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2017年03月19日  シネマコンプレックスで観た洋画

午前中新宿で人工透析を受けると、夜の飲み会まで時間がある。平日午後の映画館は男性年配者が多い。

 ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち  アメリカ映画  監督 ティム・バートン  2017年2月
 オールシネマ http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=358425

 いろいろな超能力を有する子供たちの孤児院の責任者がミス・ペレグリン(エヴァ・グリーン)なのである。英ウェールズの島にある一軒家に住んでいるのだが、ドイツの空爆で破壊される直前に、ミス・ペレグリンの時間を操る能力に寄って一日前に戻して永遠に年をとらない子供たちが住んでいるのだ。ここに迷い込んだ主人公(エイサ・バターフィールド)も実は超能力の持ち主なのだが、住民たちとのトラブルのなかで、子供たちとともに自分の超能力を使って危機を切り抜ける、というストーリー。
 美しい昔の英国の風景や日常生活を背景に、くどすぎないCGが様々な不思議な能力を楽しませてくれる。ここで主人公の少年は空気より軽い女性エマ(エラ・パーネル)と恋愛し、成長して年を取らないエマとふたたび巡り合う。ストーリーは他愛ないのだが、シンプルな超能力に素朴な驚きがあり、CGがあふれた現在とても新鮮で楽しめる。
 ところが、映画の最後のフルキャストを見て驚き。CGクリエイターだけで数百人。ハリウッド映画のスタッフは千人単位の壮大なプロジェクトなのだ。日本映画では俳優がわずか1週間の拘束などと聞くが、セットも含めて時間とお金のかけ方の違いを感じる。


 ラ・ラ・ランド
  アメリカ映画  監督 デイミアン・チャゼル  2017年02月
 オールシネマ  http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=358727
 
 アカデミー賞の大本命と言われ、アメリカで興行的にも大成功した映画だと聞いていたので、封切りの先月24日に観に行った。タップダンスありのクラシックなミュージカルシネマ。それぞれの夢であるジャズピアニストを目指すセバスチャン(ライアン ゴズリング)と、女優を目指すミア(エマ ストーン)が出会い恋愛する。夜景のきれいな雨上がりの公園で二人が唄い踊るシーンがハイライトである。やがて男は二人の生活のためにジャズを捨てて人気グループの巡業に出かけミアと疎遠になる。別れた後、ミアは女優として成功し家庭をもつ。そして夫と偶然立ち寄ったジャズバーの名は二人が昔夢に描いたジャズバーの名前で、そのステージではセバスチャンがジャズピアノを演奏していたのだ。ミアを見つけたセバスチャンは、昔よく奏でたシンプルな曲を弾く。このCity of Starsという曲が「シェルブールの雨傘」のように映画に陰影をもたらし、昔の二人の恋愛の高揚感に一層の輝きを増す。ミアは黙って立ち去るのだが、そういえばシェルブールも、男が働くガスステーションに別れた女が裕福な夫と娘とともに車で立ち寄って出会うが、無言で立ち去るというラストだった。このミュージカルシネマも古典的なアメリカのミュージカルらしいタップやダンスがノスタルジックな雰囲気を醸し、見るものそれぞれの過去の切ない記憶を喚起する。
 アカデミー賞の最も重要な作品賞はこの映画ではなくハーレムで成長する黒人少年を描いた「ムーンライト」が受賞した。前評判通りでなかったのは、トランプの移民政策に対するハリウッドの意思表示ともいわれる。「ラ・ラ・ランド」のエマストーンはアカデミー主演女優賞を獲得した。ミアの少しハスキーな声は、昔のミュージック女優の透き通った声とは異なるのだが、この声がCity of Starrsにぴったりだ。


 アサシン クリード  
英仏米香港  監督 ジャスティン カーゼル  2017年03月
 オールシネマ http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=358010

 大ヒットしたゲームの映画化といわれるが、ゲームのほうも知らない。超人的なアクションシーンが見ものである。追われる主人公男女が旧市街の屋上屋根を駆け巡って逃走するのだが、百人単位のスタントを使っているようで迫力がある。古風なヨーロッパのシーンなのに突然大掛かりな木製のフィールドアスレチックの施設のようなものが現れ、その中を逃げ回るのはいかにもゲーム風だ。キャストの「カーペンター」というのは大道具のことか。百人単位なので大掛かりな木造建造物も納得できる。ストーリーはあって無きがごとく。しかしまあ楽しめる映画。
2017年03月17日 目黒シネマで観た邦画

 映画関係のサイトについて調査。久々にオールシネマを閲覧。ネタバレにならないようにすると大したことが書けないのはやむを得ない。
 オールシネマ http://www.allcinema.net/prog/index2.php
 キネマ旬報(KINENOTE) http://www.kinenote.com/main/public/home/

 SCOOP
  邦画   監督 大根仁   2016年10月
  気に入りの目黒シネマで「何者」と2本立てで視聴した。目黒シネマは1スクリーンの小さな映画館で、半年落ちぐらいの佳作を見ることができる。ビールやおつまみを自由に持ち込めるのも良い。五反田のNTT東関東病院に入院していた時の土日、許可をもらってでかけた映画館。
 映画の概要 オールシネマのDB http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=356636
 
 福山雅治が写真誌にスキャンダル写真を売り込むパパラッチで、写真誌の編集者が吉田羊である。この二人の大人の関係が背景にあって、新人編集者役の二階堂ふみを福山がパパラッチとして仕込むというストーリー。二階堂ふみは演技も体形も大根だ。しかし新人らしい雰囲気はあって不細工なのが福山を引き立ててもいて悪くない。友人のリリーフランキーが半ば狂人なのだが、良い味を出している。
 アクション有り、カーチェイス有りで、福山の男っぽさを見せる映画なのだが、吉田羊の大人の女の魅力をもう少し見せてもらいたかった。二階堂ふみのカメラマンとしての成長がサブストーリーなのだが、不完全燃焼。


 何者 
 邦画   監督 三浦大輔  2016年10月
  目黒シネマは二本立てなのである。SCOOPのあとがこの映画だった。
  オールシネマ http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=356332

  佐藤健主演。仲が良かった学生たちが就職活動を迎え、自分自身や友人との関係性に微妙な変化が生じ、それが佐藤健のSNSを通じて独白調に表現される。演劇やバンドにいそしんだ青春に別れを告げる刹那の葛藤や友人達と次第に隙間が生じていくことがテーマだ。原作は佳作なのだろうが読んだことがない。脚本と演技に物足りなさを感じる。こっちも二階堂ふみが出ている。有村架純ももひとつ。
 2017年03月16日 動画サイト

 @〜Eは某サイトによるランキング。TV離れといわれるがPCで視聴可能な映画やTV番組のウェブ配信をリストアップしてみた。
 利用してみないと実態が良くわからぬ。スマホ視聴は私の場合データ量の制限があり、3GBまでなので、WIiHi環境でないと無理だ。
 自宅の光回線でストレスなく再生できるかどうかということも利用してみないとわからぬ。
 
 TV番組はリアルタイムに見なくても、1週間以内なら無料で視聴可能(abema)だ。民法とNHKはそれぞれ別に有料で番組の配信(TVer、NHKオンデマンド)が受けられる。
 
☆ 映画・TV
 @dTV 月額500円
 AHulu 月額933円
 BU-next 月額1990円
 CAmazon prime video 月額325円
 DTUTAYA TV 月額933円
 ENETFLIX 月額650〜1,450円

☆ TV
  TVer 無料(7日前までの民法TV番組)
  NHKオンデマンド 月額972円
  AbemaTV 月額960円(ネットテレビ局)

