想い出となった交通博物館


ドアスイッチの色、昔は薄い緑色だった様な。
順路とは関係なくあちこち飛んでしまいますが・・この101系乗降扉開閉装置の展示品もかなり古くから有り、私がまだ小学校低学年時代にも触ったことがあります、ただその当時は画像の様なアクリルカバーは無く開いた扉の部分を通ることが出来て車体外側はホームを模した作りになっていました。
扉開閉スイッチを操作するときは子供心にも乗客の居ないことを確認し扉を閉める操作を楽しんだ物ですが最近は挟まれたらアブナイと言うことでこの様にカバーを付けてしまったのでしょう、ふざけてわざと挟もうと操作した子供達も居たのかも知れませんね。
展示当初から閉館時まで何回くらい開閉されてきたのか・・点検整備はされていると思いますが鉄道車両の部品は頑丈に出来ている物です。

休息所の代わりにもなっていた座席見本。
この3枚は時代の流れによる客車の座席を展示した物でその年代により座席の違いが見られ実際に座ることも出来ちょっとした休息スペースにもなっています。
左上は車体がダブルルーフの断面になっているのでかなり年代の古い客車になるでしょう、座面にはクッションが有りますが背もたれは直角の板のみ・・当時の3等車、今の普通車に当たる物ですね。
右上も車体を示す部分に赤い帯が表されているので3等車になります、左は背もたれにもクッションが付き同じ3等でも後期型・・オハ35やスハ43等急行にも使われた客車の物と思います。

鉄道関連ではこの様な車両も・・人力で運転?されていた”人車鉄道”の車両、それこそマッチ箱の様な客車です。
人力車などより効率は良いですがどのくらいの速度で運転されていたのか・・説明書をよく見れば良かったです。

このパタパタ式案内表示板は大阪の交通科学博物館にもありましたが交通博物館にも展示されています、やはり右画像の操作パネルにて自分で表示を変えることができます、今ではフルカラーの発光ダイオードを用いた案内板が主流になってきましたがパタパタと変わるこの案内板も良い雰囲気が有ります。

ここからは列車の安全運転に関する展示品・・今となってはもう見られない機器も並びます。

前のモニターを見ながら運転。

車両はOゲージクラスですが1両での運転。
列車運転時の安全を司る保安装置の展示コーナー、古くから有るATSからスタートしATCやCTCも加えられ模型を運転しながらそのシステムが解ると言う物・・。
ATSだけの頃はたしかボタンを押すと車両が動き出しATSの動作を見せるもだったのですが段々規模が大きくなり後に運転台が設置され、ビデオカメラが小型化され安くなったため車両にカメラを組み込み最終的には左上画像のように車両から映し出される映像を見ながら運転できる所まで発展しました。
シミュレーターと並び人気があるコーナーだった様です。
私のページでも既にあちこちに登場している装置・・”通票閉塞機”の装置が展示されています、通票閉塞は”タブレット”と言う真鍮で作られた通称”玉”と言う物をやりとりして運転されるため別名”タブレット閉塞”と言われる事も多いです。
中間駅ではこの画像のように上り側の駅と下り側駅との連絡用に2組置かれます、それぞれ信号を受信したときの音が違い、片や”チン・チン”(左側)とベルの音ならもう片方は”ボン・ボン”(右側)と低いこもった音のドラの様な音になります、今では実際に聞くことは出来なくなってしまいましたがここ交通博物館の閉塞機は玉の出し入れは出来ないですが実際に触り操作ができました。
ボタンを押すとそれぞれの音の違いも聞くことが出来貴重な展示だったと思います。

