V. 文化の構造
 1. 生活の文化
 人間の文化の基盤である「生活の文化」には、われわれの日常生活のほとんどの思考様式
や行動様式が含まれている。いわゆる食文化をはじめとして、衣服、住居のような最も基本的
な物質的生活の手段は勿論、言語や宗教のように内面的、精神的生活を規定するものや、冠
婚葬祭のように生活に彩りを添えるもの、更には生産、販売、消費等の物的あるいは金銭的
な経済活動や経済制度、教育、通信、運輸、厚生、法務等の社会活動や社会制度、および国
民生活のあり方の枠組みを作り方向づけをするものとしての政治活動や政治制度まで、われ
われの日常生活の全てが生活の文化の構成要素となっている。そして、この生活の文化は、
既に述べたように、日常生活をより快適にしたいという欲求を主たる動機として発展してきたも
のであるが、動機はともかくとして、発展してきた結果を個々にとりあげて検討してみると、日
常生活をより快適にしたと言えるかどうか疑問が生じるものも少なくない。
 極端な例をあげると、人類の歴史の中で、幼い子供(たとえば、最初に生まれた子供)の命
を神に捧げる生けにえにした社会があった。しかし、いかに宗教心を満足させるためとはい
え、このような思考・行動様式が、少なくとも母親を始めとする肉親たちの日常生活、特に精神
生活を快適にしたとは考えられない。それであるからこそ、他の社会に広まることなく、人類の
歴史の途上に出現した種々の特殊な事例と同じように、いつしか消えていってしまったのであ
る。これほど極端な事例でなくても、われわれの日常生活を規定している社会制度や習慣の
中に、われわれの日常生活や、あるいは社会全体を、快適どころか不快にしている事例はい
くらでも挙げることができる。
 そのような事例が出現する根本的原因は、端的に言ってしまえば、われわれ個々人が、真
の快適さが何かを洞察し、獲得するために必要な能力を、十分に開発していないことにある。
この結果、個々人レベルでその能力不足の程度に応じてもたらされる快適さの欠如は自業自
得と言えないこともない。しかし、社会的次元では、個々人が、「自分だけの」快適さを追求して
努力するだけではどうしても乗り越えられない苦痛が存在する。それは、次のような原因によ
るものである。
 第一に、人類の歴史上のいつごろかはわからないが、宗教的試練や、個人的な修行や苦行
の中などに、特に心理的、精神的な快楽ないし快適さを求める人々が現れてきたことである。
もっとも、それらが反社会的な行為につながらず、個人の信仰や主義や信念にとどまっている
限りは、社会全体に及ぼす影響は限られたものであろう。
 ところが、これらの人々が権力を持っていたり、あるいは権力者に対する影響力を持ってい
たりすると、時に、特異な思考・行動様式が優勢になって、生けにえの例のような宗教的ある
いは社会的思い込みのために、社会全体がとんでもない方向に突っ走ってしまうことがある。
この現象は、他の社会との接触が少なく孤立した社会に起きることが多いようであるので、あ
まりにも特異な思考・行動様式は、他の社会の別な文化との交流が深まれば、いつまでも継
続することは困難になってくる可能性が大きい。
 しかし、なかには、女性の割礼のように弱者が抵抗できないのをよいことに、しぶとく生き延
びている思考・行動様式も少なくないので、民族の独自の伝統や文化といっても、永年伝えら
れてきたという理由だけで、今後も保存してゆくべきであるとは断定できないものもあることが
わかる。文化にも、良いものだけではなく、迷走したものや、人類や社会にとって有害なものも
あるのである。
 第二は、ある制度や習慣ができた当時は、その当時の人々の感覚に根差す社会的快適性
の観点からそれなりの存在理由があったものが、時がたち、社会全体が変わったのに、制度
や習慣だけ残っているために不都合が生じている場合であり、たとえば封建制度に由来する
生活習慣などが考えられる。たとえ多くの人々に不都合が生じていても、その社会で政治的、