2016年3月10日 3D映画
 茨木AEONにはシネコンがあって、昨年末に「エベレスト」、最近「ザ・ブリザード」を見た。映画館には大型画面、大音響、3Dといった家庭では実現し難い機能が生かせるようなコンテンツがふさわしい。
 昨年のエベレストは、もうすぐ封切りになる日本映画とは別の映画だ。ヒマラヤのスケールのある景観が楽しめた。しかしベースキャンプはどうやらエベレスト(チョモランマということになったはずだが、いつの間にか昔ながらの名前に戻った)らしいが、傾斜がカメラを傾けているふうだったり、雪が湿雪だったり、とかなり違和感が残る画面があった。ストーリーは商業登山ツアーで集めた客がリーダー言うことを聞かずに無理にピークを目指したため遭難した、というもの。まあ山は美しかった。
 ザ・ブリザードはタンカーの内部の鉄の量感や船内の音響が良い素材だし、巨大な波に船が翻弄される様は圧倒的な迫力があって楽しめた。ダンスシーンでは踊る二人と一緒にカメラが回ったり、波に翻弄される船を水中やパイプラインの中での撮影がありカメラワークが楽しめる。一部CGかもしれないが。また1951年の時代が背景だから、ノスタルジックな女性のスタイルや生活、音楽が味わえることも良かった。ロードショー末期の平日だからか客はたった5名。TVの宣伝費や制作費が割にあうのか、ちょっと心配。
 心に残るストーリーや演技があるわけではないが、ザ・ブリザードは楽しめた。しかしいずれも人に勧める映画では無いかも。

2015年11月30日  エベレスト3D

 JR茨木のイオンシネマでエベレスト(上映中の映画)をみた。「チョモランマ」でないことに多少抵抗があったが、山好きでなければ「チョモランマ」は知らないから仕方がない。
 3D眼鏡400円を足して1800円也。1996年、エベレストツアー会社の実際にあった遭難事故を映画化したもの。当時からベースキャンプの混雑の様子が描かれているが、取り立ててストーリーというほどのものがなく、極限状態をリアルに描こうとしたもの。
 合成と思われるシーンや斜面の傾斜を不自然に大きくしたシーン、極低温下の雪の性状など気になるところはあったが、ヒラリーステップの残置ザイルが入り乱れているところなどはリアルな感じがした。
雄大な山容と鋭利なリッジやクレバスなどの3Dによる描写は迫力満点である。


 2011年11月27日  胡同(フートン)のひまわり 2005年中国 監督 チャン・ヤン

  父子関係がテーマである。父親(Gengnian)役のソン・ハイインと向陽(Xiangyang=シャンヤン)は子役のチャン・ファンが良い。めまぐるしくかわる中国の時代背景は、父の息子への過剰な束縛を時代や制度の変化を理由とするのではなく、むしろ普遍的な父子関係を描いたものである。母は家や家族が大切なのだが、父の大切なものは息子なのである。息子の成長を知って姿を消すのはややリアリズムに欠けるが、胡同の風景に懐かしさを覚えるほどに映像も良い。邦画は見続けるのに忍耐を要するが、中国映画はまことに見応えがある。

 2011年10月29日  目黒シネマにて。映画のあらすじは同パンフレットから抜粋。

○ イヴ・サンローラン
 2010年フランス映画。監督・脚本 ピエール・トレトン 出演 イヴ゛・サンローラン 語り ピエール・ベルジェ 

 1957年、21歳でクリスチャン・ディオールの後継者に抜擢され、2002年引退。半世紀の間仕事と私生活のパートナーであったピエール・ベルジェに看取られた。二人で収集した多くの美術品は、2008年没後ピエールによってサザビーで競売にかけられた。

 頂点を極めたサンローランの伝記映画だが、華やかさより寂しさがつきまとう。男性の愛人ピエール本人に語られるサンローランの私生活は、頂点にたった男の孤独と重圧のため、酒とドラッグにおぼれる日々だった。サンローランの死後、ピエールが二人で収集した数多くの美術品をサザビーの華やかな競売にかけたのだが、もしピエールが先に死んでいたらサンローランは美術品を売り払うことはできなかっただろうという。サンローランにはピエールや美術品やマラケシュ(モロッコ)の別荘が必要だったが、何もかも売り払ったピエールにはサンローランだけが必要だったのだ。
 

○ ダンシングチャップリン
 2011年邦画。監督・構成 周防正行 振付 ローラン・プティ

 「ダンシング・チャプリン」は、振付の巨匠ローラン・プティが1991年にバレエダンサー、ルイジ・ボニーノのために振り付けした舞台作品。日本にボニーノを迎えて映画化された第一部はダンサー達の60日間の舞台裏の記録など。第二部は再構成、演出、撮影されたバレエ「ダンシング・チャプリン」のパフォーマンス。草刈民代の最後のダンスとのことだ。

 第一部はレッスン風景だ。私は作品そのもの以外は見たくないのだが、レッスンの映像でわかるのがルイジ・ボニーノの人柄と草刈民代のプロ根性だ。彼が少年時代からバレエダンサーを目指したのは、ヌレエフを見たからだという。そして自分が目指したヌレエフと一緒に踊れたのだが、少年の頃のとてつもない夢を実現させた幸せな人生だ。本編のバレエは、素人目にもボニーノと草刈民代が良い。ボニーノは彼自身が言うように、チャプリンのまねではなく自分のチャプリンを演じた。


□ 目黒シネマ

 目黒西口から恵比寿方面へ歩き、ひとつめの交差点左向こう地下。
 近場の映画館をウェブで調べたいたら、早稲田松竹という懐かしい名前も出てきた。ここは昔二十代の終わり頃友人のアパートから近く、何度か通った。
 目黒シネマは昭和の香りがする映画館だ。若い男女の館員の雰囲気が大変良い。二本立て1500円。
 土曜の午後でかけた。200名収容だが、午後12:50の一本目から二本目が終わる17時過ぎまで、4割ぐらいの入り。20代、30代の女性一人が多い。若いカップルと壮年のカップルがあわせて2割その他が2割ぐらいだから半分以上がお一人様である。男もハンティング(知り合いの品のないイギリス人の用語)に行けばどうか。昼過ぎなのでおにぎりや軽食持参の人が多い。テレビ放映されにくい佳作を上映しているようなので、またたまに出かけてみたい。

 2009年8月23日  人種差別をテーマにする米映画−最近のTV放映映画から。

 「クラッシュ」 2004年 アメリカ 監督ポール ハギス
 LAを舞台に、偶然関わりを持った人達の心の動きを描く。犯罪や事故を接点にして複数の物語を同時進行させていることからこの題名なのだ。LAという大都会の陰の部分を主な背景として、黒人やヒスパニックを含む様々な階層の人達のレイシズム(人種差別)に関わる心の動きを描いている。これが今もなおかほどに深刻なテーマであることに驚く。多数の黒人の閉塞的な状況とごく普通の白人達の黒人への醜い行為。結末はないが、LAの雪が等しく登場人物達に降るところで終わる。
 オバマ大統領が、自分の家へ入ろうとした黒人が、白人警官に逮捕されたことを「愚かしい」と発言して、彼のレイシスムへの敏感さをうかがい知れる出来事があったが、この問題にはむしろ過剰なほどの敏感さこそ必要だ。
オールシネマ「クラッシュ(2004)」

