かな?。

カメラを持って珍しい車両、間もなく姿を消してしまう車両を撮り歩くのも鉄道趣味の1つですが、気軽にコンパクトデジタルカメラを持ち歩き気張らずにスナップ的に撮影してくるのも楽しみの1つ・・あまり力んでしまうとなかなか進みません、そんな訳でまずは自宅側を走る私鉄・・西武鉄道の拝島線、自宅の直ぐ裏でブラリと撮影した画像や車両を中心にしてあまり細かい所は追わずアップしてみることにしました・・少しずつ他の路線や駅にも足を伸ばして画像を増やし、車両型式別のコーナーも増やして行きたいと思います。


拝島線、最近の出来事から
2011年11月27日より10000系ニューレッドアローに初代5000系レッドアローの塗装をしたレッドアロークラシックと言う編成が運転を開始しました、その運転を記念して通常は特急列車の走らない西武拝島線へ12月12日より18日までの一週間限定で西武新宿発拝島行きの下り列車1本が運転されました、その時に地元最寄り駅の西武立川駅と武蔵砂川駅で撮影した画像です。
この特急は西武新宿、高田馬場で乗車可能でその後は田無、小平と拝島線内は玉川上水、終点拝島に停車で降車のみという運転でした。

西武立川駅に上り列車と交換のため運転停車中のレッドアロークラシック。

西武立川駅は本来通過駅ですがこの先拝島までは単線のため上り列車を待っての発車になります。

運転停車になりそうなことを予想し7両編成の特急は6両編成8両編成の停止位置目標に止まると判断しそこで待つことに・・。

予想は当たり良い位置に停車したので長めのシャッターにて照明の少ない所での撮影が可能になりました。

ちょっと駐輪禁止の看板が気になりますが外す訳にもいかず・・。

ホームから捉えたレッドアロークラシック、やはり前面に照明が当たらず暗くなってしまいます。

レッドアロークラシックは池袋線で「ちちぶ」や「むさし」として運転されている10000系の10105Fをクリーム色一色に塗装し赤いラインはラッピングにて表現、角張った顔つきだった5000系のデザインが丸みを帯びた10000系の先頭にどの様に配色するのか興味が有りました。

ライトの位置、愛称表示の位置がまるで異なるのですが違和感なくまとめたなと言うのが実感です。

上り列車との交換を終えて終点拝島に向けて動き出したレッドアロークラシック、列車名表示と側面の行き先幕は共に「臨時」表示でちょっと残念。

土曜日も撮影を試みましたが休日ダイヤでは上り列車との交換もなく40Km/h位の速度で通過・・停車を目論んでカメラをセットしていたため画にならずこれまた残念。

臨時特急としての運用を終えて回送されるレッドアロークラシック、西武立川の上り側はポイントによる制限も無いので80Km/h位の速度で走り去ります。

暗い中まぐれで何とか流し撮り出来ました、ホーム末端を含め殆ど照明が無いので走っている姿を捉えるのはかなり難しい状態です。

この画像は西武立川より一駅上り側にある武蔵砂川から下り列車を捉えてみました。
同じくホーム末端には照明が少なくホーム屋根が有る所で何とか撮影。

この時の狙いは上りの回送列車でした、武蔵砂川から次の玉川上水まではまた単線になるため運転停車が有るのではと考えました、しかし予想は外れて停車することなくポイントを渡り呆気なく通過・・。

停車中をしっかり撮影するには停車駅の玉川上水か拝島に足を伸ばす必要かありました。

この画像・・よく見ると編成後部が暗いため暗黒空間から飛び出して来たようにも見えてしまいます。
この特急の運転に際して停車駅には停止位置確認用のラインが引かれたり、玉川上水駅には線路間の枕木に立派な”特急”と書かれた停止位置表示もあり今後も単発の臨時で特急列車が運転される感じもします。

西武鉄道拝島線、
細かい歴史などは他にも詳しいサイトが沢山有るのでまずは私が今の所に移り住んでからの事を中心にして・・。
現在の拝島線は起点が西武新宿線の小平駅、終点が拝島駅で路線距離(営業キロ)は14.3km、・・駅数は8駅 と言う路線、路線はほぼ複線ですが西武お得意?の部分複線が有り玉川上水駅と武蔵砂川駅間の2.4km、西武立川駅と終点拝島駅間の2.7kmが単線で残ります、複線化出来るだけの用地や準備工事はされていますがその予定は無いのかな・・と言う状況です。
今の所に引っ越して来た当時は西武立川が有る辺りは一面草原でした、その中に枕木の間隔も広くヘロヘロと細いレールが引かれていて私は廃線跡かと思っていたのですが地図を見ると予定線の表記が・・工事が始まり錆びたレールに一筋の轍跡を見つけた時には何が走って来たのか興味深々・・結局どんな車両が走ったかは見ることは出来ませんでしたが工事が本格的に始まった時には時々見に行きました、それまでは玉川上水駅が終点の”上水線”と呼ばれていた路線の延長線だったのです。
玉川上水〜拝島間の7.1kmが開業したのは1968年5月、それと同時に小平〜拝島間は上水線から拝島線に路線名が改称され現在に至っています、もちろん開業初日に学校が終わってから乗りに行きました、西武立川から一旦玉川上水まで行き切符を買い直して拝島に戻りまた西武立川に戻る・・もちろんその時も一旦改札を出て切符を買い直しています。(^^)
1983年12月に 西武立川と玉川上水の間に武蔵砂川駅が開業するまでは駅間が5Km近く有り西武線の中で一番駅間が長い所だったと記憶します、当時は朝夕が4両編成、昼間は2〜4両編成の列車が最高速度80Km/h程度で走っていました。
拝島線地元駅近くの撮影スポットにて・・。
今の拝島線で一番良く見られる2000系の後期型、正面窓回りの黒塗装がアクセントになっています。
この画像は地元駅の西武立川から上り方向へ約1000m・・五日市街道をオーバークロスするための勾配途中から撮影、ちょうど上り列車と下り列車がすれ違いました、現在ではダイヤが変わりここのですれ違いは見られなくなりました、拝島行き下り列車はこの辺りが一番速度が出ている辺りでこの後西武立川停車に向けてブレーキを使用し始めるポイントになります。


