何の為に生きるのか    ご投稿 21〜40


ご投稿して下さった方々  (敬称略、それぞれの方のご投稿へリンクします)

21 ニシグチエミコ  22 K・青木  23 はし  24  鬼頭  25 きみ

26 玄正島 27 かあさん 28 C丸  29 水野 30 田中 

31 M.K  32 e-di  33 HIROE  34 りゅうじん 35 y,k

36 あきぶー 37 katou 38 かな 39 無記名 40 sinn    

     
   


 
  
 
ご投稿21 
  
subject=自由に大らかに _ _
  
message=
各テーマに当てはまると思いますが、特に悩んでいる人に。
  
鏡の前で笑顔をしてみて、これが今日の始まり。
  
笑ったり、泣いたり、悩んだり、これは仏様の贈り物、あなたが大きくなるための。
  
現皇后陛下が自分の存在は一瞬であるとおっしゃったそうです。
  
辛いことは気にしない気にしない、明るい貴方に見返り阿弥陀仏。
    
name=ニシグチエミコ
 

ニシグチさんへ goshinより

 
  

 
 
 
 
ご投稿22

_subject=何のために生きるのか

_to=uryuu@fki.fitweb.or.jp

message=

人生の目的は何か? について、Aさん(禅)Bさん(浄土教)の問答(抄) 曹洞宗のHPよりご紹介します。
  
「そもそも目的と言いますと時間的な差がありますよね。
つまり今の自分と未来 の自分と二人の自分がいます。
でも本当は自分というのは今の自分一人しかい ませんよね。
 
人は心の渇望から様々な夢をみたり希望を抱いたりしますが、坐禅 しますとその渇望が消えてしまうんです。
今の自分に満たされてしまう、今の自分で全て成就している、そういうふうになってしまうんです。
  
そして結局の所は今 の自分に出来る事しかできない、やるべきことはその時その時で一つのことなんだ って思えるようになるんです。」
  
「ありがとうございました。 わが意を得たりという気持ちです。
  
わたしは浄土真宗にご縁をいただいているものですが、 すんなりと入ってきます。今、この一瞬を生きる。以外に人生の目的などない。 ということですね。」
name=K・青木
 

K・青木さんへ goshinより

  
 

ご投稿23

_subject=なぜ生きなければいけないのか

message=

ここのホームページに来るとすこし心が落ち着きます
だけど、ここから出ると、生きるのがつらい
「この一瞬を精一杯生ききる勇気」はここにいるときだけ
又「なぜ生きなければいけないのか」と弱音を吐く
ここにいると、なぜ生きなければいけないのかわからないままでもいいという気持ちになる。もうすこし生きようと思う。
 
name=はし
  

はしさんへ goshinより

  
 

ご投稿24

_subject=何のために生きているのか?

message=

何のために生きているのか?  
こんな理由をなぜ考えるのだろうか?
  
何のために生きているのか?  
おそらく誰にもわからないのではないでしょうか?  
いとも投げやりな言葉かも知れませんが、
わからないと思ってしまえば、 生きる目的を探すこともないかも知れません。
  
なぜ生まれたかは、誰かの意志で生まれてきたのですね。   
生まれた本人の意思ではないのですね。
だから本人には生きる目的がないのも当然かも知れません。
生まれるようにした意志の人の目的なのかも知れません。
  
だから、その人たちの意志を全うするために
絶対に自分から死んではいけないと思うのです。
  
送り出した人々は、送り出された人が幸せに生きていることを望んでいます。
だから、送り出された人は、幸せになろうと努力しなくてはいけないのではないかと。
それに疲れたから、「死のう」なんて思ってはいけないでしょう。
  
送り出された人は、送り出した人の勝手といいますね。
確かに勝手なのですが、それでも送り出した人たちのために「幸せ」にならねばいけない と思うのです。
  
 
 
name=ComputerWorks 鬼頭 英嗣からのメッセージでした。
     E-mail : cwkito@hatelecom.or.jp (鬼頭-ComputerWorks)  
      url: http://www.hatelecom.or.jp/cw/
 