経済的あるいは社会的な影響力を持っているグループが、その制度や習慣が存続しているこ
とで利益を得ている場合には、それを変えるのは必ずしも簡単ではない。
 第三は、その社会で政治的、経済的あるいは社会的な影響力を持っているグループが、自
らの利益を守るのに都合の良い制度(封建制や税制など)を、その影響力を通じて作り上げて
いる場合である。この場合、利益を受けるグループが小さければ小さいほど、そしてその力が
大きければ大きいほど、残りの大多数の人々は、制度によって不当に拡大された不利益を押
しつけられることになる。この社会的な強者と弱者とのあいだの利益の配分の問題こそ、人類
がその永い歴史を通じて取り組んできながら、いまだ最終的な解答を得られないでいる重要問
題なのである。
 2.感性の文化
 感性というのは、人間の五感に入ってくる印象を受け止める能力、もっと端的に言えば、美し
いものを美しいもの、心地よいものを心地よいもの、あるいは醜いものを醜いものとして認識
し、判定する能力である。このような感性に訴える文化の中心に位置するのは、言うまでもなく
音楽や美術をはじめとする、いわゆる芸術である。オペラや歌舞伎などの舞台芸術ももちろん
芸術の範疇に入るし、詩も知的な要素が少なくないとはいえ、感性の文化に属するであろう。
ただし、小説となると、ものによっては知性の文化とかなり重なる部分が出てくるし、建築の場
合には生活の文化および知性の文化とも関わり合ってくる。すなわち、感性の文化、知性の文
化、生活の文化と分類しても、ひとつひとつの知的思考様式や行動様式がこの三つに常に明
瞭に分類できるわけではなく、この三つの分野に重なり合うものも少なくない。しかし、文化の
構造を理解するためには、それぞれの知的思考・行動様式の構成要素を勘案して分類してお
くことが必要である。
 なお、感性を、右のような五感で感じとれる実体の美醜を判定する能力と、人間性のような精
神的存在の美醜を判定する能力に分類して考えることも、感性の文化の働きを理解するに当
たって役立つことがある。その場合には、前者を対物的感性、後者を対人的感性と呼んでもよ
いかもしれない。このように分類する理由は、美術や音楽などの鑑賞能力すなわち対物的感
性を磨いても、当然に対人的感性も平行して磨かれるわけではないことを認識しておく必要が
あるからである。
 一般的に言って、美醜が比較的にはっきりしている芸術的基準によってその能力を判定し易
く、経済的価値につながり得ることもあって社会的にもそれなりに評価される対物的感性と比
べて、これといった判定の基準がなく、経済的価値も生み出さない対人的感性は社会的評価
も低く、人々に、これを身につけようと努力させる動機づけに乏しい。しかし、社会の構成員の
対人的感性の高さが、その社会生活の快適さを大きく左右することを考慮すれば、対人的感
性に対する社会的な評価が低ければ低いほど、その社会の感性の文化はバランスを欠いて
いると言わざるを得ないであろう。
 いずれにしても、このような感性を主体にして形成される文化は、人間に感動や快感をもた
らし、生活の文化にうるおいを与えてくれるものである。もともと生活の文化から派生した感性
の文化は、生活の文化が高まることによって生じるゆとりにより更に洗練される性格を持って
いる一方、洗練された感性の文化により育まれる個々人の感性を、今度は生活の文化に反映
させることによって、生活の文化をより洗練させ豊かにすることができる。ただし、生活の文化
にゆとりが出ても、感性の文化が自動的に発達するというわけではない。生活のゆとりを感性
の文化に反映させるためには、それなりの意識ないしは努力を必要とする一方、感性の文化
が発達しても、それを生活の文化に反映させるためには、やはり意識的な努力が同じように必
要なのである。そのような意識が欠けていると、せっかく生活の文化が向上して物質的には豊
かになっても、感性の文化は停滞したままで、従って、感性の文化から生活の文化への再反
