第三部 国際関係と文化 
 
終章 国際関係を左右する基盤としての文化力 
 
 前章において、文化の向上に果たす女性の役割との関連で、暴力否定の文化を育成するこ
とが、戦争の根絶という人類の悲願の達成に不可欠であることを指摘した。ただし、女性の役
割との関連で取り上げたこともあり、国際関係に関わる具体的な活動としては、特に開発途上
国の女性の識字率を向上させることによる、知性の文化形成への女性の参加の必要性を指
摘するにとどめた。本書の最終章である本章では、国家と国家との関係である国際関係にお
いて文化が果たす役割と、今後ますます増大するその重要性を、特に、国際社会における日
本の、国家としての立場と関連させながら考察して、終ることとする。
  
T 成長した象  
 第二次世界大戦で荒廃した日本の国土と国民生活は、全国民一丸となっての経済活動によ
って、戦後半世紀を経ずして経済大国と呼ばれるまでに発展し、国民は空前の経済的繁栄を
享受するに至った。この経済的発展にともなって、その成果を他国にも分与すべきであるとす
る内外からの声に応え、日本の経済協力は飛躍的に増大して来た。その結果、経済に限らず
政治的にも応分の国際貢献をすべきであるとの国際社会からの要請が強まる一方、国際社
会において日本の実力にふさわしい役割を果たす必要についての、国内の認識も高まりつつ
ある。このため、従来は与件として対応してきた国際社会の政治・経済秩序を、これからは自
らも参加して形成して行く立場を求めるべきか否かの意思決定が、大きな課題となって現れて
来ているのである。
 確かに、戦後の復興期を通じて、日本国民が、国際社会の動きに巧みに対処しながら、経
済的繁栄を築き上げて来たことは事実である。そのため、少なからぬ国民にとって、できること
ならば、時には強い風当たりを受けることもある秩序形成国グループの一員としての責任を負
うよりも、従来どおり、持ち前の対処能力すなわち知恵を発揮して繁栄の維持を図って行きた
いという心情は、捨て難いものがあるかもしれない。
 しかし、日本自身が国際社会や国際情勢に影響を与える意思がなく、状況対処に徹している
つもりでも、その対処行動自体が外部世界に対する大きなインパクトとして作用するほど、今
日の日本は大きくなってしまっているのである。しかも、状況対処行動の性格上、行動の方向
は状況に応じて随時変化するとなると、まわりの国から見れば、成長した大きな象が自分では
まだ子象の頃のつもりでチョコマカ動きまわっているようなもので、そばにいる者にとっては危
なっかしくて仕方がないということになる。
 すなわち、ちょっとした動きでも他者に影響を及ぼすまでに大きくなった存在は、自分が動こ
うとする方向を予め明らかにしておく社会的責任があるということであろう。そうであるとすれ
ば、既に十分巨大化した日本にとって、状況に巧みに対処することだけを念頭においた行動
は、社会的責任の放棄を意味することとなり、国際社会で胸を張って生きて行くこともむずかし
くなってくる。従って、国際社会における自分自身の重量を勘案した場合、日本にとっては、自
らが追求しようとする国際社会及び日本社会自身の理想像を明白に提示し、その実現を可能
にするような状況ないし秩序を自ら形成して行く選択しか、もはや残されていないものと考えな
ければならない。
  