拝島駅、拝島線の終着駅、ではここから拝島線の起点になる小平駅まで駅をたどってみます。
JRの青梅線、五日市線、八高線との乗り換え駅になります、昔は国分寺や高田馬場の様に途中に改札は無く跨線橋がそのまま繋がっている状態だったため乗り継ぎには注意が必要な駅でした。
西武拝島線開通前は南口しか無い駅でしたが拝島線開通時に北口を設置しJRの券売機も併設され西武が管理していましたが自動改札機は西武のタイプ、その関係でJRがSuicaの使用を開始してしばらくはこの北口では使えませんでした。
当時はSuicaの読みとり端末が駅舎の中に置いてあり出場時はSuicaを駅員に手渡しして出場処理と精算をしてもらと下りる事は出来ましたが入場・・乗ることは出来ず、後にSuicaの読みとりが可能な改札機に変わりその不便さは無くなりました、でも当時の磁気カードはパスネットしか使えず同じ磁気のイオカードはやはり使えなかったと記憶します。
北口西武側

2007年から2008年にかけてリニューアルされ橋上駅になった現在の拝島駅北口、画像の建物と西側の階段は2007年暮れまでには使われていましたが2008年夏に東側のエスカレーターとエレベーターも完成し西武側の出入り口は完成しました。



*2009年4月に南側も一部を除きバリアフリー化が完成、それに伴い駅東側に有った日本一距離が長いと言われた歩行者と自転車用踏切が閉鎖となりました、閉鎖全日は結構な人出と取材が・・テレビのニュースにしっかり私の後ろ姿が写っていたり・・。
私もカメラを持って記録に留めて来た画像を”身近に有った日本一
としてアップしています。
左側画像は駅舎東側、エスカレーターが有る辺りが旧駅舎が有った所になります、その為旧駅舎と跨線橋を取り壊してからの工事となりエスカレーターとエレベーターの供用開始はすこし遅れてのスタートとなりました。
←はエスカレーターを上がった所から・・。
左画像はエスカレーターを上がった所から右を向くと自由通路、西武側から南口方向を見た風景。

←は西武の券売機と改札口付近。

左画像はJRの改札口、今回のリニューアルでJRと西武の改札は分離されました、国分寺や高田馬場に有るような乗り換え用改札ゲートは有りません。

←自由通路の西側窓から見るとこの様な眺めに。
八高線用の205系、209系が留置されています。

NEW 南口JR側
拝島駅南口、JR側の風景・・画像左は西側、青梅寄りの出入り口でエスカレーターが併設されています。
画像右は東側、立川寄りの出入り口・・こちらは階段のみですが階段の奥にエレベーターが設置されています、このエレベーターは大型で自転車も乗せることが可能で自転車ごと南口、北口間を通行することが出来ます、ただし自由通路は自転車を押して歩く事が条件になります。

南口の建物下には空間があり、ここに公衆トイレが有ります、車いすで利用できるタイプも併設。

南口駅前ロータリーはまだ仮設状態で工事進行中、再開発でもう少し広くなる物と思われます。


自由通路東側には2箇所にこの様なステンドグラス風明かり取りが・・。

福生の七夕と奥多摩、多摩川の自然をモチーフにしているとの事です。

夜の拝島駅北口・・実際にはこの画像より明るくなります、北口は完成しましたが駅前の取り付け道路は以前のままで狭く朝夕はすれ違いに手間取り渋滞します、また駅前ロータリーも狭いので家族を迎えに来た車で直ぐに一杯になりちょっと辛い状態、車寄せを作ってもらえると良いのですがあまり広くすると今度は違法駐車が増えるので難しい所でしょうか。

拝島駅ホームより2009年6月撮影

拝島駅も徐々にホームが伸び開業当初は4両だったのが今は10両編成対応ホームになりました、左画像はそのホーム東側端から西側を見た所。
右の画像は上り側、小平方向を見たところ・・交わる線路は米軍横田基地へ伸びる線路でタンク車がゆっくり走っていきます。

拝島駅に到着する新2000系電車、行き先表示がフルカラーLEDに交換された編成でした、朝の急行は途中の萩山で4両連結するため6両での運転ですが昼間の乗客が少ない時間帯にも6両編成で本線系統も運転されていることを改めて知りました、平日の午後に利用する事はまず無かったので。
普段8両や10両編成を見慣れているために6両編成で西武新宿まで走る列車となると短く感じます。
右は折り返しで出発を待つ新2000系電車、左にはJR東日本の八高線用209系3000番台車が休みます。

←西武線拝島駅の直ぐ東側でJR側からの細めのヘロヘロとした線路が平面クロスしています、これは米軍横田基地へ延びる引き込み線でジェット燃料や基地内で使用する燃料をタンク車で運び込む為の線路です、今では昼間にその姿を見ることは少なく列車密度の低い深夜・・終電後に運転されている様で夜遅くに風向きによってはディーゼル機関車のエンジン音と共に轍のきしむ音が聞こえてきます。

拝島線開業当初はこのタンク車列車本数が多かった様でダイヤ的に支障してしまう西武の列車は西武立川で折り返した模様で西武立川の下り線ホーム新宿側に出発信号機が有ったり列車の行き先方向幕に”西武立川”のコマも有りました、今はその様な事もなく出発信号機も西武立川のコマも有りません。

昔、臨時だったのか昼間にこのタンク車を連ねたディーゼル機関車が渡っていくところを目撃しましたが列車本数の増えた拝島線に気を使ってかフル加速に近い速度で通過、最後尾が渡り終えた辺りで何時もののんびりとした速度で走ってい来ました、最近はなかなか見る機会が有りませんが線路には何時も細いながら銀色に輝くスジが有るので定期的に運転しているのでしょう。


←拝島駅北口そばに有る引き込み線踏切から基地方面を見た所・・レールが光っています、2008年10月の夜に撮影した。
ここを走るタンク車にはなかなかお目にかかれません、拝島線の終電後に走っている様です。
リニューアル以前の拝島駅北口西武側風景