 「夜の大捜査線」 1967年アメリカ 監督ノーマン ジェイソン
 こちらは有名な映画。シドニーポワチエの出世作だ。ストーリーは平易というより陳腐なのだが、黒人を平手で殴って殴り返された老白人が悔し泣きするようなシーンに、レイシスムの根深さと恐ろしさを感じさせる。南部の田舎が舞台で1967年に公開された映画であるから、「クラッシュ」と違い昔話としてちょっと安心して見ていられる面もある。
 この映画の少し後の映画「イージーライダー(1969)」は私の世代がリアルタイムに体験した映画だが、北部から改造バイクで来た若者が、美しい南部の道を新しい音楽に乗って延々と走る様子は自由そのものの象徴だった。それが一発の銃声でバイクごとごろごろころがって骸と化したところで映画が終わる。南部の閉鎖的な社会がよそ者を問答無用で排除するような現実を伝えた映画だ。ハッピーエンドでないこの映画は当時ハリウッド映画の革命と云われた。レイシスムではないが自分とは異質なものを排除し、姿形が異なるだけで同じ人間として認められず力づくで排除するような感覚として似たようなものだ。当時朝日新聞の記者が南部を車で走って、(走っただけで)予想通りというか忠告通りにライフルで狙撃されたとの記事があった。イージーライダーの南部社会において、日本人がよそ者として排除されることを体得してきたのだが、当時大学生だった私の記憶に今も残っている。
 オールシネマ「夜の大捜査線(1967)」

 2008年1月14日 久々の映画評だ。「ボーン・アルティメイタム」と、「ショーシャンクの空に」。

 □ ボーンアルティメイタム 2007年アメリカ映画。ポール・グリーングラス監督、マット・デイモン主演
 「ボーンアルティメイタム」は、ボーンシリーズの第三作で年末公開された最新作だ。第一作「ボーンアイデンティティ」(2002年公開)では記憶喪失のたった一人のスパイと、この男を育成した組織との戦いが始まる。CGを使わない派手なアクションが見物だが、逃亡時に知り合ったマリー(フランカ・ポテンテ)という女と次第にうち解けてゆくような「静」の部分もしっとりとして良かった。第二作の「ボーンスプレマシー」は2004年公開され、昨年末には第3作のプロモーションのためにTV放映された。マリーとひっそりと暮らすインドのゴアにまで組織の手がおよび、マリーは殺される。ボーンはふたたび組織に立ち向かい、組織の全容が次第に明らかになる。第三作「ボーンアルティメイタム」は、殆ど息をもつかせぬアクションシーンの連続だ。第二作よりはよほど緊張感があるが、ボーンの内面の描写は少ない。以前組織側にいた女性(ジュリアスタイルズ)がボーンの逃亡に同行するのだが、ボーンが好意を寄せるまでには至らず、、ラストシーンは「ボーンが川へ転落したが行方不明」との報道を聞いて、ボーンの生存を確信した彼女がほほえんで終わる。アクション好きならともかく、第一作ほどの出来ではない。単なるアクションでなかった第一作。単なるアクションの第二作。秀逸なアクションの第三作、といったところ。

GAB2005年9月3日(土)  ボーンアイデンティティー

 □ 「ショーシャンクの空に」 1994年アメリカ映画。フランク・ダラボン監督、ティム・ロビンス主演、モーガン・フリーマン助演
 無実の罪で無期懲役となった銀行員アンディ(ティム・ロビンス)はショーシャンクの監獄に収容される。そこは、受刑者同士の暴行がまかり通る地獄だった。アンディは次第に仲間とうち解け、刑務官の税務相談や申告、所長の不正蓄財を手伝うようになる。周到な計画と準備によって、19年間トンネルを掘り続けたアンディは脱獄に成功し、刑務官達の不正を暴き、所長の不正蓄財を手に入れたうえで、メキシコで自分の希望通りの生活を始める。この映画は、刑務所でアンディの友人となるレッド(モーガン・フリーマン)の独白で進む。アカデミー賞俳優のモーガンフリーマンがむしろ主役と言って良い映画。
 いかなる希望も持てないような監獄の凄惨さと、長年隔離されると刑務所でしか生きられない人間になってしまうことが描かれており、希望を持ち努力をすれば報われるというハッピーエンドのストーリーであっても、いわゆる楽天的なハリウッド映画とは違うのだ。

オールシネマ「ショーシャンクの空に」

 2007年11月17日  シネマコンプレックス

 シネマコンプレックスというのは、近年増えた複数の上映室を持つ映画館のこと。正しい定義は同一運営組織、同一所在地、5スクリーン以上で、名称を統一している映画館、ということだそうだ。映画会社毎の縦割りの配給制度に縛られずに作品を上映できる、中規模スクリーンを中心に伸縮自在の上映期間を設定できる、など効率的運用が可能。作品はヒットすれば優遇されるが、不入りなら早々にうち切られる。
 このシネマコンプレックスは、ハリウッドのワーナーブラザースが流通大手マイカルと組んで1993年に海老名市で出店したのが国内第一号。国内のスクリーン数は93年末1734と、過去最低を記録しピーク時の2割強となったが、シネコンを牽引役に、翌年から拡大に転換、06年には3062と62%増えた。一方で興行収入は1637億円から2025億円と23%しか増えていない。結果1スクリーンあたり興行収入は98年の9704万円から6613万円と3割減少した。採算ラインは7000万円前後と言われ、相当数が赤字と見られる。にもかかわらず各社は出店を続け、スクリーン数は最終的に3,500に達する模様。

 以上は週間東洋経済記事からの抜粋だ。シネコンは私の行動圏内では川崎チネチッタが草分けだ。川崎には駅北の東芝小向工場跡に3館目ができて業績が心配されたが、市外からの集客が増えて落ち込みは少ないとのことだ。スクリ−ン数が増えたといっても上映室は小さくなったから、採算ラインがスクリ−ンあたりあたり一律7,000万というのも理解しがたい。シネコンは1スクリ−ンあたり座席数で数分の一だから、採算ラインも座席数にほぼ比例して低いのではないか。そして、観客数に応じて上映する映画をこまめに切り替えられるから、座席が埋まる割合も大きいと思う。

 シネコンは、見たい映画が特になくても、映画館へ着いてから映画を選ぶということができる。以前はあらかじめ上映中の映画を調べ、時間を調べてから映画館を選ぶ必要があった。シネコンのこういう仕組みはまだあまり知られておらず、特に中高年のファンはこれからもっと増えるのではないか。

 家庭のディスプレイが大きくなったといっても、新作を早く見るためには映画館へゆく必要がある。大画面と音量による圧倒的な臨場感と、大勢の人々と同じ体験をしていることから得られる共有感のようなものが映画館の価値だ。

関連GAB 2004.5.2 (日)  映画館の復権

2007年6月3日(日) 坂井泉水が亡くなった

 ZARDを初めて知ったのは、もう15年以上も前だろうか。CDショップで素直な声が耳に入った。イメージが明確な詩となじみやすいメロディーがとても気に入って、その場でアルバムを買った記憶がある。若い頃ほど音楽を始終は聴かなくなったが、その後私の車にはいつもZARDのカセットがあった。カセットがCDになったが、今も車に積んである。
 若い人に、「どんな歌手が好き?」と聞かれて、「ZARDかな、元気が出るから」とこたえたことも何度かあった。テレビでは短いカットしか見たことが無いが、ちょっと古風な顔立ちも好ましい。彼女の歌は、これからもたぶんずっと私のドライブのお供であるだろう。

2007.3.24(土) ライブ体験
 パソコンを始めた頃から登録していた同窓生サイト(この指止まれ−最近ゴタゴタがあって評判を落としたサイト)には、メール機能がある。3月初め、私の出身中学の同窓生からメールが届いた。茨木市のスーパーで無料のコンサートをやるので、買い物がてら来てほしい、というもの。『Breathe Sound(ブリーズサウンド)』というギターとヴォーカルのユニットとのこと。メールはヴォーカルの女性からのものだった。このサイトを通じて同じクラスだった同窓生からメールをもらったことは何度かあったが、見知らぬそれも私よりかなり若いであろう同窓生からのメールは初めてだった。自分たちのことを知ってもらいたいという熱意と行動力にちょっと感心もしたので、簡単な返事を送った。「ご案内ありがとうございます。私は東京在住ですので、今回拝見するのは難しいのですが応援させていただきます。ご活躍を期待しています。」という素っ気ないものだったが、今度は直接メールが届いた。返信のお礼と、3月19日から5日、初の東京ツァーで、「石田様もご都合の合う日があればぜひ、応援しにきてください!」とのこと。それで、小さなライブハウスに今週19日の月曜、あまり気乗りしないと言う長男を誘って二人で行ってきた。

