ほとけさまってだあれ?ホントにいるの?どこにいるの?


  

        法身仏  永遠不滅の法(真理)そのもの
            ほっしんぶつ
仏の三身  報身仏  法身仏の真理の活動面を仏とみたもの
            ほうじんぶつ
        応身仏  仏が人間に相応した体をもってこの世に出られた
            おうじんぶつ
   
ゴシンの場合は「仏さまがいると信じたい」という気持ちで探してい
る間は見つかりませんでした。。どうしても「信じること」が出来なか
ったからです。親鸞聖人の次のお手紙に出会って初めて仏の実
               在を信じせしめられました。
  
親鸞聖人御消息「自然法爾の事」
 (本願寺出版発行 浄土真宗聖典注釈版 p.768) 


ゴシンのQ&A [B1]

   

「お釈迦様、大仏さん、阿弥陀さん、お薬師さんいっぱいあるでしょ。どう違うの?」
   
お釈迦様は釈迦族の王子ゴータマ・シッダールタが真理を自覚して仏陀に
なられ、釈迦族の聖者という意味で釈迦牟尼とか世尊、釈尊とか呼ばれたんだよ。
紀元前5,6世紀のことらしい。
   
「お釈迦様は人間だったんだ。じゃ阿弥陀さんやお薬師さんも人間が仏になったの?」
   
人間で仏陀になられたのは釈尊だけしかゴシンは聞いてないよ。誰か他にいる?
   
「ゴシンが質問してどうするのよ!じゃ阿弥陀さんはお釈迦さんの別名?」
   
違う。阿弥陀さんは阿弥陀仏または阿弥陀如来。奈良の大仏さんは毘紗那仏、
お薬師さんは薬師如来。
  
「如来って仏と同じことなの?」
   
お釈迦様のことを釈迦牟尼仏ともいうし、釈迦如来とも言う。
如来ってのは<如より来る>如というのは法のこと。「仏教って何」で説明したね。
   
「法=真実=当たり前の道理でしょ。そこから来た?私もそこから来たんでしょ」
「私は如来=仏?」
   
ウ・刑事ドラマで死体のことをホトケって言うでしょ?
死んだ人のこともよくホトケさんっていうね?
   
「何でここで死体や死人が出てくるわけ?わからないと、すぐ話をそらす。」
   
ゴシンもねオジュウに教えてもらうまでは、釈迦族のお釈迦さんが仏教を創って、
法蔵菩薩だの阿弥陀如来だのを創り、その後のだれかが大日如来、薬師如来とか
創ったのかと思ってたんだよ。
   
「違うの?病気を治すのが薬師如来なら、癌を治す癌願如来とか・・
適当に人間が創ったんでしょ?」
    
違うんだなコレが!
じゃ整理するよ。
           法身仏  永遠不滅の法(真理)そのもの。             
            ほっしんぶつ   
    仏の三身  報身仏  法身仏の真理の活動面を仏とみたもの
            ほうじんぶつ 
            応身仏  仏が人間に相応した体をもってこの世に出られた
            おうじんぶつ
   
いろいろな捉え方があるし、考え方もあるから、間違っているって怒られるかもしれな
いけどゴシンはこの説明が分かり易かった。二身説、四身説ってのもあるしね。
    
「なんだか難しいね。ゴシンもいやに神妙だし。他のHPで教えてもらうから、
そんなに神妙にならなくても、どうせ初めから頼りないのはわかってるんだから」
  
法身仏は色の形もなく、<こころもおよばず、ことばもたえたり>って親鸞聖人が教え
てくれてる。人間の思いが及ばず、表現が出来ないって。だから、そこから形を現し御
名を示して、衆生に知らしめようと方便法身の阿弥陀仏が出られた。つまり報身仏。
応身仏はお釈迦さん。わからないでしょ?
   
「法身仏は、あ、そうかなって感じ。報身仏は全くわからない。」
   
ここでは法身仏をわかってもらえばいいと思う。
報身仏はいつか詳しいQ&Aをやるから、待っていてね。
仏様ってホントにいるんだろうかって調べだして、15年ぐらいたってやっと分か
ったことがある。教えて欲しい?
  
「あんまり分かってないみたいだけど。まあ聞いてやろう。15年で何が分かった?」
  
仏がどこにいるか捜したって、見つかるのは仏像か人間が創った思想だけだってこと
  
「ふーーん。じゃ、仏を捜すのを諦めたわけ?」
  
あきらめるもんか!!!仏を一生懸命捜している時に、どうしてこんなに一生懸命
捜しているのだろうって思ったわけ。そうだ私は不安だからだ。どうして不安なん
だってまた問いが出てくる。死ぬのが怖いんだ。どうして怖いんだろう・・・
問いを重ねているうちに自分が見えてくるんだよ
  
「あ、きたきた・・赤色文字で強調するぞ!」
  
人生は自分を見つける旅。このページは自分探しのページ。
問いの答えを見つけるのでなく自分の問いの中に自分を見つける
  
「やっぱり、そうくるんだ。もう一回繰り返してこのページも終わらせる魂胆だ」
  
残念でした。自分が見えてくると仏もみえてくるんだよ。つまり自分の手が合わせ
られ頭が下がる時初めて仏は実在するんだよ。問題は手が合わせられる自分、頭の
下がる自分、それが見つからなければ、仏は見つからない。
  
「私はお小遣いをもらうときは手が合わさる。でも相手は仏じゃないよ鬼オッカア」
  
絶対見つかるんだよ。だって自分は自分なんだもん。
見つけるなんていうとややこしいかな。気づく・・だけ。
仏って何?と思う自分って何?これがキーワード。それが問いの答えになる。
  
「なんか誤魔化されたような気がしないでもないけど」
  
人生は自分を見つける旅。このページは自分探しのページ。
問いの答えを見つけるのでなく自分の問いの中に自分を見つける
  
ほかの仏教ページにもリンクできるからね。
それから、メールで質問して下さいね!
  
「究極のワンパターン。手抜きだよ」
  
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