鬼頭さんへ goshinより

  
   

  
ご投稿25

subject=生きるということは

message=

私は、私の知的好奇心を満足させるために生きています、今のところ。 私にとって、「死ぬ事」は誘惑です。生きているうちには決して知る事の出来ない自己の「死」とその後について。 それを解るためには、死んでみるのが一番手っ取り早い。そして、それによって私の知的好奇心を完全に満足させら れると考えています。

実のところ、人間は何か目的があって生きているのでは無い、と、私は考えています。 最初から目的をもって生まれてくる人はいないからです。 生きている、それ自体には苦も楽も虚も実も無く、唯、私が在るだけです。 その私が作り出す欲望や感情が、私を苦しめるのだとしたら、それらを殺してしまえばいいだけのこと。そんなに簡 単には出来ませんが。また、目的が欲しいのなら、それらとうまく付き合う方法を模索するだけでも、十分な生きる 目的になるのではないでしょうか。

私の尊敬する人は、「善く在るために生きる」と仰いました。 私は「善く在る」とは如何なる事か考えながら生きている状態ですが、とりあえず、それが解るまでは死なない方が いいかな、と思っています。

name=きみ
 

きみさんへ goshinより

  
  

  
ご投稿26

subject=何のために生きているのか?

message=

人生に目的なんていらないのにね。
いらないと分かっていても欲しいだよね。
  
 
name=玄正島
 

玄正島さんへ goshinより

  
 

ご投稿27

subject=何のために生きているのか?

message=

「愛してくれる人の為に」生きなければならない
  
 
name=かあさん
 

「かあさん」さんへ goshinより

  
 

ご投稿28

subject=何のために生きるのか?

message=

何のために生きるのか。昔、やっぱり似たような疑問を持ったことがあります。 例えば薪なら火がつけば暖を与えられる。小さな石ころだって堤防になるかも知れない。じゃあ私は? 私の生が何かの役に立つのだろうか。
  
私が見つけた答えの一つは、生きるために生きる、というもの。 真実あるいは真理を見つけるため、と言ってもいい。この場合の真実とは、イメージ的には、全てのものと繋がっていて、それに触れたら一気に神様やお釈迦様の領域さえ垣間見ることができるような糸というかエレベーターみたいなもの(笑)。そしてそれは、地上のあらゆる存在の中心部分に確かに内包されているもの。 だから私たちは、自分の内側や社会の中にそれを見つけ感じるために生きているんじゃないかと思うのです。 だって、一筋に生きてきた職人やお百姓さんの言葉に、あるいは動植物の生態に、どうしょうもなく真理を感じて感動することがあるから。その人たちは、自分自身や自然を本当に真摯に謙虚に見つめ続けたに違いないから。
  
もっとも、真理というものが形を伴わない以上、求めて見つかるものではなく、突き進んで掘り進んで行った先にあった何かを、見つけてから真理だと気づくのでしょう。結局のところ、どんな小さな物事でも大切に愛おしんで、理解しようとしないと辿り着けないのかも知れませんね。 だから大事なのは、何をするかじゃなくてどうアプローチするかということなのだと思います。 ただし、一度分かったと思った真理でも容易く見失ってしまうから、結局人はそれを求め続けないといけない。これは、我々が変化し続ける以上しょうがないですよね。
 
答えの二つ目は、種としての人間のために生きているというもの。 別に子供を産んで育てるというだけではなく、文化的な面も含めてです。 人は誰もが他人の環境となって影響を与え得る。他人の生き様に感動したり考えさせられたり、その時はピンとこなくても何年かして理解できたり。いずれ死んでしまう命でも、誰かの中に少しでも何かを残せたら、決して無駄ではないと思います。 本人にとっては目標があった方が楽だし充実するけど、ただ生きているだけでも、生きていることそれ自体に意味がある。まあ、できれば他人にも自分にも良い影響を与えたいですけど。
  