信号機の色々・・

各種色灯式信号機、ボタンで色を変えられる物も。

腕木式で黄色のこのタイプは遠方信号用

腕木式信号機も色々有りました。
既にJRには無く地方私鉄でも絶滅寸前です。
こちらも列車の安全運行には欠かせなかった信号機の色々・・既に見られなくなった腕木式から今も主流に使われている各種色灯式までずらり並びます、色灯式進行の一部は操作ボタンで表示を変えることができました。
腕木式は駅の出発信号、場内信号用は腕木が赤色で白の帯が入った物を用います、上の画像の腕木が黄色く矢羽根の形をしている物は”遠方信号機”と呼ばれその名の通り駅構内から離れた場所に設置されていました、駅場内や出発信号に従属し、その状態を予告をするために使われていました、今でも単線の地方ローカル線で色灯式の遠方信号機を見ることが出来ます。
東京では八高線で色灯式遠方信号機が活躍しています。
余談になりますが黄色い腕木式信号機には”通過用”と言う物もありました、腕木はやはり黄色なのですが形状と長さが違っていました、急行が通過する駅で場内信号、出発信号と同じ所に設置し列車に対し通過可能の予告に使われていました、。
鳥取付近で最後まで使われていた模様ですが今では既に絶滅・・ビデオ映像でしか見ることが出来ません。

転轍機・・ポイントを切り替え操作する機器・・

今では見られなくなった手動式ポイントテコ

展示品のテコは一箇所動かすことが出来ました、
他は固定されていて動きません。
昔は大きな駅になるとポイント操作専用の建物がありその中にこの様なポイント操作テコが集中して並び人の力にてポイントの転換操作をしていました、実際にはこのテコの下部にロッドが繋がり押したり引いたりする動きをリンクなどを介して遠方のポイントを操作していました。
建物の床下からは何本ものロットが出ていて駅構内の各ポイントに繋がれていましたが遠い所では200m以上も離れているのでその転換操作にはかなり力も必要だったと想像されます。

左上画像の右端に写っている黒いテコは腕木式信号機と共にローカル線駅で使われていたワイヤーでポイントを転換する為のテコ、ワイヤーを用いるため押すと言う操作は出来ず引っ張る方向(定位側と言われます)の一方にしか転換出来ません、逆方向へは出発していく列車が車輪で押し戻して行きます、列車通過後は逆側(反位側と言われます)に開いた状態になりますがテコの操作でワイヤーを引っ張りまた定位に戻す操作をします、この手のポイントは殆ど見られなくなりました。

今でもまだ地方で見られるポイントとしてスプリングポイントと言われる物が有ります、ローカル線用のポイントとして使われていますがスプリングの力で何時も一定の方向(定位)に開いています、駅へ到着する列車は定位側に開いたポイントにより進行方向左側へ入ります、出発する列車はポイントを逆方向から押し戻して出て行きます、列車の通過で逆方向へ転換されたポイントはオイルダンパの働きで直ぐには戻らずゆっくり元の方向へ戻り始め最後には”バタン!”と言う音を出して転換します、入れ替えなどでは手動で反対側(反位)転換させることも出来る構造でこのスプリングポイントはまだあちこちで見ることが出来ます、ただ車輪でポイントを押し広げて行くため通過速度には制限がありました。
右下の画像にスプリングポイントを手動で操作するテコが写っています、線路上から青い丸が見える時が定位側、黄色い矢羽根が見えるときは手動により反位側に転換していることを表します。

青丸にSの文字はスプリングポイント操作用テコ・・
階段状にに展示してあるのは電動転轍機です。
左上画像は現在使われている電動転轍機、モーターの力でポイントを転換します、中には電氣接点も組み入れられているので信号回路の切り替えも行っている物と思われます、停電や故障時にはクランクレバーを差し込み手動で動かす事も出来ます。
この展示品も説明パネルのスイッチで転換操作が出来その動作を見ることが出来ました、混雑時期は見る人が次々と動かしこれまた耐久試験をやっている様な状態で閉館までに何回くらい転換動作をしたのか・・。
上の二枚は初期の東海道新幹線用CTCの集中管理パネルで東京と新大阪間全線の列車運行状態を表示していました、との列車が何処の駅に停車し、どの列車がどの辺りを走っているかを表示していたと思われます、今では博多まで延長され当時に比べ列車密度も比較が出来ないほど増えているので更新されているのでしょう。
パネルの一部には列車番号や列車位置もそれらしく再現されていました。