 東京ツァーの初日は、南青山の「月見君想(月見ル君想フ)」。青山通りベルコモンズのある南青山3丁目から坂を下って直ぐ。1階入り口に立てかけられた黒板を見ると、当日は18時から5つのグループが参加するらしい。狭い階段を下りて重いドアを開けると小さなカウンターがありそこでチケットを購入する。1ドリンク込みで2,800円というのは長男に言わせると相場らしい。そこは二階席であり、隅に照明のコントロール席がある。奥の階段を下りると一階席(地下2階)で、小学校の教室ぐらいの広さだ。正面にステージ、側面はバーコーナーになっている。おつまみ程度の軽食と、飲み物がもらえる。、椅子席は少ないが二階席の下のテーブルの、先客の隣に腰掛けて開演を待った。
 一つめのバンドは名前を忘れたが男性5名のグループで、生ベースとパーカッションを交えキーボードの男性ボーカルがポップス系のオリジナルを歌う。ややそれぞれの音が分離せずPAは余り良くない。だが、小さなライブハウスは演奏者の表情もよくわかるし親密な雰囲気がする。二つめはPeace Standardという女性二人のグループで、数年前に大阪から東京に来て音楽活動を続けているとのこと。歌の合間に大阪弁で客に話しかけるのが、自分の気持ちを率直に伝えていてとても好ましかった。応援参加のパーカッションのきれいな女性(MARI)と中年のキーボード奏者が抜群の安定感で曲も楽しめた。バンドが入れ替わると、観客もだいぶ入れ替わる。二階席のほうが人が多かったようだ。

 Breathe Sound(ブリーズサウンド)はボーカルの女性とエレアコの男性というデュオだ。ジャズポップというのか、落ち着いた雰囲気のオリジナル曲を、抜群の歌唱力で聞かせる。ギター(エレアコ)もうまい。観客は大半が二十歳前後だろうが、もう少し大人向けの曲だ。狭いライブハウスだとミュージシャンの人柄まで伝わるような心地がして、とても楽しめた。演奏が終わり、二階席のテーブルに出てきた彼らを待ち受けて、CDをいただいて握手をして店を出た。長男と表通りへ出た所の居酒屋(中へはいると蕎麦屋だとわかった)で、おでんを肴に日本酒を飲みながら、ライブのことをあれこれと話した。たまにロックのライブに出演することもある長男も、楽しんだとのことだ。

 会社帰りに安いライブハウスで生の演奏を聴いて、軽く飲んで帰るというのも結構なもんだ。ライブハウスがたくさんあるのは知っていても、どういう傾向の音楽をやっているのかはバンド名だけではなかなかわからない。大阪ブルーノートのようなメジャーなライブハウスでは、高いしチケットはなかなかとれず、当日ふらっと行って構えずに楽しむというのは難しい。ライブハウスは、グループのウェブサイトに頼るのみではなく、不特定多数の観客を集めるために、音楽の傾向をある程度統一したり、入り口に出演者を詳しく紹介したり、当日券の残数を携帯サイトに表示するような努力をすべきだ。居酒屋チェーンは数多いが、ライブハウスチェーンのようなビジネスもありと思う。この分野は事業としてもあまりにも未開だということがわかった。


2006.11.8(水) 韓国ドラマ「勝手にしやがれ」 毎週水曜22時〜23時 TOKYOMXTV
 本日第17話。酔って自宅に着いて途中から見た韓国ドラマ。不細工な男(ヤン・ドングン)が、美人達にひどい言葉を浴びせ続けるのだが、もてる。仲間の男達にも「もう来るな、みんなが帰って楽しい時が終わった後に変な気分になるから」と言うのだが、これが一番まともなセリフだった。翻訳がめちゃくちゃなのかも知れぬが、意味不明な言葉と超不条理な展開。もうシュールというしかない。イ・ナヨンという女優が結構魅力的だから、見続ける気になるのかも知れぬが、これでいったい17話もどうやってつないできたのか。ショック。
番組のサイト→http://www.mxtv.co.jp/katteni/全20話


2006.11.25(土) プラダを着た悪魔 THE DEVIL WEARS PRADA

 主演アン・ハサウェイ(Anne Hathaway)、メリル・ストリープ(Meryl Streep)、制作アメリカ、2006.11.18公開.
 学校を卒業してニューヨークの一流ファッション誌に勤め始めたアンドレア・サックス(Anne Hateaway)は、ファッションセンスのまったく無い、編集者志望の女性だった。そこにはファッション界のリーダーであり社内では誰ひとりとして逆らえない鬼編集長ミランダ・ブリーストリー(Meryl Streep)がいた。ミランダは、誰もがその華やかな仕事を望むが誰もが長続きしない自分のアシスタントの後釜として、これまでに無いタイプのアンドレアを採用したのだ。アンドレアは昼夜無く携帯で私的な雑用まで命じられ、無理難題を押しつけられ奮闘しながら、次第に敏腕秘書としてミランダにも認められてゆく。そして一流ブランドの服を着こなし、ミランダと共に華やかな場所へ出るようになる。だが、ミランダがその地位を追われそうになったとき、自分を守るための部下への非情な仕打ちを見て、ミランダの元を去り華やかな仕事も捨てて、以前の彼と普通の暮らしへ戻ってゆく。
 
 「どの映画が人気があるの?」と聞いたら、チケット売りのおねいさんがこれを勧めてくれた。特に女性の人気が抜群とのこと。ブランドファッションがてんこ盛りである。もっさりファッションだったアンドレア(アン・ハサウェイ)が一流ファッションを着こなし、モデルのように歩く。感情のないモデルのファッションショーと違って、とても生き生きとした装いに見える。ファッションは着る人の個性と一体になっていっそう美しいのだ。
 アン・ハサウェイが魅力的だ。アンはウェストも太くてモデルのようにスレンダーではないから、たぶん服はサイズアップした特注だ。だが手足が長く、タレ目の童顔がとても魅力的。のどの奥で「ケケケ」と笑う声の出し方もはやるかもしれん。字幕スーパーだから生の声が聞けるのだ。
 まあ、プリティウーマンとか、ノッティングヒルのような他愛のない映画だが、ニューヨークやパリの華やかな都会と最先端のファッションが堪能できるし、男性も楽しめる映画。音楽ものりとセンスがよくて上出来。
 おっと忘れてたが、メリル・ストリープは悪魔の役だ。やさしいお母さんや田舎の人の良いおばさん役がはまりどころなのに、今回は思いっきりダイエットしてこけたほおで一流ファッションをまとって出演した。マジソンではわざわざ太って役作りをした彼女であるから、やせるのも簡単なのだろう。彼女の新しい面をみられる映画。

 オールシネマの「プラダを着た悪魔」のページ


2006年3月18日(土) 邦題「いつか晴れた日に」 原題「SENCE and SENSIBILITY」(=分別と多感)
 19世紀初頭のイングランド南西部サセックス州の私園ノーランドパークを構えるダッシュウッド家の主ヘンリーが死に、遺産は法律により先妻の子供ジョンに全財産が渡り、ダッシュウッド夫人と3人の娘にはわずかな500ポンド/年の年金のみが残される。長女エリノア(エマ・トンプソン)は慎み深く現実的、次女マリアンヌ(エミリー・フランソワ)は詩と音楽を愛する情熱家である。立ち退きを迫られる屋敷にエドワードフェラース(ヒューグラント)が訪れ、礼儀正しくシャイで物静かな青年にエリノアが好意を抱く。一方妹エリノアにはブランドン大佐(アラン・リックマン)が好意を抱くが、エリノアは若く社交的なジョン・ウィロビー(グレッグ・ワイズ)に好意を抱く。性格の異なる姉妹のそれぞれの恋愛が成就するまでの物語である。
 この映画は姉を演じるエマ・トンプソンが脚色しアカデミー脚色賞を受賞した。1995年コロンビア映画。

