第十四章 女性の役割
 
 これまで、文化の向上に果たす知識人の役割とマス・メディアの役割について考察してきた。
この知識人とマス・メディアを構成している人々を、知識人あるいはマス・メディアとしての機能
の面から捉える限り、特に男女を区分して考える必要は全くないので、本書でもそうしなかっ
た。しかし、社会の構成員として、あるいは文化の形成者として果たす役割には、男女を区別
して考える必要があるように思われる。
 その第一の理由は、人類の文化の形成の歴史を通じて、女性は、どちらかと言うと従属的な
役割しか果たしてこなかった、あるいは、そのように強いられてきたと考えられるからである。
その結果、男女社会というよりも男性社会の色合いが鮮明な現実の社会は、最大多数の最大
幸福という観点からは、甚だ歪んだ様相を呈している。
 第二の理由は、女性が従属的な役割しか果たせなかった社会環境が変化し、男性と対等な
役割を果たせる可能性が高まってきたのみならず、女性の特性によって、これからの社会と文
化の形成に、男性には期待できない役割を果たしうる可能性が考えられるようになって来たか
らである。
  
T 女性の従属性の起源
 人類の社会と文化の形成の過程で、女性はなぜ、従属的な役割しか果たせなかったのであ
ろうか。それについてはいろいろな説があるが、細かい部分を取り除けば、次の三つに大別さ
れるであろう。
 第一は、男女の体力、特に攻撃的な暴力行使の手段としての腕力の差によって、従属させら
れて来たとする見方である。
 どのような理由によるのかはわからないが、人間以外の動物でも、かなり多くの種類で、オス
の方がメスよりも強く作られている例が多いことを考えると、この差は、人類の発展過程での
役割分担によって生じて来たものというよりも、生物としての男女の、本来的な資質の違いで
あると言ってもよいであろう。もちろん、体力には、腕力だけではなく耐久力や生命力などの側
面があるので、これらを総合的に比較した場合に、生物として男女のどちらが体力的に優れて
いるかを判定することができるかどうか、甚だ疑問である。
 しかし、他人を従属させるという観点からは、暴力的な力こそ最も直接的かつ効果的な手段
であることを考えると、かなり本質を衝いた説であると言うことはできよう。特に、人間が集団同
士で戦争し合う発展段階に到達して以降、集団の運命を左右する戦士としての男性の優位が
社会的にも認められるようになり、相変わらず戦い合っている今日まで引き継がれて来ている
と考えることは十分可能である。
 第二の説は、やはり男女の本質的な体力差に根本的な原因を見るが、それが経済的な生
産力に及ぼした影響に着目する。
 アメリカの人類学者ヘレン・E・フィッシャーは、人類の永い歴史を通じて、極く最近まで(と言
っても、数千年単位の最近なのであるが)男女間に、生活上の役割の分担はあったにしても、
明白な従属関係はなかったと考えている。狩猟採集の時代には、男性が獲物を狩り立ててい
る間、女性は果実を採集し、生活のためにどちらも同じように大切であった。肉や果実は集団
の中で分け合ったから、生きるために、女性が特定の男性に、嫌でも縛り付けられなければな
らない理由もなかった。一万年ないし八千年ほど前に、原始的な農耕が始められてからも、鍬
(くわ)や棒を使ってする農作業に特別な男女差は生じず、
従って、従属関係も未だ生まれなかった。しかし、とフィッシャーは言う。  
 「鋤(すき)。人類史上、女性と男性のあいだをこれほどまでに崩壊させ、ひとの性と愛のパタ
ーンに多くの変化をもたらした道具はほかにない。鋤がいつ登場したのか、正確なところはわ
からない。最初の農民は鍬や棒で土を掘っていた。紀元前三○○○年ごろ、だれかが石刃に
柄をつけた原始的な鋤『アード』を考え出した。  
 これが、すべてを一変させた。  
 鍬で畑を耕している文化圏では、女性が農耕作業の大半をこなし、同時に社会で相対的に
かなりの力をもっている。だが、そうとうの腕力を必要とする鋤が使われるようになって、農業
労働の大半は男性の仕事になった。しかも、女性は独立した採集者、食事供給の担い手とい
う古代の名誉ある役割を失った。鋤が生産に不可欠な道具となってまもなく、農耕民族のあい
だに性の二重基準が生じた。女性は男性よりも劣る存在とみなされるようになったのだ。  
 ・・・・・・・・・  
 鋤は重い。引くのに大きな動物がいるし、男の力を必要とする。狩人として、夫は日常の必需
品の一部のほか、毎日の生活を活気づけるぜいたく品を供給していたが、耕作が始まると、生
存のために不可欠の存在となった。いっぽう女性の採集者としての重要な役回りは、食物供
給源が野性の植物から栽培作物に移るにつれて小さくなっていった。長いあいだ毎日の主た
る食物の提供者だった女性が、今度は草とりや摘みとり、食事の支度といった二次的な仕事
にたずさわるようになった。男性の農業労働が生存に不可欠になったとき、生活の第一の担
い手が女性から男性に移ったという見かたで、人類学者は一致している。
 この生態学的要因−−男女間のかたよった分業と、主要な生産資源の男性による支配−
−だけでも、女性の社会権力からの脱落を説明するには充分だ。財布のひもを握っている者
が、世界を支配する。だが、女性の凋落にはもうひとつの要因がはたらいていた。鋤を使用す
