っていたのでしょう?」
「うん」
「なら、取りあえず、野崎君への気持ちは置いておいて、進学のことを考えてはどうですか?」
「………」
「市立工業には、いろんな学科があったはずです。そこで、やりたい事を見つければ良いんです」
「やりたい事……」
「なんでも良いんです。今やりたい事、自分に出来ると思う事、探してみてはどうですか?」
「良い考えだね、美汐」
私の言葉に、智子が割って入る。
「朝香。あんたは既に敷かれたレールの上を歩いていく必要なんか無いんだから、まだ新しく自分の道を、自分自身で決める事が出来るんだよ」
「……うん」
「工業高校、面白いじゃない。普通科に行ったって、進学やら就職やらで苦労するだけ、工業科で成りたい物の資格を取った方が、絶対人生のためになるよ」
「でも……」
「まだ、時間は有ります」
「みゆちゃん…」
「これから、やりたい事を考えて行けば良いんです。野崎君には、もう少し待ってくださいって、ちゃんと伝えれば解ってくれます」
「うん、でも…」
「あいつは…、多分そのまま屋上で落ち込んでるに一票」
「同じく一票」
智子と荒川君が冗談混じりにつぶやいた。
「朝香。人生にはいろんな選択肢があります。今、その一つを選ぶ時期に差し掛かっているんですよ。朝香が望む道を、選んでください、朝香自身のために」
「うん、……うん、解った、取りあえず行ってみる」
駆け出した朝香の背中を見送った後、智子が訊いてきた。
「うまく、いくと思う?」
「はい。あの二人はお似合いですから」
「……そうだね」
そう言って、二人でくすくすと笑い合った。
「…で、なんであんたまで一緒にきてるの?」
「は? どうせ途中まで同じだろ?」
「私と美汐はこれから寄るところがあるの、じゃあね」
「うぉ、なんだよ冷たい。どこに行くか知らないけど、ちょっとぐらい良いだろ」
「荒川君も来ますか?」
「ちょっと、美汐」
「大勢の方が、こゆきちゃんが喜びます」
「そんなもんなの?」
「こゆきちゃんって、誰?」
「あぁ、後で話す。う〜ん、一緒に行くなら、昼、何か用意しておいた方がいいよ」
「解った。じゃ、そこの”ロリコン”で何か買ってくる」
そう行って、少し先のコンビニエンスストアに向かって駆け出した。
その、荒川君の後姿を見ながら、智子が呟いた。
「結局、朝香と拓臣以外は全員バラバラになるね」
「そうですね」
本来なら、朝香と私は同じ公立高校を受けるはずだった。
「でも、会えなくなる訳では有りません」
「あぁ」
「これからも私達はずっと友達です。荒川君も野崎君も、それにこゆきちゃんも」
「あぁ、それは変わらないだろうね」
「はい」
変わらない。
少しずつ移ろいゆく時間の中で、私達も少しずつ変わって行く。
それでも、変わらないことはあると思う。
「ずっと……」
吹きつける風に、髪を片手で押さえながら、智子が小さく呟いた。
……つづく。 |