線路脇で見られる色々な表示板類・・
駅構内や路線上で見られる標識、表示板類・・線路の施工見本と共に展示してありました、勾配を表す標識、制限速度を表す標識、起点からの距離を表す標識・・所狭しと並べてありました。

←は旧新橋駅、日本最初の鉄道始発駅に有った0Kポスト・・これはそのレプリカになります、現物は今の汐留に短いレールと共に展示されていると思います。

某テレビ局の番組でも開発時のエピソードが放送で紹介されていましたが指定席の予約や発券を行ったマルス(Multi ccess seat Reservation System・・旅客販売総合システムの略称だとか)で今はもう駅では見られなくなった駅名を書かれた板をパタパタ動かし駅名を設定するタイプです、マルスと言うと私はこのタイプを思い浮かべてしまいます。
今はパソコンと同じキーボードで駅のコード番号を入力するタイプに変わっています。
交通博物館でもう一つの見物は大型模型、細部までしっかり作り込まれ一つ欲しい所です・・。

客車の移り変わりを模型で辿る・・

貨物用車両もかなりの数が有りました。
展示スペースにも限りが有るので展示品を時々入れ替えていたと思うのですが閉館を前に特別展示されかなりの数量が展示されていました、画像はほんの一部です。

私の好きな型式でもあるキハ80系先頭車キハ81型

今では見られなくなった車運搬車ク5000

今は無き碓氷峠で昔に活躍したED40型
アプト式機関車、駆動モーターは室内有りました。

内部構造も見られボタンを押すと一定時間回り
その動作状態を見ることが出来ました。
左の展示パネル写真はロープウェイの構造や動きを展示したパノラマ模型で私も子供時代に見た記憶・・ボタンを押して動かした記憶があります、いつの間にか無くなって他の展示品に場所を譲っていたようです。
右の画像は当時使われていたロープウェイのゴンドラ・・展示終了後も保管してあったのですね、閉館前の特別展示でまたその姿を見ることが出来ました。
今のJRも以前は日本国有鉄道・・国鉄でしたがもっと昔には色々な部署が管轄していたのですね、”国電”の前は”省電”と呼ばれていたとか・・当時は”鉄道省”が管理していたからなのです。
このパネルはその移り変わりを解説していました、調べるとかなり細かくなっていますが最初は”工部省鉄道寮”と言う所が管理していたとか画像の左の”工”はその当時のマーク、今でも鉄道用地の境目を示す杭などにこのマークが見られます、あと少々バッチイ話になりますが駅構内と所々にホーロー製の容器にこの”工”マークが付いていました、胆壺と言う物ですが昔は規定で設置しなければならなかった様です。
動輪のマークは乗務員の制服にボタンとして使われていましたし、当時の切符にもこの動輪マークが印刷されていました。
私個人としては”JNR”マークのデザインが好きですね。
博物館がJRの管理だったのでなかなか私鉄の展示品は有りませんでしたがその中でこの様な展示品も・・。

こちらは以前に東京を走っていた路面電車関連の展示品・・懐かしい写真も展示されています、現在都内では唯一”都電荒川線”が営業運転を続けています。
上の展示コーナー右側は既に廃止になってしまいましたが名鉄・・名古屋鉄道が運行していた岐阜市内線、通称600Vラインが紹介されていました。

私も実際に廃止前の岐阜市内線に乗ってきましたが廃止してしまうのがもったいない感じがしました、一度失われた鉄路はもう戻りません。

赤い縁取りがされた黄色の円板・・路面電車の単線区間で見られた続行表示板ですね・・。

今回はここまでです、また少しずつ追加して行きます。
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