南部とは・・・新しく南部に住もうとする人たちのために

第ニ章  南部とは何か? どこに在るのか? ( 後半 )   


* ジョン・シェルトン・リード *


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文化の面での南部

 経済的な、あるいは人口統計学的な用語を用いずに南部を定義出来ないだろうか。 ともかく南部人の身元を何とかしてはっきりさせ、 その後、彼等の出身地ということで南部を定義する事は出来ないだろうか。 例えば、グリッツ*35 を食べる人達とか、 カントリーミュージックを聴く人達とか、ストックカーレース*36 にいれ込む人たちとか、学校での体罰を支持する人達とか、 ポッサム*37 狩りをする人達とか、バプチスト教会に行く人達とか、 ( ウイスキーを飲むなら ) スコッチよりバーボンを好む人たちなどは、南部人なのではないかと言えそうだ。  全ての、或いはほとんどの南部人がこれらの事をするとか、非南部人はこれらのことをしないとかいう事は、この際必要ではない。  南部人が他の米国人よりも頻繁にこういう事をするというのであれば、 これらを使って南部とはどこかを決めるのに使えるというわけである。

 例えばバブチスト教会の信者の地理的分布を見てみよう ( 第12図 )。  この教派の信者たちは早くから南部の田舎地帯で主要勢力となり、その数で匹敵するのはメソジスト派のみだった。  南部人たちが西に南に広がって行くにつれこの宗派も広がっていった。  この図ではニューヨークにもかなり沢山のバプチスト信者がいるのが分かるが、 実際、ニューヨークというところは、何でもたくさんある所なのだ。  テキサスの西部には人があまり住んでいないが、住んでいる人はバプチストである可能性が高い。  この点南部山岳地帯も同様に他の南部と余り差はない。

第12図 1952年におけるバプチスト教会信者
 出典:Wilbur Zelinsky 著 「 米国宗教地理学入門:1952年における教会員の分布 」
 米国地理学協会年報 51 ( June 1961 ) 172ページ

第13図 1870年から1960年にかけての著名なカントリーミュージック演奏者の生誕地
 出典:George O.Carey著 「 テキサスのT、テネシーのT:米国の著名カントリーミュ ージシャンの起源 」
Journal of Geography 78 ( Nov 1979 ) 221ページ

 南部音楽ということになると、山岳地帯*38 と南西部がまさに心臓部である。  第13図はカントリーミュージック関係者*39 の出身地を示したもので、ヴァージニア州南西部からケンタッキー、テネシー、 さらにはアーカンソー、オクラホマからテキサスの各州にかけて太い三日月状に伸びている。  音楽については、南部 「 周辺 」 地帯と時に言われるこの辺りが、実は本場なのである。  カントリーミュージックについては、深南部は、ニューイングランド地方ほどの空白地帯ではないものの、 周辺地帯であるにすぎない。 伝統的黒人音楽について同じような地図を書いたら、このギャップが幾らか埋まるのはほぼ確かだろう。  カントリーミュージシャンの生地は、彼等の作る歌の中にも出てくる。  第14図では、各州の大きさがカントリーミュージックの歌詞に出てくる回数に比例して描かれている。  ここではフロリダ州が、南部にとって虫様突起みたいな地位でしかない事に注目されたい。

 これらの歌詞はまた、これらの地方で特殊な暴力が癖になっている事を示唆しており、 FBIの統計により、これが単なる噂でないことが示されている。 信頼すべき記録が保存されている期間だけでも、 南部は米国の他の地方より殺人発生率が高く、山岳部と南西部はこの傾向を共有している。  しかし、南部の暴力は内部に向けられていない。 世界中で、殺人率の高い社会は自殺率が低いが、 これは米国諸州の場合にも当てはまる。 ある種の二者択一関係が作用しているようにしか見えない。  第15図は、南部一帯では自殺が余り多くなく殺人が多い事を示しており、 これは南部が持っている数少ないニューヨークとの共通点である。


