第二章 文化とは何か
 
 一般に「文化」と言う言葉から先ず頭に浮かぶのは音楽、美術、演劇等を中心とする芸術、
あるいは文芸などであろう。しかし、文化と言う言葉は食文化、服飾文化さらには霞ヶ関の文
化などと言う形でまで、非常に広い意味で日常使用されているので、それら全てに共通する本
質的な要素で文化を定義すると、文化とは結局「知的思考・行動様式」ということになる。ただ
し、このように定義すると、人間以外の動物、たとえばサルやハチなどの、本能だけではなく知
的な要素もあるといわれる行動様式も文化の範疇に入ってくるので、混乱を避けるために、こ
こでは文化を「人間の知的な思考・行動様式」と定義することとしたい。
 人間が人間と呼ばれるにふさわしい発展段階(原人)に到達した時点(約百五十万年ないし
百万年前頃と見られる)では、如何に原始人といえども、狩猟や採集を中心とする活動や人間
関係で、かなり多彩な知的行動様式を持っていたに違いない。しかし、形に表われた行動様式
が如何に多彩であったとしても、その行動の本来の根源的な目的はただひとつ、生活におけ
る快適さ(便利さも含む)の追求であったはずである。すなわち、より快適に生活するために、
知能を使って行動する様式が「文化」の始まりなのである。人類の祖先達は、食料を得るため
の狩猟や採集を少しでもやり易くするという、あるいは猛獣や厳しい気候などから身を守るとい
う、最も基本的な快適さを求めて文化を形作り始めたのであり、従って、人類最初の文化は、
まさに、日常生活を快適にするための原始的な道具や技術を使って形成された「生活の文化」
であったと言って良いであろう。
 ただし、それと並行して、精神的な思考・行動様式も発展し始めたはずであり、それは恐ら
く、雷や山火事、洪水といった人間の力をはるかに超えた自然の力に対する恐れ、あるいは
肉親や仲間の死という人生最大の衝撃に直面して心の内部から沸き上げてくる、人間の運命
を左右する目に見えない力に対する畏敬の念をきっかけにして芽生えたもの、すなわち原始
的な宗教心と言って良いであろう。そのようにして発生した原始的宗教心は、精神的な思考・
行動様式の面で、ふたつの大きな流れを作り出して行くことになる。ひとつは、宗教的儀式に
際しての音楽あるいは壁画等の美術で代表され、感性に訴える部分が大きい思考・行動様
式、いわば「感性の文化」である。他のひとつは、集団的動物としての人間の集団の中で、暴
力的な力や宗教的儀式を通じながら支配者の権威が形作られ、さらに支配力を強化して行く
ための統治技術すなわち、のちの政治につながって行く思考・行動様式である。この思考・行
動様式を発展させるためには知的な裏づけが不可欠であり、また、統治される側の人間それ
自身についての研究が必要になってくる。約六千年前頃に発明されたものと考えられる文字
の使用によって、知的活動の蓄積と深化が急速に進むこととなったが、その最も発展し洗練さ
れた形態が哲学をはじめとする学問の領域であり、すなわち「知性の文化」と呼んで良いと思
われる。従って、人類の歴史の長さから考えると、「知性の文化」は、人類にとって、ごく新しい
文化の領域であると言うことができるであろう。
 以上のように、人間の文化は、まず基盤としての生活の文化があり、そこから派生した感性
の文化と知性の文化とも相互に影響を及ぼし合いながら発展して来たわけで、われわれが文
化について語る場合には、これらの中のどの文化を念頭に置いているのかを明確にしておか
ないと、話しは仲々かみ合わないことになる。例えば、日本国憲法の「健康で文化的な最低限
度の生活」という一節の「文化的」という言葉が意味するのは、恐らく主として「生活の文化」で
あり、生活の基礎である衣・食・住が、その時代およびその地域での平均的な水準に達してい
るということではないかと思われる。従って、こういう意味の文化を語っているときに、美術や哲
学の話を持ち出すと焦点が定まらなくなってしまうであろう。そこで、文化を考えるための前提
条件として、「生活」、「感性」および「知性」のそれぞれの文化の概念について、もう少し明確に
しておくこととしたい。
 

第三章 生活の文化
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第三章 生活の文化
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