画像は左が2006年1月撮影の北口・・西武の駅舎、この駅舎も既に過去の物となりました、右の画は駅東側から見た拝島線ホーム(この画像を撮影した踏切は閉鎖となりました。)・・JR側と跨線橋がそのまま繋がった頃の画像、西武線は1面2線の島式ホームを通常交互に使用していました、また夜間は始発列車用に現在も1編成留置されています。

西武立川駅、私のよく利用する最寄り駅、2011年3月30日に橋上駅舎となりました。
私の居所からはこの西武立川に向かうのが一番近いのですがそれでも20分程の徒歩となります。
画像は現在の西武立川駅、まだ旧駅舎も残ります、ホームは1面2線の島式でバリアフリー化された橋上駅舎・・南口は右の画の通りまだ空き地のままで何も有りません、いずれは団地が出来るらしいのですが開業以来あまり変わっていません。
橋上駅舎になり今までに無かった北口が開設され便利になりました、右画像は新しく出来た北口風景。

左は案内カウンターも新設された改札口、今までと同じ3ゲートですがもう1ゲート増設できそう。

拝島線開業当初の西武立川駅は駅舎改札口とホームは踏切で結ばれていました、ホームの一番上り側端に踏切があり下り列車が近づくとブザー音と共に遮断機が下りる構造、運転される列車も朝夕は4両、昼間は2両編成がコトコト走るのんびりとした路線でした。

立川・・と名乗りますがJRの立川駅とは距離が5Kmとかなり離れていて西武新宿とJRの新宿駅の様な感覚で下りてしまうととんでもない事になります、実際に改札口でJRの立川駅へ行く方法を尋ねている乗客を見たことが有ります、まだモノレールなど無い頃でしたので大変です。

リニューアル以前の西武立川駅南口風景

2011年3月29日朝、旧駅舎での営業最終日の記録です画像左は朝の様子でここから入場するのも最後になりました。
右は最終日夜の改札口、この撮影後3時間ほどで役目を終えます、改札ゲートは何回更新されたのだろうか・・。

画像左は旧駅舎での営業最終日の夜南側から撮影、旧駅舎と新駅舎共に明かりが点いているところを見られるのはこの日が最初で最後、新駅舎の照明は省エネ型のLED照明ですが真っ白に光り眩しいくらいです。
右画像は3月30日の朝・・既に駅名看板も外されシャッターが下り入り口が変わった旨の説明が書かれていました、また係員が拡声器を持ち新しい駅に変わったこと、入り口が変わった事やエレベーターが出来た事を説明していました。
自然が残る西武立川付近・・

左上の画像は2009年5月の西武立川駅風景・・この様な茂みが多いため駅の周りで右上画像の様な野生のキジを見ることが出来ます、この後つがいで目の前を飛び去って行きました。

ちょっと画質は悪いのですが左の画像は建設中の西武立川駅です、盛り土になっている所がその後改札口とホームを結ぶ踏切となりました、このころになると40分から1時間に一本ほど試運転列車が走りました。
画像の車両は451系の流れを汲むクモハ411型とクハ1451型、当時の701系や801系増結用として製作された釣りかけ駆動の旧型車で後に釣りかけ駆動はそのままにクモハは空気バネ台車に更新され、その後新性能車増結用に大改造・・冷房を搭載し駆動系やブレーキ関係を更新しクモハ+クモハの新性能車401系として生まれ変わりました。
1996年に当時の701系などと共に全て引退し、2両編成で冷房付きと言うことで地方私鉄に譲渡され活躍している車も見られます。
性能的にはモーター出力など当時の701系と同じ120KWを空気バネ台車と共に新調、(701系電動車はコイルバネ台車)電磁直通ブレーキですが電気制動(発電ブレーキ)が無いなどちょっと中途半端な所も有りました。
左右の画像は西武立川駅のほぼ同じ所を撮影した画です、左はまだ上り側に踏切が残る頃の朝の通勤時間帯・・のどかな感じが伝わってきます、右は2006年の画になります、写っている架線柱は同じ物になりますが左の画で架線柱についている変圧器が現在は付いていません、よく見ると架線の釣り方も変わっている様な・・。
拝島線も8両編成まで入るようになり上り側にホームを延長、それと共に下り線の踏切を無くし跨線橋が出来ました、その後10両編成も入線するに至り再度上り方向に2両分延長されました、現在では撮影した場所に新駅舎が出来たため同じ構図での撮影は出来なくなりました。

拝島駅の所で米軍横田基地への引き込み線でも書きましたが開業当時は行き先表示字幕や前面の行き先票に西武立川と言う物が有りました(左画像)、当時の拝島行きは必ず多摩湖行き・・今の西武遊園地行きが併結され萩山で連結と解放がされていたので萩山までは”拝島・多摩湖”と言う表示に、それと共に”西武立川・多摩湖”と言う幕もあり萩山で多摩湖行き解放後は単独で”拝島”や”西武立川”の幕が出されました。

ただこの西武立川行きはなかなかお目にかかれませんでした、ダイヤ上は全て拝島行きとなり米軍基地へのタンク車運転とダイヤ上支障する列車は西武立川で運転打ち切りとなり前途は運休扱いになっていた模様です。


西武立川上空からの画像です、左は1974年撮影、右は1989年・・撮影時期の違いで色が違いますが少し家は増えている物のあまり変わりませんね。
ホームが上り側に伸びているのが解ります、比べてみると駅舎も少し大きくなっている様な。
西武立川駅は建設当初からホームの有効長は6両に対応していました。
左の画像には丁度西武立川に到着する列車も写っています、屋根には冷房装置もなく4両編成と言うことが解ります。

この空中写真は「国土地理院撮影の空中写真」のウェブページで見つけました、ダウンロードサービス規約を見ると個人での非営利目的での使用は出所とファイル名などを明記すれば編集しての使用も可能とのことで今回利用しました、個人では空中写真の撮影は無理ですから有り難いです。
「国土地理院撮影の空中写真(1974年,1989年撮影)」より引用
使用ファイルckt-74-16_c26_19.jpg ckt-89-1_c14_14.jpg
西武立川を出発した列車は築堤を駆け上がり五日市街道等をオーバークロスし武蔵砂川駅に滑り込みます、西武立川から武蔵砂川駅までは複線で朝はほぼ上り下りが同着・・朝の急行は萩山で西武遊園地からの列車を増結する関係で6両編成と短く10両編成用のホーム中程に乗客が集まるため各駅でこの様な状態になってしまいます。
この武蔵砂川駅が出来る前は西武立川と玉川上水間約5Kmの距離が有り西武線で一番駅間の長い路線でした。

