想い出となった交通博物館

展示物にはその仕組みを解説した物も多く見られましたが左の展示物は蒸気機関車の走る仕組みを示した物、ピストンと蒸気の切り替えバルブの関係、その動作が説明されていてボタンを押すとモーター仕掛けで動きました。
この展示物も私が博物館に始めて来たときから有ったと思います、以前はシリンダー内のピストン動作に従い赤と青の光で蒸気の吸気排気を表していたのですがこの時は点いていませんでした、球切れかなぁ。

←は各展示コーナーを結ぶ通路ですが・・この形は左画像の煉瓦で作られたアーチにカバーをして物と思われますね、万世橋駅の公開に参加したので解った次第・・。
同じ形をした通路が並んでいるのが解ります。
博物館閉館後はこのカバーも撤去されるかも知れません。


←旧万世橋特別公開時に撮影

精密に作られた0系新幹線用の台車DT-200の模型、この様なプラモデルが有ったら買って作りたいですね、比較する物が無いので大きさが解りにくいですが50センチ以上の模型になります。
ホント一つ欲しいです・・。

こちらは各種車輪を展示。
鉄道用車輪にも色々有った事が解ります、
今は直径860mmのタイプが多いでしょうか。

これは新幹線車両に用いられている車輪、
車輪にブレーキディスクが直接取り付けられています。
車輪を挟み込む様な形でブレーキをかけました。

通勤電車に用いられている車輪で電動車用、
左側に歯車箱が取り付けられています。
こちらは蒸気機関車用のスポークタイプ動輪の展示、車輪の片側は平で鉄道車輪特有のツバ・・フランジが見えません、蒸気機関車の動輪はフランジの付いた”タイヤ”が別部品になっていて”ホイール”部分にはめ込まれています、丁度車のホイールとタイヤの関係になりますがそのタイヤ部分を外すと上の画像の状態になります。
←のタイヤが付いた車輪は走行により摩耗するとこのタイヤの部分だけ交換することが出来るのですがその交換は大変な作業になります、外す時はタイヤの部分だけを加熱・・輪になっているため過熱で僅かに膨張し直径が大きくなったところで専用の装置を用い強い力で押し抜きます。
入れるときもタイヤ単体を加熱し膨張させホイール部分に圧入・・位置が決まったら水をかけて冷やし締めます、焼きばめ・・と言う手法で昔は客車や貨車の車輪も同じ構造でした。
今ではホイールとタイヤ部分が一体になった車輪を用います。
余談になりますが昔は殆どの車両でこの焼きばめされた車輪を用いていたため急勾配の峠越えがある路線では下り勾配でのブレーキとの摩擦熱でタイヤが過熱されタイヤの締め付けが緩み、その状態でカーブを走ると遠心力で車輪の横方向に強い力が加わり位置がずれてしまったり(タイヤ弛緩)や最悪の場合外れてしまう(タイヤ脱出)と言う事故が有ったと言われます。
昔の客車や貨車の場合制動には車輪を締め付けてブレーキをかける方法しか無かったためその様な事故が起きたのでしょう、本の記録に寄れば夜間に勾配を下ってきた列車のブレーキ制輪子・・ブレーキシューがその摩擦熱で過熱されほんのり赤く見えた・・と記されていました。
今の電車や気動車は車輪を締め付けるブレーキだけに頼らずモーターやエンジン、変速機を用いた電気ブレーキ、機関ブレーキ(車で言うエンジンブレーキ)の利用や、一体型車輪の採用でこの様な事故は起こりません。
別館の下に保存展示してあった機関車で左画像は7100形の7101号機・・弁慶号と呼ばれた蒸気機関車、前面のカウキャッチャー(排障器)や煙突など西部劇などの映画で出てきそうなスタイルはアメリカから輸入された機関車であることが解ります・・1880年以降アメリカから輸入された機関車は8両有ったと言うことでその内の1両がこの弁慶号、北海道を始めて走った蒸気機関車になるでしょう。

真ん中と右の画像は1290形の1292善光号蒸気機関車、正面から写し忘れたのが残念、イギリス製で1881年に作られた機関車・・面白い構造の機関車で眺めてみると普通の機関車にあるはずのシリンダーが見えません、見えるのは3組の動輪だけ・・この機関車は台枠・・フレームの内側に2組のシリンダーが納められています。
その構造が適していたのかは解りませんが線路状態の悪い・・仮設したような路線でも安定して走り工事現場で重宝されていたと何かの資料で読んだ事が有ります、大正時代末期には廃車され今まで保存されてきました。
この2両の機関車も大宮の鉄道博物館に移されその姿を今後も見ることが出来るでしょう。
交通博物館の特徴でもある階段を上って2階へ・・2階は船や鉄道以外の陸上交通に関わる物が展示されていました。