る農業の発展とともに、夫も妻も簡単に離婚できなくなり、力をあわせて土地を耕して働かなけ
ればならなくなった。パートナーのいずれも、土地の半分を掘り起こしてもっていくわけにはい
かなかったからだ。夫も妻も共通の不動産にしばりつけられていた。
恒久的な一夫一妻制である。  
 鋤と恒久的な一夫一妻制が女性の地盤沈下にどんな役割を果たしたか。農業社会に特有な
もうひとつの現象を考えるとさらにわかりやすい。階級である。太古の昔から、移動民のあいだ
にも狩猟や採集、交易の旅などのあいだに「ビッグ・マン」が生まれていたにちがいない。だが
狩猟・採集民族には平等と分かち合いの強い伝統がある。人類の大きな遺産である公的な階
級はまだ存在しなかった。だが、毎年収穫の計画をたて、穀物や飼料を貯蔵し、余った食物を
分配し、長距離の組織的な交易を監督し、宗教的な集まりで共同体を代表して発言するため
に、長が登場してきた。  
 ・・・・・・・・・・  
 こうして、定住社会、恒久的な一夫一妻制、そして階級ができあがった。  
 もうひとつ、女性の社会的、性的権利の低下に、戦争が一役買ったのもまちがいない。村が
豊かになって人口がふえると、ひとびとは財産を守らなければならなくなり、さらには可能な場
合には所有地を広げようとしたため、戦士が社会生活で重要な地位を占めるようになった。人
類学者のロバート・カーネイロは、世界のどこでも、日常生活で敵との闘いが重要になると、男
性が女性を圧して力をもつようになると指摘している。  
 男性の農民としての経済的役割が重要になり、夫婦がいっしょに同じ家にとどまらなければ
ならなくなり、村人が労働を組織するために村長を必要とし、土地を守るために社会に戦士が
生まれる。これで、いよいよ舞台はととのった。片方の性がもう一方の性を支配するうえで、こ
のうえない環境ができあがったのである。  
 じっさい、そのとおりのことが起こった。家父長社会がヨーロッパに誕生し、深く根をおろして
いく。」(ヘレン・E・フィッシャー『愛はなぜ終わるのか』、吉田利子訳)。
 ヨーロッパだけではなく、地球上のあらゆる農耕社会で、そのとおりのことが起こったのであ
る。  
 第三は、女性は本来的に、知的な面で男性より劣って生まれついている、という考え方であ
る。
 この説の主張者は、古来、偉大な哲学者、科学者、芸術家、政治家あるいはその他の、知
的活動の分野で活躍した人々の圧倒的多数が男性であったことを挙げる。しかし、それだけで
は、男性の知的優秀性の証明にはならないであろう。なぜならば、第一の説と第二の説のよう
にして、主として体力的な理由で女性が従属的な立場に押しやられたのだとしたら、そのことに
よって女性は、本来持っていたかもしれない知的能力を発揮する機会を、社会的に奪われて
来ていただけなのかもしれないからである。 
 そうは言っても、実際に、男と女は違うと、この説の主張者は言う。そして、前出のヘレン・フ
ィッシャーによれば、科学的な調査・研究によっても、一般的かつ平均的に、男性は数学的、
(地図を読んだり、迷路を抜けたりという)空間的問題解決能力が高く、女性は言語能力(言語
的論理、記憶、表現等の能力)に優れている。また、男性は、スピードと力を必要とする大きな
運動の能力に優れ、他方、女性は、こまかい連携運動が上手で、小さなものを操るのが巧み
だという。更に、平均して、男性の方が攻撃的で、女性は直感的かつ養育者という性質が強い
という違いも観察されている。フィッシャーは、これらの違いを、人類の永い歴史を通じての男
女の役割分担に基づき、その役割をより効率的に果たすことのできる資質を身につけた男女
が生き残ってきたことによって作り上げられてきた違い、すなわち性差であると説明している。
男が狩りをするという役割が、地形を読み方向を見定めるという空間的能力、攻撃性、大きな
動きの巧みさの発達を促し、果実を採集し子供を育てるという女の役割から、こまかな動き、
言語能力、養育能力、直感力などが発達してきたというわけである。
 それでは、性差というのは役割分担から派生したもので、本来男女には根本的な違いはない
のかというとそうでもなく、男性ホルモンのテストステロンは、肉体的な男を作るのと同時に性
格に攻撃性を与え、他方、女性ホルモンのエストロゲンも、女性の肉体を作ると共に脳にも働
きかけて言語能力を刺激するなど、生物学的な男女の違いから生じる本質的な性差もあるよ
うである。
 このように、男女の性差の存在は、男女同権論者といえども否定し得ないとして、その結果、
女性は知的な面で男性に劣っているという説に軍配が挙がるのであろうか。
 ひとことで言えば、知力に性差があるという科学的根拠はない。フィッシャーも言うように、知
力はさまざまに異なった能力の寄せ集めであって、単一の資質ではない。その上、腕力は別と
して、男女の性差として挙げられているものの多くは、違いではあっても優劣の比較にはなじま
ない。他人と比較して自分のあらゆることを自慢の種にするタイプの人がいるが、自分が持っ
ている特性を持っていないからといって相手を劣った者と決めつけるのは、酒飲みが下戸をダ
メ人間扱いし、毛深い男が髭の薄い男を軟弱扱いするのと同レベルの、無意味かつ馬鹿げた
比較である(因みに、私は、酒は飲まないが髭は濃い)。
 それに、男女の知力を敢えて比較しようとすると言語能力の問題に触れないわけには行かな
