身近に有った日本一・・

2009年5月31日に地元の拝島駅東側に有った歩行者と自転車用の細い踏切が廃止となりました、これは拝島駅の橋上駅舎と自由通路が完成しバリアフリー化も出来たためだとか、ただ自由通路を利用するには結構遠回りになり歩行者にとっては返って不便になった感じもします。
私もニュースで取り上げられるまではまさか日本一だとは解りませんでしたが踏切の全長が127mと日本一だったとか・・実際には踏切遮断機が西武拝島線側とJR青梅線側と2組ありその中間は今は殆ど使われていない線路でした。
私も小さい頃からよく利用していた踏切で車両の撮影にも良い場所だったので安全のためとは言われていますがちょっと寂しい気もします、その踏切を最終日にカメラをぶら下げて自分なりに記録に留めてきました、もうこの様な画像を撮ることは出来なくなりました・・。


北側の西武拝島線踏切、踏切には「立7」と書かれていて西武立川駅から見て下り側7つめの踏切と言うことになります。 細い道ですが市道だったことが解ります、閉鎖のお知らせ看板はいつ頃から立っていたのか・・。
最終日は人が多くなることを予想してか踏切のあちこちに警備のための駅員さんの姿も。 雨が降っている時は少なかったのですが雨が止むと人が増えてきます、その中を西武新宿へ向かう20000系電車。
北側から踏切を歩き始めると先ずは西武拝島線の線路を渡ります、下り側の拝島駅方向を見たところです。 同じく上り側、西武新宿方向を見たところ・・左にカーブしながら勾配を上って行きます。
右画像とほぼ同じ場所から見た2009年5月31日撮影の拝島駅方向、ステンドグラスがある自由通路が望めます。 2003年2月頃撮影の拝島駅方向、古い跨線橋とホームに繋がる階段が見えます。
次に渡るのはJR東日本の八高線踏切、拝島駅方向を見たところです、ポイントは八高線ホームへと開いています。 同じく八王子方向を見たところ・・左に分岐している線路は米軍横田基地に繋がる引き込み線になります。
順序が逆ですが引き込み線の上から・・夜間に燃料を積んだタンク車が走ります、朝から雨が降ったのでレールは赤く錆びてしまいました。 踏切を南へ・・北側の踏切は西武線と八高線を同時に遮断するように動作します、間に使われていない線路も有るため距離は長めなのでここで渡りきれず「かごの鳥」になってしまう年配の方がいたとか。
踏切の中程から拝島側を見る・・かなりレールが撤去されています。
昔は小さな貨物ヤードとしても使われていた為かなりの線路が有りました。
同じく立川側、バラストの隙間から草が生えています、今後はどうなるのか興味が有りますがもう見ることは出来ません。
踏切を歩いていくと”島”の様な場所があります、この部分は道幅もグッと狭くなっています。 建物から切られたレールが顔を出しています、元は機関庫があり電気機関車や入れ替えようのディーゼル機関車が居ましたので整備点検の建物として使われていた物と見られます。
建物の南側、茂みの中にこの様な表示が、ここまでが八高線の踏切として登録されていたようです。 幅の狭い道を抜けると南側の踏切になります、右が下りの拝島駅方向、左は上りの立川方向になります。
自転車で利用するには良い道路だったのですが今後は迂回しなければなりません。
こちらはJR東日本の青梅線と電留線、車庫に繋がる引き込み線の3本を遮断しています、上り列車が通過中。 一番手前の車庫へ繋がるレールをゆっくりと車庫に向かうE233系電車。
青梅線踏切の上から下り、拝島駅方向を見る・・。 同じく上り側、立川方向を見る、左奥に留置されているE233系電車が見えます、今は無き201系展望電車”四季彩”も運用や検査のない時にはここで休んでいました。
一番南側にも留置線が有り五日市線用の編成が昼間の閑散期に休んでいます。 踏切閉鎖に向けての改修工事でしょうか?、繋ぎ箱の中などはそう見られる物では有りません。
青梅線側踏切より北側を見る・・左隅ではテレビ局のカメラマンが取材中。
この踏切は保線区の有る”島”まで作業用の車両が入るため道幅も広くなっています。
こちらの青梅線踏切はこの名前で別な踏切として扱われていた模様です。 
この踏切は業務用通路として残りますが関係者以外は通れないようゲートが設けられた模様です。
引き込み線にはこの様な保線用車両も止められています、その後はこの様な撮影も出来なくなってしまいました。 南側の青梅線踏切から今来た道を逆に戻ってみます、踏切通路の中で一番狭い所。
雨が止んだら人が増えてきました、今までにこの踏切をこんなに人が渡ったことは無かったでしょう。 空には取材のヘリコプターまで飛来してきました、胴体に”目玉”のマークが見えます、フジテレビのヘリですね。
カメラマン、インタビュー中・・やはり家族連れに多くマイクを向けていました、20分撮影してもニュースで使われるのは1〜2分程度になります。 普段より人の多い踏切を八高線と西武線の車両が通過して行きます、この日は運転士も気を使っていたことでしょう。
西武電車の通過待ち、この日ばかりは踏切内に閉じこめられても係員が安全を確保しています。 西武電車が通過するときは踏切警報機の列車方向を示す矢印が出ません、これは西武鉄道の場合単線区間では列車方向を示す表示器が採用されていないからでしょう。
その為西武側の警報機にはこの表示装置が付いていません。
八高線も単線ですが南側の警報機には走る方向に矢印がでます、なのでこの表示を見れば通過するのが八高線なのか西武線なのかが解りました。
この日は残り2編成となっている201系電車も青梅線に入ってきていました、気がついた人はカメラを持って南側踏切に走りました。 午後になると天気も回復しまた人が増えます。
西武線側の踏切表示灯裏側には”×”の印が・・閉鎖後は直ぐに撤去されてしまいました。 西武線のレール・・カーブの外側のレールですが、かなり摩耗しています、そろそろ交換時期か。