武蔵砂川駅、拝島線で開業後に追加された駅、武蔵村山市最寄り駅になりますが立川市に入っています。
下の画像2枚は南側から見た武蔵砂川駅、長いホームが見えますが屋根のある部分は5両分程度か。


武蔵砂川駅の外観です、ホームは2面2線の対面式になります。1983年12月中頃に開業した駅です、左上は改札口・・こぢんまりとした駅舎が上りホームの下にあります、築堤部分を利用しているのでこの様な半高架構造になったのでしょう。
改札口は北側のみで南口は有りませんが直ぐ側に地下道が有るので不自由はしないでしょう、天気の良い日には右上画像の自動販売機前に露天の八百屋さんが店を広げます。
反対側にはコンビニのセブンイレブン、東側にはサンクスやスーパーのマルエツが有り西武立川より便利かも・・最近マンションが増えてきました。

 
武蔵砂川を出ると次の玉川上水までは単線区間となります(左画像)、複線分の用地は確保されていますが複線化する予定は遠分無さそう・・拝島線でここは100Km/hを超す位の速度が出せる区間です。
中の画像は玉川上水構内にさしかかった所、黄色場内信号の制限を受けて55Km/h以下の速度でホームに侵入します、右はそのホーム、島式ホームが2面あり3線の線路が有ります、真ん中は玉川上水折り返しや終着始発の列車が利用します、モノレールの開業で大きく変わった駅になります。
玉川上水駅、多摩都市モノレールとの乗り換え駅。
上の2枚は玉川上水の北口、大きなロータリーが有り後ろには高層集合住宅が並びます。
左は南口、モノレールのホームがよく見えます、北口と南口は自由通路にて繋がれていて構内にファーストフードもあり学校が多い事から学生さんの姿もよく目にすることができます。

当初は駅西側に芋窪街道と言う道の踏切があり線路横の道路が交わる関係で信号機のある踏切の為渋滞のメッカでした、1998年の多摩都市モノレールが開業する少し前に先ず車道をアンダーパスさせ、後に歩道を整備し踏切を撤去した事とそれと共にホームから構内踏切を渡っての改札口利用となっていたのを駅舎の橋上化にて構内踏切も廃止に・・それに従い駅ホームを西側(武蔵砂川駅)へ移動させて現在の姿に。
また以前は立川市側南口に主要改札口があり朝の通勤通学時間は東大和側の北口臨時改札口が利用出来ましたが東大和市側に高層都営住宅が多数建設され駅前ロータリーも整備、現在では主要改札口が東大和市側になっていると見られます。
拝島線開通時は南口のみの小さな駅でした、当時は北側に米軍の基地施設があり改札口を作れなかった事もあるでしょう。

  
玉川上水を発車した列車は左に電車区・・玉川上水車両基地を見ながら加速、左にカーブを曲がると程なく高架構造の東大和駅に到着します、ここでドッと乗客が増えるのは私が高校へ通学していた頃と変わらない風景です。

東大和市駅、昔は青梅橋と言う名前の駅でした。
東大和市駅は北口に大きなロータリーが有り駅は2面2線の対面ホーム構造の高架駅です、右画像は南側から見た所でロータリーなどは無く直接改札口に入れる構造、東大和駅は私が通学で乗り降りしていた頃は”青梅橋”という駅名で小さな地平の駅でした、地平駅の頃は左画像の”西武の高速バス”の看板辺りに線路が通っていましたので南に線路が移動したことになります。
拝島線6両化の時は増設ホームが仮ホームだったのですがこの高架駅への更新予定が有った為と解ったのは結構後になってからでした、駅前にはビックボックスなどのレジャー施設も出来て一変・・地平の頃から乗客の乗降が多い駅でした。
この画像も「国土地理院撮影の空中写真」を利用して東大和市駅の変化を追ってみました、一番左の画像はちょっと見づらいですが1974年の画像、まだ駅名が青梅橋だったころの地平ホームです、青梅街道が踏みきりになっていて南北に交差点も有り渋滞のよく発生する所でしたまだ高架工事は始まっていません。
右は1979年のほぼ同じ所の画像、高架工事が大分進んでいますがまだ上り側の高架部分が繋がっていません。

左は1989年の東大和駅上空画像、高架駅として完成し駅前のロータリーもほぼ出来上がっています、ロータリー左側の駐車場は現在ビッグボックスとなり空き地の部分はマンションが建設されています。
旧線路跡はもう解らなくなっていますが一部は道路になっているのが解ります。

「国土地理院撮影の空中写真(1974年,1989年,1989年撮影)」より引用
使用ファイルckt-74-16_c25_28.jpg ckt-79-1_c21b_16.jpg ckt-89-1_c13_21.jpg
   
東大和市駅を出発すると65Km/hの制限を受けカーブを曲がり後は小川駅直前まで左画像の様に直線になり駅間も長いためここでも最高速度まで加速します、電車の性能に違いを見ることも出来20000系や6000系はスムーズに100Kまで加速しますが2000系ではやっと・・と言う感じがします、私鉄なら途中にもう一駅有っても良さそうな距離です。
小川駅点前で真ん中の画像の左カーブとなり60Km/h程度まで減速し小川駅へ、一時期このカーブの区間だけがしばらく単線になっていた事があります、そのため信号所が設置されていました・・このカーブを曲がりきる頃には速度も55Km/hまで落ち場内の黄色進行制限もクリア・・ホームに入ります。(真ん中の画像に写っている線路脇の紫色標識は何なのだろう?、速度制限の標識にしては数字が無いし・・電子部品の世界で紫は7を表しますが制限70Km/hなのかな)