U 秩序形成者の要件
 秩序形成者は、従来、軍事力と経済力の両者またはいずれかをその政治力ないし外交力の
根源として、秩序の形成に参画して来た。
  
軍事力
 人類の歴史では、軍事力だけで近隣諸国を制圧し、制服者の思いのままの秩序を押しつけ
ることが可能な時代が永く続いたが、二十一世紀を目前に控えた国際社会は、軍事力だけで
秩序形成者になろうとしたソ連の挫折を目の当りにして、そのような時代の終りを認識した。砲
艦外交によるパワー・ポリティクスが効果を発揮する時代が終りを迎える一方で、いまだに主
権国家で構成され、世界政府に統合された軍事的強制力が存在しない今日の国際社会にお
いて、秩序の形成に必要な政治・外交力を持つことができるかどうかは、自らの提唱する秩序
の構想にどれだけ多数の主権国家の支持ないし共感を獲得できるかどうかに掛かっている。
軍事力は、二国間あるいは周辺諸国間の関係では、未だに、政治・外交力の基盤のひとつで
あると言えるであろう。しかし、地球規模の国際社会では、軍事力の行使が秩序形成のために
有効であるためには、それが「正当な」秩序の形成のために行なわれたと、国際機関や国際
会議の場などで大多数の国々から認識されることが必要である。すなわち、従来、主権国家
間の戦争ないし軍事力の行使で、いずれの側に「正義」があるかの判定者が存在しなかった
人類の歴史で、国際社会という判定者が漸く形成され始めたのである。
 もちろん、このことは、国際社会の判定が常に正しいかどうかとは別の問題であり、軍事力を
行使する場合に国際社会の支持を得なければ、目的の達成が困難な時代になってきたという
意味である。従って、正当な秩序の形成という目的以外のために、保持する軍事力を行使す
る気遣いはない国と言う信頼を国際社会から得ることができることが、秩序形成に参画できる
ための条件のひとつになる。
 
経済力
 二十一世紀の秩序形成者であるための条件として、経済力ははるかに重要である。たとえ
公正な秩序の維持・形成のためではあっても、軍事力の行使がもたらすものは人的・物的破
壊以外の何ものでもないのに対し、経済力は正しく行使されれば、関係国ひいては国際社会
全体の利益を増進し、少なくとも貧困に起因する紛争の予防に貢献することができる。これは
国際社会の構成国が等しく歓迎するところであり、また国際社会に及ぼす影響も大きいので、
経済大国は、それだけで秩序形成者となるための条件を備えていると言ってよいであろう。も
ちろん、軍事力同様、経済力も、使い方を誤れば秩序破壊を招くことになる。従って、大きな経
済力を持つ秩序形成者は、政府のみならず民間企業も含め、経済の運営と活動に際して、自
国の経済力が国際社会に及ぼす影響の大きさを常に念頭に置いて行動しないと、秩序破壊
者ないし秩序撹乱者の汚名を着ることになりかねない存在なのである。その上、経済大国にな
ることができたこと自体が、その国にとって好ましい国際秩序が維持されて来た結果であるの
で、そのような秩序が破壊されることは、自分自身の足元が脅かされることを意味する。
 このように、今日の国際社会においては、経済大国は、自らが好むと好まざるとにかかわら
ず、秩序形成者としての責任を負わなければならないのである。しかも、経済大国であるから
といって経済分野での活動だけでは責任を果たしたとはみなされず、政治分野での、あるいは
PKO等を通じた軍事分野での活動にも参加して、場合によっては血を流す覚悟さえ求められ
るのが、今日の国際社会での秩序形成者の立場である。
 日本が経済大国である限り、秩序の形成者か破壊者または攪乱者のいずれかにしか成り得
ないとすれば、これからの国際社会で生き延びて行くためには、秩序形成者の道を選ばざるを
得ないのは自明の理であろう。そして、ひとたび秩序形成者の道を選んだ以上は、国際社会
が許容する範囲内で、できる限り日本にとって望ましい国際社会秩序の形成を希求すべきこと
も当然の理である。そこで出てくる問いは、それでは日本にとって望ましい国際社会の秩序と
はどのようなものか、また、日本が目指す秩序構想の実現に多数の国家の共感と支持を獲得
するためには何が必要かの二点である。
 前者は、基本的には、第十一章で指摘した生活の文化の質的向上の諸条件を、日本も他の
諸国も満たすことが可能になるような国際秩序である、と言うことができるであろう。後者につ
いては、従来必ずしも顧みられることの多くなかった、「文化」が果たす役割が重要である。 
  