映も期待し得ず、生活の文化の物質的な繁栄の中で、何か索漠とした心の渇きが癒されない
という社会的な状況が生じることになりがちである。
 3.知性の文化
 感性が物事の美醜を直感的に感じ取る能力であるとすれば、知性は物事を論理的に考える
能力であると言うことができる。従って、知性の文化の中核をなすのは、論理的な思考を体系
づけ、深めてゆく知的な活動である。人間は、200万年ないし150万年前頃までには直立歩
行の体型ができあがり、自由になった両手で道具を使えるようになって以来、快適な生活を求
めて、知恵と呼ばれる能力を駆使した知的活動を展開してきた。しかし、知性という、論理的な
思考を体系づけ、深める能力に基づく知的な活動を開始したのは、人間の歴史から見ればご
く最近のせいぜい3〜4000年前くらいからではないかと思われる。なぜならば、記録に残る
最初の哲学者たちが古代ギリシャに現れたのは、今から約2600年前の紀元前6世紀頃であ
る。ほぼ同時代に中国には孔子が、そしてインドには釈迦が現れている。もちろん、こうした哲
学者や宗教家たちは突発的に現れたわけではなく、それ以前の、人間の精神生活のなかで神
話と現実が渾然一体となっていた世界から、哲学に代表される論理的思考が精神生活に重要
な位置を占める世界に移行し始めるまでには、名前こそ残っていないが多数の人々による知
的活動の、何世紀にもわたる積み重ねがあったに違いない。
 それでは、なぜ、3〜4000年 ないし2600年ほど前に、お互いに遠く離れた世界の各地
で、時を同じくしてこのような知的な移行が開始されたのであろうか。原人から新人への進化
が完成したのが10万年ないし5万年前だとしたら、歴史に残る偉大な哲学者や思想家あるい
は宗教家たちは、なぜ、ある地域には1万年前に、別の地域には7000年前にそしてまた別
の地域には5000年前にというようにバラバラに現れず、東洋でも西洋でも、紀元前600年前
後を境にして輩出し始めたのであろうか。
 知性と呼ばれる、論理的な思考を体系づけ、深めてゆく能力の開発を可能にしたのは、文字
の発達であった。最初はメソポタミアで5〜6000年前頃に、そしてその後次々に、世界の主
要な文化発生地あるいはその近辺で発明された文字は、永い時間をかけながら整理・統合・
洗練され、その過程でいくつかの文字言語を形成していった。こうして形成された文字言語
は、抽象的な言葉も含めて飛躍的に増大した語彙によって、人間が論理的に考え、それを体
形づけ、深めることを、そして更に、それを記録し、他の人々や次の世代に伝達して洗練して
行くことを可能にする。逆に言えば、文字言語なしには、哲学をはじめとする学問や、アニミズ
ムを超えた宗教思想の発展は不可能なのであり、これが、1万年前にも7000年前にも、ある
いは5000年前にさえ、歴史の評価に耐え得るような哲学者や宗教家が生まれなかった理由
である。
 約200万年前から100万年前にかけての直立歩行の完成による、人類の、サルの仲間か
ら人間への質的転換に次いで、20〜15万年前に獲得した音声言語能力を駆使し、知恵を飛
躍的に増大させた新人(現世人類)が5〜6000年前から形成し始めた文字言語は、3〜400
0年前からの、精神的人間への再度の質的転換をもたらした、または、もたらしつつある、ある
いは、もたらし始めた、と言うことができるかもしれない。
 ただし、文字のない文化から文字の文化への移行に伴う、精神的人間への移行が終了した
のかどうかは、はなはだ疑問である。精神的人間とは、欲望の物質的ないし体感的充足の追
求だけでは満ち足りず、人生や社会の事柄やあり方を、より広い視点からより深く考え、その
結果を現実の人生や社会に少しでも反映させるための努力に、精神的充実感を覚える人間で
ある。そうであるとすれば、精神的人間への移行は、むしろ、まだ始まったばかりなのかもしれ
ない。なぜならば、自分自身を振り返ってみても、われわれの多くは、読み書きができるにもか