いが、言語こそ、人間に他の動物に卓越する知力を与えた根源的要因であることを考えると、
女性ホルモンが脳に働きかけ言語能力を刺激する作用を持っていることは、女性は生物学的
に、従って本質的に、知力の面で男性より優れていることを意味するという、男性にとって甚だ
都合の悪い結論に結びつきかねない。
 そんなことを言っても、これまで知的活動の分野で活躍した人々の圧倒的多数は男性だった
ではないかという反論で、最初の議論に戻ることになる。しかし、われわれは今や、暴力と経済
力、そしてそれらに支えられた社会制度によって女性が従属的立場に追いやられ、知力を始
めとする能力を発揮する機会を永い間奪われて来た仕組みを知った。特に、文字の文化そし
て知性の文化が発達し始めたまさにその時期に、農耕社会の発展に伴う女性の従属化が進
展し始めたのは、歴史の偶然とはいえ、人類の半分を占める女性の知性の文化への参入を
妨げることとなり、女性のみならず人類にとっても大きな知的損失をもたらしたと言わざるを得
ない。
 男性優位の社会は、男性にとって捨て難い住み心地の良さを保障してくれるが、人類全体の
文化の向上、最大多数の最大幸福を考えれば、女性の知力の本質的劣等性という、何の理
論的根拠もない主張は潔く撤回するだけの知的誠実さが、男性の側にも必要である。
 
U 男性社会の弊害
 知性の文化への女性の参加が大幅に制約されて来たために、人類の文化のあちこちに、男
性社会の歪みとも言ってよい歪みが生じた。 男と女の性質の違いを作る根源的な要因はホ
ルモンである。性差には、男性ホルモンと女性ホルモンがそれぞれ直接作用して作り上げる本
質的なものと、男らしさと女らしさの社会的イメージに合わせて習得される後天的なものとがあ
り、更にそれぞれの社会の文化に応じて、本来の違い以上に増幅されたり誇張されたりするも
のもある。  
 男性ホルモンによって作られる性質で特徴的なものは攻撃性であり、それと表裏の関係にあ
る支配欲である。これに対して女性ホルモンは、子供に対する関心の強い養育的性格を作り
出す。これはニホンザルの世界でも観察される性質で、子ザルは一歳ころまではオスもメスも
なく一緒に遊ぶが、三歳くらいになるとそれぞれのグループに分かれ、雄ザルは追いかけっこ
や取っ組み合いをして遊ぶのに対して、雌ザルはそのようなことよりも赤ん坊ザルに関心を示
し、可愛がって遊ぶのを好むようになるそうである。
 このような男女の本来的特質が組み合わされると、夫である男が狩りをし、外敵と戦って縄
張りを守り、妻である女が子育てをしながら果実を採集するという家族の原形ができる。ここで
は、血のつながった家族同士の愛情や信頼関係で、曲がりなりにも幸福が分かち合われる。
 農耕社会になると、幾つかの家族が集まって集団になり、社会あるいは国家になって、家父
長的首長を中心に、男は生産活動に従事し、あるいは外敵と戦う戦闘集団を構成し、女は家
庭を守り子育てをするという、いわば拡大された家族モデルができあがる。しかし、家族の原
形との最大の違いは、社会が大きなればなるほど、その構成員同士の愛情や信頼関係が希
薄になり、支配・従属関係で社会が維持されるようになっていることである。そして、従属させら
れた女性の養育的性格とそこから派生する優しさや思いやりは家庭内に閉じ込められ、家庭
の外では、強い者すなわち男性の攻撃性や支配欲という本性が、賞賛すべき資質として社会
的にも認知され、ホッブスのリヴァイアサンのような別のもっと強い者からの制約を受けない限
り、猛威を振るう。その結果が、闘争であり、抑圧であり、隷従であり、強奪であり、搾取であ
り、そして究極的には征服であり、戦争である。こうしてみると、諸悪の根源は男性であり、男
性ホルモンではないか。 
 もちろん、そうではない。男性の体内でも女性ホルモンは生産されているし、女性の体内でも
男性ホルモンが生産されている。攻撃性にしても養育的性格にしても、男女それぞれの独占
的な特質ではなく、前者が男性に、後者が女性に比較的強く現れるという程度の違いである。
女性にも、可能性さえ開かれれば、抑圧されて潜在していた闘争心や、支配欲が顕在化してく
る。現代の社会でも、男性社会である限り、女性が男性に伍して活動するためには、男性社会
で評価される資質すなわち攻撃性、時に覇気とも呼ばれる貪欲さ、あるいは徹夜も厭わない
仕事師ぶりを示さなければならない。現に、そのようにして、有能な女性たちが、男性に一歩も
引けをとらない活動をしている。しかし、身体の機能も体力も男性とは異なる女性が、男性と同
じような活動をしなければ従属性から開放されることができない社会は、女性が快適さを追求
するに当たって、女性であるというだけで不当なハンディキャップを負わせていると言わざるを
得ない。諸悪の根源があるとすれば、それは、男性でも男性ホルモンでもなく、男性の特質だ
けがアンバランスに拡大され評価される文化なのである。
 男性社会では、女性ホルモン効果の優しさや思いやりが、強くなり過ぎた男性ホルモン効果
の攻撃性や支配欲を抑制し切れず、科学技術の発展と相まって、人類の運命さえ危うくしかね
ない状況を招いている。それでは、女性社会になれば良いかというと、人類は未だ経験したこ
とがないので想像しにくいが、暴力沙汰は少なくなるとしても、全体として何となく、人類の半分