 一家が引っ越したバートンコテージという建物は、実は私の会社での英語の先生の妹さんの御自宅なのである。以下、パンフレットからこの家について。「イングランド南西部でデヴォン州の南西部ホルベトンの広大なフリーエステイト(意味不明)にある。正面から見ると質素なこの小別荘は、側面から見ると実は壮麗なエドワード7世時代の邸宅でスタッフはそれを隠すのを忍びなく思ったものである。このエリアは自然の宝庫でとりわけ珍しい鳥が生息していることで有名。」
イングランドの美しい風景がこの映画の価値であり、イギリスの上流階級の生活や風習がもう一つの背景である。私がこの映画でもっとも気に入ったのはイングランドの風景。
2006年2月12日(日)  インファナルアフェア 無間道U、V
 2005.9.21にインファナルアフェアTについて書いたがようやく続編であるUとVとを見た。続編は本編以前または本編の周辺のストーリーであり、本編の緊張感や凝縮された展開を超えるものではない。本編を見た観客がその余韻を楽しめる映画といえる。

2006年2月22日(水)  「Ray」 米映画(2004.日本では2005.1公開)   誕生日にもらったDVDで、自宅で視聴。
 2004年6月10日に74歳で亡くなったレイ・チャールズの伝記映画。R&B歌手ともジャズシンガー/ピアニストとも言って良いだろう。6才で失明し、ゴスペルとジャズを融合させて今日のソウルミュージックの源流を作った。翌2005年2月に出たアルバムはグラミー賞を受賞した。自伝映画「Ray」は2004年アメリカで公開され、主演のレイミーフォックスはこの映画で2005年アカデミー賞の主演男優賞をとった。
 さて、映画「Ray」について。幼い頃の弟の事故死がトラウマになり、ヘロイン中毒となった盲目のシンガー(ピアニスト)の伝記である。本人も製作に深く関わったのことであるが公開を待たずに亡くなった。ほぼ全編が音楽であるが、あまりにも有名なジョージアオンマイマインドを初め私は殆どの曲を知っているし、昔からジャズピアノが好きだった。良い音楽と美しい映像で綴られた人生の物語である。ウィアーザワールドのほほえましい好々爺ぶりが思い出される。佳作。
オールシネマ Ray
2006年1月22日(日)  有頂天ホテル
 久々に劇場で見た封切りしたばかりの映画について。シネマでは延々と20分ほども予告編を見させられた後でようやく始まるが、この間に浮世の雑念を忘れ、トイレにも行って、なんか口にも入れて映画を見ようという気持ちの準備が整うので、集中するためにはまあ悪くない。いわば書道で墨をするようなものかな。でも長すぎる。

 映画の内容は、大晦日の一日に、ホテルという限られた空間の中で、政治家や娼婦やホテルマンやショーの出演者など、様々な人々の様々な人生の断片や恋愛やアクシデントやらを喜劇タッチで見せるというものである。松たか子始め俳優がすごい。宣伝もすごいからかなり観客数も多いだろうと思う。

 本編が始まると、まずそのカメラワークのひどさに驚かされる。構図が汚くて、テレビのバラエティー以下である。画像の動きや切り替えが早いのは、現実感を薄めるような効果を出すためだろうか。どなるシーンが多いがうるさいだけでユーモアが乏しい。監督、脚本は三谷幸喜。豪華キャストを集めてうんとお手軽に制作したことがあきらかだ。底の浅いストーリーでも私たちの後ろにいた田舎(差別語?)女子高生グループがよく笑っていたのには少し救われた。右隣の60代とおぼしき男性は全く笑っていなかった(と思うが、うすら笑っていたかもしれない)。私はといえば、つまらないという段階を通り越して、ずっと腹を立てていた。それを察知した隣席の友人は、「楽しんでる?」と聞いて、私が「つまらん」といったら、「そんなこと口に出すものじゃない」としかられる始末。この友人自身はおもしろかった、との感想だったが、私は映画が終わってから小一時間も機嫌が悪かったとのこと。

 オールシネマの有頂天ホテル  1/31現在国内興行成績2位

2005.9.21(水) ダンシング・ハバナ(アメリカ映画2005.7.9公開)
 監督ガイ・ハーランド。主演ディエゴ・ルナ(ハビエル・スワレイス=キューバ人青年)、ロモーラ・ガライ(ケイティー・ミラー=アメリカ人18歳の少女)
 1958年キューバ革命前夜。官能的なダンスと音楽に心を奪われたアメリカ人少女とハバナで生まれ育った青年のラブストーリー。久々に映画館で観た映画である。
 ハバナの多数の男女が狭いホールでうごめくように踊るシーンが圧巻である。音楽とダンスがとても官能的なのだが、若い男女の恋はつたなくほほえましい。エンディングのダンスコンテスト決勝で革命の騒ぎが始まる。私はここでハビエルが死ぬと思ったが、死なずにケイティはアメリカへ家族と帰る。「ラストダンスではなかった」というケイティの独白で終わるのが物足りない感じ。
 Mさんの感想:音楽やダンスがさほどセクシーとは思わなかった。楽しめるラブストーリーでとても気に入った。
 私はこの映画のサンタナ他のキューバ音楽がとても気に入って、サントラCDを買ってしまった。
ダンシングハバナの解説