かわらず、論理的思考という知性の本質を第二の天性として身につけるには至らず、物質的
に豊かになったことを除けば、文字のない文化の、生活の知恵主体の人生と基本的にあまり
差のないように見える精神生活を、相変わらず送っているように思えるからである。
 文字を使用することによって、人間の知的活動は飛躍的な拡大、深化が可能になったので
あるが、他方、文字の文化の中で生きているからといって、論理的思考という知性の本質を、
自然に身につけるわけではない。読み書きの能力を身につけさえすれば、自然に知性が発達
するわけではないのである。この点、知性は、直立歩行するようになった人間が、手を使える
ようになったことによって、食欲や性欲といった本能的欲望や、それを軸にして更に社会生活
の中で多様化された物欲、金銭欲、出世欲、支配欲といった諸々の欲望を満たすために自然
に身につけてきた、(悪知恵も含めた)生活の知恵とは異なっている。また、五感という肉体的
な感覚や、喜怒哀楽という生まれつき持っている感情の働きを通じて、生きているだけで自然
に、多少なりとも育まれてくる感性とも異なっている。人間であれば、社会集団の中で成長する
過程で、程度の差こそあれ、誰にでも身についてくる生活の知恵やある種の感性と異なり、知
性は、読み書きの能力の上に、論理的思考能力を積極的に開発する努力をしないと身につか
ない特性を持っているのである。したがって、心身に特別な障害がない限り、知恵も感性もな
い人間というのは考えられないのであるが、読み書きもでき、活発に活動していながら知性の
ひとかけらもないという人間は、いくらでも存在しうるのである。この場合、知性がないからと言
っても、知的活動がないということではない。広く、深く、かつ長期的視野に立った論理的思考
がなくても、状況対処能力という知恵を駆使した知的活動は妨げられないからである。むしろ、
われわれの日常の知的活動の大部分は、知性よりも知恵の要素が圧倒的に大きい活動であ
ると言っても言い過ぎではないであろう。
 自然に身についた知恵だけで楽しい人生を送ることができるのであれば、なにも知性などい
らないではないかという考え方があるかもしれない。しかし、ここ3〜4000年の間に、人間に
は、知性の働きを借りないと、一時的にはともかく継続的な安心感や充実感を得られないよう
な精神構造の基本的な変化が、文字の文化によってもたらされてしまったのである。人生のい
ずれかの時点で、「この生き方でよいのであろうか」という疑問や迷いを一瞬たりとも抱いたこ
とのない人はいるであろうか。その解答を宗教のような外部の力に求める人も少なくないし、根
本的な解決にはならないのであるが、仕事や娯楽に没頭して、疑問や迷いなど、できるだけ忘
れてしまおうとする人も多い。そのなかで、自分自身で考えて何とか答えを探し求めようとする
人々に、考え方の筋道なりとも示してくれるのは、知恵ではなく知性なのである。
 なお、知性の本質が筋道の通った論理的思考であるといっても、ある事柄に関する論理が
常にひとつしか成立しないというわけではない。同じ事柄に関しても異なる視点から始まる筋道
をたどって、例えば強者に都合のよい論理や弱者の側に立った論理、金持ちに有利な論理や
貧乏人を擁護する論理などいくつかの論理が組み立てられる状況は、いくらでも考えられる。
人間関係や社会問題に関わる視点や論理に生じる違いは、それらの論理を組み立てる知性
の背後にある感性、特に対人的感性の働きに負うところが大きい。そして、こうした対人的感
性が、良質の知性や知恵と交わり合いながら質的に高められると、品性と呼ばれる特性に昇
華することになる。
 4.品性の文化
 「品性」とか「品位」あるいは「上品」といった言葉は、日常生活でもよく使われるわりに、具体
的なイメージとしてはなかなか描き出しにくい概念である。しかし、それが実際に存在すること
も、大多数の人々が実感しているところである。実際、ただ美しいというのとは異なる上品な顔
というのは、確かに存在するのであるが、どこがどうだから上品なのだと分析するのは、かなり