第14図 カントリーミュージックの歌詞に出てくる州名
出典:Ben Marsh 著「バラ色の地図」Harper's社 July 1977, 80ページ。
引用許可済み 注:各州の大きさは出てくる回数に比例して描かれている。


第15図 1983年における殺人対自殺件数比
出典:データは米国統計アブストラクト1987年版77ページ

 地域的な文化の差は家族や性別の役割にも反映している。 これらの差は法律体系にすら表面化していて、 南部諸州は婦人参政権を制定するのが遅かったし、ほとんどの州が Equal Rights Amendment *40 を決して批准しなかった。  そして最近まで性差別を不可とする法律を持つ州はほとんどなかった ( 第16図 )。


第16図 1972年において性差別に関する州法の無かった州

 南部の婦人たちは、実際は他の米国婦人たちよりも家の外で働くことが多かった ( 彼女らはもっと金が欲しかった ) が、 例えば繊維産業の女工とか家庭の召使とかのような 「 婦人の仕事 」 で働くのが普通だった。  主に男性の仕事とされてきた所で働く婦人の率は、南部では、他より低いままである ( 第17図 )。


第17図 1985年において、伝統的に白人男性のものとされる職業についていた白人女性の比率が少なかった州
 出典:データは南部労働協会による。 @:斜線は下位10州を示す

 これらの特性値のどれもがプランテーション体系と明白に関連しているわけではない事に注目して欲しい。 日常の食物、宗教、 スポーツ、音楽、家族の様相などという文化的特質は、人々がどうやって生計を立てているかとか、 どれほど良い暮らしをしているかなどを単純に反映しはしない。  前者は大部分は家庭の中で世代から世代へと受け渡されるものなのである。 通常、ある家族が引越しする時、 彼等はこれらを持って行く。 これが、アパラチア山系、オザーク*41 、および大部分のテキサス州とオクラホマ州に、南部の価値観、 趣味、習慣が見出される理由である。 これらの地域はせいぜいプランテーション的南部の周辺の限界に過ぎないのだが、 実は南部人が移住し住み着いた地域なのである。 文化的特質をこうやって地図上に描いて見ると、ミズーリ州の大部分でも、 イリノイ州の南部でも、インディアナ州やオハイオ州でも、誰が移住定着したかを理解するのは容易である。  そして、米国全土にわたって在る、南部人が移住した点々とした飛び地、例えばイプサランティ ( Ypsilanti )*42 の自動車労働者の中にも、 ベイカースフィールド ( Bakersfield )*43 のオーキーズ ( Okies )*44 の子供や孫たちの中にも、数多くの同じ様相が見出だされるのである。

 プランテーションが死滅したからといって、前述の南部の諸特質が消え去ったろうと期待してはならない。 だから、南部とは、 他の米国人とは違う人々が住んでいるがために米国の他の地域とは何かしら違う、ある狭い地域の事だ、と定義するなら、 まだ検討しなければならぬ事柄がどっさりある。 我々は、カントリーミュージックが蓄音機の発明によってのみ成熟し得、 ナスカー ( NASCAR ) レース*45 は高性能のストックカー*45 の出現によってのみ発展し得たという事を思い起こす必要がある。  第18図についても考えてみよう。 これは、自分自身のスポーツ雑誌を発行している大学の分布である。 南部の最高学府は、技術革新の再先端を行った事は殆ど無かったが、このスポーツ雑誌については他地域の大学より先駆的であるようだ。


第18図 1982年に自分自身のスポーツ雑誌を出版していた大学
白:なし 粗い斜線:1種刊行 細かい斜線:2種以上刊行
出典:Chronicle of Higher Education 15 Sept. 1982, 17