を占める男性にとって居心地が悪くなりそうな感じはする。
 やはり、女性ホルモンから生じる特質が行き過ぎるのを抑制し、あるいは補うために、男性
ホルモンも必要であろう。人類が男女で構成されている以上、男性社会でも女性社会でもな
く、男女が適度に補い合い刺激し合う男女社会が、人類全体の快適さ、最大多数の最大幸福
にとって、最も望ましいあり方なのである。そして、男性社会を男女社会に変えられるかどうか
は、女性が、社会的従属性を強いられた結果生じた知性の文化の分野での遅れを、取り戻す
ことができるかどうかに掛かっている。  
 
V 日・仏女性の文化活動の歴史
 過去五千年来、女性が社会的に従属化され抑圧されて来たといっても、知性を発揮し、文化
に影響を及ぼす機会が全くなかったわけではない。
 五世紀頃に渡来した漢字によって、文字の文化が発展した日本では、八世紀に編纂された
万葉集に既に女性の和歌が収められているが、九世紀から十世紀にかけてかな文字が作ら
れたことにより、上流階級の女性たちの、和歌や物語、随筆などを通じての知的活動がますま
す盛んになった。十一世紀に書かれた紫式部の源氏物語や清少納言の枕草子は、当時の宮
廷文化に果たした女性の役割が決して小さくなかったことを示している。しかし、武士が出現
し、朝廷そして社会全体に対する影響力を増大するのと並行するように、女性の知的な活動
は日本の歴史から殆んど姿を消してしまった。
 紫式部や清少納言が活躍していた頃、中世の初期にあったフランスでは、未だ無知で粗野
で文化などとは縁遠かった王や貴族や騎士たちが、教養に邪魔されることなくあらゆる欲望を
剥き出しにし、知恵と暴力の限りを尽くして権力闘争に熱中していた。たまたま美しくかつ有能
に生まれた女性たちも、女性であることを武器にして、宮廷を舞台とする権力闘争や陰謀に参
加し、それなりに活躍したようであるが、知性の文化や感性の文化の面では、これといった名
前は残していない。
 しかし、戦争に明け暮れた時期が一段落ついた十二世紀頃になると、日常生活に平穏な時
間が増えてくる。槍や刀を振り回すのに忙しかった王候・貴族・騎士たちの間に、価値観の基
準、行動規範としての騎士道が形を整えて来た。騎士道には、日本の武士道と共通する点も
多いが、女性との関連で最も大きな違いは、キリスト教との関連から、心も身体も弱く作られた
イブの末裔である女性は守ってやらなければならないという掟と、聖母マリアに対する崇拝か
ら発展した女性崇拝の精神が形作られたことであろう。もちろん、と言っては語弊があるかもし
れないが、保護や崇拝の対象になったのは、主として美しい女性や、王妃を始めとする貴婦人
たちであった。それに該当しない多くの女性たちは、相変わらず、騎士たちに劣らず無知で野
卑な平民も含めた男性たちの、侮蔑や隷従や強姦や暴行の対象にされていた。それにして
も、大切にされ崇拝された女性の一群が存在していたことは、その後のフランスひいてはヨー
ロッパの文化の発展に大きな影響を及ぼすことになる。
 ヨーロッパの騎士たちに比べると、読み書きができ、和歌を詠んだ日本の武士たちは、教養
面でも文化面でも、より高い水準に到達していた。しかし、天照大御神が女性であったにもか
かわらず、支配階級の価値観であった儒教と武士道が女性を徹底的に蔑視したため、十一、
二世紀以降の日本の文化の発展に及ぼした女性の影響を見いだすのは困難である。女性
は、男性の性欲を満たし、子供を産み育て、家事労働をするためだけの存在になってしまった
のである。騎士道と武士道の優劣や善悪の比較は無意味であるが、才能のあるフランスの女
性にとって、騎士道が女性の活動の余地を残しておいてくれたことは幸運であり、他方、武士
道によってその可能性を殆んど摘み取られた日本の女性は不運であったと言うことはできるで
あろう。 
 初期の文化活動では日本女性に遅れをとったフランス女性ではあるが、十二世紀以降から
発達し始め、十七世紀から十九世紀にかけて最盛期を迎えた「サロン」を通じて、他の追随を
許さない文化活動を展開した。サロンとは客間のことであり、そこに気の合った友人が集まっ
て余暇を過ごす風習が、フランスの上流階級の文化活動の核となったのである。初めは、吟
遊詩人の詩を聴くために宮廷で開かれた集まりは、徐々に王妃を中心とする貴婦人たちによ
って洗練され、活動内容も座談や知的な議論あるいは音楽や文化的な娯楽などに拡大されて
行った。
 十七世紀頃には、宮廷だけではなく、貴族や金持ちの平民(ブルジョワ)の邸宅や、更には貴
族や金持ちのパトロンをもった高級娼婦の邸宅でもサロンが開かれるようになり、最盛期を迎
える。当時最も一般的であった、権力志向で傲慢で虚勢ばかり張りたがり、そのくせ知性はな
く趣味も低劣な俗物の亭主たちには到底サロンの主人役は勤まらず、必然的に女主人がサロ
ンを主催するケースが多くなった。それらの中には、○○夫人のサロンとか○○嬢のサロンと
呼ばれて、今日まで名前を残しているものもある。集まる客は、女主人の趣味と人脈と魅力に
よって異なるが、男性も女性も、王族、大貴族からブルジョアまで、文化人や学者から聖職者、
軍人までさまざまで、有名なサロンに招かれることはステイタス・シンボルにもなった。
 十七世紀後半に、ルイ十四世が王権を確立し、宮廷の礼儀作法が細かく定められ、壮麗な