小川駅、国分寺線乗り換え駅。
小川駅では西武国分寺線に乗り換えが出来ます、左右の画像は小川駅東口、大きなロータリーも有り駅の東側にはブリジストンタイヤの大きな工場も控えます、橋上駅舎で東口、西口を結ぶ自由通路が有ります。
ホームは島式2面4線で東と西端の2線が拝島線、中側2線が国分寺線のホームとなります、その為両線ともに線路が平面交差となり朝夕など列車密度が高い時にダイヤが乱れるとお互いに影響が出てしまうと言う問題点も。
また以前は小川駅よりブリジストンタイヤの工場まで専用線が有りました、現在の拝島線もその一部を利用しているとか・・。

こちらは小川駅西口、東口とはかなり雰囲気が違いロータリーなどはなく狭い駅前に細い路地と商店街がありいかにも私鉄の駅といった雰囲気に、撮影は日曜日の午後でしたが人影が見られずちょっと寂しい・・。


 ↓は2009年6月撮影

上の2枚は2009年6月撮影の小川駅東口と西口、東口建物の壁の傷みが酷くなっていました、西口は殆ど変化がありません。
NEW 下り線が高架へ
2011年2月に小川、萩山間で下り線の高架工事が完成し線路の付け替えが行われました。

この切り替え直後の左側画像と2009年6月撮影の右の小さな画像とは似たような構図と線路配置に見えますが右の画像は下り線がこれから仮線へ切り替わる前です。

2011年3月撮影の左画像には付け替えられた仮下り線線路がまだ残されています。

萩山側の線路切り替え部分で左画像は下り線高架線切り替え直後、右の小さな画像は下り線が仮線に移る寸前です。

見比べると高架線に通じる線路は以前の下り線より南側へずれているのが解ります。

線路ギリギリまでブリジストンタイヤの工場敷地が有ったので少し譲り受けて路盤を広くしたのかも知れません。

下り仮線が使われているときに撮影した画像がないのが残念、通勤がバイクなので撮りそびれてしまいました。

2011年5月に小川駅から撮影した下り線風景、拝島行きの新2000系電車が勾配を下ってきました。

既に仮の下り線線路は撤去され上り線高架に向けて工事が進められています。
萩山駅に向かって府中街道踏切の高架工事前に見られた風景
高架工事前は小川駅を発車すると左画像の様にシングルスリップポイントで国分寺線を交差して萩山駅へ向かいました。
右画像では右に元ブリジストンタイヤ工場への専用線跡が見えます、緑色の柵辺りにまだバラスト・・線路用の砂利が残っていますがそこから可動式のゲートを経て工場内に線路が続いていました。
下り線が高架に移った為この風景も過去の物となり現在は府中街道との立体交差工事のためこの風景は見られなくなっています。

萩山駅に到着、平日朝のみ見られる増結風景
平日朝のみ萩山駅で西武遊園地発の列車と連結(下りは解放)が行われます、その為平日朝の急行は拝島線内が6両編成と今となっては短い編成で運転されます、それに対して各駅停車は8両で運転され昼間の一部列車とと夕方、夜の急行は10両編成で運転。
上左の画像・・ちょっと雲っていますがホーム手前で一時停止、ホームには先に到着している遊園地発の列車が居るため場内信号は赤、その下に白く光る誘導信号機の点灯で15Km/h以下の速度にてゆっくり進み連結前に赤旗の停止信号を受けてもう一度一時停止、連結器の確認と位置合わせ後緑色の手旗信号により連結となります、萩山から10両編成になるため新宿寄りの1号車が女性専用となって西武新宿へ向かいます。
NEW萩山駅ホーム側から連結風景を見てみると。
左画像、連結解放が行われる場所には軌道面に板が引かれ作業員の足場を確保しています、右の方には連結器の解放レバーを引き出すための鉄パイプが用意されています。
右画像、西武遊園地方面から先着する4両編成の新2000系電車、ホーム先端の10両停止位置まで進みます。
左画像、西武遊園地からの列車後部では連結前の準備、連結器内に異物はないか、電気連結器も蓋を開けてゴミなどが入り込んいないかを確認。
右画像、場内信号機の赤現示で一時停止し誘導信号にて時速15Km/hでゆっくりと入ってきた拝島発2000系6両編成。
左画像、旗による停止信号で停止、係員が下り列車の解放作業中なのでちょっと待たされる・・昔は係員が2組いて上りと下り同時に作業できたのですが今は朝の時間帯だけになったためか1組での作業に。
右画像、作業員が戻り拝島からの編成も連結器を確認し位置合わせを行い連結へ。

駅員の緑旗による誘導でゆっくりと進み連結、連結完了まで拝島からの列車はドアが開かず少し待たされます。

連結を確認すると駅の業務連絡放送でドアを開け、電気回路の切り替え、ブレーキ試験を手早く行い10両編成となって直ぐに発車していきます。
昔は始発から終電まで全ての列車でこの連結と解放作業が行われていましたが今では平日朝のラッシュ時間のみになっています。
西武としては手間がかかり作業員の危険も伴うためこの連結解放作業は廃止したい所でしょう、しかし朝だけでも西武遊園地方面から乗り換え無しで通勤出来る事の要望が有り朝のこの風景はしばらく見られるでしょう。

萩山駅、多摩湖線乗り換え駅。
その萩山駅も2009年4月頃にバリアフリー化のリニューアルが完成しました、画像は2009年6月撮影。

リニューアルされた萩山駅の南口側、バリアフリー化でエレベーターが4基設置されました自由通路と駅ホームへの階段には大きな変化は見られません。
上の2枚はリニューアル前の萩山駅南口、駅は橋上構造で北口との自由通路もあります、南口はロータリーと言うより駅前広場と言う感じに、駅前にはスーパーとお蕎麦のお店が有り画像の後ろには道路を挟んで高層住宅が有ります、不思議なのはこの駅への路線バス路線が有りません。
ホームは島式ホームに対面式のホームが組み合わされた様な構造で2面3線、南口側の1番線2番線が島式ホーム3番線が単式の対面ホームとなり、1番線が国分寺と結ぶ多摩湖線ホーム、2番線が拝島、西武遊園地方面の下り線、3番線は新宿方面の上り線として使用されています、夕方は国分寺からの列車が西武遊園地へ直通する運用がありその上り列車は多摩湖線用の1番線には入らず3番線から発車し駅東側で下り線をクロスして国分寺に向かいます。