一つ目と二つ目の答えは、私の中では別に矛盾なく存在しています。 我々一人一人はちっぽけで、いなくても種としての人間には影響ないけど、紛れもなく世界の一要素として存在している。おそらく、どんな環境の変化にも耐えられるようにこんなにも多様な人間を生み出しているのでしょう。だったら、その多様性のためにも、私は私で在り続けようと思う。 そして、私を掘り進んだ先に、あらゆるものと私とを結ぶ真理を見つけ、全てを愛おしむことができたら、どんなに心強いだろうと思うし、自分を生きることで他人にも善い影響を与えられたら幸せだろうと思います。
  
考えが甘いかも知れませんが、今のところこんな意見です。 長くなってすみません。
  
 
name=C丸
 

C丸 さんへ goshinより

  
 

ご投稿29

subject=生きる

message=

生きる力=夢見る力
わかりますか。
  
 
name=水野
 

水野さんへ goshinより

  
 
 
ご投稿30

subject=思うこと

message=

ありのままに生きる  自分は自分以上の物でも自分以下の物でもないと考えられた とき 周りの自然がとてつもなく親密な物に思えてきた 我々は何か大きな力で生か されている 全ては必然だと  芭蕉が46歳のとき 死を覚悟しながらどうして旅 立ったか おそらく彼は旅こそ人生そのものと考えていた 大地が墓場と 生まれて くるときも一人死ぬときも一人 人間とて基本的には大腸菌と同じ遺伝子構成なのだ
 
自然と同じまさに浩然の気 幸せのようなものに執着してもつまらないと思うこのごろ                
  
 
name=田中栄治 48歳
 

田中さんへ goshinより


ご投稿31

subject=田中さんの「思うこと」を拝読して

message=

最後の行に引っかかってしまいました。「自然と同じまさに浩然の気」...なる ほどその域に 到達できればすべては小さいことにおもえてしまうのかなあ。

 「浩然の気」というのは幸せなんかいらないって言うのではなく、幸せも不幸も一 切取り混ぜて すべて受け入れ、自然とともにありのままに生きるという意味だと僕は解釈しまし た。

ひっかかるのは「幸せのようなものに執着してもつまらない」ってくだりなのです。 どういうことなんでしょうか。おそらく何か自分が求める「幸せ」、たとえばお金 だったり、仕事の 成功だったり、家族の健康だったり、出世することだったり、なんていう一つの事に 執着してしま うといろんなものが見えなくなってしまうんだよと言うことをおっしゃりたいのかな と勝手に解読して しまっています。幸せは向こうからやってくるから素直に受け入れて、そのとき味わ えば良いんだよ って事ですよね。 でもこの最後の一行、物議をかもす(嵐を呼ぶか?)ような気がしますねえ。  いかようにもつっこめますものね。

たとえば

*田中さんが「浩然の気」とおっしゃってるのも「幸せ」または「喜び」の一種だ し、幸せなんて人それぞれだ。  ストイックに修行する禅僧なんかが、何かを掴んだとしたら、それはある種の喜 び、幸せなんだろうし...。

*何にも幸せと思うことがなくても人は生きていけるのでしょうか。

*幸せに執着してもつまらないというのは、幸せを受け入れないことなのか?と取れ てしまう。

てな具合ですね。僕も2回めまではこう思ってました。

3回目に読んで、あれ少し意 味を取り違えて たのかなっと思ったぐらいです。「なんのために生きる?」と言う問に対して、 問うことなくありのままに生きなさいとおっしゃってるのだと気づいたのは4回目で す。 「旅こそ人生」というのはきっとそういうことなんでしょうね。なんのために旅して るんだ と言う問を自分に投げかけることは、旅してる途中にはしないし。旅を始める前に 何か考えて旅に出るんですよね。旅してるときは途中出会うもの出会う人と無心に接 しているんですものね。

あ、でももう一つ疑問が...人が生きていく上で、繰り返し日々行わないといけな いルーティンが必ず ありますよね。仕事であったり、家事であったり。

誰しもそのルーティンワークの中 にさえ何か達成感を 感じるからこそやっていけるって事ありませんか?