2005.9.21(水) インファナル・アフェアー(香港映画2003.10.11公開)
 監督アンドリュー・ラウ、アラン・マック。主演アンディー・ラウ(ラウ)、トニー・レオン(ヤン)、アンソニー・ウォン(ウォン警部)、エリック・ツァン(サム)
 ストリート育ちのラウは、その優秀さに目を付けた暗黒街のボス、サムによって警察学校に送り込まれる。一方警察学校にいたヤンは突然退学を命じられる。ウォン警部に優秀さを見込まれ暗黒街に潜入するためだ。10年後に二人はそれぞれの組織の重要な位置を占め、サムをボスとする麻薬取引組織と警察とが全面対決となったときに組織と警察のそれぞれの立場で働くが、互いの組織にスパイの存在を気づかれる。
 この映画の見所は、アクション以上にスピード感あるストーリー展開だ。複雑で緻密。二人の主演男優とウォン警部が魅力的である。
 映像の作りは地味だがうるさくなくて良い。音づくりは、ウォン警部が、たった今ヤンが降りたタクシーの屋根に落ちる音など、強い音が大変効果的に使われている。エンディングの曲だけ感心しなかった。この映画を観る女性達にとっては男臭い男達が魅力的だろうと思う。しいてこの映画の弱点をいえば、女性がからむストーリーがちょっとつけたし風。これまでちょっと中国映画をばかにしてたかも知れぬ。
インファナル・アフェアーの解説
2005年9月3日(土)  宇宙戦争 (アメリカ映画)2005年6月公開
 スティーブン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演。ずいぶん宣伝されたからそこそこ観客動員数も多いのではないか。H・Gウェルズ原作の再映画化。前回の映画は1953年に制作されたが、こちらはたぶん見ていないと思う。原作は子供の頃読んだはずだ。圧倒的な力を持つ宇宙人に侵略されて人類はなすすべもなく殺戮されてゆく。だが宇宙人達は地球の細菌やウィルスの免疫を持たないために自ら死滅する。宇宙人の操縦する三つ足のビルほどもあるロボットと古典的なイメージの宇宙人そのものはCGである。映像はさすがにうまくて迫力があり、この映画の唯一の見物である。結末を陳腐に感じるのは原作を知っているのと、免疫力がない微生物が危険なことはあまりにも当然だからだ。もちろん原作が出版された1897年には大半の人々が知らない知識であっただろう。
 人間の体液を吸い取って空中に噴霧し真っ赤な血管のように根を広げていく植物を育てるシーンなど全体にグロテスクだが、無機的な絵よりも有機的な絵のほうが現実感があって生理的な恐怖が増すのかも知れない。迫力と映像を楽しむ映画だ。この点は映画館で見た友人と同意見。PCで見るのではなく大きな画面で見るべきとも言われたが、その通りだ。でもカネ払って時間つぶして見に行くほどの価値は無いかも。オールシネマの採点では7点。私は辛口で5点だがまあ7点は妥当なところか。DVDは未発売。 (オールシネマのトップ)
2005年9月3日(土)  ボーンアイデンティティー (アメリカ映画)2003年1月25日公開
 ダグ・リーマン(Dugu Lieman)監督、主演マット・デイモン(Matt Damon=ジェイソン・ボーン役)、フランカ・ポテンテ(Franka Potente =マリー・クルーツ役)
 記憶喪失の男ジェイソン・ボーンが何者かに追われているうちに、自分がCIAの秘密のプロジェクトによって莫大な費用をかけて育成された暗殺実行者であることを知る。デイモンの見事なアクションや派手なカーチェイスも見物だが、CIAの存続のために要人を非合法に消してゆくという、非情な組織に操られる孤独な殺人者が組織と戦うという、シンプルなストーリーである。
 ハードボイルドなのだが、逃走中に知り合ったマリーという女性に次第にひかれ、マリーも一緒に組織に追われジェイソンに気遣われる内に彼にひかれてゆく。美人でないし若くもないのだが、彼女の自然な感情の動きに我々もひきこまれてゆくのだ。この映画の魅力は、派手なアクションと対比して、地味な主演の二人がお互いを思いやるうちに次第に相手にひかれてゆくところである。記憶を失った男にとって初めての不器用な恋なのだ。偶然巻き込んだマリーを思いやり自分から遠ざけようとするジェイソンと、危険と知りつつジェイソンについて行くマリーの揺れ動く気持ちを十分にみせるフランカ・ポテンテが魅力的だ。
 この映画を教えてくれた友は、おすすめの映画をいくつも教えてくれた中で、おそらくこの映画が結構お気に入りなんだろうと思う。ちなみに「宇宙戦争」はおすすめに入っていない。
 ボーンアイデンティティーについて 「THE BOURNE IDENTITY」とは(ボーンの正体)。なお、続編「THE BOURNE SUPREMACY」(最高のボーン)が2004年10月に公開されている。
2005年7月16日(土)  ノッティングヒルの恋人(米映画1999年)
 ジュリアロバーツとヒューグラント主演。若くて美しい人気映画女優アナ・スコット(ジュリアロバーツ)とロンドン近郊のノッティングヒルに住むウィリアム・タッカー(ヒューグラント)がふとしたことで出会い愛し合う。タッカーは小さな専門書籍店の店主であり不釣り合いな恋に別れを決心するが、アナのことが忘れられない。これといったストーリーやテーマがあるわけではなく、彼の暮らしぶりや仲間つきあいがあたたかく描かれる所が良いのと、ジュリアロバーツの演技力が見物である。女優らしくない(そんな美人でもない)庶民的なキャラクターが、超人気女優と庶民の恋というストーリーを違和感の無いものにしている。ここちよい昔ながらのハリウッドラブストーリーだ。
 実はこの映画を見るよりも先にタイトル曲のSHE(エルビスコステロ)というのが気に入ったのだが、カラオケでアベックの若い男性が歌ったのを聞いたからだ。それでオリジナルを手に入れてみるとやや慣れすぎた歌い口がちょっとナーという感じだったが、映画では二度歌われていて最初はややストイックに、エンディングではやや淡々と歌われるのがいずれも良かった。この映画の主題歌だと教えてくれて、「曲も歌手もいいよ」と言った若い友人の意見に私も同感。この歌を覚えたいのだが、途中のメロディが難しくてものに出来そうにない。

2005年7月16日(土)  納涼船
 竹芝桟橋(東京浜松町駅5分)から毎日19:15に出発する2時間の東京湾クルーズ。納涼船というのは伊豆航路に使われるような大きな船で羽田よりもさらに沖合ぐらいまでを巡る。会社の連中と一緒に初めての乗船だ。集合時間よりかなり早く桟橋に着いたら、船内の場所取りに早くも並んでいる客がいる。団体客は大きなビニールシートを敷いてすでにビールで盛り上がっている。かなり大型の船は船倉を団体客の宴会場に仕立て、下部には料理や飲み物のコーナーが並び、上部デッキには小さなステージがあり「浴衣ダンサーズ」というけっこうなネーミングの若い子のショータイムがある。
 やや風が強いが十分涼しく、羽田に発着する飛行機の灯も見え夜景がきれいだ。音楽はディスコ系のリズムのはっきりしたものが中心でひたすら盛り上げ、生ビールのアルミ樽を背負った若い女の子がビールを注いで回る。飲み物は乗船代2,500円也に含まれるので飲み放題なのだ。食べ物は食えないことはないという代物。夜景と潮風という良いシチュエーションではあるが、ムードは全くないので団体客向け。一回行ったら十分。
 ほかに東京湾クルーズ(シンフォニー)とか神戸港クルーズ(コンチェルト)などという食事付きの遊覧があって、以前からたまには趣向が変わって良いかも知れぬと思っていたが今回の経験でやや引く。日本人はもう少し落ち着いて食事ができんのか。団体酒イコール居酒屋ノリ、というパターンを脱しきれない。食事がない遊覧船のほうが他人の騒ぎが気にならないのは間違いない。

2005年5月29日(日)  エディ・アルバート(米俳優)が26日99歳で無くなった。
 「ローマの休日」のカメラマンだ。記者役のグレゴリーペックは昨年無くなった。この映画は1953年(私は1歳!)公開されたので関係者で今も存命中の人は少ないのではないか。抑圧された日常があるからこそ、解放された非日常の中でオードリーの新鮮な感受性と行動力が際だって魅力的である。王女の恋という今風に言うとクサい設定で、現実感が希薄になるところをエディ・アルバートが良い持ち味を出して救っていると思う。

2005年1月9日(日)  映画
三連休は映画を見ている。久々の映画評。
トスカーナの休日。2003年アメリカ。ダイアン・レイン
 離婚した女流作家が傷心を癒す旅にイタリアトスカーナへでかけた。そこで衝動買いした古い一軒家に住み、暮らしながら次第に知人や友人が増え、幸福を手に入れる。
レインマン。1989年アメリカ。ダスティン・ホフマン
 両親が亡くなった後、自閉症の兄がいることを知った弟。この弟は兄が相続した父の遺産をせしめるために兄を療養所から連れ出す。長時間のドライブ中に、さまざまなトラブルを経験しながら、純真な兄を兄弟として次第に愛するようになる。
マジソン郡の橋。1995年アメリカ。メリル・ストリープ、クリント・イーストウッド
 アメリカの田舎に暮らす主婦が、家族の旅行中に、地元の古い橋を撮影に来た中年の写真家と恋に落ちる。彼と一緒に旅立とうとするが家族が戻る日、彼女は家族のために家に残ることを決意する。彼女が死んだ後、子ども達が全てを知る。