リニューアルされた萩山駅北口側、南口と同じ様なデザインでちょっと西洋のお城みたいな雰囲気を持ちます、駅前ロータリー部分が少し小さくなった様です。(左画像)
また駅へは東側の道からしか入れなかったのが駅の北側を通る遊歩道側にも階段とスロープが付けられ利用しやすくなっています。(右画像)
照明の街灯がモダンなデザインになりました。

こちらはリニューアル前の萩山駅北口、小さなロータリーが有りますが繋がる道は一本しかなく袋小路の行き止まりが駅前という構造でした。
繋がる道も細くやはりバスなどの発着は有りません、住宅地の真ん中でコンビニと理髪店が見えますがこの理髪店・・現在は閉店していましたが私の同級生の実家だったりします・・元気にしているかな?。

リニューアルされた自由通路部分。
萩山駅の改札口と自由通路部分、巾が広がり明るい雰囲気になっています。 南口へのエントランス、真ん中の通路奥にエレベーターが有ります、右側の通路はそのまま歩道橋に繋がっています。 北口へ繋がるエントランス、左はエレベーターで丁度扉が開いています、階段を下りると北口ロータリーへ出ます。
上の3枚は萩山駅構内・・左は2番線ホーム小平寄りから下りの拝島、西武遊園地方向を見た所です、右のホームが上りの3番線でホーム中程から多摩湖線国分寺向けの線路が分岐しています、この線路は後から増設した物です。

真ん中は同じ場所から上り小平方向を見た所です、拝島線下り線を多摩湖線国分寺向けの線路がクロスしていきます。

右は多摩湖線国分寺方向を見たところで画像右の線路が多摩湖線用の1番線に入ります、開業当時の萩山駅は踏切の向こうに見える白い建物の辺りにありましたが小平と小川間が開通した後に今の場所に移ったとか・・旧萩山駅から小平に向けての路線もあり当時は三角線になっていた模様です。

左画像は萩山駅1番線へ到着する多摩湖線用ワンマン運転対応101系電車、現在4編成で運用中、昼間はその内2編成で運転。

2009年6月撮影。


左画像は2番線ホームに入ってきた拝島行き旧2000系電車、昼間は8両か10両での運転ですが小平と玉川上水間を昼間走る区間列車は4両編成での運転になります、昔の拝島線は4両で長い方だったのですが今では一番短い編成になってしまいました。
右は2009年6月撮影で萩山駅ホームに並んだ3000系(左)と30000系(右)電車、車体巾の違いが解ります・・また30000系が今後増備されていくと片側3扉の3000系は引退となるため今しか撮影できないシーンかも知れません。

小平駅、拝島線の起点、新宿線線乗り換え駅。
西武新宿線との接続駅でもある小平駅・・その南口になります、南口には大きなロータリーがあり路線バスも多く発着、スーパーを始め商店も多く”ルネ小平”と言う多目的ホールもあります。
小平駅は島式ホーム2面4線の構造、駅の西側で拝島線からの上り線が新宿線の下り線と平面で交差するためやはりダイヤの乱れが有ると共に影響が出やすい構造となっています、南側が1番線で拝島、西武遊園地方面下り、2番線は新宿線の所沢、本川越方面下り、3番線は拝島方面からの上り、西武新宿方面と小平止まりの列車降車用、一番北側の4番線は新宿線上りとなります。
駅の東側には引き上げ線が有り西武遊園地や昼間の玉川上水からの区間列車など小平止まりの列車が引き上げられ1番線に始発として入ります、休日夕方の拝島からの小平行きは3番線に入らず駅点前で拝島線下りに渡りそのまま1番線に入り折り返す列車もあります、推測ですが新宿線下り線を支障しないように運用されているのかも知れません、また上り列車も下り列車も拝島線と新宿線お互いの列車の接続を取って運転されていることが多く待ち合わせもよく見られます。
新宿線の特急は残念ながら小平は通過・・もっとも西武新宿から急行で25分程度で来ることが出来有料特急を使う程の距離では無いのかも知れません。
拝島線はここ小平が起点となり新宿線への乗り換え駅となりますが深夜と昼間の一部列車を除いて殆どの列車が新宿線に入り西武新宿まで向かいます、現在では昼間に拝島快速という列車が設定され小平と玉川上水間をノンストップで走行、途中通過駅の乗客の利便性を確保するため玉川上水と田無間を走る列車や玉川上水と西武新宿間を結ぶ普通列車が設定されました。
本数は少ないですが拝島と小平間、玉川上水と小平間を結ぶ区間列車なども増え拝島線の列車密度はかなり上がっています、玉川上水と拝島間の列車本数があまり増えていないのは単線区間があり列車交換の関係だと思われます。
こちらは小平駅北口ですが南口に比べ簡素な雰囲気、車は入れませんが広場があり西側には小平霊園が有りその関係で墓石を扱う石材店が軒を並べています、北口には路線バスの接続は無い模様。
ホーム西側には直近に踏切があり朝夕ラッシュ時にはやはり開かない状態になりますが列車が同時に発着する事も多く他の駅よりは渡りやすいと思われます。

左画像は小平駅に入ってきた拝島からの上り列車、小平駅西側で拝島線の上りと新宿線本川越方面下り線が画像のように平面で交差する構造のためかなりシビアなダイヤ構成となっている物と思われます。

実際本線の下り列車が遅れると拝島線上り列車が手前で停車したり、その逆に拝島線上りが遅れると小平駅で下り列車が発車待ちをするのを見たことがあります。

今は本数が減りましたが拝島から小平間運転の列車の場合直接拝島線下りホームに発着する場合もありました。
この場合上り線ホームへの移動が必要となり乗客が多いと上手く乗り継げないことも有りました。


西武立川、拝島付近での懐かしい風景から・・
西武立川、拝島間
左の画は小学校の写真クラブで撮影に行った時の一コマでこの様な所・・線路の敷地内に入って撮影していても特に問題が無かった様で電車の方も短い汽笛を鳴らして通過していきました、今なら非常ブレーキで停車し”線路内に人が立ち入り・・”と運転抑止がかかることでしょう。
右はの画は左の画の撮影場所より70m程拝島寄りで撮影した現在の物、左の画を撮影した場所は現在国有地となり柵で仕切られ入ることが出来ませんでした、左画の高圧線鉄塔は右の一本奥に写っている物になります、見比べると架線へ電力を供給する母線の引き回し位置が変わっているのが解ります。
開業からしばらくは昼間2両編成がやっと80Km/hに届く速度で運転されていた拝島線ですが今では新形の10両編成が100Km/hを超す速度で走り抜けて行きます、出世したものです・・しかし現在も西武立川と拝島間(↑の区間)、上り側は武蔵砂川と玉川上水間に単線区間が残る路線でもありダイヤが乱れると列車交換の関係で影響が出やすい路線でもあります。