たとえばお金が欲しいから仕事を しているって言うのは 事実ですが、多くの人はお金儲けが仕事の理由の100%をしめていないと思うので す。報酬としての お金を得た時でも、お金を使うことやためることができるからうれしいっていうのは せいぜい半分。 あの仕事がこれだけの金銭になったんだって思う達成感や充足感があとの半分以上を 締めるのではないで しょうか。

その達成感という幸せにある程度執着しないと仕事なんかやってられない し。 そうすると田中さんの境地に達してしまうと、もう仙人になるかしないと食っていけ ないなあ。困った...

  
 
name=M.K
 

M.Kさんへ goshinより  


ご投稿32

subject=ありのままに生きる

message=

「自分は自分以上の物でも自分以下の物でもない」という田中さんの言葉に引きつけられました。ありのままに生きるという言葉は難しくて、もう一つわからないでいたのですが、このままの自分でいいんだなと思った。友人はそれなら成長とか進歩がなくなると言いましたが、僕はこのままの自分というのは進歩し成長しようとすることも含めた自分のことだと田中さんやgoshinさんの言葉を読んでいてそう受け取りました。そしたら元気が出ました。                
  
 
name=e-di
 

e-diさんへ goshinより


ご投稿33

subject=色即是空

message=

はじめまして。 私は埼玉に住む15歳の中学生です。
偶然にこのHPを発見しました。
皆さんの哲学を読みながらいろいろなことを考えました。
   
私はたった15年しか『生きて』いません。
だけど小さいころから病弱だったためか、
人一倍『生命欲』が強いです。
普通は『生命力』っていいますけど、私の場合は違います。
『生命欲』なんです。
幼いころの記憶といったら、ヴァファリンの味がするオレンジ・ジュース。
朦朧とする意識の中でにらみつけていた天井のしみ。
幼いながらに『生』に対する欲求は本当に強かった。
今も母は、熱でうなされているくせにねつかないで困ったと話します。
目をつぶるのが怖かったんですね。
今、やっと体力がついてきて体育の授業もちゃんとこなせるようになった。
それがどんなに嬉しいことか!
だから私は生きたいんです。
どんなことがあっても。
苦労知らずの甘ちゃんのくせにって思われる人もいらっしゃると思うんですが、 なんだかちょっと、 この世の中にあまりにも虚無感が蔓延しているなあと悲しくなってしまったのです。
  
私の人生はこれからどうなってゆくのでしょう?
−物語のように生きたい−
それが私の夢です。
たとえばこれから、抗いがたい苦しみや悲しみに出会ってしまうとき。
胸をはり、決して歩みを止めない人間になりたい。
それが私の目標です。
なんて小生意気なムスメだってお思いでしょうが、 ちょっとでも『若いヤツらも捨てたもんじゃないじゃん』 と思っていただければ幸いです。
では、また。  ☆=
  
 
name=HIROE
 

HIROEさんへ goshinより


ご投稿34

subject=何の為に生きるのか

message=

はじめまして。りゅうじんと申します。

僕もホームページを開いていて (人間って何だ? http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/)、 風来坊さんの「心の扉」にリンクしてもらっているのですが、 そこを通じて来ました。

僕は唯物論者時代にさんざん悩み、 スピリチュアリズムというものに出会って 人間の生まれてきた理由、また、霊界の存在を確信した者です。 投稿されている方の悩みに少しでも参考になればと メールいたしました。

何のために生きるのか。 それは自分の心、自分自身を成長させるためだと思います。 行為としては利他的に人に奉仕することが大切になりますが、 人に愛を与えることが同時に自分の心の成長につながります。

人間は霊的存在であり、この世で死ねば本来の住処である霊界に帰ります。 その時、肉体を含めた全ての物質、 この世では大事だと思っていた金、地位、名誉などは 置いて行かなくてはなりません。 霊界に持っていけるのは自分の心だけ。 その心のレベルによって霊界での住処も変わってきます。

この世は自分の心を成長させるための学校のようなものです。 この世での経験は全て自分の心の成長に影響します。 苦しい経験も自分の心を成長させるために必要なものと受け止め、 投げやりにならず、焦らず、前向きに対処して行くことが大切です。 人間には耐えられない苦労は与えられません。 苦しみの後には必ず喜びが待っています。