V 国際政治力・外交力の基盤としての文化 
 秩序の形成を目指す国の政治力・外交力の基盤として、大きな経済力とある程度の軍事力
(ないし、それに準じる実力)が有力であることは、既に考察した通りである。
 ただ、理屈ではそうであるとしても、巨額に上る経済協力や、世界で一、二位を誇る国際機
関への分担金の拠出、あるいは、武力紛争解決のためのPKOを通じての血を流す覚悟にも
かかわらず、たとえば国際会議の場などにおいて、日本のそれなりに筋の通った主張が、必
ずしも多数の支持を得られるわけではないのは何故であろうかというのが、かつてユネスコ日
本政府代表として日頃出席していた国際会議で、私が実感してきた問題である。それに対し
て、経済力も軍事力も日本に比べて特に大きいとは言えないフランスが、国際社会で発揮する
影響力あるいは政治・外交力の根源はどこにあるのであろうか。
 このところ衰えつつあるとはいえ、フランスが従来誇ってきた高い外交能力(対外的影響力)
は大方の認めるところである。一般に、その能力は、ヨーロッパの真ん中に位置するフランス
が、その歴史的・地理的環境の中で揉まれて来たことによって獲得されたものとして説明され
るが、実際には、技巧だけで外交的成果は挙げられるものではなく、背後でそれを支える力な
いし基盤が必要である。ところが、過去はともかくとして、現代のフランスの経済力や軍事力
が、他の先進諸国に比べて特に大きなものでないことは周知の通りなので、このふたつの力
だけではフランスの高い外交能力を説明することは困難であり、他の要因も求めなければなら
ない。
 そこで、フランスを他の国から際立たせている特徴としての文化国家、文化大国としての側
面が注目されるのであり、その文化の力にフランスの外交能力ないし対外的影響力を支える
大きな基盤を見い出すことができるであろう。従って、仮に、何らかの理由でその文化が衰退
し、フランス的な思考・生活様式が魅力を失うような状況が生じれば、フランスの対外的影響力
も減殺されるざるを得なくなることも、十分予想されるのである。
 実際、国際世論が正義の在りかを判定する傾向がますます強まるこれからの国際社会で
は、ある国が国際秩序形成者グループの一角を占めて相応の影響力を発揮するためには、
他の国からの、経済力や軍事力に対してのみならず、その国への全人格的な信頼と共感が必
要である。そして、これを獲得するためには、経済的貢献と軍事ないし政治面での「血を流す
覚悟」(人的貢献)だけでは未だ足りず、経済力や軍事力を如何に行使するかの判断に密接
に関係する、国民の生活様式も含めた思考・行動様式すなわち文化が、高い成熟度を示して
いることが肝要である。
 すなわち、多数の国ないし人々が憧れ共感するような文化を、ある国が保持し、さらに、その
ような文化を保持する国ならば、経済力や軍事力もあからさまに邪まな目的のために使用す
ることはないであろう、との信頼感を与えることができてこそ、その国の言い分は、多数の国か
らの共感と支持を期待することができるのである。しかも、そのような文化は、時に、あからさ
までない程度に邪まな目的ならば、大目に見させるくらいの効果も発揮してくれる。いわば、普
段の行ないというレンズで、信頼感を実際以上に拡大して見せる役割さえ果たしてくれるので
ある。
 しかし、伝統的な国際政治学においては、国際関係に影響を与える要因としての軍事力や
経済力は十分すぎるほど分析の対象となってきたが、文化力が果たす役割については殆んど
看過されてきたと言っても言い過ぎではないであろう。その理由としては、文化を扱う学問が未
発達で、文化の概念そのものが理論的に必ずしも十分に確立されていなかったために、国際
関係に直接に影響を与えうる実体としての文化が認識されにくかったことが挙げられる。
 そのために、国際秩序形成のために必要な外交力あるいは国際的影響力を支える要因とし
ての軍事力や経済力の重要性は、国際関係を論じるものに対して改めて指摘する必要もない
ほどであるが、文化力の重要性については必ずしも自明の理と言うわけには行かなかった。し
かし、本書の序章から第十四章までを通じて、文化が、われわれの社会や国家のあり方を根
源で規定していることを改めて認識した今、そのような国家群で形成されている国際関係も、
根底では、それぞれの社会や国家の文化の影響を抜きにしては考えられないことは明らかで
あろう。  
 すなわち、より水準の高い文化を育んだ社会ないし国は、他の社会や国からの憧れと敬意
の対象となって、国際社会で名誉ある地位を占めると共に、自らの高い文化を他の社会や国
に伝播することを通じて、それに基ずく影響力を行使し、国際社会の発展に貢献することがで
きることとなる。このような文化の力は、その時々の直接的利害関係の調整を図る外交の場で
は、軍事力や経済力の陰に隠れがちであるが、今や、国際関係を根底において左右する基盤
となりつつあり、二十一世紀の国際社会では、文化力なくして、対外的影響力を長期的に保持
することはできなくなるであろう。
 

                                                  (了)
参考文献
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