宮殿や華やな生活など贅を尽くした宮廷文化が作り上げられたが、生まれと地位が決定的に
ものを言う権威主義的縦社会であり、その知的、精神的内容は決して高くなかった。そのよう
な宮廷の外で、さまざまな人々を横断的に集め、階級や職業よりも精神的価値を評価したこと
によって、知的、精神的文化の発展に大きく貢献したのが、才気にあふれた女性たちが主催し
たサロンなのである。
 二十世紀に入ると、サロンの風習は時代の波に逆らえず急速に衰えたとはいえ、サロンはフ
ランス文化に女性の特質と感性を適度に反映させ、十分とは言えないまでも、ほどほどの知性
と潤いを与えるのに大きな役割を果たしたと言うことができるであろう。日本でも、平安時代に
花開いた女性の知的文化が受け継がれ発展させられる土壌があったら、更に幅と潤いのある
日本文化が育っていたのではないかと残念がるのは、死んだ子の年を数えるようなものであろ
うか。 
 ただし、フランスの貴婦人たちが、知的な活動により文化の向上に貢献したからと言って、フ
ランスの女性が先頭を切って従属性から開放されたというわけではない。サロンを主催した、
社会的地位もあり才気にあふれた女性たちでさえ、基本的には男性優位のフランス社会で、
女性であるという理由だけで、屈辱的な扱いを受けたり不快な思いをさせられたりしたことも、
稀ではなかったようである。まして、名もなく、地位もなく、財産もなく、これといつた才能も腕力
もない多くの女性たちを蔑視する、四、五千年来の男性の意識を変えるのは、容易なことでは
ない。フランスの女性が参政権を得たのは、日本の女性と同様に、第二次世界大戦が終わっ
てからのことである。
 
W 女性の復権
 第二次世界大戦後、人類社会特に先進諸国の社会は、女性の地位の大きな変化を経験し
つつある。女性に従属化を強いてきた暴力的な力と経済的な要因が、ベンサムやルソーが期
待した民主的な法律や制度の整備が進むにつれて、曲がりなりにも社会の管理下に置かれる
ようになり、女性も、男性に全面的に依存することなく生きて行けるようになった。戦争も、兵器
はボタンを押すだけで発射できる科学技術戦であり、かつ総力戦である時代には、戦士として
の男性にだけ特権的な地位を認める理由にはなり難い。
 とは言え、女性が男性と実質的にも対等な地位を獲得するためには、まだまだいろいろな困
難を乗り越えなくてはならない。中でも、男性の意識の変革と女性の知的向上は、最も重要な
課題である。
 男性の意識については、興味深い資料がある。
 一九四五年の敗戦後、日本は新憲法の起草作業に入り、憲法改正案は翌四六年六月に衆
議院本会議での質疑を経て、「帝国憲法改正小委員会」(秘密会)での修正作業に付された。
四月には、初めて女性の参政権が認められた総選挙で、三十九人の女性議員が当選してい
たが、この小委員会の委員十四人は全て男性であった。憲法改正案の第二四条は「両性の
本質的平等」をうたったが、これに関する議論を記録した速記録(九五年九月に公開)につい
て報じる九五年九月三十日付けの朝日新聞の記事を引用してみる。  
 「敗戦直後の日本に、『人権』は新しい概念として登場した。『男女平等』は、その柱の一つ
だ。新憲法は二四条で、家族に関する法律は『個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して』
制定することを義務づけた。
 しかし、旧体制からの脱皮は、すんなりいったわけではない。『男女は本質的に平等と言える
のか』。条文をめぐり、小委員会ではそんな議論が白熱した。 
 北委員『(ドイツの哲学者の言を引いて)性的ニ堕落スル女ハ全人格ガ堕落シ易イ、男ハ性
的生活ハ末梢的生活デアル、性的ニ少々汚レテ居ッテモ人格ハ堕落シテオラヌ、例エバ伊藤
(博文)公ノ如キハ女道楽ヲシタガ人格ハ立派デアッタ』 
 森戸委員『性生活ガ中心デ男ト非常ニ違フト云フコトハ其ノ通リ』
 第四回委員会では、こんなやりとりの末、大勢が『男女は本質的に平等ではない』に傾いて
いく。芦田委員長は『基本的平等』としてはどうか、と提案。しかし、単に、『両性の平等』でいい
とする意見も出て、折り合いがつかない。第七回委員会に持ち越されたが、結局は『本質的平
等ト云フノハ、差別アル平等ト云フ意味デス、ダカラ最モ良イ言葉ナンデスヨ』(鈴木委員)。」
 ここに発言を引用されている委員たちは、それぞれ学者から政界入りした、知的には当時の
日本の最高レベルにあったと目される人々である。しかし、それにしては、思い込みと牽強付
会の発言内容、ものごとの本質を見る目ひいては知性の欠如には驚かされる。その後の社会
全体の意識の変化から、日本の男性の女性観も当然変わって来ているはずではあるが、男
女の平等性を男性に心底から認識させ、男性社会を男女社会に変えるのは、並大抵のことで
はないであろう。
 ところで、今、「その後の社会全体の意識の変化」と書いたが、それでは、その変化はどのよ
うにして生じたのであろうか。
 ひとことで言えば、女性が強くなったからである。参政権を得たことで、女性議員の発言はも
ちろん、女性有権者の一票も、社会を動かす力を持つようになった。日常生活でも、経済力を
持ったことによって、横暴な上役や夫たちに絶縁状を突きつけることも可能になった。スキャン
ダルが女性を傷つけたのは昔の話で、今や女性は泣き寝入りしなくなり、痛手は男性の方が