  
 
name=りゅうじん
 

ご投稿34のりゅうじんさんは「人間の生まれてきた理由、また、霊界の存在を確信した者です。」と仰有います。それに対して、拙HPは「”わたしの思い””わたしの確信”はあてにはならない」ということを訴えており、さてこのご投稿を掲載させていただこうかどうか・・実をいうとほんの一瞬「困った」のです(^^ゞ

だけど、「困った」のは「霊界の存在を確信」してほしくないという私の我執なんですね。

ということで、「人間は自分の知っていることが全てだなんて過信しては いけない。」と仰有って下さるりゅうじんさんに、なんのかんの言ってもどこまでも他を排し自分を主張したいgoshinを教えていただきました。

りゅうじんさんへ goshinより


ご投稿35

subject=もう、わかんないよ、、、 _

message=

今、高校に入ったばかりの1年生です。そのことで、悩んでるんです。高校に、入ったのは、特に意味はありません。ただなんとなくなんです しかし、今、自分がなんとなく勉強してて生きてるここちがしないってゆうか、生きてる 意味がわかりません。別に、いいこともな〜んにもなく、「なんで、生きてるんだろう、、、」っておもうことがよくあるんです。

やっぱり、こんなこと 思う自分っておかしいのかなぁ?

  
 
name=y,k
 

y,kさんへ goshinより


ご投稿36

subject=何のために生きるのか? _

message=

_私も、1年ほど前からこの問いを忘れられず、現在 カウンセリングを受けながら自分の生き方を模索している者です。 ですので、皆さんのように何か明確に答えられる思想は未だ固まっていません。 けれども、今の自分なりに感じ始めていることを拙いなりに表現してみたくて、こうして書き込みしています。

V.フランクルという有名な精神科医をご存知でしょうか。彼はユダヤ人のため、ナチの強制収容所に入れられました。そこでは多くの人があまりの苦しみのため「死にたい」と思っていました。もちろんフランクルも一旦は失意に落ち込むのですが、自分が精神科医であることを思い出し、収容所内での自分の役目は「苦しんでいる人々にカウンセリングを施すこと」だと思い至り、収容所内で隠れながらいろいろな人のカウンセリングを行いました。

大戦終結後、彼は無事生還します。そしてその時の経験から独自のカウンセリング理論を生み出します。「ロゴテラピー」です。 フランクルは、私たちが人生に何を期待するかではなく、人生が私たちに何を期待しているのか、その生を生きるべきであるといいます。つまりフランクルの例でいうならば、収容所では自分も死にたいくらい苦しかったけれども、精神科医であるフランクルの生は自分も自殺する事よりも自殺したがっている人々にカウンセリングを行うという生き方をフランクルに課したと考えるのです。そしてそれを成し遂げることによってフランクル自身も収容所内での自分の「生」「存在」に意味を見出す事が出来、苦境を生き延びることが出来た訳です。

私は今は、平凡な会社員です。毎日の生活は、寂しく張り合いなく、砂を噛むような生活と言っていいかも知れません。先にも書いたとおり、カウンセリングに通いながら何のために生きているのか模索している真っ最中です。 今日、フランクルの言っている事をふと思い出し、自分の生活に当てはめて考えてみました。フランクルは「人生があなたに期待する生を生きよ」と言っている。今 私は毎日 会社へ行っている。私の人生が私に期待しているものは、今の会社での今の仕事に より意欲と目的・意味を持たせてその仕事を全うすることではないか・・・?