南部であることの身元証明


 南部を、ある経済的文化的に独特な地域としてだけでなく、南部への忠誠心や、南部かどうかを決める身元証明などの絆によって、 何となくまとまっている人たちの故郷としても見ることができると、筆者は先に述べた。  南部は確かにジョサイア・ロイス ( Josiah Royce ) 流の言い方をすれば 「 プロヴィンス ( province ) 」 つまり、 「 それ自身の一致団結性という意識を本当に持ち、それ自身の理想や習慣に誇りを感じ、 また、この国の他の部分とは違うんだという感覚を持つほど十分に、地理的社会的に統一された、或る一部の国土領域 」 の事であった。  殆どの南部白人の郷土愛が、南軍の独立とその敗北の経験を共有することで成り立っていたのはそう古い話ではない。  南部の文化的社会的生活の中には、未だにこの過去の記憶が存在している。 例えば、第19図には、 明白に南軍の精神的遺産を継承している大学のフラタニティ ( fraternity )*46 であるカッパ・アルファ ( Kappa Alpha Order ) の支部がどこに在るかを示している。


第19図 1988年における Kappa Alpha Orderの支部
 出典:データは Upsilon of Kappa Alpha 提供

 多くの人にとって 「 ディクシー ( Dixie ) 」 と言う言葉*47 も、同様の精神的遺産を思い起こさせる。  第20図は、この言葉を店の名前などに入れたがるのはどの地域かを示している。  1861年*48 にディクシーにあまり熱心でなかったアパラチア山系周辺の南部地域では、 未だにこの単語が広く使われてはいないことに注目したい。  現在、米国南西部もディクシーを殆ど使わない ( 南軍が一度は南西部を殆ど見捨てたという裏切りへの仕返しか )。  フロリダも、この単語の使用を続けさせているあのディクシー高速道路 ( Dixie Highway ) が仮になかったとしたら、 多分同様の道を辿ったことだろう。 アトランタの町においてすら、ディクシーなる単語は風と共に去ったか、 或いは少なくとも去って行く途中であるように見える。 古きプランテーション型南部の残滓が在る所でだけ、 ディクシーという言葉が、実際に元気に生き永らえているのである。


第20図 1975年前後の電話帳の中での 「 Dixie 」 の使用頻度の 「 American 」 の使用頻度に対する比率
 出典:J.S.Reed著 「 Dixie の心−民族地理学におけるあるエッセイ 」 Social Forces 54 ( June 1976 ) ) 932 ページ

 南部かどうかを身元証明する根拠として、南軍経験という事を、見分けに用いると、南部黒人すべてと、アパラチア地方の白人の多くと、 極く最近移住してきて未だ新参者であることを忘れていない住民とが必ず除外される。  幸い、南部地域への忠誠心は、他のことからも成り立ち得る。 そういうものの中で文化的差異などはすでに調べた通りである。

 言い換えると、我々は、人々がどの地域で南部風のやり方を示すのだろうかと問う事は出来ないけれど、 人々がどの地域で南部風のやり方の優位性を主張するだろうかと問う事は出来る。 例えば第21図は、 人々が南部訛を聞くのが好きだとか、南部料理が旨いとか、南部の婦人のほうが他の地域の婦人より良いとかいうことを、 どの地域でどれほど言いたがるかを示している ( ギャラップ調査はこれらの質問を最近はやらないのでデータはちょっと古いが、 筆者はこの分布が現在は大きく違って来ているとは思わない )。  このようにして定義された南部は、当然、人々が実際に南部訛、南部料理、 南部婦人に出会いやすい地域と、とても良く一致するが、南軍に属した南部諸州の地域よりは広く、 この事は文化的に南部と言える地域が、古いプランテーション体系の存在した領域よりずっと外に広がっていることと同様である。


第21図 1957年における南部の嗜好の指標」の平均点
 出典:J.S.Reed著 「 堪え忍ぶ南部 」 − 大衆社会の文化の陰に隠れたこだわり Chapel Hill ノースカロライナ大学出版局
1974,18ページ
@南部訛りが好き、南部料理が好き、南部女性が米国の他地域の女性よりきれいの各項目ごとに肯定したら1点を与えた。
 白:無回答 点:1.00未満 粗い斜線:1.00〜1.49 細かい斜線:1.50〜1.99 黒:2.00超

