助詞 「 が 」 と 「 は 」 の使い分け
助詞の 「 は 」 と 「 が 」 の違いと使い分けの問題は、それだけで一冊の専門書が書けるほど奥が深いテーマだそうです。 以下は、私が今回講習で学んだ事をテキストの文例を使いながら整理しただけですから、もちろん、ホンの入口の部分の記述に過ぎませんが、たぶん、間違いは述べていないと考えています。 さて、格助詞の 「 は 」 と 「 が 」 は、共に主語を表し、ほとんど同じ働きをしていると考える人が多いようですが、実はそう簡単ではありません。 1.主語と主題 『 この件は田中さんが担当しています。』 という文章を例にとると、「 が 」 は 「 田中さん 」 が 「 主語 」 であることを示していますが、「 は 」 は 「 この件 」 が 「 主題 」 である事を示しています。 主題とは、話題の提示、つまり、「 この件については・・・ 」 という事です*1。 この文章は 「 田中さんがこの件を担当します。」 という文章と同じ意味です。 後の文章でも 「 田中さん 」 は主語ですが、「 この件 」 のあとは主格を表わすことができる格助詞 「 は 」 から目的格を表す格助詞 「 を 」 に変っています。 「 わたしはきのう友だちと新宿で映画を見ました。」という文章では、どうでしょうか。 「 わたしは 」 の 「 は 」 は、「 わたし 」 が主語である事を示すと同時に、わたしが話の主題である事をも示しています。 「 は 」 は主語を示す機能と、主題を示す機能との両方を持つことができるのです。 これに対し、「 が 」 は主語を示す機能しか持っていません。 「 は 」 の主題を示す機能を利用して、「 友だちとは・・・ 」、「 新宿では・・・ 」、「 映画は・・・ 」 という風に使って、それぞれを主題にした類似の文章を作れます*2 が、「 が 」ではそうは行きません。 もう一つ例を取り上げてみます。 「 これはコインロッカーの鍵です。」 「 これがコインロッカーの鍵です。」 この2つの文章を見れば、『 「 は 」 も 「 が 」 も同じようなものだ 』 などという乱暴な議論はもう出来ないでしょう。 上の文章は1個の鍵について説明しており、下の文章は沢山ある鍵の中の一つを指して説明しています。 下の文章では 「 これ 」 は明確に主語ですが、上の文章では 「 これ 」 は主語を示していると同時に主題提示の役割をも果たしています。 2.旧情報 ( 既知 ) と新情報 ( 未知 ) ミラーさんは何をしていますか。 (ミラーさんは) 日本語を勉強しています。 旧 新 上の2つの文章では、対話している2人にとって 「 ミラーさん 」 という人はすでに対話者両名にとって既知の 「 旧情報 」 です。 これに対し、後半はそのミラーさんについての 「 新情報 」 です。 誰が お金を払ってくれましたか。 山田さんが 払ってくれました。 新 旧 それに対し、この2つの文章では、誰かがすでに払った事は対話者両名にとって既知であり、「 山田さん 」 の名が新情報です。 このように、旧→新の順に話すときに旧情報に 「 は 」 が使われ、新→旧の順に話すときに新情報に 「 が 」 が使われます。 例文で 「 は 」 と 「 が 」 を入れ変えたら実に珍妙な日本語になり、両者が同じ働きでない事が良く分かります。 身近な例で示しましょう。 昔々、ある所におじいさんとおばあさんがいました。 ・・・2人の存在は聞き手にとり新情報だから 「 が 」 です。 おじいさんは山へ*3柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。 ・・・聞き手は2人の事をすでに知った ( 旧情報 ) から、ここでは 「 は 」 です。 3.疑問詞と共に用いる場合 これは何ですか。 出口はどこですか。 これを書いたのは誰ですか。 のように、「 ・・・+疑問詞 」 の形では 「 は 」 を用います。 ( 「 が 」 に替えたらおかしい ) あそこに何がありますか。 どの人が田中さんですか。 だれがこれを書いたんですか。 のように、「 疑問詞+・・・ 」の形では 「 が 」 を用います。 また後者の場合、答の文にも 「 ・・・が書きました 」 のように 「 が 」 を使います。 ( 「 は 」 に替えたらおかしい ) 4.強調の 「 が 」 「 山田さんはどの人ですか。」 という問いに対して、「 山田さんはあの人です 」 と普通に指さして答えるときは、「 は 」 で、「 あの人が山田さんです 」 と、強調したい言葉を前に出したときには、「 が 」 が使われます。( 形式的には前項の3.と類似 ) 5.「 は 」 と 「 が 」 の力が及ぶ範囲 複文章 ( 述語が2つ・・・下の例では 「 病気だった 」 と 「 休みました 」 ・・・ある文章 ) の場合です。 「 娘は病気だったので会社を休みました。」 「 娘が病気だったので会社を休みました。」 この2つの文章では、休んだ人が違います。 上の文では休んだのは娘で、下の文では文章には表れていませんが休んだのは 「 わたし 」 です。 ( 日本語では 「 わたしは 」 は省略される事が多い。) 「 は 」 は必ず文末の述語にかかります。 これに対し、「 が 」 は到達力が弱く、文末まで届きません。 上の文では 「 娘は 」 は最後の 「 休みました 」 に届き、下の文では 「 娘が 」 は 「 病気だった 」 にまでしか届きません。 他の例として、次の3つの文章をご覧ください。 切符が出ないとき、このボタンを押してください。( 切符は出ないとき・・・とは言わない。) これはミラーさんが作ったケーキです。 ( 「 は 」 は遠く 「 ケーキです 」 に達し、「 が 」 は 「 作った 」 にまでしか達していない。) これは女の人が読む雑誌です。 ( 「 は 」 は遠く 「 雑誌です 」 に達し、「 が 」 は 「 読む 」 にまでしか達していない。) 上の例のようなとき、ネイティブの日本語スピーカーなら 「 切符は出ないとき、このボタンを押してください。」 なんて言う人はまずいません。 しかし、日本語を学んでいる外国人にとっては、「 が 」 と 「 は 」 のうちどちらを使うべきか、この例の場合、五分五分で迷うのがむしろ当り前です。 ですから、このように、ルールと実例を教えてあげて、正しい使い方を選べるようにしてあげないとならないのです。 今回講習を受け、私のようなネイティブの日本語スピーカーにとっても、このようにルールを整理されて説明されると 「 なるほどな 」 という感じで納得がゆく事が多く、面白いと思いました。 ところで、「 僕はウナギだ 」 という言葉を聞いて、どういう状況を思い浮かべますか。 まさか、その人が 「 わたしは人間ではなく、実はウナギが人間に化けているのだ 」 と言おうとしているなどと思う人はいません。 団体客の一人がレストランで、ウェイターに向って自分は 「 ウナギを食べたい 」 という注文を出しているのか、それとも、他者とウナギとてんぷらのどちらが好きかについて論じ合っているとき、相手が 「 僕はてんぷらの方がが好きだ 」 と言ったのに対して、自分はウナギの方が好きだと述べているのか・・・などと想定するのが自然です。 では、「 僕がウナギだ 」 はどうでしょうか。 ウェイターが幾つかの皿を持ってきて、「 ウナギはどちら様でしたか 」 と尋ねた時、こういう言葉が出るでしょう。 上記の4の強調の 「 が 」 です。 こんな事を考えていると、たかが 「 は 」 と 「 が 」 の使い分けが、ネイティブの日本人にすら実に微妙で難しいものだと思えてきます。 *1: 主題の提示として典型的な例は、有名な 「 吾輩は猫である 」 の 「 は 」 でしょう。 これは 「 吾輩は ( 何者であるかというと ) 猫である。」 ということで、まず冒頭に主題である主人公の猫を提示したのです。 *2: このように 「 と 」、 「 で 」、 「 に 」、 「 から 」、 「 まで 」、 「 より 」 などの格助詞にも 「 は 」 をプラスして用いられます。 「 わたし 」、「 きのう 」、「 映画 」 のような名詞に 「 は 」をつけた場合は ( 主語+ ) 主題を表しますが、「 友だちと 」、「 新宿で 」 などのように名詞+格助詞に 「 は 」 を加えた場合は 「 対比 」 という意味あいになります。 *3: 初歩の外国人に対しては、「 山に 」 ではなく、まず 「 山へ 」 と教えるのだそうです ( 詳細説明略 )。 |