むずかしい。
 一般に、品位の有無を最も判定し易いのは、人の挙措動作からであろう。すなわち、時と場
所と状況にふさわしい礼儀作法ないしマナーを心得て優雅に振る舞う人からは、確かに品位
が感じられる。これは、知性の文化と感性の文化の(実生活に関係の深い)下部構造と、生活
の文化の上部構造とが重なり合う部分での、洗練された日常生活の中で育まれる教養を通じ
て身につけられるものである。一般的には、成長過程の家庭教育あるいは躾によって修得さ
れるものであるが、その機会に恵まれなかった人でも、その後の人生のどの段階ででも身に
つけることは可能であるし、その気になって努力すれば、それほどむずかしいことでもない。し
かし、一見優雅な挙措動作で品位を感じさせるその同じ人が、目下の人に傲慢な態度をとった
りすると、品性に疑問が生じてくる。そのうえ、目上の人にはへつらっているのを目撃したりす
ると、むしろ品性低劣と感じたりする。してみると、「優雅な立居振る舞い」は、品性の必要条件
ではあっても、十分条件ではないようである。 右の例から類推すると、身分制度が厳しかった
過去はともかく、現代の文化環境の中では、相手によって露骨に態度を変えるようなことをしな
いことが、品性が保たれるための要件ということになる。もっとも、この場合の態度とは、見下
したりへつらったりという種類の態度であって、相手の立場や能力等を考慮して、善意で態度
を変えるのはこれには当たらず、場合によっては必要ですらある。要は、相手の地位や財力
や能力すら劣っている場合でも、人間の基本的な部分、すなわち人間としての尊厳は平等で
あるという意識と、相手も自分と同じように、一度だけのかけがえのない大切な人生を生きて
いるのであり、その近親者たちにとってもかけがえのない大切な存在なのだという想像力とい
たわりの気持ちを、知性部分だけではなく感性部分でも身につけ、それが対人関係ににじみ
出てくる時に、品性が感じられるのであろう。すなわち、品性の二番目の必要条件は、くだけた
言葉で言えば、相手に「思いやり」を持って向かい合えることである。
 品性を感じさせる三番目の条件は、適度の自制心である。金銭欲、物欲、権力欲、支配欲、
性欲さらには食欲ですら、ギラギラと度を越すと貪欲となり、品性とは反対の卑しさを感じさせ
る。そのほかにも、妬み、恨み、憎しみなどの敵対的感情も、あまりにもあからさまになると醜
さが目についてくる。どれだけ度が過ぎると卑しさや醜さを感じるかは、見る人の感性や社会
の許容度すなわち文化によっても異なる。ある社会では、覇気の表れとして評価される欲求の
強さが、別の社会では、貪欲として軽蔑の対象となることも珍しくない。そのように、文化による
違いはあるとはいえ、個人や社会に、過度の欲望や敵対的感情に接して多少なりとも卑しさや
醜さを感じとる感性がある限り、適度に抑制された欲求や感情は好ましいものとして受けとめ
られ、卑しさや醜さの対極にある品性の構成要件となるのである。
 更に、品性の第四の構成要件は、高い知性と豊かな感性に裏づけられた確固たる価値観す
なわちアイデンティティに支えられて、目先の利害で右顧左眄しない毅然とした姿勢である。そ
れは、知性が生みだす論理を世俗的な損得勘定に優先させる知的誠実さが作り出す姿勢で
ある。
 このように、品性とは、人間性に関わる高い知性と深い感性が互いに支え合って醸し出す、
ひとつの人間的な価値である。そして、この価値は、これに接する人にほとんど例外なく好まし
い印象を与え、人間の尊厳を実感させてくれるという意味で、社会的にも高く評価され、大切に
されるべきものであろう。もっとも、個人的レベルでは、品性のある人や品性それ自体に対して
反感を示す人が存在することも、否定できない。ひとつには、自分に欠けているものを持って
いる人に対する妬みと反発によるものかもしれないし、他方では、品性が無制限の欲望の追
求を制約するものであることを直感的に感じとり、無意識に抵抗しているのかもしれない。実