            
南部の協会や施設

 南部を、概念としても現実としても保持し、この地域を経済的にも社会的にも結合し、 そしてその独自性や連帯の意識を作るのに貢献する役を果たしているのが、地域の協会や施設である。  ここでもまた、米国内の色々な異民族グループの場合との強い類似性を見いだせる。  幾つかのこれらのグループと同様、南部もそれ自身の社会的職業的組織、報道組織、大学等々を持っている。 実際、南部は今、 多分かつてのどの時代よりもこれらを沢山持っている。  カール・マルクス ( Karl Marx ) が、南軍なんて国家でも何でもなく、単に鬨の声に過ぎないと冷笑的に言ったとき、 彼はこの種の協会や施設の欠如を指していたのであり、最近まで、南部はこれら諸施設を地域に設けようにもそれが出来ずにいたのである。

 しかし今や南部歴史協会、南部鉄道、南部バプチスト協議会、Southern Growth Politics Board *49、 および他の同様の協会や施設などは、交流の脈路を確立し、地域一帯に影響を及ぼし、 この地域を歴然とした社会的現実に造り上げているのである。 同時に、そういった諸機関の名前すらが、南部は存在する、 それはなかなかのものだ、それは自然の事実なのだ、などという考えを強めるのに役立っている。

 例えばサザン・リヴィング ( Southern Living ) と言う雑誌は、南部的生活なるものが存在し、それは他の生活とは違うし、 それらより ( はっきりと ) 勝るものなのだという事を毎月読者に ( それとなく ) 仄めかし続けている。 第22図は、 こうしたメッセージがどの地域で肥沃な大地に撒かれているかを示している。  フロリダ人がこれに比較的興味を示さないことに注目したい。  ( 特別南西部版を出すと言ったような ) 同誌の果敢な努力にもかかわらず、テキサス人も同様である。  ここに至って明確に分かるのだが、南部地域文化と地域的同一性についての地図が示唆する所によると、 南部は、アトランタを中心とする南東部と、 「 南西部 」 つまりは大テキサス ( テキサスは自分自身の生活についての雑誌をもっている ) とに二極化するだろうという、 50年前に南部の社会学者たちが予言していた通りの発展が起っているのである。


第22図 サザン・リヴィング誌の読者:白人人口に対する1981年の推定%
 出典 同雑誌社のマーケティング部門提供

 南部の地方大学の一つを見ても、同様の様相が見て取れる。  チャペル・ヒルに在るノースカロライナ州立大学は、長いこと南部文化の研究と教育の中心であった。  同大学はまた同地のエリートの教育を行って来た。 第23図は、 全大学卒業者の内かなりの比率がチャペル・ヒルの同窓生で占められる州を示している。  南東部諸州全体にター・ヒール ( Tar Heel ) *50 が濃密に分布しており ( ニューヨーク市郊外に幾らか頭脳流出が見られる他は )、 この地域だけが分布の多い所である。とくに、 ミシシッピより西にはチャペル・ヒル卒業生の進出した市場は殆ど無い ( テキサスは自分の大学を持っている )。


第23図 チャペルヒルのノースカロライナ州立大学同窓会員数を、 その土地に住む1−4年間大学に通った人の数で割った比率で示したもの
1985年の値  出典:チャペルヒルのノースカロライナ州立大学同窓会提供

           
では南部とはどこか?

