フリーマンの随想
最近訪れた箱根のある旅館の浴場の入り口に、絵入りのポスターが貼ってあって、それは上部の組合が作成して各旅館に配ったもののようでした。 そのポスターは、最近急速に増えた海外からの宿泊客や、共同浴場の入浴のエチケットを知らない一部の日本人宿泊客に対して、浴槽に入る前は下半身を中心に体を洗う事、 タオルを浴槽に漬けない事等々、幾つかの基本的な作法を知ってもらおうと、漫画風の挿絵が描いてあるものでした。 その挿絵では、よいやり方には大きく○、して欲しくないやり方には大きく×が記されています。 多くの言語で注意書きを列記するより、 確かに誰にも分かりやすいのでは?と思えます。 しかし果たしてそうでしょうか? ここには 「 日本人特有の思い込み 」 に基ずく大きな問題点があるように思います。 それは、「 ○は正しい、×は正しくない、そして△はその中間という意味であると、世界中のどの国から来た人も理解するだろう 」 という決めつけ、思い込みです。 私の個人的な知見、体験に基ずく考えによれば、決してそんなことはないと思われます。 ○や×と言う記号に世界各国共通の意味などないと私は思うのです。 「 ○が正しく×が正しくない 」 というのは、日本では長いこと入学試験などでそういう約束で答を書くやり方 ( ○×式解答 ) が実施されてきたからなのでしょう。*1 私が8年間住んでいた米国では、たとえば税金や年金などの連邦政府に出する書類では、日本のように自分が該当する質問項目の数字を○で囲って@のようにするのではなく、 該当する項目 ( あるいは番号 ) の前に付いている□の中に×或いはレ ( チェック ) を書くのが通常のやり方でした。 質問に対してYESであるかNOであるかを選ぶときは、 YESの下の□か、NOの下の□かどちらかの□の中に×を書きました。 この国では×には悪いとかまちがっているとかいう意味はないようです。 ×はこのケースでは否定ではなく 「 この答が該当します 」 という 「 肯定 」、「 承認 」 の意味なのです。 一例として私宛に最近届いた調査書類の質問項目の一部を引用しますと、 Item 3. Has there been a change in your citizenship or your country of your residence that you have not yet reported to SSA ? If not, place an "X" in the "NO" box and go on to item 4. If yes, place an "X" in the "YES" box and turn the form over. それどころか、×は英語では cross であり、cross には十字架という意味もあります。 ですからキリスト教社会では×には神聖な意味が含まれる事もあるようなのです。 昔、文盲で自分の名前が署名できない人は、宣誓の際、署名の代わりに×を書いて 「 イエス・キリストに誓って偽りはありません 」 と意思表示したそうです。*2 世界には数え切れないほどの文化、宗教、伝統があります。 ×印 (cross) だって、昔十字軍と戦ったイスラムの社会ではおそらく否定的な意味にとらえられることでしょう ( 彼らが赤十字 (Red Cross) の+のマークを拒否して代わりに 「 赤新月 」 を用いている事はご承知の通りです )。 ○に良いとか正しいとかいう意味を強く感じるのは、世界中で日本人だけ・・・とまでは申しませんが、やはり日本社会に特徴的な慣習、感覚のように思います。 ○に対して 「 何もない 」 とか 「 空虚 」 とかいう意味だと受け取る国や民族がいたって、別に不思議はないと私は思います。 、ましてや△が可と不可の中間という意味だなんて、日本人以外には多分想像を絶する事なのではないでしょうか。 日本人の研究者たちが海外の学会で発表する表や図の中に○を良い、正しい、成功などの意味で、また×を悪い、誤り、失敗などの意味で、 「 それらの印の意味、定義を説明することなしに 」 使ったとき、聴衆が何の事か分からなかったという話を聞いたこともあります。 冒頭に記したポスターは、おそらくよほど勘の良い人以外の普通の外国人にとっては、何の事か理解できず、せっかく貼ったのに役に立たないことでしょう。 *1:× ( バツ ) という印は 「 罰 」 と発音が同じです。 「 ペケ 」 と読む地方もあります。 誤って書いた文字などを取り消すときにも、日本では抹消線ではなく×を上に書くことがあります。 いずれにしても日本では×は悪い意味にしかなり得ないようです。 ただ、世界共通の絵によるサイン、たとえば禁煙を示す時に、煙の出ているタバコの上に大きく×を描いて示すというようなやり方があります ( 通常は赤い○の中に赤い斜めの線がある形のものが多い ![]() *2:処刑に使われた十字架には+型のほかに×型の聖アンデレ型というのもあります。 +も×もどちらも英語では cross です。 |