大きい場合も少なくない。それやこれやで、男性は女性の力を認識し、時には恐れ、そして気
を使うようになった。それが、意識の変化である。マキァヴェッリは、市民が抵抗する力を持っ
ている場合には、君主は市民に気配りしなければならないと示唆したが、その教訓は、君主を
男性に、市民を女性に置き換えた場合にも該当する。女性が更に力をつけて行けば、男性と
本当に対等になることも可能かもしれない。
 それでは女性は、男性に劣らない力を持つようになることはできるのであろうか。
 社会的な力の根源として、かつては決定的な重要性をもっていた腕力ないし暴力が占める割
合は、極端に低下した。経済力の差も縮小する方向にある。しかし、知恵や才覚となるとどうで
あろうか。
 男性優位の社会が成立してから四、五千年来、男性たちは、男性ホルモンの命ずるまま、大
物から小物までそれぞれの立場に応じて、暴力と知恵の限りを尽くして闘争し、欲望の充足を
追求して来た。これに対して、大部分の女性の知恵は、身の回りの快適さの追求と利害関係
の処理に関わる範囲に限定されて来た。女性の関・頂蛋喇・欝・慥に広がらないような社会の
仕組みになっていたのであるから、やむを得ないのであるが、この積み上げの差は馬鹿にで
きない。女性も、社会のあらゆる局面で男性と対等に権力・権限闘争に参加するようになれ
ば、権謀術数の知恵も磨かれるであろうが、そうなるまでには相当な時間を要するであろう。 
それに、男性の特質である攻撃性や闘争心あるいは支配欲に突きあげられて、放っておけば
際限なく暴走しかねない男性の知恵と、養育的性格に起因する根源的な優しさが無意識のブ
レーキとなって、例外はもちろんあるとはいえ苛酷さを究極まで貫徹しきれないところのある女
性の知恵との間には、本質的な違いがあるように思われないでもない。女性には、知恵の(豊
かさではなく)苛酷さに、あるいはその苛酷さを引き出す男性ホルモン効果の強さに、結局男
性に対抗できない本質的な弱点(見方を変えれば、美点かもしれない)があるのではないであ
ろうか。そうであるとすれば、知恵に知恵で対抗して対等な力を持とうとするのは、女性にとっ
て得策ではない。しかし、知恵、特に実利と権力至上主義の男性の知恵を野放しにしておいて
は、ちょっと油断すると、社会の権威主義化ひいては女性の従属化に再び逆戻りしかねない。
知恵の暴走に対抗できるような、女性が発揮できる力はないのであろうか。
 
X 女性の役割
  その答えは、本書がこれまでたどってきた考え方の中で、既に出されている。それは、第一
部で研究した知性の力と感性の力にほかならない。以下ここまで、知性と感性の力に特に男
女の区別をつけず、一般的な観点から考察を進めてきた。その考察の大部分は女性にも当て
はまることであるので繰り返しは避け、ここでは、知恵の暴走に歯止めをかけ、方向づける力
としての知性と感性の分野で、文化の向上のために女性が果たすことを期待される役割に焦
点を絞って考えてみることとする。
 社会的中核集団で活躍している数少ない女性については、第十二章で分析したとおり、中核
集団の活動の性格上、文化の向上のためには多くを期待できないが、それでも女性の本質的
特性が中核集団の行動様式に少しでも反映されれば、権力志向で弱者軽視に走りがちな中
核集団の暴走が多少なりとも抑制される可能性は期待できるかもしれない。
 知識人としての女性は、知性の文化を通じて生活の文化の質的向上への貢献が最も期待さ
れる人々である。知性の文化では、洞察力と論理性が生命であり、優れた論理であれば男女
の区別なく評価される。女性が知的訓練を受ける機会が広く開かれた現代社会では、知性の
文化の分野こそ、感性の文化の分野と並んで、女性がその能力を十分に発揮できる可能性を
秘めた分野であると言うことができるのである。特に、女性の本質的特性である養育的性格
が、知識人にふさわしい高い知性と感性によって磨かれ、自分の身内だけでなく弱い者一般に
対する思いやりにまで拡大され高められて、知性の文化での論理構築に反映されれば、実利
志向的な男性の論理に欠けがちなゆとりや潤いを、生活の文化にもたらすことができるであろ
う。
 それは、実利と力の論理に徹底的に支配され、今や理想像を失ったかに見えないでもない
現代社会に、革命的な意識改革をもたらしてくれるかもしれない。また、そうならないと、現代
社会がその行き詰まりから脱け出すことはむずかしい。そんな大転換が起こるわけがないとい
う見方もあるかもしれないが、革命は、実際に起こるまでは、起こると思う人は少ないものなの
である。
 それを可能にするためには、一般大衆としての女性が、多少なりとも知性の文化に関心を持
ち、知性の文化からの呼びかけを受信する能力を身につけることが必要である。先に第十二
章で、一般大衆を知性の文化に誘(いざな)うきっかけとして、職場での不条理をとりあげた。
女性を知性の文化に誘うきっかけとして、ここでは、女性が共通して感じる不条理としての暴力
の問題をとりあげてみたい。
 有史以来、人間性を最も踏みにじり、屈辱感を与えてきたものは、暴力である。男性も強い
者の暴力の犠牲になってきたが、相手が弱ければ容易に加害者に転じた。女性こそ常に、弱
い者も含めた男性の暴力の、絶好の対象であった。女性であり弱かったということだけで、個
人的に、あるいは戦争などを通じて集団的に、襲われ、殴られ、傷つけられ、犯され、強奪さ