 では南部とはどこか? それは、どういう南部を読者が考えているかにより変わる。  なるほど、ある地域は万人が同意する南部である。 しかし、人により南部とは何か<ということについての観念が違うから、 周辺部では南部がどこかという問いは難しくなる。 だが、この観念の殆どは正しいか、少なくともある何かの目的にとっては役立つ。

 南部はもはや、他地域と異なった経済体系をもち、原料と余剰の人口を米国の他地域に輸出し、 一方では多様な社会的経済的問題点を自身に対し生み出している、といったような存在ではない。  そういう体系は過去のもので厄払いが済んでいる。  とは言っても、少数派の黒人の人口がかなり多いというように、過去の影響が何ほどかまだ残っており、 この先まだ当分は身近に在ることだろう。 南部はまた、その人々や、彼等の独特の物事の仕方によっても別物とされている。  大衆化社会が或る程度浸透してきているとは言え、南部人は未だに多くのことを違う風にやっている。  だが、南部の文化を保存することは南部人に貧乏で田舎者であることを要求することではない。  まったくの所、貧乏人たち*51 は、新しい南部が持つきらびやかな所有物の内のある物、 例えばバス ( bass )*52 釣り用のモーターボートとか、四輪駆動車などを買えないではないか。

 その歴史と文化がアメリカという水車の規則的回転とはちょっと外れた回転の仕方をしてきたので、南部は或る概念、否それ以上の、 人に何等かの感情を抱かせるような概念として存在している。 多くの人は南部が好きであり ( 熱愛する人さえいる )、一方、 他の人々は南部を軽蔑をもって見ることで知られてきた。 どちらの場合も、南部は彼等の頭の中、会話の中にある。  この見地からすれば、南部とは人々がそれにつき考え、語る限り存在し続けるだろうし、その境界線について言えば、 ここから南部が始まると人々が同意したところから南部が始まると言える。

 最後に言いたいのだが、南部は今、多分今までのどの時期におけるよりもはっきりとした一つの社会体系である。  協会や施設のネットワークが存在して南部に奉仕しているし、常に増大し続ける多数の人々が、 南部が存在し続けるのを確実にするために愚直に金を使う事に関心を持っている。  この点で、遠隔地にあることと多様性との二つのなまの事実が相俟って、南部を米国南東部の中核地帯と化しているのである。

 これら全ての相異なる南部を与えられてしまうと、 われわれが地図上に一本の線を引いて、これが南部の境界線だなどという事が出来ないのは明らかである。  南部人が好んで口にする言い方のように、やりようでどうにでもなるのである。  しかし、何としてでもそれをやらなくてはならないとすれば、 第24図中の、地域の電話帳の中に 「 サザン ( Southern ) 」 と言う見出し語が相当数見られはじめる ( アメリカン ( American ) という見出し語の数に対し35から60% ) 線というのが、筆者の推薦する候補である。  この線で定義された南部は大いに納得が行く。 この中にはかつての11の南軍の州から、テキサスの東端以外を除いたものが含まれる。  また、南軍の反乱旗*52Aに星を一つ加えてもらったケンタッキーが入っているが、同様のミズーリは入っていない。  オクラホマの一隅も入っているしマスコギー ( Muskogie )*53 も入っている。

 第24図は、同じ南部の中でのバラツキも示していて、これも納得がいく。 すでにこの図に描いた数本の太い線がそれを示している。  ケンタッキー州、大部分のヴァージニア州、テキサス州東部、アーカンソー州の一部、 フロリダ半島の大部分など南部の境界線上に在る地方のすべては、この尺度においても筆者らの検証した多くの尺度によるのと同様、 南部の心臓部よりは 「 南部的 」 な度合いが少ない。 他方、南部の影響の及ぶ区域はメリーランド州、ウエストヴァージニア州、 オクラホマ州、大テキサス州の大部分、オハイオ州から西に向かってミズーリ州までの各州の南の部分などを取り入れている。  これらの地域を本来の南部にいれる人はほとんど無いだろうが、と言って、 この地域での南部の文化の香りを否定する人はずっと少ないことだろう。