以前にこの踏切で撮影した画像も含めて・・。
2003年春頃に撮影した画像を含めその2009年との違いも見比べてみました。
まだ冷たい風が吹く中、西武新宿へと向かう新2000系電車。 拝島駅に到着する今は拝島線で見られなくなった6000系量産車。
八高線を走る元山手線車両だった205系3000番台車、中間車に運転台を取り付けた為本来の205系と顔つきが違います。 こちらは元臨海高速鉄道の70000系をJRが買い取り、改造して209系3100番台車となりました、臨海時代のイメージが残り他の209系3000番台とはイメージが変わります。
左画像、2003年にはこの様な風景も見られました、回送途中に一時期留置されていた115系信州色車と懐かしい国鉄特急色の183系と189系混合編成・・千葉に転属した物と見られました。
右画像、少し角度が違いますがほぼ同じ場所を踏み切り最終日に写しました、レールが減っているのが解ります、特急車が止まっていたレールは残されていました。
特急車の前面ですが塗装がきれい、回送ではなく試運転と表示がされています、右はレール一本分ずれていますがほぼ同じ場所を撮影・・レール間の停車位置表示らしき物も残されています。
青梅線もこの当時201系が入り、運用を離れた103系も一時期かなりの数が留置されていました。
左の103系が止まっていたレールは既に有りません、また青梅線もE233系となり201系も姿を消してしまいました。
出かけた帰りに普段は見ない車両が止まっているのを見つけ、家に戻りカメラを持って引き返した想い出が残ります。
千葉の特急色車も廃車となったようで国鉄時代の特急色が見られる事もかなり少なくなってしまいました。
この左右の画像もたまたま似たような所から撮影されていました、右は八高線用に4両編成となり回送されて来たばかりの205系3000番台車、乗務員の訓練に使われていた模様で見ているとパンタグラフを上げたり下げたり、ドアの開閉などを盛んに行っていたのが思い出されます。 
この当時もまだレールが多く残されていたのが解ります。


「国土地理院撮影の空中写真」より引用
使用ファイルckt-74-16_c27_16.jpg

「国土地理院撮影の空中写真」より引用
使用ファイルckt-79-1_c22_16.jpg

「国土地理院撮影の空中写真」より引用
使用ファイルckt-89-1_c14_12.jpg
この3枚は国土地理院が公開している個人的な使用が可能の空中写真を引用しました。

左上は1974年撮影の画像、踏切がよく見えます、また止められている貨車も見られます。
北側の団地はまだ無く、よく見ると空き地に3本のレールが引かれているのも見えます、何故レールを引いたかは解りませんが右の方にはポイントも2つ設置されていました、ただ砂利も何もなく地面に直接枕木を置きその上にレールを乗せただけと言う引き方・・子供心にも不思議な光景でした、見えている道はよく利用しました。

右上は1979年撮影の画像、道の形状も変わり引いてあった線路は撤去され団地の建物が造られ始めています、並んでいる貨物車はその殆どが米軍基地へ燃料を運ぶタンク車です。
よく見ると引き込み線からの線路が増えているのが解ります。

左は1989年撮影の画像、団地は完成し踏切の途中に保線基地や検査用車庫らしき建物が建てられているのも見えます。
このころには貨物の扱いも減り、後に青梅線から石灰運搬の貨物列車も廃止となり、今も残るのは米軍基地への燃料輸送列車だけとなりました。

この3枚を見比べると建物がかなり増えているのも解ります、踏切の道幅自体は変化していないのですが撮影時期によってかなり見え方が違いますね。

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