Car Freak    2003.4.18作成    2008.10.20更新   投稿歓迎


東京モーターショー    2003.11.2      於幕張メッセ

フォード

 90年代後半の自動車世界再編では潤沢な資金を元手にボルボ・カーなどの高級車メーカーを買いあさった。反面社内には高コスト体質を温存した。フォードは今も各部門が独自の予算と技術を抱え込む非効率な組織。車種開発でも乗用車とSUVを掛け合わせた成長分野のクロスオーバー車市場に新型車がない、など長期的な展望に欠けている。(2003.4.18 日経産業新聞)

 フォードの提携関係は資本参加だけをみても、マツダ(日本)、欧州フォード(英、独)、オートアライアンスタイランド(タイ)、オートアライアンスインターナショナル(米)、ジャガー(英)、アストンマーチン(英)、起亜自動車(韓国)。

トーラス
 米フォードモータースは、16日、主力セダン「トーラス」の生産を2005年で打ち切ると発表した。トーラスはトヨタカムリ、ホンダアコードと米国でナンバーワンを競い合ってきたフォードの代表車種の一つである。1985年12月に発売開始、1996年までは6年連続米販売トップとなった。96年の全面改良でスタイルが不評だったことと、「フリート」と呼ばれる法人向け大量リース販売を5割程度まで高めた結果下取り価格の大幅下落を招き一般消費者の敬遠が強まった。SUVやピックアップトラックへの需要シフトの結果、ミッドサイズセダンの市場は99年比13.8%縮小し2002年は388万台にとどまっている。(2003.4.18日経産業新聞)
 トーラス(旧型)はカナダ・アメリカ業務出張の際、モンタナ州のカリスペルでレンタカーとして乗った。そのすぐ前に訪れたアリゾナ洲で借りたのはリンカーンのタウンカーだったが、トーラスははるかに良い車だった。
 アリゾナではフェニックスからユマまで片道4時間、Cactus(サボテン)が点在する砂漠の中の単調なドライブだった。車の温度計では外気温は45度で強烈な日差しだったが車中は広々としてエアコンが良く効いて快適。30分ぐらい走行する毎に、映画にでてくるような安っぽいモーテルやファーストフード店が現れるがずっと埃っぽい単調な景色だった。同行のアメリカ人の営業課長と短時間交代して自分でも運転したが、このリンカーンの最上級車種はつぎはぎだらけの舗装道路ではかなり直進性が悪い。道路の車線幅は広いのにステアリングの遊びが大きなこともあって、大変お粗末な操縦感覚であった。おまけにブーンという気になる音の発生源が判明したら、でかいバンパーのプラスチックのカバーが鳴っていたのである。1リットルのコークの紙コップを隙間に詰めたら音が止まった。これが当時日本では750万円位の車である。
 ユマのプラントを訪問して翌日フェニックスへまた4時間かけて戻り、空路グランドキャニオンの上を飛んでソルトレイクで乗り継いでカリスペルという所へ到着した。このロッキー山中の小さな町は、みんなキルティングを着込んでいるほど気温が低い。町の会社を訪問した後、Glacier National Park(氷河国立公園)への山道を車で辿る。道幅はこのNational Park専用の赤いボンネットバスとすれ違うのにも十分な広さだが、カーブが多くアメリカ人のManagerがトーラスを選択した理由が良く解った。トーラスのサスはしっかりした堅さ、ハンドリングは適度にクイック。アメ車とは思えない快適な操縦性能である。シートも程良い堅さだった。
 このアメリカ人のManegerは車好きで、若い頃DATSUN240に乗っていたという。ダッツンツーフォーティと発音するがFairlady240Zである。Fairladyのアメリカでの総称はZcar(ズィーカー)と言って、240Zの頃アメリカでは若い層に良く売れた。私も昔280Zに乗っていたから車談義が弾んだ。日本車のアメリカでの名称をいろいろ知っていて良かった。「日本車で一番いい車は何だ」、と聞くので当時米に輸入されていなかったが「私は好きではないが、スカイラインGTという車だ」、と答えてActive Four Wheel Driveのメカニズムを教えると大変興味を示した。
 というわけで、アメリカ的でない道でトーラスはヨーロッパ車のようにかっちりと走った。アメリカ的な道ではアメリカ人が選択したような、GMのでかい車が良いのかも知れない。この車は日本ではマツダが販売チャンネルで、当時40万円近く値引きされて売られていた。淡いブルーが日本車に無い色で私は気に入っていたが、ディーラーの話ではこのような中間色は日本では売れない、と言っていたことを思い出す。96年のモデルチェンジで曲線を多用した大胆なデザインとなり、ちょっと残念な思いがした。今なら違和感が少ないだろうが当時は斬新すぎた。Top Salesをねらう車種ならModel ChangeはConservativeというのが基本だ。ここがフォードの危うさだが一方、車好きがフォードにGMよりも好感を抱く所以である。つまり一度は真剣に、淡いブルーのトーラスワゴンを自分の車にしたいと思ったこともあったのだ。