れ、搾取され、そして殺されていった女性は数知れず、今日も後を絶たない。女性にとって暴
力は、根絶すべき第一目標であって不思議はない。ところが、地球上の多くの社会で、暴力は
いまだに大手を振ってのし歩いている。なぜであろうか。
 答えは簡単である。犠牲者があきらめてきたからである。なぜあきらめてきたかといえば、女
性の場合、抵抗するための十分な力がなかったからである。男性にも犠牲者はいたが、自分
も加害者になれる可能性があり、また、男性ホルモンがもたらす闘争本能は、むしろ「力」に憧
れ、賛美する方向に男性一般を導く傾向があるので、反暴力はなかなか強い流れにはならな
かった。こうして、抑えるものがなかったから、暴力はいまだに、日常生活をはじめとする、人
間の生活のあらゆる局面で猛威を振るっているのである。
 それでは、暴力を抑えるにはどうしたらよいのであろうか。特に、最大の被害者である女性
に、できることはあるのであろうか。この問いかけに対する答えを考えることから、知性の文化
への入り口が開かれる。女性にとって、考える価値が十分ある問いかけではないであろうか。
 まず、暴力の問題は、すぐれて文化の問題であることを、認識する必要がある。自分の欲望
を暴力で達成するのも仕方がない、場合によってはよいではないか、強い者の当然の権利
だ、自分も強くなってそうしたい、と考えるような文化がある限り、警察力や軍事力をいくら増強
しても、力による直接的な抑圧はモグラ叩きのようなもので、根本的な解決にはならないであろ
う。暴力に訴えるのは卑劣である、破廉恥である、人間の屑であり男の腐ったのがする行為で
あると、多数の人々が考え、厳しい目で咎めるような文化に変えていくしかないのである。
 そんなことが、できるのであろうか。
 今まで文化について学んだことから、考えてみよう。
 現在ここにある文化から実利を引き出すものは、知恵とも呼ばれる状況対処能力であった。
 次に、現在の文化を動かし変えるものは、変えようという個々人の意欲と、その意欲を集団
の力に変えるための組織化である。意欲が、知恵と、より強い者への忠誠心とに結びつき組
織化されると、文化は動き、変わり始める。
 そして意欲が、個人と個々の集団の目先の利害を超えた、より高い次元の価値を考える能
力としての知性と、同じような知性を持つ人々との連帯感と結びつき組織化されると、文化は
向上するのである。
 そこで、人類の半数を占める女性が、暴力を徹底的に否定し軽蔑して、暴力許容文化を変
えようという意欲を持ち、女性だけでなく、暴力を嫌悪する少なからざる男性たちとも連帯して
行動すれば、文化を変え、向上させることも可能になる。しかも、この変化は、男性の潜在的
な力信仰の強さを考えれば、女性が男性を巻き込んで動き出さない限り期待できない。他方、
暴力を否定するこのような意識が、ひとたび社会的な力になり文化になると、次には、物理的
な暴力だけでなく、個人や圧力団体が利己的欲望を達成するための横車や理不尽な行為、経
済力や権力を乱用しての、思想や行動などに対する各種抑圧あるいはセクシャル・ハラスメン
トなど、いろいろな社会的不条理が目についてくる。多数の女性が、このような社会的不条理
に気がつき、それを改めようという意欲を持ち、志を同じくする男性とも連帯して社会的な力と
なることができれば、不条理な力による支配や無理押しが抑制され、より公正な民主主義社会
への道が開かれることになる。暴力が横行している限り民主主義の実現は期待できないという
意味で、暴力は民主主義の敵なのである。 暴力は、もちろん、国際平和の敵でもある。国際
社会での暴力は、小紛争から戦争に至るまでの、全ての武力行使である。この武力行使も、
それぞれの国家や社会の暴力容認の文化に根ざしている。国内で、ものごとを暴力で処理す
ることに慣れている国民や政府は、国際関係でも暴力で片を付けることに躊躇しない。これが
「戦争は人間の心の中で生まれる」という、ユネスコ憲章の意味するところである。
 国内で暴力否定の文化を持っている国も、理不尽に武力を行使されたり、戦争を仕掛けられ
たりしたら、無抵抗ではいられない。腕力のない私ですら、不当に暴力を振るわれたら、自分
あるいは家族を守るために抵抗するであろう。もっとも、まともに格闘しては勝ち目がないの
で、相手が足場の悪い所に立った時にうしろから体当たりで突き落とすとか、包丁でも手に入
れば、相手が隙を見せた時に頸動脈をかき切るとか、あるいはみぞおちに突き立てるとか、い
ずれにしても一撃で相手の攻撃力を奪える可能性がない限りは、じっと機会が来るのを待つ
ほかないという条件つきの反撃なのではあるが。その反撃の結果、場合によっては相手が死
ぬようなことになっても、相手に非がある限りは後悔することはないであろう。反撃しなければ、
こちらが死んでいたかもしれないのだから。
 国家の場合も考え方は同じであり、無法な武力行使に対しては、戦略・戦術の違いはあって
も、最終的には武力で反撃するというのが、地球上のほとんどの国家の思考・行動様式であ
る。これが反転して、大部分の国家が、攻撃されても無抵抗で、侵略者の言うなりに奴隷の平
和を甘受するようになるという思考・行動様式に宗旨変えすることは、人間が変質しない限り考
えられないであろう。したがって、理不尽に攻撃される可能性がある限りは、暴力行使の手段
