1997年

ミール内での火災、酸素発生装置の故障、プログレス輸送船との衝突、停電、メインコンピュータの故障、空調用の冷却液の漏れ、新型ドッキングシステムの誤作動・・・。

この年、ミールに関わる大惨事がたてつづけに発生し、宇宙飛行士の安否とミールの安全性が大きく取り上げられました。
なかでもプログレス輸送船との衝突事故は、アポロ13号に匹敵するほどの大事故。
衝突によって破損したスペクトルモジュールの太陽電池パネルは満足な電力を供給できなくなり、本体のスペクトルモジュールの隔壁には穴が・・・。
空気漏れは修復ができず、スペクトルモジュールは人の入る事のできない場所となってしまったのです。





設計当時の耐用年数・・・宇宙での活動は5年と考えられていました。
しかし、費用の削減・ソ連の崩壊などの様々な事情によって「ミール2」の打ち上げ計画は中止され、ロシアはミールを使い続けなければならなかったのです。

老朽化
新システムとの不具合
国際宇宙ステーション計画


どうしても避けられない事態がミールに最終勧告を告げようとしていました。
ミール宇宙ステーションの廃棄。
その計画がたてられても、ミールの運用は続いていましたが1999年8月、ついにミールは人を乗せず無人のまま宇宙を飛び続ける事になりました。

オランダの民間企業「ミールコープ」が資金を調達して延命させようとしましたが、年間維持費が2億ドル以上・・・その資金が集められず2000年12月30日、ロシア首相の手によってミール廃棄の書類に正式にサインがされ、ミールの将来は2度と変更される事はなくなったのでした。



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