ルノー [RENAULT]
 
 ルノーはフランス政府が全額出資するフランス最大の自動車メーカー。自社では小型車以下の車を製造する大衆車メーカーである。ルノーの提携関係は、日産自動車(日本)、日産ディーゼル(日本)、ルノー三星自動車(韓国)。

ラグナ
 ブリュッセルのヨーロップカーで借りたのが、ルノーラグナである。1800ccのディーゼル5速MTのまっさらの新車だった。この車でベルギー、ドイツ、ルクセンブルクを2,100km走った。エンジン始動のボタンとキーの操作がやや複雑で、たくさんチップをやったヨーロップカーのエージェントが丁寧に教えてくれたのに、自分で走り出す時にはエンジンがなかなか掛からなくて、結局隣に駐車していた車のドライバーの世話になった。
 非力な車である。当時日本で乗っていた車は280psだったから操作系の軽さと共に余計に力不足を感じたのかもしれぬ。加速が遅いとどういうわけかブレーキも軽く踏むようになるしカーブはゆっくり回るようになるし、自然にGを少なくするような運転になってしまう。というわけでこの車は同乗者達には大変好評であった。
 ところがアウトバーンを走ると思った以上にすばやく速度が上がり、3車線か4車線の一番左のレーン、つまり最速レーンでちゃんと160km/h位で走れるのである。空力的なデザインが優れているせいと思う。もっとも、ときどき200km超で飛ばすBMWなどがいる最速レーンは追い抜き時以外は避けた方が良い。夏のアウトバーンは太いタイヤの一人乗りの3輪車や様々なキャンピングカーやトレーラーのヨット、荷物満載のバカンス車などがいてなかなか楽しめる。つまりラグナは非力でもアウトバーンでストレス無く走れる車である。しかし日本の渋滞道路の動いたり止まったりという状況で車間を詰めて走るのはあまり得意でないと思う。ギヤレシオが全体に高めのせいかローギヤでの加速が悪いせいだ。
 この車のもっとも素晴らしい点は古い町の石畳の道でもサスがごとごといわないし、いやな振動が無いことである。それでいてカーブで大きなロールもない。室内は質素だが明るい色調でシートは疲れないしトランクは十分広い。以来私はフランス車が好きになった。
 今ラリーで活躍しているのはクリオ(日本名ルーテシア)というトゥインゴの次に小さな車だ。ヨーロッパにはこういう小型車がよく似合う。雨の中をカップルで乗るならフランス車。私ももう少し歳を取ったらぜひ小さなフランス車に乗りたい。