 たまたま家族をテーマにした新旧の佳作を続けて見ることになった。「マジソン郡の橋」は、当時社会現象としていろいろ言われたが私は今回が初めての鑑賞である。マジソンが一番と思うが、これとトスカーナはいずれも原作が大ヒットしており原作のパワーである。マジソンはクリント・イーストウッド監督だが、メリル・ストリープがとにかく良い。恋に落ちる中年女性の心理を余すところなく見せる。「これは一生に一度の確かな愛だ」という男の言葉が、別れの言葉となった。
 レインマンは自閉症の兄をダスティン・ホフマンが演じるのだが、愚かな弟が兄の純真さを一層際だたせる。以前見た「レナードの朝」はロバート・デニーロが、半昏睡状態の障害者を演じており、障害者の側から見た悲恋の話だ。フォレスト・ガンプはトム・ハンクスが、軽度の知的障害がある主人公を演じ、強靱な肉体と意志によって、アメリカンドリームを実現するまでの物語。主人公の幸運さが不自然に見えないこと、観客がいつのまにか彼の成功を願いそれを喜ぶのは、彼の意志が富や名声のためでなく、間違いなく愛のためであることを信じられるからである。(そのほかの障害者の映画
トスカーナはご当地映画ではないが、明るく暮らすにはやっぱラテンということか。この中では三位だが上出来。エンタとしてはもっとも楽しめる。

2004年6月5日  世界の中心で愛を叫ぶ(映画)
 高校生時代の仲が良かった彼女は白血病で死んだのだが、大人になってもその彼女が忘れられない男(大沢たかお)。彼=サクが田舎の高校生だったころ、彼 女=アキと過ごした日々のシーンが何とも甘酸っぱくてたまらん。アキ役の長澤まさみが人気だが、サクの無垢な少年時代を演ずる森山未來のほうが私は好き だ。主人公が今の彼女(柴崎コウ)と、よりを戻すところがやや納得しにくい。だが、四国香川の小さな漁村(庵治町:あじちょう)の風景と80年代後半の音 楽を背景にした物語には、だれしも昔の自分の断片的な記憶とないまぜになって、とても感傷的になってしまうのではないか。「泣けるよ」という若い友人達の 言葉がこの映画の全てだ。

 「冬のソナタ」。ユジン(チェ・ジウ)はキツネ顔で好みのタイプでないし、ミニョン(ペ・ヨンジュン)も不自然に見えたし、だいたい家の中でもコートを 脱がないしマフラーをとらないところはおかしい。はじめはその程度の印象のドラマだったが、土曜の夜中という良い時間に放送されていて、一度最後まで放送 をみるとたちまちはまった。実らない愛というストーリーは常に支持されるのだ。
 2000年頃に韓国で大ヒットしたドラマで「秋の童話」というのがある。主演のソン・ヘギョという女優が私のお気に入りなのだが、このドラマと多くの キャストが重なり、ソン・ヘギョもはじめの頃登場していた。こちらは込み入った家族の事情という設定で、若い男女4名の恋愛が繰り広げられ、主人公二人の 死で終わる。願わくばずっとこのパターンで新しいドラマを作り続けてもらいたい。

 純愛映画が大勢に支持されることは、ヒトが求めるものが変わらないように思えて好ましい。それとも純愛はいつの時代も郷愁に過ぎないからこそ支持されるのかもしれぬ。
2004.5.4 (火) UA(ううあ)とか
 NHKの子供向け番組「ドレミノテレビ」を見た。UA(ううあ、またはウーア)というのが、昔風に言うと「歌のおねえさん」である。歌がとてもソウルフ ルだ。ちょっとアフリカンぽい風貌と長い手足が、こまっしゃくれた日本人にはないパワーを感じる。にこにこしないところが、押し付けがましくない、という ことがNHKにしたら革命的。ウタを「聞かせてあげる」という、視聴者をいわば聴衆扱いせずに、「楽しかったらいっしょに楽しめよ」というスタンスが斬 新。長い手足をもてあましているような不思議な踊りというより「振り」が良い。極彩色の衣装や画面つくりもユニークだ。こんな個性に子供が触れること自体 がとても良い。番組のホームページ。

 2日夜は、30年前に放送されたKISSの特番を見た。あらためてエンタの王者だと思った。当時既にハードロックを反社会的音楽風エンタにした、という 点でKISSは十分に新しかった。それは緻密なプロデュースと観客サービスに徹したアトラクションだった。当時の録音が良くないが、もちろん演奏は十分に 水準以上だ。番組最後に、最近のオーケストラと共演するシーンがつけたされていたが、彼らの音楽のポジションを象徴する体制内的シーンだ。ファミリーで楽 しむハードロック。既にベンチャーズよりもはるかに体制的だ。私も時代は変わったなあ、と思う世代である。
2004.5.2 (日)  映画館の復権
 映画館が復権しつつある。最近のシアターは小さ目の部屋が複数あって、人気のムービーは複数の部屋で時間をずらして放映される。いろいろなムービーを観 客数に応じて部屋数を調節するというシステムである。そして、DVDが三ヶ月程度で発売されても映画館へ行く人が結構多いという現象。
 一方フラットディスプレイが普及し始めて、家庭でも50インチ大画面プラス5.1チャンネルサラウンドが楽しめるという時代だ。だが、TV放送ではそん なに気合を入れて見る番組は無かろう。したがってDVDの映画やコンサート録画を楽しむことになるのだろうが、余程好きでなければ週末見る程度だろう。将 来はVR的なゲームを楽しむようになるかもしれないが。
 家庭より、迫力や臨場感があることや没頭できるという理由で、映画館やライブに出かける人は増えている様だ。チケットの割安感もあると思う。映画やライ ブなどは、DVDが売れTV放送にも売れる。今後安価なオンライン配信が主流になるだろうから、セカンドマーケットも含めて益々有望ということだ。
2004.4.14 (水) マトリックスレボリューション(最近の映画の話題)
 マトリックスレボリューションはマトリックス3部作の最後である。くらげの化け物のような機械が、いわしのように群れて膨大な数で襲ってくるシーンと か、主人公ネオとおなじみスミスが空中に浮かんだり、すごいスピードでぶつかり合ったりするところが見せ場らしい。しかしどこかで見たようなシーンばかり だ。日本のアニメのシーンをつなぎ合わせたような想像力の無さ。
 一作目の、ネオが弾丸をのけぞってかわすシーンや、空中に胡座をかいて浮かんだ女性が相手を蹴飛ばすシーンなどはプロモーションで流されご存知と思う。 このシーンの超スロー画面が、ワイヤー吊りで壁を走るスピードのあるアクションシーンの中に挿入されるからなおさら印象的だった。人類が一生カプセルの中 でコンピュータに疑似体験を与えられながら飼われるという、あまりたいした事のない設定だが、凝った丁寧な画面と印象的なアクションシーンが見所だった。
 二作目も大勢のスミスが一人のネオと戦うシーンがCGを駆使した見せ場だが、一作目を超えるような才知が感じられなかった。CGに頼れば頼るほど、平凡 な絵になったというわけだ。しかしPCの小さな画面で高圧縮の暗い画像を、何日もかけて細切れに見ているので素直に楽しめないのかもしれぬ。
2004.3.13(土) キダム  
 大阪公演の終わりが近づいた作夏、友人に誘われて公演を見に行った。サーカスのようなものだと思っていたのであまり気が進まなかったが、東京転勤が迫って、ちょっと追い立てられるような気持ちででかけた。

 ピエロがたどたどしい日本語とフランス語を交えて喋りだして始まる。2m位の鉄の輪に入ってくるくる回ったり、男女二人や大勢やらでアクロバチックな組 体操をやったり、天井から垂れ下がる布にぶら下がって一気に地上近くまで滑り落ちたり、小さな東洋人女性が紐を使って大きな独楽を投げ合ったり、大勢でコ ミカルな縄跳びなど様々な、肉体を使った超人的な芸をみせる。それぞれの出し物には意味深げな英語のタイトルが付いている。出し物と出し物の間はフランス 語の音楽劇でつながれ、一応ストーリーがあるようだが十分には理解できない。若い清楚な女性がフランス語で哀調のある歌を歌う。中世風の衣装と色調を抑え た舞台は、シリアスで、ちょっと不気味な感じ。小さい子供は怖がって泣く。この出し物の見事さと、観客を即座に非日常的な気分にさせる演出が見物である。