第24図 1975年前後の電話帳の中での 「 サザン 」 の使用頻度の、「 アメリカン 」 の使用頻度に対する比率
 出典:J.S.Reed著 「 ディクシーの心−民族地理学におけるあるエッセイ 」 Social Forces 54 ( June 1976 ) ) 929ページ

 この一つの統計が、筆者が先に述べた種類の協会や施設の存在や、店の主人が新聞売り場を、 たとえば 「 サザン・フルーツ・アンド・ニュース ( Southern Fruits and News ) 」 などと名付けてみたりする事になるような一種の地域への愛着の存在を示している。  この図はまた、南部という概念が生命を持っているのはどこかを、その社会的現実が及んでいるのはどこまでかを、 あるいはその両方が在るのはどこかを示している。 言い換えれば、読者が自分が南部に住んでいるのかどうかを知りたければ、 電話帳をめくってみるのが一番良いという事である。*53A

訳者注

*35 とうもろこしの芯部の荒挽き。 またそれでつくった南部特有の粥状の食べ物。 
*36 普通の乗用車に手を加えて作った競争用自動車のレース。*45 を参照
*37 米国南部に広く生息する袋鼠 ( 有袋類 )。 掴まると死んだふりをする。 貧しい南部人が昔捕えて食べた
*38 本書で山岳地帯と言えばアパラチア山脈地帯のこと
*39 演奏者、作曲家、演奏家など
*40 憲法で保証された男女平等をさらに補強・修正した法律
*41 イリノイ州南部からミズーリ、アーカンソー、オクラホマの各州を縦断する山稜地帯
*42 ミシガン州南東部、デトロイトの西にある小都市。GMの自動車製造工場が在る
*43 カリフォルニア州南部の中都市
*44 オクラホマ州から来た人達に対するあだ名。 上記の*41,*42,とこの*44 の三つの名はすべて 「 貧乏なブルーカラー労働者 」 というイメージを米国人には与える
*45 National Association for Stock Car Auto Racingの略。 フォーミュラカーでなく、 量産の一般車をレース用に改造した車 ( ストックカー ) で争う自動車レースの全国協会
*46 米国の大学の男子学生が相互の友情と福祉のため作る学友会団体で通常ギリシャ語アルファベット2−3文字から成る名前を持つ。  先輩後輩の同窓的絆を卒業後も持つ
*47 Dixie とは南部諸州の俗称、Dixieland とも言う。 「 あまり熱心で無かった 」 とは、つまり、 南軍側に入って戦うことに熱心でなかったと言う事
*48 南北戦争の勃発した年
*49 南部の経済的成長を促進するための規則や政策を研究し、設けるための機関
*50 ノースカロライナ人のニックネーム。南北戦争の時、南軍の他州の軍隊の一部はノースカロライナ州軍を残して退却したので、 ノースカロライナ州軍は彼等の靴の踵にタールを塗り付け、戦場から逃げ出せぬ様にしてやりたいと言ったのが語源とも言うが不確実
*51 南部以外の地域の貧乏人のこと
*52 スズキに似た北米産食用魚
*52A  赤地に太い青のXが対角線に描かれ、このXに南軍の11州に、合衆国に留まった奴隷州の内、 ミズーリとケンタッキーとを加えた13州を表す13の白い星が描かれた旗。  南軍に強い愛着を持つ人は今でも自宅の玄関や自動車にこの旗を飾る
*53  オクラホマ州東部の一都市。南北戦争のとき南軍を支援したので南部の飛び地と考えられている
*53A 住民の多くが、店や会社の名称にSouthernという言葉を何気なく、あるいは愛着をもって使うことが多い地域・・・ 南部人を含め、すべての米国人はAmericanという言葉を愛用するのだが、それに近い率でSouthernという言葉も愛用する地域、 それこそが南部である。 そういう住民の意識こそが南部を特徴づけ、南部であることを証明するものだ・・・というのが、 本書の著者たちの研究の結論なのである。
                    

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