ポルシェ 

911
 私が高校を卒業した1970年頃、叔父に連れられて神戸のレストランで昼食をとったことがあった。緑の多い静かな住宅街のレストランのゆったりした駐車場に、その車はひっそりと置かれていた。斜め後ろから見た姿が美しく、リアの屋根からバンパーへ続く大きなラインが印象的だった。色はガンメタだったと思うが当時日本車にないシックなボディカラーがあたりの風景にとても似合っていた。私はかなりショックを受けて、車名を知りたいと思いエンブレムを探した。PORSCHEというスペルを見てポルシェと読めたのはたぶん名前ぐらいは聞いたことがあったからだと思う。
 そのころ実家の車はコロナ1500だった。まだ免許も持たず車にはさほど興味がなかったのだが、このポルシェは私が車が好きになるきっかけになった。そして今なおあこがれの車である。1965〜1973に製造されたものはナローポルシェといわれ、その後何度かのモデルチェンジをした車に比べると、スチールのバンパーのせいもあって軽快な印象である。水平対向6気筒、RR。1973年に排ガス規制に対応したカレラが発売された。このころまでのポルシェが最も好きだ。現在のポルシェは軽快感が希薄になったが、当時のデザインを受け継いでいる。フェンダーを異様に膨らませたターボはみっともないが、現在の996といわれるカレラやカブリオレも悪くない。
 残念ながらポルシェを運転したことはない。その気になればチャンスはあった。運転しなかったのは、飾りや妥協のない美しい形をしたこの車を初めて見た時の新鮮な驚きと憧れを大切にしたいと思ったからかもしれない。

 911の雑学 http://www.infonia.ne.jp/~goodness/narrow.html

TOYOTA   

 両親の時代から何時も私のそばにはトヨタ車があった。 
パブリカ
 母が自動車の免許を取得したのが昭和36年(1961)。大阪の我が家に初めてやってきたのは中古の初代パブリカ(UP10型)で、強制空冷水平対向2気筒OHV697cc28ps、3,520L×1,415W×1,380H×580kg、2ドア、4速マニュアルコラムシフト、FRモノコックボディという車。エンジンはフィンがついていてパタパタという音が大きかった。良くパンクしたし、母は何回か側溝に脱輪して近所の人達に担ぎ上げて貰ったことを覚えている。
 モデルチェンジして同時に購入した二代目のUP20はエンジンを800ccとしてデザインはかなり洗練されたものになった。当時日本のモータリゼーションが始まった頃で注目度はすごかった。トヨタS800(UP15)はこれの兄弟車である。昭和39年(1964)に名神高速道路が開通し当時は時折対向車を見かけるというぐらい自動車が少なかった。今も住む高槻市昭和台町は昭和33年に分譲された住宅地で、当時300軒中自家用車は3台しかなかった。道路は国道以外は殆ど未舗装で雨が降ると水たまりだらけ、乾くと土埃がひどく側溝は開渠といった有様である。その後車はものすごい勢いで増え、未舗装のでこぼこ道は走りたくても見あたらなくなった。
 パブリカは安価で実用的な大衆車を作るという国策の下に生み出された。ドイツのフォルクスワーゲンビートルと同じ使命を与えられて生まれた。コンセプトが明解であればシンプルで優れた車ができる。パブリカは安くて性能が良くトランクも広い。道具としてとても優れた車だった。

日産
 日産は国産車では好きなメーカーである。ディーラーの営業担当者はニューモデルをサーキットで自分で運転していた。ドライビングを語り合えたし自分の意見を持っていた。

S13 シルビアK's
  (作成中)

三菱  new
 昔、くるま好きの友人がランサーに乗っていた。アクセルをあおるとタコの針がピンピンはねる。排気ガス規制前のスポーツ車はソレックスやウェーバーといったキャブレター吸気だったので吹き上がりが良く、特に三菱のエンジンは素晴らしかった。排ガス規制で電子燃料噴射になる以前の70年代のクルマは、きちんと走ることを一番の目標にしていたし、個性があった。改造車で万博公園の外周を走った時代である。暴走族はまだ大規模なものはなかった。ケンメリスカイラインの頃、三菱と言えばGTOだった。
 数年前、友人のランサーエボ6に同乗した。強く走りしっかり止まる。剛性感のある完成度の高いクルマだ。このクルマは人を緊張させるが、ユーノスロードスターのようにどこまでも遠くへ走ってゆきたい、という気にはならないし、S13シルビアのようにワインディングを速く走り続けていたいとも思わない。残念なクルマである。
 小さなメーカーはフルラインナップをそろえられないからスタイルが必要だ。スバルはレガシィという絶対的な強みを持つモデルがある。コルトを知る人はすでに少ないが、スバルの前身の中島飛行機のことは知る人が多いだろう。三菱にはパジェロ以降柱になるモデルがない。スタイルがない。

