最初のページへ(フレーム使用)


自己紹介



福地 ZITA

 ルーマニア・ブラッショフ生まれ。

 ブラッショフはかつてのハンガリー領。ハンガリー語を母語として、ルーマニア語を第二言語としてほぼバイリンガルに育つ。1986年から1990まで、ブラッショフの機械工場で事務員として働く。

 1990年家族とハンガリーへ移住。1990年から1996年までブダペストのエォトヴェシ・ロラーンド大学日本学科・ドイツ学科で学ぶ。

 1996年8月来日、同年日本人、福地俊夫と結婚。

 1996年10月、11月、TDK成田工場、秋田工場で日本語・ハンガリー語の通訳者として働く。

 1997年4月から2002年7月まで、青年海外協力隊広尾訓練所においてハンガリー語講師として働く。

 現在は日本文化発信プログラムハンガリー研修講師。ときどき、風船芸やジャグリングなども紹介している(→風船芸人・福地ジタ)

 興味のあることは語学(エスペラント、ドイツ語、ハンガリー語、ルーマニア語)、ジャグリング、外国人問題、心理学など。

 好きな食べ物はピザ。



福地俊夫

 埼玉県生まれ。

 1990年國學院大学文学部文学科卒業、国語学専攻。大学時代は山岳部に所属し、3・4年生の時、主将をつとめる。年間100日山に入ることを目標にし達成する。

 1990年6月より埼玉において日本語教育に従事。日本語学校の学習指導研究委主任として授業コーディネート・カリキュラム作成・教材作成などを行う。その間、日米会話学院日本語研修所(東京)の日本語教師養成講座で2年間勉強する。

 1993年9月より青年海外協力隊入隊、同年12月にハンガリーへ派遣される。ブダペストでエォトヴェシ・ロラーンド大学日本学科、ブダペスト経済大学において日本語教育に従事。教材・カリキュラム・辞書作成などを行う。また、日本文化の一環としてけん玉の普及につとめたり、趣味としてジャグリングを始める。

 1996年8月帰国。同年8月ハンガリー人、ヘルケル・ジタと結婚。

 1997年4月、一橋大学大学院言語社会研究科修士課程に入学、1999年3月、同課程修了。在学中は糟谷啓介ゼミ、田中克彦ゼミ、イ・ヨンスクゼミに参加。修士論文のテーマは「言語権に関する理論的考察」。また同時期、都内日本語学校において日本語教師として勤務。

 1999年4月から2001年1月まで、社会保険労務士・行政書士 中村事務所(→中村事務所)において補助者として勤務。また同時期、都内日本語学校において日本語教師として勤務。

 2001年4月から2008年11月まで福地行政書士事務所開業。特に外国人の法律問題に関わる相談業務・書類作成業務を行う。

 現在は日本語教師養成講座講師の仕事(社会人スクール)をしている。また討論塾の事務局をしている。ときどき、風船芸やジャグリングなども紹介している(→風船芸人・福地俊夫)

 興味のあることは以下。議論学、ディベート、人権思想、民主主義思想、実存主義、科学哲学、認知科学、社会言語学(外国語学習、国際語論、言語権)、ハンガリー語、エスペラント、手話、失敗学、経済学(マクロ・ミクロ・資本論)、労働問題、貧困問題、外国人社会問題、法律、数学、確率・統計学

 取得資格は以下。社会保険労務士、行政書士、日本語教育能力検定、国語教員免許、年金アドバイザー、実用英語技能検定準1級、漢字能力検定準1級、実用数学技能検定準1級、日本語検定2級、けん玉3段、詩吟3段、書道2段、速記5級

 好きな食べ物は、カール、プリン、ラムレーズン、あんず。

 好きなタレントは、ミスター・ビーン(?)、忌野清志郎、斉藤和義、甲本ヒロト、シンディローパー、関根勤、高田純次、加納真実。

 好きな芸術家は、岡本太郎、シャガール、キース・ヘリング、岡本太郎。

 大嫌いなものは満員電車。

 映像はこちら。けん玉1けん玉2けん玉3風船


参加団体・関連団体など