開通して間もない頃の
西武立川と拝島間で撮影、拝島に向けての列車でクモハ451系とクハ1411系の2両編成です。
451系は両開き3ドアの20m車ですが足回りや制御装置は旧タイプの物、走り出すと床下からは豪快な音が響きました、クハ1411系は片開き3扉で昔の茶色い国鉄車を西武カラーに塗り直した様なイメージ・・運転室も半室タイプと言う車両でした。

共に上左の画と同時に撮影した物です。

拝島線は橋台など複線に対応出来るように作られています、左画は拝島駅東側の築堤に有る橋台で私道をまたぐ物・・。
玉川上水にかかる鉄橋を含め橋台は全て複線用に作られています、ただ築堤部は単線のままなので画のようにコンクリート構造物が丸見え状態・・ここに線路が引かれることは有るのでしょうか・・。

拝島線で6両での運転が始まった頃
それまで最長4両編成での運転だった拝島線も朝夕ラッシュ時は6両編成での運転を開始、運用に入ってきたのは登場間もない新101系2連を連結した101系の編成や6両通しの編成などが見られました、画は電気機関車よろしく先頭車にパンタ2基を上げて発車した新101系・・。
拝島線6両化で拝島駅、玉川上水駅、青梅橋(現在の東大和駅)はホームを延長しましたがこの西武立川駅は当初から6両分の有効長がありそのままでした。
新101系は登場当初、前面は側面と同じベージュ色・・その後こげ茶色に、そして現在は黒色と変化し側面のクリーム色も無くなり黄色一色になっています。
そのデザインはその後増備された101系、101系を8両編成固定にした301系に続きますがその101系も3扉なのが災いしたのか廃車が始まり他私鉄に活躍の場を移した車や解体され機器を特急車10000系に流用されています。

このころは朝夕は15分間隔で1時間に4本、平日昼間と休日全日は20分間隔で1時間に3本の運転でした。
今はもう姿が見られなくなってしまった旧型の101系、しかも6両固定編成で拝島線6両化初期に撮影した物です。
その後当時の701系や801系がブレーキの強化、改良と冷房化が進むと運用が取って代わり101系は一旦池袋線に移り新宿線で姿を見ることが出来なくなりました。

当時の101系はその制御方式の違いから701系や801系との併結運転が出来ないことも関係していたと思われます、後に一部の101系は制御回路を変更し701系801系と併結しての運転が出来るよう改造された編成が登場しまた新宿線内でその姿を見ることが出来るようになりました。
所がその改造で他の101系と併結運転が出来なくなり新宿線系統での運転専用となったと言うオマケが付きましたが・・。
新宿線用の101系は冷房改造された701系や801系と共に連結器下にある電気連結器の蓋を黄色く塗り区別されていました。
この画像ではその改造前なので電気連結器蓋は黄色く塗られていません。


西武拝島線で現在お目にかかれる車両は。
2008年3月のダイヤ改正で列車種別表記が変更になり”普通”が”各停”に変わりました、”普通”表記の列車画像は改正前に撮影したものです。
新2000系
西武立川駅に侵入する拝島行き新2000系の列車。
拝島線には西武鉄道の車両の中で10000系特急列車と4000系、9000系は営業列車として入線してきません、やはり一番多く見られるのはこの西武鉄道ては主力の2000系、2両、4両、6両、8両の編成が有り色々な組み合わせ・・編成で運用されています、平日朝は6両編成の運用が見られますが休日や平日昼間の各駅停車は8両編成で運転されます、これは本線の新宿線上石神井以東で各駅停車停車駅のホーム有効長が8両編成までと制限されてしまうためです。
昼間は8両編成の急行も有りますが、急行として下ってきた10両編成の列車がまた急行として上る以外に各駅停車の小平行き、玉川上水行きとして運転されるダイヤも見られます。
西武立川を発車し拝島に向かう新2000系、左右の2000系は同じ車両に見えますが異なる部分も有ります、前面貫通扉の窓・・大きさが違いますよね・・。
同じ新2000系の車両でも編成や登場時期の違いで細かい所にバリエーションが見られます。
制御方式は基本的に抵抗制御になりますが界磁チョッパ制御装置を備え、制動減速時には回生制動を用いる一応省エネ型電車、一応と書いたのは他の回生制動を備える型式に比べ回生制動が25〜40Km/h程度の速度までしか使えず割と早く失効してしまう為・・。
各型式別の制御方式、バリエーション等細かい所についてはヨロズ車両管理所にUPしました。
初代2000系
2000系登場当時からの初期型車ですが更新を受けスカートも装着された車両、左の画像は二輪車通勤の私ですが流石に雪では走れず鉄道利用に・・、ポケットには愛用の小型デジタルカメラを入れて出かけなかなか撮影するチャンスのない雪景色の中の西武線を撮影しました、この時私の乗ったこの列車はほぼダイヤ通りに走っていましたがこの2本後の列車から大幅にダイヤが乱れました、雪に弱い都心の交通機関と言われますが列車密度が高いのもダイヤが乱れやすい要因の一つでしょうか。
右は自宅の直ぐ側で撮影した2000系初期型車、この初期型車は主に新宿線系列で運転され池袋線に入ることは通常無い模様です。