 キダムの母体は、カナダのモントリオールあたりの大道芸人達を組織化して作られた。日本では約1年間、各地で公演が行われ、現在の東京公演が最後だが、 その前には世界中で公演されてきた。キダムは今回の演出の名前である。演出が変わると名前も変わる。他にもいくつかの演出があり、各国で公演中である。こ れらは数年後には日本に来て、公演されるというわけだ。プロデュースの力量を感じる。

 会場は表情が分かるぐらいの手頃な大きさだ。これがクレーンで組立られる冷暖房付きの大型テントなのである。この白いテントがキダムの重要な要素であ る。計算され尽くしたサイズや形が、どこへ移動してもベストの演出を可能にする。公演が終われば跡形もなくアスファルトの地面になることが、観客の「祭 り」と旬の気分を効果的に盛り上げている。

 1万円をかなり超えるチケット料金は、やや高いと感じるが、専属バンドと洗練された演出と、なによりも体を張った芸に、十分に満足する。テレビ画面で見 る映像は、合成やCGが精巧になった現在、かなり現実感が薄いものになりつつある。だが公演に足を運べば、本物の圧倒的な緊張感とリアル感が有り、幻想的 な雰囲気を作り出す演出が、命がけの芸の緊張感を、むしろ緩和している程だ。スポーツ観戦をしない私は、これまで映像文化を過大評価していたかも知れな い。ちょっと言い過ぎか。ともあれ十分に鍛錬された人間の芸は、人を感動させる。

公式HP    日本公演チケット
2004.3.7(日) Universal Studios Japan(USJ)について   2003.9 晩夏の一日、友人と初めての訪問。
 ディズニーランドへ行きたいですか、と問われて、「子供となら行くけど・・」、というのがおおかたの大人の感覚と思う。ディズニーランド同様、アメリカ 直輸入テーマパークのUSJにはスタントなどのショーと、ライド系のアトラクションがある。ライド形アトラクションには、ジェットコースターやウォーター スライダーのような過激系と、船や自転車に乗って池から恐竜が出てきたり景色が変わったりするような移動ショー系がある。

 素材の映画そのものの一場面をモチーフにしているが、ターミネーターのようなSFアクションやETのようなファンタジー、ジョーズのようなパニック映画 だから、考えさせられたり複雑な感情に浸る必要は無いのである。しかしアトラクション名は忘れたが、スタントのショーは訓練された見物だったし、動物の ショーも結構楽しめる。路上のパレードはちょっと怖かったが、衣装やメーク、小道具も凝っていて、ダンスは良く訓練されていたし、インラインスケートのス ピード感やバネ付きの靴で飛び跳ねる動きも変化が楽しめた。パレードはディズニーランドと違って、出し物がガラリと変化するらしい。

 高校生以上向き。アトラクションによっては小学生高学年以上向き。従業員はディズニーランドのように完璧な訓練はされていない。アトラクションは危険な スタント、音や火薬や水しぶきなど、全体に刺激が強く、ディズニーランドのメルヘンチックな気分を大切にするものは少ない。
 アトラクションの疑似体験をより感覚的にリアルに受け止められるかどうかが、楽しめる度合いなのだ。子供の心で楽しむことが唯一の楽しみかたなのかも知れない。大人のためのテーマパークというものは存在し得ない?子供が楽しめれば大人も楽しめる?。

 それにしても、平日昼間にカネと時間のあるリタイア達を呼ぶ工夫が足りない。往年の名画や名優を特集したシーズン替わりのアトラクションなんてどうか。 UNIVERSALにこだわることもあるまい。フランスや邦画もよかろう。ホールが無いのも残念。新しい映像技術の実験的な試みや、アワードを主催すると か、映像文化を作ってもらいたいものである。役人OBと関西財界ではカネを出して高価なアトラクションはアメリカとそっくり同じに作れても、文化まで作れ というのは無理か。
2004.2.17(土) ロードオブザリング
 莫大なカネをかけた大スペクタクル。さすがハリウッドという映画だ。本日3部作の第3作目が公開された。
 CG技術はカネ次第だから、この映画のCGによる映像はリアルの極致だ。
 CGが反乱すると、 ヒトは自分の目で見たモノは信じるから、だんだん真実がわからなくなってくるんではないか。これはウソだ、という感覚が次第に無くなってくるかもしれぬ。
 ストーリははいつもながら、醜悪で下品な悪の集団を正義の軍団が容赦なく殺しまくるという単純な構図である。善集団にもクラスがあって、神は非常識な能力を与えられている、という設定である。まあエンタの中のエンタと言うところか。
 第2作は、ロケ地となった、ニュージーランドの自然がすばらしい。この自然が、多すぎるCGに辟易するところを救っている。
2003年4月12日(土) エンターテインメントについて − いとこの家族がポップサーカスを見に行って、大変楽しめたとのこと。
 WEBで調べてポップサーカスなるものがわかった。上海雑伎団も加わっている。オリンピック以上に難易度が高いと思う。今はテレビで一流が見られるか ら、なんでも世界一だけが生き残れる面があって、エンターテインメントの多様性が失われている。ちょっと古いが、昔沢山あった地方周りのサーカスや旅芸人 は農閑期の人々の楽しみであったが、現在は廃れてしまった。一流のもの以外はコンビニの品揃えのような必需品しか生き残れない。それ以外には自己参加型の システム(たとえばカラオケ)が残りそうだ。このことはエンターテインメントの世界にとどまらない現象。テレビというより情報化の結果だ。
 それで失われたものはコミュニケーション。さっきの自己参加型というのは一人遊びだ。失われたのはエンターテインメントへの観客の参画である。落語は噺 家と客のやりとりが面白いが、落語の客はプロだ。一流は完璧であろうとするが故に観客の干渉を許さない。例えばディズニーランドは全てマニュアルの世界。 観客はどこまでも観客だ。ディズニーランドの対極にあるのがコペンハーゲンのチボリ公園である。ジェットコースターなどは無い。例えば、ゴムのボールを時 々口を開けるゴリラの口に放り込むだけのゲームなのだが、それを実は一緒にゲームを始めた他の客と競うのである。観客同士のコミュニケーションを作ること 自体を目的としたエンターテインメントなのだ。
2003年1月20日(月)  貴の花引退 −NHKお昼のニュースより
 もう一度優勝して引退したかっただろう。これまでさんざんマスコミにたたかれて、彼も残念な思いだっただろうと思う。それにしても貴の花を含めて、なぜ相撲取りは自己表現能力が乏しいのだろう。
 以前ハワイだかアメリカ本土だかの巡業の際のインタビューをテレビで見た。曙と小錦と貴の花がアメリカ人記者の質問に答えるというものだった。曙の話 は、穏やかで人間味を感じさせるものだった。小錦は感受性が高く博識で、社会問題についてユーモアを交えながら自分の言葉で発言していた。貴の花は内容の ある答えが全くできず、とても愚鈍な印象を与えた。貴の花がいくら因習多き相撲界で日頃から慎重な言動を求められている立場だとしても横綱という現役リー ダーではないか。相撲界が人気商売だからか、あるいは利権や因習への批判を恐れる余りか、とにかく「表現すること」を禁止されているように見える。個性ど ころか心情すら伝えられない力士ばかりでは、今の不人気は当然であろう。
 相撲が野球やサッカーのような人気を取り戻すことはもはや困難であろうが、若い人の支持が得られないようでは将来はない。せめて力士のコミュニケーション能力を鍛えないと人気凋落にますます拍車がかかるぞ。
END

更新履歴
2017.3.19更新
2007.3.27更新
2004.8.28作成