RVR
 初代RVRは1991年2月に発売された。1997年12月にモデルチェンジされるまでのモデルが初代である。当時のRVはディーゼルが大半だったがコンパクトなボディに大きなガソリンエンジンを搭載した。後席は300mmのスライドが可能で、高いフロアと足を伸ばしてくつろげる広いスペースが特徴だった。当時トラックのような鈍重だったワンボックスカーと乗用車との融合を目指した、今や全盛の多目的ビークルの先駆けだった。94年のお馬鹿なマイナーチェンジで、エクステリアがスポーツタイプと乗用車タイプの2車種構成となり、融合のコンセプトが台無しになった。RVR以前にこのコンセプトを目指した1982年のプレーリーは、非力なエンジンと没個性のスタイルで成功しなかったし、4WDブームの覇者パジェロがRVRのイメージに大いに貢献したような幸運もあった。発売当時、飲み友達の女性のお気に入りで、気になるクルマではあったが、私自身はスポーツカー以外は全く興味がなかった。

 形式:E−N23、全長×全幅×前項:4360×1695×1680 mm、室内長×室内幅×室内高:1880×1460×1140 mm、ホイールペース:2520mm、トレッド前1450mm、トレッド後:1460mm、最低地上高160mm、車両重量:1380kg。エンジン形式:4G63、種類:直列4気筒DOHC16バルブ、口径×行程:85×88mm、排気量1997cc、圧縮比9.0、出力140ps(6000rpm)、最大トルク17.5kgm(5000rpm)。前サスペンション:マクファーソンストラッド/コイルスプリング、後ろサスペンション:セミトレーリングアーム/コイルスプリング、タイヤ前後:205/65R14、定員4名、5MT、フルタイム4WD(ビスカス)、LSD。

 単身赴任先の大阪で2年ぐらいの短い間だけ乗るつもりで中古車を探したとき、たまたま格安で展示されていたこのクルマが目に付いた。東京の自宅の車はハイパワーのクーペだったから、キャラクターの異なる車に乗りたかった。

 RVRのサイズは山道を自由に走れるサイズであり、町中での取り回しもよく、日本の大半の道路を走るのには最適な大きさである。四駆とワンボックスとワゴンの良いところを合わせて小さく作ったような車だからパッケージングとエクステリア(外観デザイン)は当時では最高のレベルと思う。情けないのがハンドリングとエンジンと足周り。と言ってしまえば、性能は良いところナシと言うことになるが、かなり辛目の評価である。エンジンはいくら四気筒であってもこれが三菱のエンジンか、と思うような騒音と振動の大きいものだ。四駆だがフロントヘビーすぎて、見た目ほど軽快感がない。
 ともあれ、この車で山や海へゆけば楽しいだろうと思う車だ。この車を熟成させればコンパクトSUB市場で、現在も主導権がとれていたのではないか。サイズの維持と融合のコンセプトを継承し、足回りtと走行性能の向上をはかれば、トヨタでいうとハリアーの小型版みたいな感じか。初代のRVRは今も、関わった人たちの情熱を感じさせる車だった。三菱もかってはこんな車が作れたのだ。

有料道路の割引について  2008.10.20作成 new

最新スポーツカー事情  2007.11.2成

リンク

newレーダー探知機比較サイト  http://www.navi-radar.com/

newちょっと便利でっせ http://www.kobayashiganka.co.jp/gt3/tips.htm

newINSIDELINE http://www.edmunds.com/insideline/


主な自動車メーカーの資本・業務提携図   http://www.jama.or.jp/world/tieup/tieup_1t1.html
 
 技術系

newタイヤの知識 http://www.katsunaga.co.jp/maintenance/main.html

END

更新履歴

2008.10.21 更新 「ETCシステムについて」を改題。「有料道路の割引について」
2008.8.31 更新 リンク欄「INSIDELINE」「ちょっと便利でっせ」追加
2007.11.2 更新 「最新スポーツカー事情」追加
2007.7.17 更新 「ETCシステムについて」追加
2003.11.2 更新 「東京モーターショー」追加
2003.4.18作成