恐らく、フランクルによればそのようになると思います。その通りに私が思い定める事ができれば、私は楽になれるのでしょう。 けれども、私の「実感」はそれを裏切るのです。会社内で責任あるポストにつけてもらってもその仕事に喜びや張り合いを感じられず、別の部署に転属になってもやはり自分の生活に「意味」を持たせることが出来ないのです。やりたい仕事は他にあります。それは「会社員」という単なる「所属」を表わす名前ではなく、もっと為すべき事が明確な「職業」です。その仕事に就くことができれば、自分は自分の生に意味付けが出来るのかな・・・とも思いますが、今現在の仕事すら満足に生き切っていない私ではどんな仕事に就いても同じように意味のないところをぐるぐる悩んでいるだけなんじゃないか・・・とも思ったりします。

まとまりない話ですみません。読んで頂いた方にも何の示唆にもならない話になってしまいました。 でも、このようなことを話せる場があった事をこころから嬉しく思います。このような場を提供してくださってありがとうございます。

  
 
name=あきぶー
 

あきぶーさんへ goshinより


ご投稿37

subject= _you

message=

iitai hitokotoiitai kireigotojyanannokaikethunimonaranaishikokoronantenaimodozendayonannimothutawattekonaimonomegahoshinowa hontonihoshinowa

 

name=katou
 
「いいたい、ひとこといいたい、きれいごとじゃ何の解決にもならないし、心なんて無いも同然だよ、何も伝わってこないもの、megahoshinowa hontonihoshinowa 」と読ませていただきましたが・・
 

katouさんへ goshinより


 

ご投稿38 

  
subject=なんのためにいきるのか
  
message=
最近退屈な仕事をやめまして、明日から18日間ほどアルバイトをします。お金ができたら前から行ってみたかった遠野に行くことに決めました。生きたいって思ったことなんかないし、生きる理由なんかない、だから私はどうにでもなれると思う。死のうと思ったって死ぬ勇気がないわたしだから、まあ死ぬ死ぬいいながら生きるよりもでたらめでも頭からっぽにして生きてた方が幸せでしょう。すべてがめんどくさくなったら逃げるよ私は。人間は余計なものが多すぎるね。
    
name=かな

 かなさんへ goshinより


  

 

ご投稿39

_subject==「生」

_message=

最後には、死んでしまうのにどうして一生懸命生きなければならないのですか? 何の為に生まれ、何の為に生きているのでしょうか? について、私は自分の為に一生懸命生きて、自分の為に生まれてきたのだと思うし、自分の為に生きているのだと思います。
  
name=無記名

  無記名さんへ goshinより


  

ご投稿40

_subject=何の為に生きるのか?

message=

何の為に?って聞かれても、たくさん思い付いて書き切れない。
それに、全員共通の答えなんて無いと思うし。
ただ、どうして生きるのか?って質問だったら僕はこう答える。
「可能性があるから。」
死んだらとりあえず現世は終わりだから。
可能性も0になる。
生きてたら何があってもおかしくないんだから。 何をしてもおかしくないんだから。 いいことも悪いことも。
次が分からないから、自由だから生きるのが面白いんだと思う。
可能性は無限大っやつだね。
それは子供に限らず、大人でもお年寄りでも一緒だと思う。
無限大を0にするって、もったいなくない?
でも、つらい時はそんな考え方がなかなかできないんだよね。
その時その時が精一杯で余裕が無いから。
自分もそうだった。
でも、今はこんなノー天気な考えをモットーに生きてる。
ほんと、人生ってわからないもんだ。 (まだ20代の青二才の戯言でした。)
 
name= sinn

 sinnさんへ goshinより

 

  
ご投稿をありがとうございました。心より御礼申し上げます。
皆さまからのご投稿を無駄にしないようページを充実させていきます。                                                       
 
もしお時間がありましたら、是非、下記もご覧にな っていただけたら嬉しいです。どうか今度とも宜しくご指導下さい。
 

(今月の言葉1998年11月)良い地に落ちた種 −聖書に生かされた石川正一君の詩−

たとえ短い命でも生きる意味があるとしたら、それはなんだろうと問う死 の宣告を受けた中学生の詩です。

(仏教Q&A98.10.15)

最後には死んでしまうのに、どうして一生懸命生きなければならないのですか?
何の為に生まれ、何の為に生きているのでしょうか?
  

心に残るお教え

 
  
  

                            

  「何の為に生きるか」全投稿の抜粋

  1〜20  20〜40 41〜60 61〜80  81〜100 101〜120