第四章 文化相対主義 
 
 ただ、この文化相対主義については、そうは言っても、いろいろな文化を比較してみると、実
感として、やはりなんらかの優劣があるのではないかという疑問を、完全にぬぐい去ることは
仲々むずかしい。音楽、美術あるいは芸能等の感性の文化に属するものについては、確かに
各地の文化がそれぞれ固有の価値を持っており、これに優劣をつけるのが困難であること
は、それこそ実感として納得できるのであるが、「生活の文化」の、特に経済的、技術的側面に
は、ある程度客観的な優劣の存在を認めざるを得ないのではないであろうか。
 仮に、ある未開あるいは開発途上社会のあるがままの生活様式が、環境に適応して可能な
限り独自の向上を遂げたものであり、先進国の生活様式と同等の価値を持つ以上、先進国の
生活様式に近づける必要はないと認識する場合には、先進国による経済・技術協力の必要性
はどのように理論づけられることになるのであろうか。やはり、ある開発途上国の生活様式
が、いかに環境に適応して最大限まで磨き上げられて来たものであると言っても、本当は先進
社会のレベルにまで向上させたいのに、「貧困」の故に、現在のレベルにとどまらざるを得ない
と云うのが実態なのではないであろうか。
 多くの開発途上国が経済・技術協力を求めるのは、まさに貧困から脱却して、現状よりもより
快適な生活環境を得たいからである。健康な生活のためには上・下水道施設や清潔な住宅、
病院等が必要であり、より文化的な生活のためにはテレビや冷蔵庫等の家電製品も欲しくな
る。そのためには発電所が必要になり、電気が使えるようになると、使用可能な製品は飛躍的
に増加する。これらの購入を可能にするためには、工業化による経済開発が不可欠であり、
経済開発に成功して貧困から脱却した国が作り上げるのは、結局、先進国的な生活環境であ
り生活様式である。このように考えると、今日の人類社会で人間の経済発展がたどる道筋は、
それに使用される技術、資材、施設あるいは製品等が殆んど共通して来ているところから、ほ
ぼ决まっているのではないかという点に思い至る。
 ただし、経済開発の進展で急速に変化するのは先ず生活環境であり、生活環境の変化に合
わせて生活様式も変化してくるが、一般的に言って変化が最も遅いのが思考様式である。思
考様式の変化には、世代の交代を待たなければならないことも少なくない(このように、環境の
変化に文化の変化が追いつかない現象は「文化遅滞」とも呼ばれる)。このような、その社会
固有の思考様式の存続と、気候風土等のその地域独特の生活条件から、経済発展の結果と
して作り上げられる各先進国の社会環境や生活様式といえども、高層ビルやハイウエイある
いは一定の勤務時間等、外観は似通っていながら、実際には、それぞれの社会の固有の伝
統の上に多くの独自性を保っているのである。そして、そのような生活様式や思考様式すなわ
ち文化の独自性は、その人々の生き方の違いであって、それに優劣をつけるのは困難であ
り、人種差別の道具にしようという目的でもない限り無意味でもある。実際、パリには、旧式の
エレベーターをはじめ、趣はあってもいささか不便な古いものがいろいろ残されており、他方、
東京は便利で機能的であるが、急速な近代化のために歴史を感じさせる部分が少なくなって
いる等の比較に基ずく批評がよく聞かれる。しかし、これは発展の重点の置き所や快適さの感
覚が異なっていることによるものであって、優劣の比較には必ずしもなじまない論点であろう。
 このように、先進国社会と開発途上国社会の文化の比較ではいささか疑問がないでもなかっ
た文化相対主義も、同程度の経済的・技術的水準にある国々の特に物質的日常生活の分
野、すなわち「生活の文化」のひとつの側面には、十分該当し得るかもしれない。ただし、文化
相対主義的観点からは、同程度の経済的・技術的水準にある人々の生き方の違いにまで優
劣をつけるのは余計なお世話かも知れないが、実際には、同程度の経済的・技術的水準にあ
る先進諸国のあいだにも、文化の程度になんらかの優劣の差があるような気がする、というの
が世間一般の率直な、直感的な印象なのではないであろうか。
 それでは、世間一般が複数の国ないし社会の文化の優劣を比較する場合に、何を基準にし
て判断するかというと、先ずはそこに、できることならば自分も住んでみたい、言葉ができない
から住むのは難しいとしたら、せめて訪れてみたいと憧れるような快適な生活の場すなわち生
活の文化があるかどうかであろう。自分は先進国よりも未開社会の方に憧れるという人がいる
としても、多くは珍しいものを見てみたいという観光願望であろう。中には、永住したいという人
もいるが、それは少数派であるので世間一般には含まれない。 世間一般は、自分自身はそ
れほど文化的に開発されていない人も含めて、より洗練された快適な文化を意外なほどよく見
分け、評価するのである。
 ある国、ある社会の文化を際立たせている要素をひとつひとつ選び出し並べてみて比較し、
その数が多い方がより優れた文化であるとするのも、分析のひとつの手法かもしれない。しか
し、ここではその手法はとらないで、マクロの視点から、それぞれの文化の質を総合的に規定
するものは何であるのか考えてみたい。
 結論から言ってしまえば、それぞれの国の総合的な文化の質を左右し優劣をもたらすもの
は、経済的・物質的な豊かさだけではなく、従来は看過されがちであった感性、知性さらには
品性等の、目に見えにくい要因なのである。 
 

第五章 感性の文化
第五章 感性の文化
                             トップへ
第五章 感性の文化
第五章 感性の文化