先頭車にパンタグラフを2つ上げて西武立川駅に進入してきた上り列車・・2000系の中で2両編成の車両は2401型として別番号となっています、また左画像の車両は初期型の中でも2006年1月現在まだ更新を受けていないためスカートの取り付けも無く原型の姿をとどめています。
車体の番号が読めないので定かでは有りませんが屋根の通風器が丸いグローブ型ではなく四角い押し込み型だったので2417Fか2419F辺りだと思います。
現在は更新工事を受けこのスタイルは見ることが出来なくなりました。
左の2401型は更新を受け前面下側にスカートの取り付けと行き先や列車種別表示がLED・・発光ダイオード利用の電照式に変えられています、この画像を並べて見るまでは気がつかなかったのですが上の同型車と床下の抵抗器の数に違いが見られます、艤装方法の違いでしょうか?。
右は同じく更新済の2401型ですが表示のLED化と共にパンタグラフがシングルアームのタイプに交換されています、左右の画像を比べてみるとパンタグラフの違いでかなり軽快に感じます、西武の車両としては重量級なのですが・・。
2両編成の2401型はクモハ+クハの1M1T・・この時代の車両はM車と言われる電動車は2両一組で制御し使用されるのですが制御回路を工夫し1M方式で使用しています、しかし現在モーターの無いクハも直ぐに電動車に改造出来るようになのか台車は電動車用の台車でモーターが付いていない状態で使われています、ちょっと変わった車なのです。
2000系では規模の大きな定期点検と共に順次車両の更新も進めている様で他の編成でもパンタグラフを交換された編成を見ることが出来ます、ただ更新の方法は色々有るようで左画像の編成はパンタは最新の物に交換されていますが行き先表示は従来の幕方式のままになっています、またこの行き先表示は登場当初装備されて無く、後に改造で取り付けられました。
上は2401型ですが初期型の2000系は戸袋部分に窓が有りません、床下の主抵抗器の数にも違いが見られます、電動車の制御方式の違い(2M制御と1M制御)によるものかも知れません。

6000系
西武鉄道として初のステンレス車体インバーター制御を採用した10両固定編成の6000系も急行として拝島線に入ってきます、新宿線で見られる6000系は地下鉄有楽町線に入るための機器は未搭載の初期タイプになり地上区間のみの運転になります。
画像は急行として拝島まで運転後、車両管理区のある玉川上水まで3駅ほど運転されるいわば回送の様な運転・・玉川上水では始発の各駅停車西武新宿行きにそのまま乗り継ぎが出来るダイヤになっています。
また10両編成の列車が小平と拝島間の区間運転に運用されている時もありますがちょっと贅沢?な使われ方かも知れません。(^^)
右は玉川上水を渡る瞬間・・曇り空だったこともあり90K位の速度も出ているためピタリと止めることは出来ませんでした。
6000系は初期型の2編成を残し池袋線へ移ってしまいなかなか姿を見ることが出来なくなってしまいました、その分20000系が新宿線に移籍しています。

20000系
アルミ車体の20000系もよく拝島線に入ってきます、編成は8両と10両の2種類ですが多く見られるのは8両編成、普通列車から急行まで使われます、右の画は久しぶりに出会った20000系の10両編成車、6000系との入れ替えで新宿線での運用が増え拝島線でもかなりの本数を見ることが出来ます。
新型だけあり加速も良く車内も静か・・有料特急である10000系ニューレッドアローより静かと言うのが・・・・。(^^ゞ
10000系は2次車を除き制御方式、モーターは通勤型の101系と同じ物を使用・・その辺りが関係しているでしょう。

30000系
アルミ車体にVVVFインバーター制御と20000系とほぼ同じですが通勤形では西武初の車体幅拡張車で裾が絞られた構造、設計時から女性社員も参加し人に優しい軟らかいイメージの車両として登場、車体の各所に”タマゴ”をモチーフにしたデザインが使用されています。
車体に貼られたグラデーションのかかったテープや先頭車の形状など今までの西武電車とは大分違ったデザインとなりスマイルトレインの愛称を持ちます。

3000系
8両固定編成の3000系、2000系の足回りに101系のボディーを乗せた様な出で立ちですが正面窓下に車体番号の表記が有る・・左右の前面窓間に101系の様な分かれ目が無く黒色一色等デザインや側窓の割り振りに違いが見られます、また車体横の列車種別と行き先表示を西武として初めて採用した型式になります。
2000系と同じく界磁チョッパ制御の回生制動を使用する車両で当初3扉の101系が多く運用されていた池袋線に投入されました、その後池袋線にも4扉の新2000系が投入され、その後編成の半数がが新宿線にも配置されました。
しかし3扉なのが災いし8連固定で他形式と増結も出来ずちょっと使いづらい車両になっている様にも見えます、3扉の101系に廃車が出ている中今後の動向が気になる型式でもあります、拝島線では昼間に8両編成での急行として走っている姿を目にします。


2011年になるといよいよこの3000系にも動きが見られ、8両固定編成からモハ1ユニット2両を抜き取り6両化され国分寺線専用として使用され始めました、3005Fと3007Fの2編成が6両化され国分寺線で活躍しています。

拝島線からは離れますが6両編成となり国分寺線小川駅に到着する3005F、この形式に国分寺の方向幕が出るとは。

今の所抜かれたモハ4両が廃車となりましたが全編成が健在で池袋線では西武ライオンズのチームカラーとロゴが描かれた編成と、銀河鉄道999のキャラクターが描かれた編成が運用に付いています。

撮影に出向きましたが残念ながらまだカメラに収めることが出来ません。

新101系、301系
西武鉄道としては一番古い型式となってしまった101系で現在のスタイル、撮影は小平駅で路線も新宿線本線に止まっていますが101系も8両編成固定の301系と共に拝島線に入ってきます。
池袋線が延長され秩父まで開通した時に登場してきた車両で一台150Kwのモーターを備え下り勾配での速度制御を容易にする発電制動の一種、抑速制動の機能を持つ制御装置も備えた車両です。
急行から各駅停車までこなす意味でALLROUND SERVICE CARの頭文字を取りASカーなどと呼ばれていました。
画像は後期型で運転台が高いタイプ・・既に初期型は本線運用から全て離れてしまいました、初期型の101系はJR中央線の武蔵境駅と是政駅を結ぶ多摩川線でワンマン運転仕様の編成をまだ見ることが出来ます。
前面窓周りが黒くなり側面のベージュ色も無くなりこのページの上に紹介した登場当時の新101系とはイメージが変わってしまいました。

まずは今回ここで終点、少しずつ路線を延ばして行きます。
身近に有った日本一へ
Railステーションへ