際、このような人たちにとっては、自分たちがやりたい放題できて、しかも周囲の人たちは紳士
的あるいは淑女的に振る舞ってくれれば、これほど快適なことはないであろう。しかし、その周
囲の人たちも、自分たちがやりたい放題のことをしたいと考えている場合には、話が違ってく
る。品性のある人や品性それ自体に反発している人でも、他人が品性を欠いたり身勝手な振
る舞いをしているのを見ると、癇に障るものである。そこで、こうしてやりたい放題している人た
ち同士が接触すると、争いが発生することになるが、これでは、ホッブスの言う「万人の万人に
対する戦い」が展開される原始的自然状態への逆戻りである。このような事態を防ぎ、できる
限り多くの人々の快適さを確保するためには、社会が個々人の品性を高く評価して、品性を否
定する人々を包み込み抵抗できなくしてしまう、質の高い文化を作り上げることが必要であろ
う。
 品性は、個人だけでなく、社会自体も備えることのできる価値である。社会の構成員たる
個々人が、教養に裏打ちされたマナーと、高い知性、豊かな感性に育まれた思いやりや自制
心をもって行動する社会からは、個人の場合と同様に、心地よい品性を感じとることができる
のである。
 このように品性は、知性の文化と感性の文化のなかでも特に人間性に関わる部分と、生活
の文化の中で教養によって洗練された部分との重なり合いの中から育まれてくるものであり、
個人および社会に品性の有る無しによって、生活の文化の質は大きく左右されることになる。
生活の文化は、科学・技術の進歩によって物的に繁栄し向上するが、その中で質的に快適に
生活できるかどうかは、個々人の人間性および社会の人間関係の成熟度、ひいては全体とし
ての品性の高低によって制約されてしまうのである。
 これまで見てきたように、知恵と感性は、快適な生活の獲得という明快かつ強い欲求に駆り
立てられ、人類全てがそれぞれの能力と嗜好に準じて体得してきた資質である。これに対して
知性は、ものごとを論理的に探究・考察することに精神的な充実感という特殊な快適さを感得
する性向と、それを可能にする一定の水準以上の思考能力を持つ人々によって育まれてきた
資質であるので、必然的に少数派にならざるを得ない。それでも、歴史の流れの中で知性の
価値は社会的に認知され、知性を備えることで学者、教育者、研究者などをはじめとする社会
的評価の高い職業に就くことができるという実利にも励まされて、知識人を中心とする知性の
文化の担い手は人類の文化の発展に大きな役割を果たしてきた。ところが品性となると、個人
がいくら努力して身に付けても社会的に評価されるわけでも、出世や商売に実利をもたらすわ
けでもない。他者への思いやりという心のゆとりを持ち、粗野を恥じ、過度の欲望に対する適
度な自制心を備えた特定の個々人によって辛うじて育まれているに過ぎず、知性を軸にして連
帯する知識人の集団のような、品性を支えて連携し合う集団も存在しない。品性には、知性や
感性あるいは知恵と比較して、時空を超えてメッセージを発信して影響力を構築する力が不足
しているのである。
 品性がそのようなものであるとすると、現実の社会で、知恵や感性や知性と並んで品性も文
化の形成に貢献しているかどうかは、甚だ疑問である。知性の文化でさえ漸く進歩の途につい
たばかりであり、品性となると、特定の個々人の属性として確かにあちこちに散在しているとは
いえ、それらが集積、連帯して人類社会に「品性の文化」を形成しつつあるとは到底考えがた
い状況である。かくして、品性の文化は未だ幻想の文化と言った方がよいのかもしれず、従っ
て総体としての文化は、今後とも進むべき方向を指し示す品性の文化を欠いたまま、生活、感
性および知性の各文化によって構成され、それらの要素の質と強弱からなる相互作用を通じ
て性格づけられて行くことになるのであろう。
 


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