である軍事力も、防衛すなわち反撃の手段として保持する必要があるということになる。
 すなわち、国際社会に、個別の武力行使を許さないような強力なリヴァイアサン的権力がで
きるか、あるいは、自国の意思を武力によって他国に押しつけることはけっしてしない、できな
いという文化を、まずそれぞれの国が国内に作り上げ、次いで諸国家が相互にその文化の存
在を確認できるようにならない限り、戦争の根絶はできないであろう。そして、そのような文化
が本当に形成されているかどうかは、政府の宣言や議会の決議ではなく、それぞれの政府や
国民の実際の思考・行動様式によって、国際社会の前に歴然と示されてしまう。相互信頼の基
本は、今や、条約や首脳同士の口約束ではなく、国の文化そのものなのである。
 このように、戦争を究極的に根絶するためには、国内に暴力否定の文化を形成する必要が
あること、そしてそのためには、女性がそれぞれ自分の身を暴力から守ろうとする意欲を、知
性と感性とに結びつけて、社会的な力に具体化する必要があることが明らかになった。女性の
積極的な参加がない限り、暴力否定の文化の形成ひいては戦争の根絶は困難なのである。
 それでは女性は、具体的には何をすればよいのか。
 まず何よりも、暴力を憎み、暴力的な人間を心から軽蔑し、それを日頃の言動で、周辺の友
人や恋人や夫や子供たちに、常に表明し続けることによって、暴力を振るえば嫌われ軽蔑さ
れるという、社会的な雰囲気を育てるよう努めることである。男性の攻撃性のエネルギーは、
他人に対する支配や意思の強制を伴わないスポーツやお祭り騒ぎなどで、ルールに則って発
散してもらえばよいのである。
 組織化は、すぐにはむずかしいとしても、各種選挙での一票の行使は、多くの女性の投票者
に、暴力否定の連帯感で一定の方向づけがされている場合には、組織化に準じる効果を発揮
する。日本の女性の場合、自ら獲得したというよりも、与えられたものの性格が強い参政権で
はあるが、それであるからこそ、ますます大切に行使すべきであろう。
 大切な一票を、どのように行使したらよいのか。
 暴力否定の観点だけから言えば、他人を支配したり意思を強制する手段として、暴力を実際
に使用する人はもちろん、いかなる理屈をつけようとも、正当防衛以外の暴力行使を肯定する
ような人には、それがどれほど有名で、どれほど有能であるといわれている人物であっても投
票しないことである。このような人々を見分けるのは、わずかな対人的感性があればむずかし
いことではない。
 更に、物理的な暴力の行使だけではなく、特定の意思や行為を、理由を論理的に説明する
ことなく、脅迫や経済力や権力ないし権威などの力をかりて理不尽に押しつけようとする人々
に対しても、投票しないことである。このような思考様式は、暴力容認と紙一重だからである。
このあたりの判断からは、不条理を見分ける知性が必要になってくるかもしれない。
 最低限これだけでも、多数の女性が実行すれば、志を同じくする男性がこれに呼応して、生
活の文化に全般に好ましい 波及効果をもたらすことになるであろう。
 
 文化の向上に果たす女性の役割が、なぜこれほどまでに期待されるのであろうか。
 第一に、快適な社会の構築には思いやりの心が不可欠であるが、女性の本質的資質である
養育的性格は、女性の地位と意識の向上に伴って社会性が備われば、近親者に対するだけ
でなく、より博愛的な思いやりの心に育つ可能性を持っているからである。
 第二は、まだ多くの女性は、中核集団に属していないか、属していても意思決定にまで参画
することは少ないが、まさにその理由で、第十二章でとりあげた一般大衆の一員として、組織
の論理に縛られずに、知性の文化の神髄に迫ることができるからである。このような女性たち
が知性の文化を身につけたときには、社会のあり方について、組織の利益や論理よりも、自
分自身の判断を優先することができるであろう。快適な社会の構築には、知性の論理を組織
や個人の私利私欲の論理に優先させる知的誠実さも、思いやりの心と共に、不可欠なのであ
る。
 
 最後に、このような女性の知的活動によって、国内社会については、暴力否定の文化が少し
ずつでも根づくとして、他の国も同じように根づかせてくれなくては、国際社会に暴力否定の文
化は根づかず、戦争の根絶も期待できない。しかし、今日の国際社会では、原則として、他国
のことまで口出しすることはできない。ただ、他の国の女性の知性の向上を手助けすることに
よって、間接的にその国の文化の向上に貢献することはできる。そのために基本的なことは、
特に開発途上国に多い、読み書きのできない女性の識字率を高めることである。読み書きの
できない女性をなくして、文字の文化の世界に招き入れない限り、知性の文化の入り口さえ示
すことはできず、したがって、女性の組織かはおろか、向上しようとする意欲も、他の女性たち
との連帯感も育てることはできないであろう。日本の知的な女性たちに、女性の国際的連帯に
まで目を向けるゆとりがある場合に、世界平和の達成のため最も遠回りであるが最も必要で
あり、かつ実行可能な活動は、開発途上国に集中している読み書きのできない女性たちの識
字率向上のための支援である。


終章 国際関係を左右する基盤としての文化
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