この階段、時代を感じさせない作りで今でも通用しそうなデザイン・・私個人も好きな所です。
ただ建物が古いためバリアフリー化出来ずそれも博物館移設の要因になっていたとか。

2階に上がりSLホールを覗くと・・細いと言われたC57のボイラとマレー型機関車のボイラがあまり太さに差がない感じに見えます、効率はC57の方が上になりますが。

右上の画はC57の安全弁と蒸気タービン発電機のアップ、蒸気機関車と言っても前照灯や運転席内の各照明に電気が必要でその為の発電機を背負っています。
発電機は大小二つあり小さい方の発電機は後から増設されたATSの電源用とのことです。

船のコーナー・・
  
流石に船となるととても大きく本物は置けないので模型の展示になってしまいます、丸木船から始まって昔の帆船、黒船?、貨物、客船、大型タンカーまで代表的な船の模型が並びます・・・この模型にモーターや小型のエンジンを積んでラジコンで走らせたいと思うのは・・私だけかな。(^^ゞ
私が小さい頃には船の艦橋・・操舵室を模した実物大展示物が有り、その窓から見える風景がゆったりと揺れていたのですが古くなったためか撤去されていました。
車、バイク等の車両コーナー

懐かしいボンネットタイプバスや今では見られない信号機
都営バスの停留所の展示物。

このバスは国鉄の第1号となった路線バス・・
デザインが時代を感じさせます。
 
このエンジンは上の国鉄バス(時代から見て鉄道省バスかな?)に使われていたエンジン・・総排気量は失念しましたが6気筒の立派なエンジン、右の説明パネルにも有りますが75馬力の出力だったそうです、吸排気のバルブは今のエンジンの様にシリンダーヘッドには無く、シリンダーの横に下から上にリフトするように付けられた文字通りサイドバルブ式・・構造的に圧縮比は上げられませんでした、今では660ccの軽でも60馬力程度は有りますのでエンジンの性能向上は凄い物です。
ただ馬力ばかりに目が行ってしまいますが最大出力を発生させる回転数が3000回転と低く最近のエンジンの半分程度・・トルクで走るタイプのエンジンだったと思われます。
キャブオーバータイプバスの模型、エンジンが前のボンネットから後輪の後ろに移った最初の頃のバスだと思われます、方向指示器が懐かしい・・。 エンジン構造の教科書になりそうな歴代エンジンが並びます、一部カットされ内部の構造やモーター仕掛けでその動きが解るようになっていました。
某テレビ局の番組にも登場した日本の軽乗用車を代表する富士重工のスバル360・・似たデザインのワーゲンが”カブトムシ”と呼ばれましたがこの小さなスバルは”テントウムシ”と呼ばれていたとか、エアコンも無い時代360ccのエンジンでもしっかり走りました。 こちらも懐かしい東洋工業・・マツダのオート三輪トラック、その構造から非常に小回りが利き狭い路地でもくるりとよく曲がれたそうです。
画像は丸ハンドルの後期型になるでしょう、初期の車はバイク用のハンドルが付いていたのを写真で見た事が有ります。
ただ前輪が真ん中に有るため遠心力が強くなるとゴロリと横転しやすかったとも聞きます、特に下り坂でブレーキをかけながら大きくハンドルを操作すると危なかったとか。

ガソリンエンジンを積んだベンツの1号車・・。
レプリカとの事ですが実際に走りそうです。

この車は何の車だが失念・・
フランクリン・・・だったかなぁ。
自転車に小型のエンジン・・原動機を付けた物・・。
これが本来の原動機付き自転車・・世に言う”原付・・原チャリ”なのですね。
排気量50cc未満、最高速度30Km/h、交差点の2段階右折はこの時代に設定された物でしょう。

原動機付き自転車からメグロのバイク、スクーターの初代まで並びます。

私の年代でナナハンというとこれ、ホンダドリームCB750Fore
4気筒でそれぞれに排気管とマフラーが付くのでマフラー4本出しが特徴でした、確かこの時代は今の様な集合タイプマフラーって違反になった様な・・。

そのほかにもヤマハやスズキなどの懐かしいバイクが並んでいました、この辺りの展示物はどうなったか気になる所です。

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